第四話:心拍数計の発見
「……!」
悲鳴だった。
だが、視界右下で赤く点滅する『150bpm』の数値が、その震える悲鳴を暴力的な魔力へと変換した。
『その汚らわしい肉塊を拾い集め、貴様の主の寝所へ持ち帰れ』
空間が震えた。
謁見の間の空気が、物理的な圧を伴って使者に叩きつけられる。
それは、栞のパニックが翻訳魔法によって極限まで増幅された『純粋な殺意』だった。
『私が望むのは、貴様の主が泣き叫び、泥を啜りながら命乞いをする姿だ。さあ、這って帰れ。そして伝えよ、絶望が歩き出したと』
使者の足が、半歩後ろへ下がった。
屈強な魔族の体が微かに震えている。
「……狂王よ、言い伝えは真実であったか」
使者は血まみれの親書をひったくるように拾い上げると、足早に――ほとんど逃げるように――謁見の間から退散した。
静寂。
栞は膝から崩れ落ちそうになるのを、必死に堪えていた。
『戦争を回避してください』と懇願したはずだった。
だが結果は、世界を焼き尽くすような宣戦布告。
「見事だ、シオリ……!」
アレクシスが感極まった声で叫んだ。
「あの魔将を言葉だけで退けるとは。君のその覇気、まさに我が軍の先陣を切るにふさわしい!」
国王もまた、満足げに深く頷いている。
栞は頭を抱えた。
終わった。和睦の道は完全に閉ざされた。
*
黄金の鳥籠に戻った栞は、鏡の前に立ち尽くしていた。
視界右下のウィンドウ。
今は【85bpm】で安定している。
「……分析よ」
栞は呟いた。
なぜ、あの時『求愛』ではなく『宣戦布告』が発動したのか。
第一話でアレクシスに剣を突きつけられた時は、求愛だった。
あの時と何が違う?
栞は鏡の中の自分を見つめ、当時の状況を再現し始めた。
剣を突きつけられた時の「恐怖」。
死ぬかもしれないという「絶望」。
そして、初対面の男たちに囲まれ、どう思われるかという極限の「羞恥心」。
栞は、あえて自分自身に恥ずかしい言葉を囁いてみた。
「私……すごく……その……」
顔が熱くなる。
ウィンドウの波形が揺れ、ピンク色に点滅を始めた。
『あぁ、もっと私を辱めて。あなたの視線で私を溶かして』
翻訳魔法が発動し、甘ったるい声が部屋に響く。
栞は頭を抱えてしゃがみ込んだ。
「……なるほど」
顔を真っ赤にしながら、栞は理解した。
この魔法は、言葉の「意味」を翻訳しているのではない。
発話者の「身体反応」――心拍数と、発汗や体温上昇などの『ストレス要因』を読み取り、それを極端な二つの方向(攻撃か求愛)へ変換しているのだ。
恐怖による心拍数の上昇が、純粋な「パニック(怒り・威嚇)」として判定されれば『宣戦布告』。
そこに「羞恥」や「緊張」というスパイスが加わると、魔法はそれを『求愛のサイン』と誤認する。
つまり、翻訳魔法は「栞の真意」を捻じ曲げているのではなく、「栞の身体反応を誤読」している。
「ならば……」
栞はゆっくりと立ち上がった。
言葉が通じないなら、この体を騙せばいい。
心拍数を完全にコントロールし、翻訳魔法の『入力値』をハックする。
コンコン。
扉が開き、アレクシスが花束を抱えて入ってきた。
「シオリ。先ほどの君の勇姿を思い出すと、胸が高鳴って――」
【警告:羞恥反応による心拍数上昇を検知(110bpm)】
栞の心臓が跳ねる。
アレクシスの熱い視線に、波形がピンク色に傾きかけた。
「名詞句の構造、主要部、指定部、補部。動詞句内の主語仮説……」
栞は目を閉じ、言語学の専門用語を呪文のように早口で唱え始めた。
感情を殺す。ただの計算機になれ。
「シオリ……? 何か祈りの呪文だろうか?」
アレクシスが不思議そうに首を傾げる。
【心拍数:80bpm。安定】
栞は目を開いた。
「……私の心臓、制御してみせる」
聖女は初めて、自分の体を武器にすることを決意した。




