第五十四話 天穹決戦
◆万象の女王セレスティア視点
この氷山に足を踏み入れた時から、ずっと嫌な縁を感じ取っていた。
だが、それが具体的に何者なのかは分からなかった。
氷山の麓を守るゴーレムが大量に破壊されていた件に関しては、そこまで警戒するものでも無かった。
そして、地下洞窟の深部へと進み、目の前に現れた冥竜ケルベイン。
あの終焉種が、何故こんな所に存在しているのかには驚いたが……それでも、私がずっと感じていた不穏な気配の正体は、こいつではなかった。
「私が、あいつの鱗が耐え切れない程の一撃をぶつける」
ここにいる者の中で、あれを確実に葬れるのは私だけだろう。
しかし、こいつは魔術が効かないという、面倒な性質を持っている。
この手の類を殺すには、純粋な物理の力で殴り倒すか、あるいは、こいつの吸収限度を超えて耐えきれない程の強大な魔術を一点にぶつけるか。
今回は、後者だ。
だが、あの膨大な魔力を練り上げる為には、どうしても少しの時間が必要だった。
シエロ達は全員、私の為に冥竜相手によく耐えている。
それに、相手が格上である為に本人は感じにくいだろうが、あの小娘は、断然と動きが良くなっていた。
「……よく耐えてくれた。後はこの私に任せろ」
この技を使用するのは、一体いつぶりだろうか。
窮地のはずが、私の心は久々に高揚し、ひどくワクワクしていた。
「陽雷・紫……」
私が刀に縁を込め、極大の魔術を発動しようとした、まさにその時だった。
遥か上空の暗闇から、酷く懐かしく、そして悍ましい縁の気配を感じとったのだ。
このまま手元の魔術を放って冥竜に当てるべきか、それとも、上空の不気味な気配ごと巻き込んでぶつけるべきか。
私が珍しくほんの一瞬だけ迷ってしまった、その隙を突かれた。
気が付けば、私は上空から落ちてきた黒い何かに身体を捕まれていた。
「悪いが、貴様の相手はこの私だ」
「……この私に気安く触るな。この死に損ないが」
私は空中で、こいつの拘束から強引に切り離した。
空中で体勢を立て直し、気が付けば、私たちは分厚い氷山の頂上を突き破って飛び出ており、暗い雲が立ち込める上空で対峙していた。
(やられたな。まんまと分断された。シエロの為にも、早めに殺して戻らなければな)
「随分と、眺めの良い所まで連れてきてくれたな。昔は、日の当たらない地下の暗い所ばかりを好んでいたくせに。……六皇神サマエルめ」
目の前で宙に浮いているこいつは、魔族の頂点である六皇神の一体、剣皇神サマエル。
遠い昔の時代に、この私がこの手で直接切り伏せ、殺した。
いや、完全に殺したと思っていたが、あの死に際に何かしらの小細工をして生き延びていた。
「久しいな、万象の女王よ。貴様が随分と長く地上に出ていなかったみたいだから、こうして外の空気を吸わせてやったのだ」
「それは気を使わせたな。……で、貴様の目的はなんだ?」
(見るからに、かつての完全体では無さそうだ……)
剣皇神サマエルは、三メートル程の長身を持っていた。
肌は死人を思わせるような不気味な灰白色で、腰まで伸びた銀髪の隙間からは、二本の黒紫色の角が覗いている。
角は後頭部へ沿って緩やかに伸び、先端だけが天を指すように鋭く反り返っていた。まるで、その頭上に砕けた王冠が突き刺さっているかのようだった。
肩から垂れる深紫のボロボロのマントが、宙に浮く足元まで届いている。
「これからここで消える奴に、わざわざ目的を話してやる必要があるか?」
奴の腰には、身の丈に合わない一本の巨大な長剣が差されていた。
「まさか、この私はお前ごときに負けるとでも思っているのか?それに、器が居なかったのか?随分とひょろけているじゃないか」
「フッフッフッフッ……。私に相応しい器に関しては、既に準備を進めているところだ」
サマエルは不気味な笑みを浮かべ、見下すように私を見ていた。
「それに、ここで無理に貴様に勝つ必要などは無い」
「なに?」
「貴様の主は今、地下の冥竜の所に居るだろう。貴様が居なければ、あの脆弱どもがアレに勝てるはずがなかろう?」
サマエルは、腰の剣の柄にゆっくりと手をかけた。
「言いたいことは分かるだろう?主が死ねば、それに連なる貴様もまた、この世から消えるのだ」
「……そうか、貴様があの終焉種を地下に呼び出したのか?」
「流石の私でも、あんなバケモノを飼い慣らして呼べるわけがないだろう。だが、運が良かったと言うべきか……これも全て、貴様が今日ここで死ぬ為に必然に起きた事なのだ」
それを聞いた私は、思わず鼻で笑ってしまった。
「そうか。だったら貴様は、大きな勘違いをしているな」
私も腰の刀を抜き放ち、眼前の神に向けて構える。
「私の主が、あんなトカゲごときにそう簡単に殺されて死ぬわけが無いだろう」
サマエルも姿勢を低くし、長い剣を構えた。
「冥竜を相手に生き残るとはな。あの餓鬼どもを随分と高く見積もる事だ」
互いに自然と膨大な縁を練り上げ、その強者同士の縁の衝突の影響で、周囲の大気が歪む。
上空は渦を巻くように暗く濁り、北の国の空に無数の雷が走り始めた。
「そういえば、貴様の下僕の魔族は、以前に私の主が自らの手で殺したみたいじゃないか」
次の瞬間。
神速で踏み込んだ二つの剣が、空中で激突する。
ガギィィィィィンッ!!
「……あんな下級の駒など、私には関係は無い!」
互いの剣技が幾度となくぶつかり合い、衝撃波が氷山を削り、いや、北の国という国全体が地震のように震える。
だが、不完全体のサマエルとセレスティアとでは、押し込んでいるのは明白にセレスティアだった。
「紫電斬」
私が刀を一閃させると、断ち切る紫の斬撃が飛び、サマエルの右半身を肩から大きく削り取る。
「チッ……。やはり、この不完全な身体では本来の力が出せんな」
サマエルの身体は、斬り飛ばされて欠損した箇所から、グズグズと黒い泥のように肉が再生していく。
「見苦しい言い訳をするために、わざわざそんな未完成な器でこの私に挑んできたのではないだろうな?」
「相変わらず、この私を馬鹿にすることが大好きだようだな」
サマエルはそう言うと、巨大な剣を両手で持ち、何もない空に向かって深々と剣を突き刺した。
剣先が刺さった虚空の空間にガラスの様な亀裂が入り、その隙間の奥から、悍ましい黒い縁が滝のようにあふれ出す。
「魔剣開門」
亀裂からあふれ出したドロドロの黒い縁が、サマエルの剣の刀身に絡みつくように纏わりつく。
サマエルの剣は、悍ましく脈打ち、黒紫に不気味な光を放ちながら漆黒の縁を放ち始めた。
「我が剣が、下で餓鬼がくたばるよりも先に、貴様の命を食い尽くしてしまうかもな」
サマエルはその魔剣を、セレスティアに向けて一振りした。
漆黒の斬撃が、空を裂いて襲い掛かる。
セレスティアは、それを自前の刀で直接受けて防ごうとはしなかった。
「紫陽盾」
短く唱えると、私の目の前に分厚く大きな光の盾が出現する。
直後、漆黒の斬撃が盾を捉える。
だが、斬撃を完璧に防いだはずの光の盾は、まるで酸に溶かされるように黒い縁に飲み込まれ、ジュワッと音を立てて消滅してしまった。
「ほう。その刀で直接防がなかった直感だけは、褒めてやろう」
サマエルの魔剣開門に斬られたものは、魔術であろうと物質であろうと例外なく、あの漆黒の縁に喰い尽くされるのだ。
「気色悪いその技も、私自身に触れなければ何の問題もないだろう」
「強がりを。下民共からすれば、自分の命に代えてでも欲しがるような高度な魔術の盾が、一瞬で消えても平気と言う訳か」
「貴様のつまらん雑談に付き合っている暇はない」
セレスティアは虚空を蹴り、一気にサマエルの懐へと迫る。
足に自身の強大な縁を纏わせ、奴の胴体目掛けて蹴り飛ばす。
サマエルは、すかさずその魔剣の腹を盾にして私の蹴りを受ける。
セレスティアは蹴りの反動で空中で距離を取り、間を置かずにサマエルを全方位から囲い込むように、極熱の陽のエネルギーを無数に展開する。
「剣を捨てて魔術に頼るか?」
サマエルの安い挑発を無視し、セレスティアは展開したそのエネルギーの弾を、一斉にサマエルへと放つ。
無数の陽のエネルギーが、豪雨のようにサマエルを襲う。
シュウゥゥゥゥゥという蒸発する音と共に、晴れた煙の中からサマエルの姿が見える。
咄嗟に魔剣を振り回して防いでいだが、所々身体の肉が焦げ落ちていた。
「どうした。先ほどより再生が随分と遅いじゃないか」
「それがどうしたと言うのだ?神聖な太陽の力を使おうと、この私は絶対に倒れん……!?」
得意げに笑うサマエルは、自身の遥か頭上に、超質量の大剣が生成されている事に全く気が付いていなかった。
その大剣の大きさは、眼下に広がるこの巨大な氷山にも劣らないほどの規格外のサイズだ。
先ほどの無数の陽のエネルギーはただの目くらまし。
セレスティアはそれと完全に同時に、遥か上空でこの大剣を生成していたのだ。
「誰が、剣を捨てたと言った?」
「貴様ッ……!!」
私が空に向けた手を勢いよく振り落とす。
重力に引かれ、巨大な大剣が、サマエルの頭上へと真っ直ぐに墜落する。
ドガァァァァァァァァァァンッ!!!
鼓膜が破れるような轟音と、全てを吹き飛ばす強風が吹き荒れ、眼下の氷山が悲鳴を上げてヒビ割れる。
この時、北の国だけでは無く、隣国である東の国や西の国の大地までが、大きく揺れていたはずだ。
だが、サマエルを押し潰したはずの光の大剣が、根本から一気に漆黒の縁に覆われ、侵食されていく。
「クックックッ……流石は万象の女王。貴様の膨大な魔力には、感謝をしないとな」
サマエルの低い声と共に、私を押し潰すはずだった大剣が完全に消滅し、逆にサマエルの手にする魔剣から、先程とは比にならない凄まじい縁があふれ出す。
「まさか……全て喰ったか」
「いかにも。貴様が放つ強大な技など、全てこの魔剣の極上の餌だ。おかげで、完全体に近い力が身体の底から湧き出るぞ!」
魔剣は私の渾身の技を全て喰らい尽くし、その力をサマエル自身の力として吸収したのだ。
そして、奴がどうして魔族の頂点である皇神に君臨し、その中でも剣皇神と呼ばれているのか。
その神髄を見せる。
「剣皇神流・黒蝕」
全身からドス黒いオーラを放つサマエルが、魔剣を上段に構え、空間を削り取るような物凄い速さでセレスティアへと襲い掛かった。
振り下ろされるその凶刃からは、斬撃と共に、全てを喰らい尽くす漆黒の縁が嵐のように飛び出していた。
セレスティアは直ぐに紫陽盾を複数生成し、サマエルの放つ漆黒の縁の斬撃を防ぎつつ、自身の剣に膨大な縁を纏わせて重い剣撃を直接受け止める。
だが、そのまま剣ごと押し込まれ、後方へと大きく弾き飛ばされてしまう。
剣に纏わせていた縁が、不気味な音を立てて魔剣に喰われ、削り取られて消えていく。
「さぁ、どうする?この魔剣の前で貴様は下の餓鬼たちと同様、何もなすべきことが無い。貴様が死ぬか、餓鬼が死ぬかだ」
「これで私を追い詰めたつもりか?」
セレスティアは全身にさらに強大な縁を纏わせていく。
「強がるのもそこまでにしておけ。現に、貴様に私を倒す術がない」
サマエルは再び、禍々しい魔剣を構える。
「剣皇流・黒波」
サマエルの放った波打つような漆黒の斬撃が、セレスティアの全身を覆う縁を容赦なく削り取る。
だが、セレスティアは止まらなかった。
あれは一撃を防ぐための縁であり、サマエルの流派の攻撃の直後、連続して大技を繰り出せないと見たセレスティアは、あえて身を切らせて攻撃を食らいながら、技を繰り出す。
「紫電斬」
セレスティアの一閃がサマエルの胴体を捉える。
サマエルは身体に深い傷を負い少し後退するが、致命傷には至らず、すぐにドロドロと肉が再生していく。
(チッ……浅かったか)
「縁を纏って一撃を相殺し、隙を突く。なんとも無茶な思考だ」
「フン。貴様の気色悪い剣には、直接触れたくもないのでな」
「ならば、貴様が触りたくなるほどに極上の剣技を見せてやろう」
サマエルは腰を低く落とし、ゆっくりと静かに魔剣に縁を込めていく。
その姿はまるで、居合を始める武士の様だった。
「悪いが空気を読んで、大人しく待っているほど私は暇では無いのだ」
セレスティアは直ぐに間合いを詰めにかかる。
空を蹴り前進するが、サマエルがあらかじめ空間に仕込んでいた漆黒の縁が、四方八方から飛んでくる。
直ぐにそれを斬り払い対処するが、既にサマエルは型の体勢を完了していた。
「剣皇流・冥儀・終蝕」
セレスティアが剣を振るうが、手応えはない。
そこにいたサマエルをするっとすり抜け、煙の様に霞んで消えていく。
「!?」
黒い煙は風に流れる様に、セレスティアに纏わりついていく。
そして……。
無数の不可視の斬撃が、セレスティアの身体に深く刻まれていく。
更に、刻まれた傷口から漆黒の縁が侵入し、セレスティアの身体を内側から侵食していく。
口から血を吐くが、セレスティアは自身の縁を異様な精度で操り、体内の侵食を一時的に押さえ込む。
「フハハハハハ!縁で押さえ込もうと無駄だ。いずれ貴様の身体は、我が縁によって喰われ尽くされる!」
「貴様……」
そして……。
ピキピキ……バッギィィンッ。
セレスティアの刀が、限界を迎えて砕け散った。
氷山の頂上の上空で、サマエルは私を完全に追い詰めていた。
「プラン変更だ。下の餓鬼どもが死ぬ前に、まず貴様が死ぬ。その後に、餓鬼ども全員を殺してやる」
サマエルは魔剣を構え、空を蹴りセレスティアを止めに迫る。
「さらばだ。万象の女王よ」
セレスティアは、体内の侵食を抑え込んでいた縁をフッと解いた。
身体の浸食が急速に早まる。
「諦めたか!」
サマエルが勝利を確信し、魔剣をセレスティアに向けて振り下ろす。
「陽は巡り、影は逃れず。四柱の楔よ、その身を戒めろ」
セレスティアの右手に、極限まで圧縮された縁が集まる。
「天陽縛!」
次の瞬間。
サマエルの東西南北の虚空に、黄金の光輪が展開される。
その中心から十字に伸びた四本の光の楔が、サマエルの四肢を完璧に押さえ込み、空中で身動きを封じた。
「なんだと!?」
サマエルは力任せに身動きを取ろうとしても、ピクリとも動くことが出来ない。
「何だこれは!?」
「貴様は忘れているのだろうな」
「クソッ!こんなもの、我が縁で食い尽くしてやるわ!」
サマエルは魔剣から漆黒の縁をあふれさせ、光の楔に纏わせるが……漆黒の縁は、太陽の光に焼かれるようにジリジリと焦げて消えていく。
「なに!?」
「無駄だ。これは私の縁と陽の力を極限まで開放した魔術だ。そんな気色悪い死の縁で、万象の源である陽を喰い尽くせる訳が無いだろう」
太陽は万象の源である。
光があるから生命が生まれる。
熱があるから大地が循環する。
昼夜があるから時間が生まれる。
つまり、太陽の力が無ければ、万象は成り立たないのだ。
セレスティアの身体を喰い尽くそうとしていた体内の漆黒の縁も、内側から溢れる陽の熱によって浄化され、ポロポロと焦げ落ちていく。
「だが、それがどうしたというのだ!貴様の剣は既に壊れているぞ!」
セレスティアは上空へ少しふわりと上がる。
そして、刀身が砕け散って無くなった柄だけを握り、天高く掲げた。
「陽の熱で頭までおかしくなったか!刃のない柄で何ができる!!」
しかし、サマエルはセレスティアのその姿を見て、本能的な嫌な予感を感じ取っていた。
それは昔、自分自身を死の淵まで追い詰めた、あの忌まわしい記憶と似ていた。
「貴様は勘違いをしている」
「この技は……一度力を溜めてしまえば、如何なる場合でも例外なく、いつでも発動が可能なのだ」
セレスティアの握る柄の先から、限界まで圧縮されていた紫の稲妻と陽の縁が激しく溢れ出し、纏っていく。
そして、膨大なエネルギーそのものが形を成し、天を衝くほどの巨大な刀身が生成されていく。
「ま、まさか!地下で溜め込んでいたやつか!?」
そう、あの地下で、冥竜ケルベインを一撃で屠るために極限まで練り上げていた一撃。
「先ほどのお礼と……一生貴様が蘇らないように、塵にして消してやろう」
「クソがぁぁッ!」
サマエルは自身の縁を爆発させて無理やり魔剣を操り、私に向けて魔剣を射出する。
「陽雷・紫照閃」
完全復活した刀身を、セレスティアは躊躇なく一振りする。
放たれた斬撃は、太陽表面から吹き上がる紅炎、プロミネンスが天を貫くように、極太の紫の雷光となって迫る魔剣を瞬時に消し飛ばし、サマエルの巨体と、その眼下に広がる氷山の頂点をも突き破り、遥か地下へと駆け抜けていった。
バァチィィィィィィィィィンッ!!!
サマエルは、断末魔の言葉すら発することも出来ずに、圧倒的な雷光とともに氷山の底深くへと撃ち下ろされた。
(ふぅー……流石に少し疲れたな)
そうして、セレスティアは氷山の頂上に空いた途方もなく大きな穴から、主たちの待つ地下へと再び舞い戻った。
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