第五十三話 冥竜ケルベイン
◆謎の男女視点
氷山を防衛するゴーレムの群れから立ち去った二人は、シエロ達が先に入った地下洞窟の麓の入り口に立っていた。
「ねぇ……この先から、凄く不穏な縁の匂いがするのだけど」
「だからわざわざこんな辺境まで来たんだろ。つべこべ言わずに行くぞ」
「はぁ〜い……」
二人は軽口を叩き合いながら、薄暗い洞窟内へと侵入した。
そしてしばらく歩き、二手に分かれた分岐点へとやってきた。
「……」
男は分岐点の前でピタリと立ち止まり、暗闇を見つめた。
「どっちに進むの?」
「……」
「ちょっと、もしかして左に行こうとしてる?嘘だよね!?」
「……」
「絶対に右よ!左なんて、明らかに縁が駄々洩れじゃん!こういう時は、あえて逆に行くと良いって、私が言ってる!」
女は無言で立ち止まっている男の腕を強引に引っ張り、嫌がる男を無理やり右の道へと連れて行った。
◆シエロ視点
魔法が一切効かず、周囲の熱を全て奪う終焉種、冥竜ケルベイン。
その圧倒的な存在感を前に、僕達は戦闘開始の一歩すら踏み出せずにいた。
「私が、あいつの鱗が耐え切れない程の一撃をぶつける」
沈黙を破り、セレスティア様が背後から僕達にそう宣言した。
「だが、その為には少し時間を貰う。その間……あいつの攻撃を、死ぬ気で凌げ」
「し、死ぬ気で時間を稼げって事ですか!」
「当然だ。貴様はシエロの父親なんだろ?なら、息子の前でたまには格好を付けろ」
父はセレスティア様に名指しで強く言われ、苦笑いしながらも引くに引けなくなっていた。
「時間は、どの位よ」
セリナは既に戦斧を構え、目の前の冥竜へと飛び出す準備をしていた。
「二分だ」
セレスティア様の口から出た二分という言葉。
普段なら瞬きするような短さだが、相対する敵の絶望感を思えば、永遠にも等しい時間だった。
「では、ルキウスとセリナとレガードは前衛。俺とシエロ、そして因果の従者は後方から防御と支援だ」
ベンジャンさんが、即座にパーティをまとめる様に的確な指揮をとる。
「でも、魔術が吸収されるなら、私たちはどうやって後衛から援護するのよ」
ネネさんは冷や汗を流しながらも冷静だった。
「攻撃魔術は使うな。防御と物理的な足止めに徹しろ。とにかく、今は出来ることをして時間を稼ぐんだ」
「はぁ……話にならないわね」
ベンジャンさんとネネさんは、こんな極限状況でもいつもと変わらず皮肉を言い合っていた。
(この時くらい、二人で手を取り合って考えてほしいものだ……)
「喧嘩は後にしてくれ!また、あの巨大な翼で吹雪を起こす気だぜ!」
レガードさんが叫ぶと同時に、ケルベインは三つの首を擡げ、両翼を大きく広げていた。
「吹雪を起こされる前に、前衛で叩いて止めるぞ!」
「分かったわ!」
「お、おっけぇ!」
三人は同時に雪を蹴り、ケルベインへと足を踏み出した。
僕はそれに合わせ、三人の足元の氷を隆起させて氷柱を精製し、高く跳躍するための土台を作った。
三人はその氷柱を蹴って宙高く飛び上がり、ケルベインの頭上でそれぞれの武器を構える。
「おりゃぁぁぁぁッ!!」
ガッギィィィィィンッ!!
セリナの渾身の力で振り下ろされた戦斧は、ケルベインの顔面に直撃するが、恐ろしく硬く分厚い鱗によって火花を散らして弾かれる。
「チッ……硬い!」
その一瞬の隙を突き、横からルキウスが流麗な追撃を行う。
「『剛牙流……轟牙』!」
ルキウスの鋭い剣技が、分厚い鱗の隙間に滑り込み、浅い傷をつける。
だが、ケルベインは痛痒すら感じないのか、その巨体の動きが止まることは無い。
「クソッ……!」
「まだだ!」
さらにその上空から、レガードが落下しながら剣の型を繰り出そうとしていた。
彼は、手数の多い小さめの双剣を両手に持っている。
「『剛牙流……双牙』!!」
レガードの双剣が、ルキウスが僅かに傷をつけた箇所へ正確に十字の斬撃を叩き込んだ。
火花が散り、顔の鱗が数枚、パリッと音を立てて剥がれ落ちる。
「ギャァァァァァァァァァァッ!!」
ケルベインは怒りに満ちた咆哮を上げる。
だが、鱗が数枚削れたところで、その反撃の動作が止まることは無かった。
ケルベインの両翼が大きく振り下ろされ、再び、空間を凍らせるほどの猛烈な吹雪が巻き起こった。
空中で間合いに居る三人は、これを回避することなど不可能。
「地形創造!」
僕は地面の氷を分厚いドーム状に変形させ、空中の三人を飲み込もうとする吹雪から守るように展開した。
一方ネネさんは、自身の魔術で光の巨大なエイを顕現させ、後方に居る僕達やセレスティア様の頭上を覆って防いでいた。
しかし、終焉種の自然災害にも等しい攻撃を、全ては防ぎきれない。
さらに威力を増した強力な吹雪は、僕の氷の壁やネネさんの光獣をガリガリと削りながら、少しずつ破壊していく。
「天を裂く雷光よ、我が指先に集いて敵を穿て。『天帝の雷閃』!」
ベンジャンさんが、防ぎきれずに襲い掛かってくる巨大な氷塊や鋭い氷粒だけを正確に雷で撃ち落とし、なんとか二度目の吹雪を凌ぎ切った。
(良し、なんとか被害なく防ぎ切った……!)
時間にして、まだ一分程の攻防だった。
僕達のすぐ後ろでは、セレスティア様が静かに目を閉じ、膨大な縁を剣に練り上げている。
既に、この空間に居る誰もが、セレスティア様の背中から溢れ出る力を感じ取り、目の前の冥竜に勝機を見出していた。
「次きます!」
冥竜の三つの口の奥底で、青く冷たい光が収束し、息吹を放とうとしている。
すぐに、先ほどと同じ陣形を全員がとった。
前衛の三人が再び決死の攻撃を繰り出し、冥竜が息吹を放つタイミングを少しでも遅延させる。
その間に、後衛に居る僕とネネさんで幾重にも防御魔術を展開し、守りを固める。
ベンジャンさんは、仮に息吹が防壁を貫いて飛んできても、セレスティア様だけは確実に守れる位置で迎撃の構えをとっている。
前衛の三人が絶え間なく攻撃を仕掛け、鱗に着実にダメージを負わせていくが……それが冥竜ケルベインの息吹を完全に止める理由にはならなかった。
「まずい!極大の攻撃が来るぞ!」
父の必死の叫びに、後衛の僕達は全魔力を防御に注ぎ込み、盾を固めた。
「早く僕達の障壁の後ろまで引いてください!」
前衛の三人は攻撃を止め、全速力でこちらへ走って向かってくる。
ボォォォォォォォォォォォォォォォンッ!!!
空間を凍結させる冥竜ケルベインの息吹が、ものすごい勢いで放たれた。
三人は全員、身体強化魔術を限界まで発動させて走り、父とレガードさんは何とか僕達の障壁の後ろまで滑り込んだ。
だが、セリナだけは、少しだけ距離が足りなかった。
「セリナ!急いでください!」
彼女のすぐ背後には、絶対零度の息吹が迫っていた。
(セリナ、後で怒らないでくださいよ!)
僕はとっさに彼女の足元の地面を変形させ、セリナの背中を無理やり突き飛ばすようにして障壁の内側へと弾き飛ばした。
バゴォォォォォォォォンッ!
それと完全に同時に、僕とネネさんの展開した障壁に、冥竜の息吹が激突する。
何重にも強化をしたはずの障壁だったが、一瞬でメキメキとひびが入り、凄まじい質量で後ろへと押されていく。
(なんて威力だ……このままでは、障壁ごと凍らされて砕かれる!)
「シエロ!踏ん張りなさい!」
すると、障壁の内側に吹き飛ばされていたセリナも立ち上がり、僕の障壁が壊されないように後ろから必死に魔力を注いで支えてくれた。
他の皆も同じだ。
前衛も後衛も関係なく、皆が背後のセレスティア様の最後の一撃に全てを懸け、命懸けでこの猛攻を凌いでいた。
僕は限界を超えて縁を練り上げ、ひたすらひびが入る壁を修復していく。
ポタッ。
僕の鼻から、赤い血が垂れて氷に落ちた。
全身の血管が破裂しそうなこの感覚は、あのハイケルと戦って限界を超えた時に似ている。
(そろそろ、本当に限界が近い……)
横を見ると、ネネさんの方がさらに限界に近いとすぐに分かった。
鼻だけではなく、目や耳からもツーッと一筋の血が垂れていたのだ。
「もう、駄目……限界よ……」
ネネさんが意識を失いかけ、その場に倒れそうになった時。横に居たセリナが、自身の肩でネネさんをしっかりと支えた。
「お願いだから。あと少しだけ、歯を食いしばって頑張ってほしいわ。……もう後、数秒で私達の勝ちが決まるんだから!」
セリナの強い目は、背後のセレスティア様を真っ直ぐに捉えていた。
「……私よりも幼い子に、こんな励ましの言葉を言われる日が来るとはね……」
「年齢なんて関係ないわ!」
そして、僕達は限界のギリギリで、冥竜ケルベインの極大の息吹に耐え切ることに成功した。
防壁が霧散し、静寂が訪れる。
その直後。
「……よく耐えてくれた。後はこの私に任せろ」
セレスティア様から、空間が歪むほどの強大な縁がバチバチと放たれた。
彼女が手にした一本の刀には、高密度の紫の稲妻が纏われており、まさに万象の女王セレスティアの力そのものが剣の形を成しているようだった。
「セレスティア様、お願いいたします」
誰もが、勝ちを確信した。
いや、確信と言うよりも、あの絶対的な力を見て、それ以外の言葉を思い付くことなど不可能だった。
「陽雷・紫……」
セレスティア様が、その必殺の技を解き放とうと踏み込んだ時だった。
突如。
円錐形のこの巨大な空洞の上空の暗闇から。
黒い何かが、音もなく、ものすごい速さで落下しセレスティア様の身体を完全に包み込んだ。
そして、僕達が声をかける暇すらなく……その黒い物体は、セレスティア様を飲み込んだまま、再び上空の暗闇へとフッと消え去ったのだ。
「……えっ?」
「セ、セレスティア……様……?」
その場にいた全員が、一瞬、何が起きたのかを全く理解できていなかった。
希望が、突然目の前から消失したのだ。
そして、僕達にその絶望を理解する時間など与えられるわけもなく。
無傷の冥竜ケルベインが、大きく口を開けて僕達の前に立ちはだかった。
(どうする……。頼みのセレスティア様も居ない。ネネさんも限界だ......)
圧倒的な絶望が、再び僕達を氷点下へと突き落とす。
「おい、お前達!今はあれこれ考えている暇はない!まずはこいつを押さえることだ!」
ベンジャンさんは、上空に消えたセレスティア様の事を一旦意識から切り離し、目の前の冥竜ケルベインだけに集中していた。
それは、彼がセレスティア様を心から信じているからだ。
冥竜ケルベインは、巨大な爪や、風を切る重い尻尾による物理的な猛攻撃を仕掛けてくる。
僕達は、その攻撃をギリギリで躱し、致命傷を負わないように必死で努力することしかできなかった。
冥竜ケルベインの攻撃が掠った部分は瞬時に凍り付き、ほんのかすり傷を負うだけでその部位の細胞が壊死したように凍って動かなくなるのだ。
実際に僕は、先ほどの極大の息吹を障壁でギリギリまで押さえていたせいで、左手の中指から小指にかけて、使い物にならなくなっていた。
他の皆も同じように、少しずつ、だが確実に致命的なダメージと疲労が蓄積されている。
「クソッ!このままじゃ皆揃って、ただなぶり殺しにされて死ぬだけだ!一度ここから離脱するべきだ!」
「ですがお父様、宿縁具はどうするのですか!?」
「そんなもの、命優先に決まっているだろ!」
父の目は、今までに見たことがないほど血走って真剣だった。
そして、その顔を見た瞬間、僕の脳裏にも母の顔がスッと浮かび上がった。
(そうだ。生きて帰る事に意味があるんだ。ここで全員死んでしまったら、意味がない)
「分かりました」
現在、僕と父はこの巨大な空間に入ってきた元の出入り口から少し離れた場所に居る。
その少し離れた所に、前衛で攻撃を躱し続けるセリナとベンジャンさんが居る。
幸い、一番重症で動けないネネさんと、それを支えて避難したレガードさんは、出入り口のすぐ近くに居る。
「皆さん!一先ずここを離れます!攻撃に気を付けながら、出入り口を目指してください!」
轟音の中で僕の声が全員に聞こえたかは分からないが、ベンジャンさんにはしっかりと届いたようだ。
「お父様。僕があいつとの間に、目隠しの障壁を作ります。その隙に出入り口を目指します」
「あぁ、分かった。頼んだぞシエロ」
「はい、行きます!」
僕はケルベインの視界を遮るように、すぐ目の前に地形創造で大きく分厚い氷土の壁を隆起させた。
「今です!」
僕の声と同時に、全員が振り返って出入り口へと全速力で走った。
壁の向こう側から、苛立ったような大きな咆哮が聞こえる。
その音の震動だけで、僕が作った分厚い障壁がメキメキと崩されていく。
僕は振り返らずにとにかく走った。
前方では、既にセリナとベンジャンさん、それにネネさんとレガードさんが出入口のゲート前まで到着していた。
しかし、彼らの様子が少しおかしかった。
(どうして、すぐに出ないんだ)
セリナがこちらを振り返り、必死の形相で何かを叫んでいる。
(まさか、出口に何か異常があったのか!?)
僕は、背後で崩れゆく障壁を歩きながら修復しつつ、急いで出入口へと駆け込んだ。
「シエロ!」
「どうしたのですか!早く外に出ましょう!」
「何故か、出入口に変な結界が張ってあって、どうしても出られないのよ!」
見ると、出入口の空間には、見えない透明の分厚い結界が張られていた。
レガードさんが双剣で何度も攻撃を打ち込んでみるが、火花が散るだけで、簡単に壊れる物では無かった。
「ならば、新しい出口を力業で作ればいいだけだ」
ベンジャンさんは、入り口の横の分厚い氷壁に穴を開けようと、強烈な魔術で攻撃を仕掛けた。
しかし、氷壁が砕け散ったその奥の空間にも、同じように透明の結界がびっしりと張られていた。
「な、なに!?」
「ま、まさか……あいつを倒さないと、この空間から一生出られないって事!?」
ここからの離れようとした僕達の希望の作戦は、いともたやすく打ち砕かれてしまった。
「あ、あぁ……。どうやら、そういう事みたいだぜ……」
背後を向いた父の絶望の言葉と同時に、僕達の頭上に巨大な影が覆い被さった。
ゆっくりと振り返ると……禍々しいドラゴンの大きな顔が三つ。
すぐ真上の、目と鼻の先まで迫っていた。
(こいつ……まさか僕達がここから出られないことを知っていて、あえて障壁を一気に壊さずに、こうして出口まで逃げるのを待って追いつめたのか!?)
絶望的な威圧感に足が竦む。
だが、その時。
セリナが戦斧を構え、ケルベインの頭上へと勇敢に飛びあがった。
「こいつを倒すしか生き残る方法がないなら、死ぬ気でやるだけよ!!」
セリナは渾身の力で戦斧を振り下ろし、冥竜ケルベインの眉間に打撃を入れる。
硬い鱗と戦斧がぶつかり合う、甲高い金属音が洞窟内に鳴り響く。
すぐに、父も覚悟を決めて剣を抜き、応戦へと向かった。
「レガードさん。僕がネネさんを守りますので、レガードさんも行けますか」
(今は、前衛で戦えるあの三人になんとかしてもらうしかない。その間に、僕がこの結界をどうにかして破らないと)
「分かった。ネネを頼むぞ」
「はい」
そうして、レガードさんもすぐに応戦に向かった。
ベンジャンさんは僕の前に立ち、僕を守りつつ、的確に前衛の援護に回っている。
僕は、出口を塞ぐ結界にそっと手を触れた。
特に痺れたり、弾かれたりする事は無く、ただ分厚い防弾ガラスに触れているような硬い感覚だった。
(一点に集中させた高密度の魔術で、無理やりこじ開けることは出来ないだろうか……。いや、それでは色々と時間がかる)
背後では、絶え間なく冥竜ケルベインと死闘を繰り広げている音が鳴り響いている。
「無理よ……」
僕の背後で座り込んでいたネネさんが、血を吐くような苦しみの中で口を開いた。
「え?」
「その結界は……ゴホンッ、ゴホン……ここに居る者のでは、物理的に破壊することは不可能よ……」
ネネさんは口から、ドロリとした赤い痰の様な血を吐き出していた。
「ネネさん、大丈夫ですか!?」
僕は慌ててネネさんに治癒魔術をかけた。
「いいわ。そんな初級の治癒魔術なんて何の意味もない。……それより、あんたもあの化け物を倒しに行きなさいよ……」
「ですが、僕達だけの力では、到底あの冥竜ケルベインを倒すことなんて出来ません……」
「馬鹿ね……。なんとかして、あの凍り付いた宿縁具を回収して、あの小娘に力を解放させるのよ……」
(そうか……。あの宿縁具さえ手に入れれば、セリナを経由して七柱であるネメティアを降臨させられるかもしれない)
「ネネさん。ここで待っててください。絶対に助けますから」
僕は、ネネさんを覆うように頑丈な氷の障壁を作った。
そして振り返り、冥竜ケルベインの巨体のさらに奥にある宿縁具へと視線を移す。
「では、みなさ……」
バゴオォォォォォォォォォンッ!!!
僕が声をかけようとした瞬間。
僕のすぐ横の氷壁に、物凄いスピードで父が叩きつけられた。
「お父様!?」
僕はすぐに、氷壁にめり込んだ父の方へ駆け寄った。
「お父様!大丈夫でしょうか……!?」
声をかけた僕は、信じられない光景に息を呑んだ。
父の、左腕が、肩から下ごと綺麗に無くなっていたのだ。
「悪い、シエロ。あの化け物は……強すぎる……グハッ……」
「喋らないでください!今すぐ、止血を……!?」
ドォォォォンッ!!
バァァァァンッ!!
さらに後方から物凄い衝撃音が聞こえ、振り向くと、セリナとレガードさんも、まるで羽虫のように後方へと強く吹き飛ばされていた。
二人の状態が遠くて分からないが、とにかくやばい状況だった。
誰も止める者がいなくなった空間で、冥竜ケルベインが、倒れたセリナへとゆっくりと近づいていく。
その巨体が移動したことで、背後に隠されていた『宿縁具』への道が開けた。
僕は一瞬、迷った。
この隙に宿縁具を取りに走るか、それとも、セリナを助けるか。
「セリナ!!」
僕は迷いを振り切り、セリナの前に地形創造で分厚い氷の壁を何重にも作り出し、更に冥竜ケルベインの頭上の岩盤を削り出し、螺旋状に捻れた巨大な岩槍を精製して落下させた。
「それ以上、セリナに近づくなぁぁぁっ!!」
ドゴォォォォォォォォンッ!!!
巨大な岩槍がケルベインの頭に直撃して砂埃を上げる隙に、僕はそのままセリナの元へと走った。
「セリナ、大丈夫ですか!?」
「だ、大丈夫よ……」
全身に酷い打撲や傷を負っているが、なんとか命に別状は無かった。
(良かった……)
振り返ると、ベンジャンさんが素早い動きで倒れたレガードさんを回収し、後方へと下がっていた。
頭上の岩槍を鬱陶しそうに砕いた冥竜ケルベインは、怒りに任せて空気を震わせるほど大きな咆哮を上げた。
そして、そのまま全てを凍らせる極大の息吹を吐こうと、三つの口の奥に青白いエネルギーを溜め始めた。
(クソッ!重傷のセリナを担いで、あのブレスの範囲から逃げ切れるわけがない。ベンジャンさんも、他の二人の救護で手いっぱいだ)
僕は、とにかく今の自分に出せる全ての魔力を注ぎ込み、セリナの前に何重もの強固な障壁を作り出した。
「来やがれ!この化け物がぁぁッ!!」
冥竜ケルベインの、強烈な息吹が放たれる。
何重にも生成した分厚い壁が、紙切れのように一瞬で凍り付き、粉々に砕かれていく。
僕は直ぐに、壊された端から何度も何度も新しい障壁を作った。
「地形創造地形創造!地形創造!」
全力で唱え続けていくが、息吹は勢いを全く止めることは無かった。
残り僅かの壁になり、ようやく少しだけ息吹の進行速度が落ちた。
絶望の中、前を見るとベンジャンさんが、父の落とした刀を使い、ケルベインの死角から突撃してその腹部の鱗の隙間に深々と突き刺していた。
大きく痛みに吠えた冥竜ケルベインは、邪魔なベンジャンさんを尻尾で壁へと吹き飛ばした。
ただ、ベンジャンさんのおかげで、ブレスの威力が一瞬弱まり、僕が障壁の強度を強くする隙が出来た。
「耐えてくれぇ!頼む!」
バキバキと耳障りな音を鳴らしながら、絶対零度の息吹が障壁を削り、僕のすぐ目の前まで近づく。
限界を超えた全身の細胞が悲鳴を上げ、視界がぼやけ、縁を練る力も段々と出なくなってきた。
「シエロ!ここで終わったら駄目よ!」
すると、背後に倒れていたはずのセリナが立ち上がり、戦斧の広い面を盾にして横に構え、僕と一緒に障壁を押し返すように後ろから支えに来たのだ。
「セリナさん!?」
セリナも、もう立っているのが不思議なくらいの限界の身体だ。
だが、とにかく二人で壁を押した。
どうあっても、この息吹をここで抑え込むために。
押した。
押し返した。
魔力の暴走で身体の皮が捲れようとも、血が噴き出そうとも、とにかく二人で必死に押した。
すると、すぐ隣で必死に壁を支えるセリナから、何かは分からないけれど凄く身近で、強大な何かを感じ取った。
その時だった。
「お願いだから……早く止まりなさァァァいッ!!!」
セリナの悲痛な叫びと完全に同時に。
あれほど圧倒的な勢いで迫っていた息吹が、まるで薄いガラスがパリンと割れるように、突然空間からフッと消滅したのだ。
「と、止まった……?」
(冥竜ケルベインの疲れ…!?)
「止まったわ!耐えきったわシエロ!」
(それとも、セリナが何かしたのか?分からないが、とにかく今が最大のチャンスだ)
「僕はこの隙にあの宿縁具を取りに走ります。セリナは、ベンジャンさん達の元へ下がってください!」
「分かったわ!」
そうして、僕達が反撃に向けて動こうとした、まさにその瞬間だった。
この巨大な空間の遥か上空から、メキメキ……ッという嫌な音が鳴り響き。
そして――。
ズドォォォォォォォォォォォンッ!!!
氷山の上空から、太陽よりも眩しく物凄い勢いを持った紫の稲妻が上空から一直線に降り注ぎ、僕達の目の前にいた冥竜ケルベインの巨体に、脳天から完璧に直撃した。




