第四十九話 特訓の成果
八月だというのに、僕の吐く息は真っ白に染まっていた。
パチパチと薪が爆ぜる音が、凍てつくような静かな山道に心地よく響いている。
西北端へ跳び、そこから険しい山道を歩き始めて半日が経過した。
僕達は今、切り立った岩壁の風下に土魔術で簡易拠点を建て、赤々と燃える焚き火を囲んでいた。
「さっむ……っ!なんなのよこの気温、東の国と違いすぎるわ!」
セリナは分厚い防寒具にすっぽりと包まり、マントを毛布のように引き寄せながらも、両手には父が作った温かいスープの器をギュッと握りしめていた。
「これでもまだ、北の国の手前なんだ。あっちはもっと底冷えするから、今のうちにこの寒さに慣れておかないとな」
父は元冒険者らしく手慣れた様子で焚き火の火力を調整しながら、僕達に木彫りの器を配ってくれている。
道中で狩った雪山鳥の肉と、携帯食料を煮込んだだけの簡単なものだが、冷え切った身体には最高のご馳走だった。
「ふぅ……生き返ります」
僕もスープを一口啜り、じんわりと胃の奥から温まるのを感じて大きく息を吐いた。
「意外だな。貴様がこうやって料理をふるまうとはな」
焚き火の向こう側では、セレスティア様がいつもと変わらない薄着のまま、涼しい顔で座っていた。
どうやら、本当に寒さを一切感じていないらしい。
「いつもは、母さんに頼り切ってしまうんですよ。だから、こういう時くらいは息子たちの面倒を見てやらないと。……はい、セレスティア様もベンジャンさんも食べてください」
父はそう言って、スープを器に注ぎ二人に渡した。
はたから見れば頼れる良い父親をしているように見えるが……僕には、セレスティア様に褒められて鼻の下が伸びているいつもの父にしか見えていなかった。
「ねぇ、なんでベンジャンってずっと静かなの?こういう時くらい、何か話しなさいよ!」
スープで少し元気を取り戻したセリナが、必要最低限しか喋らないベンジャンさんに尋ねた。
「無駄な体力を使う必要がない。それに、話すことなどない」
「はぁ?何よそれ!なんでもいいじゃない!本当、口数少ないんだから!」
セリナが元気過ぎることに呆れつつも、僕はハッと気が付いた。
(これはあれだ!実はベンジャンさんも会話に参加したいが、恥ずかしいのだ!)
気持ちは凄く分かった。
楽しそうな会話に入りたいが、途中からではうまく入り込めないんじゃないか。
そういう、コミュ障特有の悩みだ。
僕は無言で立ち上がり、ベンジャンさんの肩にポンと手を置いて、優しく一言だけ声をかけた。
「ベンジャンさん。大丈夫ですよ。僕はいつでも待っていますから」
僕の言葉で、その場の気温がさらに急激に下がった気がした。
ベンジャンさんは、こめかみに青筋を立てて少しイライラしているようにも見えた。
恐らく、図星をつかれたのだろう。
「……おい、シエロ。俺たちは遊びに来たわけじゃないぞ」
「それは分かっていますよ。ただ、こういう時こそ楽しくしないと気が持ちませんよ〜」
僕は調子に乗り、そのまま勢いよくベンジャンさんと肩を組んでしまった。
その勢いで、ベンジャンさんが持っていた器が傾き、温かいスープが地面にこぼれてしまった。
「あっ……」
その後は、僕がセレスティア様の主という事を完全に忘れているかのように、容赦のない鉄拳によって頭に大きなコブをプレゼントされた。
翌朝。
再び、北の国に向けて出発した。
昨晩ベンジャンさんにやられた頭のコブがズキズキと痛むせいで、あまり良い睡眠はとれなかった。
そこからは、ひたすら雪が混じる山道を歩き続けた。
盗賊や魔獣とは、全くと言っていいほど出会うことは無かった。
恐らく、過酷な環境なのかセレスティア様から漏れ出る強者の気配に恐れをなして、近寄ってこないのだろう。
多分、後者だ。
歩を進めるごとに吐く息の白さは増し、木々に積もる雪の量が明らかに分厚くなっていく。
そして、さらに一日が経過し、歩き始めて丸二日が経とうとしていた今日の昼下がり。
「見えてきたぞ。あそこから先が、北の国だ」
先頭を歩いていたベンジャンさんが足を止め、前方を見据えて言った。
視界を遮っていた吹雪が、まるで門が開くようにふっと晴れる。
僕達の目の前に広がっていたのは、見渡す限りの白銀の世界と、太陽の光を反射して青白く輝く、巨大な氷河の絶壁だった。
凍てついた巨大な針葉樹林が果てしなく続き、空は透き通るような冷たい青色をしている。
「すっ、ご……っ!」
その圧倒的で神秘的な景色に、セリナは寒さも忘れて目を輝かせていた。
「ついに、着いたのですね……」
僕が息を呑んで呟くと、ベンジャンさんが鋭い声で空気を引き締めた。
「ここから先は、これまでの道とは違う。……いつ何が起こってもいいように、常に警戒しておけ」
セレスティア様は、眼下に広がる極寒の地を見下ろしながら、酷薄で好戦的な笑みを浮かべた。
(いよいよだ。この地での目的は、因果の宿縁具だ)
僕は痛む頭のコブを軽くさすりながら、未知なる脅威が潜む北の国へと、足を踏み出した。
いきなりだった。
北の国の洗礼と言わんばかりに、凍てついた巨大な針葉樹林を歩いている僕達の前に、敵意を剥き出しにした魔獣が道を塞ぐように立ちはだかった。
「ゴルルルル……」と、低い唸り声を上げている。
数にして五匹。
「何でしょうか、こいつは?」
その魔獣は細身で真っ白な毛皮を纏い、頭には三角の耳。
大きさは僕と同じくらいで、どこかショウガラゴのような愛嬌のある顔立ちをしていた。
そして、なんといっても、両手から鋭く伸びた巨大な爪だ。
あんな爪でまともに引っかかれたら、一溜まりもない。
「あれは、ホワイトガラゴだな。ほら、来るぞ」
セレスティア様は、どこか楽しげな顔で言った。
直後、ホワイトガラゴ達が雪を蹴散らし、一斉に僕達に突っ込んできた。
それと同時に、父上とセリナが前衛に飛び出した。
僕が後衛から魔術で援護するまでもなかった。
セリナと父上は言葉を交わさずとも、これまでの特訓で培った完璧なコンビネーションで、襲い掛かるホワイトガラゴの群れを瞬く間に切り伏せてしまったのだ。
「す、凄い……」
流石は父とセリナだ。
ベンジャンさんは無表情のままだったが、セレスティア様は愉快そうに笑っていた。
「北の国の魔獣だからって少し気合いを入れたけど、案外大したこと無いわね!」
セリナは戦斧を肩に担ぎ、とても満足そうだった。
「油断はするな。ここからイースラントまでの道のりで、まだまだ魔獣は現れる。引き続き頼むぞ」
ベンジャンさんは淡々とそう言いながら、雪を踏みしめ前へ進んだ。
そこから三十分程歩いた。
凶暴な魔獣と何度か出くわしたが、基本的には僕とセリナ、そして父の三人だけで十分に対処できた。
「それにしても、魔獣の数が多いですね。僕達だけで対処出来ているからいいですが」
「どんな魔獣が来ても、もう余裕だわ!」
「セリナ……お願いですから、そう言った典型的なフラグを立てないでくださいよ」
魔獣は次々と現れるものの、対処出来ているし、思ったよりスムーズに進めている。
「イースラント以外に、こんな極寒の地に住んでいる者なんていないからな。そりゃあ、魔獣の方が多いのは当たり前だ」
(確かに、この場所で普通に住むには過酷だ)
さらに雪深い道を奥へと進んでいく。
冷たい風が頬を刺すが、歩き続けているおかげで身体は少し温まっていた。
「おっ、見ろよシエロ。あんなところに珍しい生き物がいるぞ」
前を歩く父上が立ち止まり、指差した先。
凍りついた巨大な岩肌にペタリと張り付いている、小さな影があった。
「あれは……ヤモリ、ですか?」
全身が透き通るような氷の鱗で覆われた、トカゲのような生き物だった。
見事な保護色で周囲の氷に溶け込んでいる。
「あれは、フロストゲッコーだ。あんな冷たい岩壁に張り付いて、何を食べて生きてるのか不思議だよな」
「多分、雪の中に潜む極小の虫や、凍った苔なんかを食べているんじゃないでしょうか。変温動物には過酷すぎる環境ですが、自らの体液を不凍液のように変質させて環境に適応しているんだと思います」
僕が以前、母の本で読んだ生態の知識をぽろりとこぼすと、セリナが呆れたような顔でこっちを見た。
「シエロって、本当にそういう知識だけは豊富よね。そんなの知ってても、今のお腹の足しにはならないわよ」
「無駄って言わないでくださいよ!魔獣や生物の構造・生態を知ることは、いざ戦闘になった時に弱点を突くことにも繋がるんですから!」
そんな軽口を叩き合いながらも、僕達は着実に歩を進めていく。
周囲の景色は、今まで僕が暮らしてきた場所では絶対に見られないものばかりだった。
空を突き刺すような巨大な氷柱の群れ、結晶化して淡く光る雪、そして時折聞こえる、遠くの巨大な魔獣の雄叫び。
全てが新しく、そして全てが死と隣り合わせの危険な匂いを孕んでいる。
「イースラントまでは、まだかかるの?」
雪を蹴り飛ばしながら、セリナがベンジャンさんに尋ねる。
「このままのペースで進んでも、到着は明日の夕刻になる。今日は、あの氷窟の近くで野営だ」
ベンジャンさんが指差したのは、風雪を凌げそうな分厚い氷の洞窟の入り口だった。
僕達はその氷窟に入り、風雪を凌ぎながら焚火を焚いた。
相変わらず父が手際よく温かい料理を振る舞ってくれて、特に大きな問題もなく無事に朝を迎えた。
次の朝も、イースラントに向けて雪深く険しい山道を歩き続けた。
魔獣を狩り、歩く。また魔獣を狩り、歩く。少し休んでは、また立ち上がり歩く。
単調だが命がけのサイクルを繰り返しているうちに、いつの間にか視界を遮っていた巨大な針葉樹林を抜けていた。
道中で出会った魔獣は、どれも以前の僕達なら手も足も出ずに全滅していたかもしれないほど凶暴な個体ばかりだった。
だが、あの地獄のような特訓のおかげで、僕とセリナ、そして父の三人で完璧に対処できていた。
「やっと針葉樹林を抜けましたね」
僕が横を歩くセリナの方を向いて話しかけたのだが、突然セリナが雪を強く踏みしめてピタリと立ち止まった。
(どうしたんだろう?トイレにでも行きたいのだろうか?)
「どうかしましたか?」
僕が首を傾げると、セリナは少し驚いたような、息を呑む表情をしていた。
「シエロ、前……」
そう言われ、僕は視線を前方へと向けた。
そこには、巨大な氷山がそびえ立っていた。
先ほどまで歩いてきた巨大な針葉樹林なんて比べものにならないくらい、圧倒的な質量と存在感を放つ、途方もなく大きな氷山だった。
「大きいですね……」
その光景に圧倒されていると、父がベンジャンさんに尋ねた。
「もしかして、イースラントってあの氷山の一角にあるんですか?」
ベンジャンさんは父の質問に対し、少しだけ間を空けて答えた。
「そうだ。この北の国で唯一ヒトが住む村であるイースラントは……あの氷山、その一角に存在している」
目を凝らしてよく見ると、巨大な氷山の中腹あたりから、細い煙の様なものが立ち上っているようにも見えなくはなかった。
あまりにも遠すぎるので、はっきりとは分からなかったが。
「しかし、あんな巨大な氷山をどうやって登れば良いのでしょうか?流石に、ただ自分の足で歩いて登るにしては環境が過酷すぎる気がします」
「問題ない。あの山の麓には、イースラントの村まで直接繋がる転移装置がある」
「転移装置ですか?」
僕の質問に、セレスティア様が横から答えてくれた。
「貴様らが使っている、あの瞬移宝鏡と似たような仕組みだ。行けば分かるさ」
「そうですか」
詳しい理屈は分からないが、とりあえずあの絶望的に高い氷山を自らの足でよじ登らずに済むことが分かって、僕はホッとした。
そこからは、一直線に氷山の麓を目指して歩いて向かった。
針葉樹林の雪道とは違い、地面が分厚い透明な氷で出来たツルツルの平原だった。
それに、氷山に近づくにつれて、あれだけ頻繁に襲ってきていた魔獣が極端に減っていったのだ。
「魔獣もすっかり出てこなくなりましたね。これなら、直ぐに氷山の麓まで無事に行けそうですね」
僕が安堵してそう言いながら歩いていると、先頭にいた父とセリナがまた立ち止まった。
「ちょっとシエロ!あんたこそ、そういう露骨なフラグを立てないでよ!」
「セリナ、何を言って……」
僕が苦笑して答えようとした瞬間、僕の視界が暗く覆われた。
「な、なんでしょうかこれは……」
なんと、何もない氷原の目の前に、見上げるほど巨大な岩のゴーレム現れたのだ。
ゴーレムはいきなり、丸太のような巨大な拳を上に振り上げ、僕達に向かって一切の躊躇なく殴りかかってきた。
「父!セリナ!」
父とセリナは素早く左右に散ってその強烈な一撃を躱し、その後方から、僕がすかさず『断絶』を放った。
僕の魔術はゴーレムの右腕に完璧に命中し、岩の腕を根本から吹き飛ばす。
だが、ゴーレムは怯むことなく、残った左手を真っ直ぐに僕へと向けた。
そして、その無機質な手のひらの中心から、チリチリと青白く光るエネルギーが急速に圧縮され、溜まっていく。
(まさか、あれは魔術!?)
ゴーレムの手から、極太の青白いエネルギー波がレーザーのように僕に向かって放たれた。
「シエロ!」
ビュゥゥゥンッ!!
間一髪、父が僕の身体を担ぎ上げ、強引に横へと跳んでエネルギー波から躱してくれた。
エネルギー波が直撃した場所は、分厚い万年氷であろうと、凄まじい熱線で黒く焼け焦げ、大きくえぐれていた。
(なんて威力だ……まともに食らってたら炭になってたぞ)
「大丈夫か、シエロ!」
「はい!ありがとうございます!」
「おりゃぁぁぁッ!!」
バギィィィィンッ!!
僕達が避けたのと間髪入れずに、セリナが死角から高く跳躍し、渾身の戦斧でゴーレムの左腕を根本から綺麗に切り落とした。
それに続くように、父がゴーレムの巨体を支える両足を斬りにかかる。
カキィィンッ!
「駄目だ!俺の剣の刃筋では、この分厚い岩の足は深く斬れん。セリナちゃん、頼んでもいいかな!」
「勿論よ!」
父の斬撃で傷がついた足を標的に、セリナが上段から戦斧を叩き込み、岩の関節ごと完全に粉砕する。
バランスを崩し、ドスンと膝をついたゴーレム。
「シエロ!今だ!」
父の声と共に、僕は二発目の断絶を放ち、ゴーレムの分厚い胴体を真っ二つに切り裂いた。
ガラガラと音を立てて崩れ落ちる岩の残骸。
「ふぅー……。一体何だったんでしょうか、このゴーレムは」
「こいつは魔獣……ではないわよね?」
「俺も、こんな無機質な魔獣は見たことがないな」
北の国特有の魔獣なのだろうか?
それにしても、もしこのゴーレムに複数で襲われたら、流石に僕達の手には負えず、セレスティア様の手助けが必要になるな。
「そいつは……」
後ろで静観していたベンジャンさんが、僕達に何か説明しようとした、その時だった。
キュィィィン……という、耳障りな高エネルギーの充填音が、四方八方から僕達を囲むように鳴り響いた。
ハッとして周囲を見渡すと、先程倒したのと同じ巨大なゴーレムが、いつの間にか十体以上も現れ、僕達を完全に包囲し……一斉にあの青白いエネルギー波を放とうと腕を構えていた。
「いつのまに!?」
「ちょっと、これどうするのよ!」
流石のセリナも、四方からの同時攻撃の構えには対処の仕様がなく、足が竦んで動けなかった。
「チッ……」
ベンジャンさんは短く舌打ちをすると、静かに縁を練り詠唱を紡ぎ始めた。
「荒ぶる雷の精霊よ、その咆哮を殺せ。万の雷鳴を一本の針に編み上げ、音無き閃光にて、鼓動を穿て」
ベンジャンさんの周囲で、莫大な縁がバチバチと音を立てて高密度に練り上げられていく。
セレスティア様が「こっちへ来い」と手で合図をしていたので、僕達は急いでセレスティア様の元まで走り込んだ。
そのまま、セレスティア様が展開した強固な縁のバリアに覆われる。
「葬命の雷線」
ベンジャンさんが静かに腕を振るうと、周囲を囲むゴーレム達に対し、幾筋もの高密度に圧縮された稲妻が、網の目のように飛び交った。
ピシッ。
一瞬の静寂。
直後、周囲を囲んでいた巨大なゴーレム達が一斉に内側から爆発し、炎を上げて燃え上がった。
(す、凄い……。昔、ベンジャンさんに助けられた時は見ている余裕が無かったが、改めて、このヒトは強い……!)
「ベンジャン……やるじゃない」
セリナも、ベンジャンさんの実力を目の当たりにして心底感心していた。
「まさか、あの数のゴーレムを一瞬で全滅させるとは……俺達もまだまだだな」
父は僕の肩に手をかけ、呆れたように笑っていた。
「ベンジャンさん、一体こいつらは何だったのでしょうか?」
「こいつはな……」
再び、ベンジャンさんが僕達に説明をしようとした時だった。
「異常なゴーレムの破壊信号があったので飛んで来たと思えば……。まさか、万象の従者がココに居るなんてね」
燃え盛るゴーレムの残骸の煙の奥から、コツ、コツ、と足音を響かせて一つの影が歩み出てきた。
「やはり、貴様らが配置したゴーレムだったか。やけに氷山に近づくに連れて、魔獣が減ったものだ」
「これは、ココを守る為の防衛システム。これは凄く、高くつきます」
もうもうと立ち込める煙を払って出てきたのは、艶やかな黒の長い髪をなびかせた、氷原には似つかわしくないほど上品な格好の女性だった。
「万象の女王セレスティア様、及びその主様。初めまして。私の名前は、ネネ・エルメイト。因果の断罪者ネメティア様に仕える、因果の従者でございます」
彼女は両手で服の裾を摘み、氷点下の風の中で深くお辞儀をした。




