第四十五話 ルキウスの最終課題(前編)
◆ルキウス視点
俺はセリナちゃんとの特訓を終えた後、アジトに戻り、床にボロ雑巾のように転がるシエロとソルを見た後で、セレスティア様の部屋を訪ねた。
コンコン。
扉をノックすると、中からセレスティア様の透き通るような声が聞こえた。
「いいぞ、入れ」
「失礼します」
俺はゆっくりと扉を開け、素早く部屋の中に入って扉を閉めた。
はたからすれば、完全に不貞をしている奴の怪しい行動だった。
「随分と慌ただしいな」
「い、いや〜。誰かに見られてもあれですし……」
セレスティア様は先ほど湯船から出られたばかりなのだろうか。
部屋中にとても甘く良い匂いが漂っていた。
それに、何といっても……無防備にはだけたその白い胸元に、どうしても目が行ってしまう。
(いかんいかん!俺には最高に美人の母さんがいるではないか!)
なんて心の中で言い聞かせても、男の悲しい性か、気づいたらチラチラと見てしまう。
「で?どうだったんだ?」
セレスティア様の鋭い一言で、俺はハッとして自我を取り戻し、本題へと移った。
「セレスティア様。あの魔獣を、本当に森に生け捕りにして拘束されていたとは驚きましたよ。実際に森の奥で目にしたときは、本当にセリナちゃん一人で戦わせていいのかって迷ってしまいました」
「まぁ、この森には普段居ない種類の魔獣だしな。それに、私が直々に少し調教してやったから、通常よりはるかに強力で凶暴な個体になっていたはずだ」
(……魔獣を調教するって、一体どういう事なんだ……?)
「やはり、そうだったのですか。上位魔獣であるネブラヴァイパーの通常の動きでは無いように見えた物ですから、あの子が一人で勝った時は俺も驚きました」
そう。俺は以前、セレスティア様からセリナちゃんの特訓について相談された時に、突然『良い魔獣を準備してやる。まずはそれを倒させてみろ』なんて言われていたのだ。
始めは「魔獣を用意する?」という言葉の意味から理解しようとしたが、すぐに考えるのを諦めた。
実際に用意されたのが、この東の国には生息すらしていないはずのネブラヴァイパーだったと知った時は、一体どうやってここまで生きたまま連れてきたのかと戦慄したほどだ。
「で?あの小娘はどうなんだ。貴様の剣術を越えられそうか?」
「その件につきましては……まだ俺の剣術を越えてはいませんが、全体的な戦闘のポテンシャルで言うと、セリナちゃんはかなり高い素質があるのは確実です」
「そうか。では、引き続きそっちは任せる」
「はい!お任せください!セレスティア様から頂いた任務は、この俺が責任もって遂行いたします!」
そうして、俺は胸の谷間をもう一度だけチラッと拝借して、セレスティア様の部屋を後にした。
◆セリナ視点
私が自分の部屋のベッドの上で寝転がりながら、明日の特訓について色々と考えていると、扉が開いて湯船上がりのシエロが入ってきた。
「どうしたのですか?ベッドの上で大人しく寝転がっているとは珍しいですね」
「はぁ?あんた、私を何だと思っているわけ?」
「い、いえ。ただ、いつも寝ている時のセリナの寝相は凄まじいですから……」
「う、うるさいわね!私は明日の事を考えてただけよ!それより、そっちの特訓はどうなのよ」
シエロも私の横にどさりと寝転がってきた。
最初は、同じベッドで寝るという状況に正直ドキドキしていたけれど、最近ではこの仕様を強行したユーノへの文句を言う以外は、特に気にすることも無くなった。
「もう散々ですよ。毎日ボコボコで、成長しているのかも分かりません……」
シエロはセレスティア様との理不尽な特訓を思い出したのか、少し表情が硬く、げっそりとしていた。
「逆に、そっちはどうなのですか?今日はお父様と森へ行ったらしいですね?」
「えっ?どうしてそれを知っているの?」
「え?お父様が『今日は森へ行ってきた』って自慢げに……」
(シエロパパ、何言ってるのよ!私が合流するまで、シエロ達には内緒の秘密じゃなかったの!?)
なんだかこういう口が軽いというか、抜けているところが、シエロにも通じる親子だなって呆れてしまった。
「はぁ……。そうよ、森へ行ったわ!そこで上級の魔獣を倒したのよ」
「ま、魔獣と戦ったんですか!?」
「え?何よ、そこまではまさか聞いてなかったの!?」
「えぇ。お父様に何のために森へ行ったのかを聞いたら、何故か急に何かを思い出したように、慌てて話題を変えてました......」
(はぁ……。特訓の時の真剣な顔とは、本当に大違いね)
「とりあえず、あと少しよ。あと少しで私もそっちに行くわ!」
私は天井に向けて、ギュッと拳を伸ばした。
まだ、明日から待ち受けている試練の事を知らずに。
「僕もセリナが戻ってくる前に、一段と強くならないとですね」
そうして、私たちは静かに眠りについた。
翌朝。
いつも通りに午前中は基礎体力の特訓を行い、午後になると、私はいつもの特訓場所へ向かった。
そこには、先にシエロパパが到着して待っていた。
「今日は何をするの?また、前みたいに型の練習?」
「そうだな。型の練習や素振りについては毎日やって損は無い。……だけど、今日はセリナちゃんに最後の課題を発表しようと思う」
(来た……!最後の課題。これを終わらせて、シエロ達と合流するんだわ!)
「最後の課題……受けて立つわ!」
私はいつもの様に、立て掛けてあった木刀を手に取ろうとした。
「最後の課題では、その木刀はもう使わない。セリナちゃんは、その腰に掛けている自分の斧を使っていいよ」
「えっ……斧、使っていいの?」
「あぁ。勿論、俺も真剣を使う」
シエロパパは、いつもより少しだけ顔つきが違ったように見えた。
それに合わせるように、森の周りの空気も何となく、重く冷たいような感じに変わった。
「最後の課題は、俺に一撃入れられたら終了だ」
私はその言葉を聞いて、すぐにセレスティア様の特訓と同じように、一発攻撃を当てるだけの単純な課題だと軽く受け取った。
だが、その認識は直ぐに根底からひっくり返ることになる。
セレスティア様相手には、正直言って一撃を入れても、あの人なら無傷で何とかなるだろうなんて思っていたし、そもそもそこまで深く考えることも無かった。
だけど、シエロパパは違う。
セレスティア様と違って同じヒト族だし、私が本気で戦斧を振るって一撃を入れるという事は、つまりシエロパパの身体を斬り裂くという事だ。
「ちょっと待って、シエロパパ!木刀じゃなく斧と真剣って……いくら特訓とはいえ、流石に危険すぎるわ!」
私が血相を変えてそう言うと、シエロパパはニコニコとした表情を崩さないまま、しかし声色だけはひどく真剣に答えた。
「これから一生、木刀で戦っていくつもりかい?」
「それは、違うけど……」
「それに、北の国はここ以上に危険な所だ。自分が本気で使う武器の重みを知らないと、これからの為にもならないよ」
そう言われても、何処か……心の奥底に抵抗心が残る。
「それに、勘違いされたら困るけど、一応俺だってそれなりにやれる元冒険者なんだぞ!見くびられちゃ困るさ」
「見くびってなんか、ないわ!」
「それは嬉しいね」
シエロパパはそう言うと、カチャリと音を立てて、腰にかけている真剣を鞘からゆっくりと抜いた。
鋭く磨き上げられた真剣の刃が、太陽の光を反射してギラリと輝いている。
「それじゃあ、早速始めようか。準備は良い?」
じり、じり……と少しずつ距離を詰めて近づいてくるシエロパパの気迫に、私は既に呑まれ、押されていた。
しかし、このまま立ち向かわなければ、私はシエロと合流することができない。
「わ、分かったわ……!」
私は心の迷いを捨てきれない、少し浮かれた気持ちのまま、挑んでしまった。
(え……ッ?)
ガッギィィィィィンッッ!!!
シエロパパは、容赦なく、そして全く手加減のない速度で私に真剣を振り下ろしてきた。
とっさに斧を構えて防いだが、私の防御の意識が甘く、いとも簡単に弾き飛ばされてしまう。
「クッ……!」
(なんて力よ……!私の戦斧よりはるかに小さな刀身なのに、簡単に薙ぎ払うなんて……!この人、本気で私を斬りに来ている……!?)
「セリナちゃん」
私を見下ろすシエロパパには、いつもの陽気な父親の姿は何処にもなかった。
低い声色と、肌を刺すような冷たい殺気。完全に戦場に生きる者の雰囲気を纏っていた。
「これは特訓でもあるけど、互いに命を懸けた真剣と魔術の殺し合いでもあるんだよ。……ヒトを斬る覚悟すらできない半端な覚悟じゃ、セリナちゃんを北の国には連れて行けないよ」
その冷徹な言葉を聞いた私は、少しのシエロパパへのムカつきと同時に、考えが甘すぎた自分自身への激しい怒りが溢れ出した。
「……ごめんなさい、シエロパパ。私が、私が甘かったわ……」
私は迷いを完全に捨て去り、重心を低く落として、本気の殺意を込めて戦斧を構えなおした。
「覚悟が決まったようだね」
「シエロパパ。私は、絶対に北の国には行くわ。……私自身の、使命の為に!」
私は、昨日戦ったネブラヴァイパーの時と同じように、初手から一切の出し惜しみなく全力で立ち向かった。
久しぶりに握る戦斧だが、不思議と違和感はなく、この二週間振り続けた木刀や昨日の剣を振っている感覚に極めて近かった。
セリナはとにかく全力で、前に前にと怒涛の連撃で押していく。
それを真っ向から受け止めるのではなく、力を綺麗に受け流すように、ルキウスは対応する。
だが、ルキウスもすぐには反撃に転じることが出来なかった。セリナによる戦斧の鋭い太刀筋と予想以上の速さが、ルキウスに反撃の隙を許さないのだ。
互いに鋭い攻撃を放ち、それを受け流す。
ガァァァンッ!キィィィンッ!
攻め続けるセリナが優位……かのように見えたが、現実はそうでは無かった。
息を荒げて全力で攻め続けるセリナに対して、八割程度の力で涼しい顔をして攻撃を受け流し続けるルキウスとでは、明確に疲労の蓄積スピードが違っていたのだ。
「『火の玉』!」
セリナは至近距離から『火の玉』をルキウスの顔面目掛けて放ち、彼が視界を遮られたその一瞬の隙を突いて、そのまま背後へと回り込む。
「『断裂撃』!!」
戦斧による上段からの断裂。
さらに風魔術を斧の背に纏わせることで、振り下ろす速度を爆発的に加速させる。
ドォォォォォォォォンッ!!
大きな衝撃音と共に、土煙が舞い上がり地面に巨大なクレーターが開く。
しかし――そこにルキウスの姿はなく、渾身の一撃は完全に回避され、当たることは無かった。
「『火の玉』による目くらましだけではなく、風魔術を物理攻撃の加速に応用まで出来るなんて。……いやはや、今のをまともに食らっていれば、俺はとっくにこの世界の肥料に変わっていたかな」
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
(クソッ!今のは防御されてでも確実に当てたと思ったのに……!やっぱりシエロパパを捉えるには、もっと速く動かないと駄目ね)
「じゃあ、次は俺から行くよ」
シエロパパのその一言で、私は直ぐに斧を構え直した。
「むしろ、次も私から攻め込んでやるわよ!」なんて強気な思考を巡らせた、次の瞬間だった。
ガッギィィィィィンッ!!!
ルキウスの目にも留まらぬ踏み込みからの猛攻で、セリナは一瞬にして防戦一方へと追い込まれた。
先ほどとは完全に反対の構図だ。
(速い……!それに、なんて一撃が重たい!)
私は体勢を崩されながらも、直ぐに初級魔術である『水の玉』をシエロパパの目を狙って放った。
「『水の玉』……ッ!」
だが、ルキウスはその水の弾丸を剣の平面で冷静に防ぎ、弾け飛んだその『水しぶき』を逆利用してセリナの視界からフッと消え、先ほどのセリナと全く同じように、一瞬で背後へと回り込んだ。
「しまっ……!」
私は弾かれたように振り返り、すぐに戦斧で防御の体制に入ろうとしたが……すでに、彼の冷たい剣先が私の目の前でピタリと止まっていた。
「一本だ」
そう言うと、シエロパパはふわりと纏っていた殺気を解き、剣を下ろしてカチャリと鞘へしまった。
「惜しかったね。最後の『水の玉』で俺の視界を奪おうとした作戦は凄く良かったけれど、出力が弱い分、簡単に弾いて防げてしまう。そこは、これから実戦をやっていく内に上達すると思うよ」
(悔しい。……だけど、それよりも、シエロパパに『本気の全力』を出させられなかった事が何より悔しい)
「とりあえず、今日の所はこれで終わりにしようか。次戦はまた明日。それまではゆっくりと身体を休めよう」
シエロパパは特訓が終わると、いつもの少し抜けた、陽気でヘラヘラした感じの父親の顔に戻っていた。
「……先に戻ってていいわよ」
「無理し過ぎは良くないからね」
シエロパパは何か察したのか、ニコッと優しく笑って、先にアジトの方へと戻って行った。
シエロパパの背中が完全に見えなくなってから、私はすぐに重い戦斧を持ち直し、先ほどの戦闘を頭の中でイメージした素振りを開始した。
とにかく、無心で何度も、何度も、何度も戦斧を振り続けた。
あれからどのくらいの回数をこなしたかは分からないけれど、気がつけば空は燃えるようなオレンジ色に輝き、太陽が地平線の向こうに顔を隠そうとしていた。
「痛ッ!」
ふと、手のひらに鋭い痛みが走ったので見てみると、手の皮がズル剥けになり、血が滲み出ていた。
素振りをしている間は、集中していたから全く気が付かなかったのだろう。
(くそっ……もっと、もっと頑張らないと……!)
そう思い、血まみれの手で再び斧を強く握り直そうとしたが、集中力が切れてしまったのか、ズキズキとした激しい痛みで柄を握り込むことができなかった。
(仕方がない。今日は帰ろう)
私が諦めて息を吐き出したその時、前方から私の名前を叫びながら、誰かがこちらに向かって走ってくるのが見えた。
「おーい、セリナちゃーん!ご飯よ〜!」
声が聞こえる方を見ると、フィオナが大きく手を振りながらこちらへ向かってきていた。
「フィオナ!」
私は戦斧の魔術を解いて元のサイズに戻し、フィオナの元へと駆け寄った。
そして、そのまま甘えるように彼女の胸へ勢いよく飛びついた。
「フィオナ!なんだか、毎日アジトで会っているはずなのに、すごく久しぶりな感じがするわ!」
「セリナちゃん、こんな時間まで一人で自主練をしていたの?」
「うん……」
フィオナは私のボロボロになった手のひらを見ると、懐からコロンとした小さな瓶を取り出した。
「頑張り過ぎは良くないわよ。はい、これ。隊長からよ」
「ベンジャンから!?」
フィオナが手に持っていたのは、回復ポーションだった。
彼女はポーションの蓋をポンと開け、私の痛む手のひらに惜しげもなくかけてくれた。
すると、みるみるうちに手のひらから滲んでいた血は引いていき、あんなにズキズキとしていた痛みも嘘のように消えてなくなった。
「どうして、ベンジャンが私にこれを?」
「怖い話よねぇ。でも、隊長って案外、私たちの事を陰からよーく見ているみたいよ。坊やたちがセレスティア様にコテンパンにされて、その治療に坊やのママが手いっぱいで忙しいから、『小娘にはこれを渡しておけ』って託されたの」
(げっ……!中々姿を見せないくせに、まさか!?ずっとどこかの物陰に隠れてジッと見られてる!? キモッ!!)
私の顔がドン引きで引きつったのを見て、フィオナは可笑しそうに笑った。
「アハハハッ!セリナちゃんが想像するような、気持ち悪い事は隊長はしないわよ!」
「じゃ、じゃあ、何か虫とかに変身してこっそり見てるとか!?」
「発想が凄いわね。……まぁ、表現の言い換えってやつよ」
「表現……の……言い換え?」
「とにかく!早くアジトに戻ってご飯を食べましょ! 日は私特製のクリームグラタンよ!」
ベンジャンの見ている件については、結局よく分からなかったけれど……治してくれた事には素直に感謝している。
それに、限界まで身体を動かしたから、お腹もペコペコにすいていた。
「よし!早く帰るわよ!のんびりしてたら、私のクリームグラタンをシエロに全部取られるかもしれないわ!」
私はそう言って、アジトへと全速力で走って戻った。




