第三十九話 万象の女王セレスティア
その圧倒的な存在感に、僕たちは完全に呑み込まれていた。
「あなたが、万象の女王セレスティア様……」
(か、かっこいい……!!)
最初は次元の違うプレッシャーに押されてしまっていたが、見れば見るほどその出で立ちを「かっこいい」と感じていた。
昔に母が読み聞かせてくれた本に登場する、まさしく伝説の戦士そのものという感じだった。
「まずは名を聞こうか、私の主よ」
「ぼ、僕はシエロ。シエロ・アルランドと申します」
「そうか、シエロか。私を再びこの地に喚び出していただき、感謝する」
セレスティア様は流れるような動作で片膝をつき、僕に対して恭しく頭を下げた。
正直、すごく困った。
こんなに強くて凄い人が僕に頭を下げる行為自体に違和感があるし、何よりこんなかっこいい見た目なのに、しゃがんだ時に胸元の豊かな渓谷がチラッと見えてしまっている!
「万象の女王、セレスティア様。……お待ちしておりました」
突然、ベンジャンさんが僕の横へ進み出ると、セレスティア様と同じように片膝を地面に突き、深く頭を下げた。
その後ろで、フィオナさんも同じように傅いている。
「もしや貴様らが、今の私の従者か?」
「はい。私が万象の従者の一人、ベンジャン・フランクリンと申します」
続けて、後ろのフィオナさんも自己紹介を行った。
「同じく、万象の従者のフィオナ・ペタルハートです」
セレスティア様は、後ろで様子を窺っている兄やセリナ達を一瞥してから、再びベンジャン達に視線を戻した。
「そうか。昔いた奴らはみな、居なくなってしまったのだな。随分と少なくなったものだ」
「大変申し訳ございません。つい先日まで、もう一人いたのですが……」
ベンジャンさんは沈痛な面持ちで下を向きながら、真剣に言葉を絞り出した。
「謝る必要は無い。お前達は、過酷な状況の中でよくやったものだ。そう思うだろう?私の主よ」
話を振られ、僕は一瞬戸惑ってしまった。
自分がこの圧倒的な女王の『主』だなんていう感覚がまだ全くなく、セレスティア様に真っ直ぐ見つめられて初めて自分が問われていることに気が付いた。
「あ、え、ええ!そうですね。ベンジャンさん、フィオナさん、顔を上げてください」
「なんだ?昔のあんたはもっと生意気で、この私に対しても平気で馬鹿にしてくる中々面白いやつだったのだが……随分と丸く、変わり果てたのだな」
(おいおいおい!昔の主は何をやってるんだ!こんな凄い人を相手に生意気な態度をとって、あろうことか馬鹿にしてただと!?けしからん!)
「ま、前の主は……凄く、ユニークな方だったのですね……」
「何を言っているのだ?昔も今も主は主。名前や見た目が違っても、同じ『私の主』だ」
「ま、まぁそうであっても、僕はセレスティア様を馬鹿にしたりなんて絶対にしませんよ」
「主は随分と理解能力が悪い様だな」
(なっ!理解能力が悪いだと!?いや、確かに理解は追いついていないかもしれないけど!!)
「えっと……」
「主はシエロと言ったな。以前の主は確か……『レイド』だったか。とにかく私が言いたいのは、どんなに生まれかわってもレイドはシエロであり、シエロはレイドだということだ」
(レイドはシエロ?シエロはレイド!?)
「つまり、かつて私を馬鹿にして小突いていたのは、変わらず目の前にいるシエロ。主だという事だ」
そこで僕は、やっと理解した。
『原初の子』として生まれ変わる、その本当の意味を。
過去の記憶が全く無くても、魂の本質は同じ『自分』だという事に。
(セレスティア様は確かに僕を見て、縁やこの杖を通して、すぐに僕がかつての主だと気が付いていたんだ)
「セレスティア様。まずは現在のこの世界の状況についてお伝えしますので、我々のアジトへ向かいましょう」
改まった敬語で、ベンジャンさんが下からへりくだって物言いしている姿は違和感でしかなかった。
「分かった。だが、私の主はこの子だ。貴様らは私ではなく、この子の下に属する。敬意は私にだけではなく、主にも払うべきだ」
セレスティア様にそう指摘され、ベンジャンさんとフィオナさんは揃って僕の方へと身体を向けた。
「申し訳ございません。シエロ様。一度……」
「いやいやいやいや、ちょっと待ってください!僕は主かもしれませんが、今まで通りに接してください!」
ベンジャンさんやフィオナさんにそんな恭しい態度を取られたら、こっちが調子狂いそうだった。
今まで通りに、ちょっと雑なくらいで接してくれるのが一番だ。
「しかし……」
それでも、真面目なベンジャンさん達は頭を上げなかった。
(これは……頑固な大人だぞ……)
どうしてもこのままでは嫌だったので、僕は一つあることを思いついた。
「ベンジャンさん、フィオナさん。良いですか?絶対に今まで通りに接してください。これは万象の女王セレスティア様の『主からの命令』です!」
(ふっふん!まさか僕がこんな偉そうに言える時が来るとは思わなかったぜ!)
すると、ベンジャンさんとフィオナさんはようやく顔を上げた。
「……そうですか」
「『そうですか』じゃなくて、いつもみたいに怖い顔して『そうか』で良いんですよ!」
僕がそうツッコミを入れた瞬間、ベンジャンさんの後ろに居たフィオナさんが凄い勢いで飛びついてきた。
「坊やぁ〜っ!!本当になんか色々、よくやったわねぇ〜っ!!」
「ふぇっ!?フィ、フィオナさん!?」
力強く抱きしめられ、身体はかなり痛かった。が、そんな痛みを完全に無視できるほどの「最高な状態」に陥っていた。
フィオナさんの甘い香りが鼻腔をくすぐり、何より……柔らかいマシュマロのような心地よい双丘に、僕の顔が完全に埋め尽くされているからだ。
誤解しないでほしい。勿論、これは完全なる不可抗力であって、僕の意志では決してない。
「い、いやー、クルシイデスヨ〜」
僕がそんなだらしない顔でのんきに埋もれていると、遠くで様子を見ていた兄とセリナが足早にやってきた。
「ちょっと待って!何もう満足してアジトに帰ろうとしているのよ!」
僕はセリナの怒声が聞こえ、惜しみつつもマシュマロから仕方なく顔を出した。
「セリナさん?」
「ねぇ、ランデック!私の『確認の儀』はやらないわけ!?」
詰め寄られたランデックさんは、そっぽを向きながら急に声を細くして喋り出した。
「あ〜、いや、その……俺が持ってきた宿縁具が、どっちかに当てはまれば良いな〜と思ってただけで……宿縁具が都合よく二個あるわけじゃねぇんだよ……」
「それってつまり!私は分からないままって事!?」
「ま、まぁ!またアニマを手に入れたら真っ先に声かけるからよぉ……」
そう言うと、ランデックさんは僕の背中へと逃げるように隠れた。
それを見たセリナは「待ちなさいよ!」とランデックさんを追いかけようとするが、兄が必死に彼女をなだめて止めていた。
すると、セレスティア様がゆっくりとセリナの前へ歩み寄り、彼女の顔をじっと見つめ始めた。
さっきまでの威勢はどこへやら、セレスティア様の圧倒的なオーラを前に、セリナの表情は強張り、ひどく緊張している様子だった。
「……貴様、名は?」
「わ、私?私はセリナ・ベルギアよ……」
「そうか」
セレスティア様は短くそう言うと、振り返って近くの岩にどっしりと腰を掛けた。
「確認の儀とやらをする必要は無い」
その言葉に、ベンジャンさんが即座に反応した。
「……どういう事でしょうか?」
「うっすらとだが、彼女の縁から感じる。……あの甲高い女の縁をな」
「と、言いますと……?」
「恐らく彼女は、『因果の断罪者 ネメティア』の主の可能性がある」
この時、セレスティアの言葉を聞いた各自の反応は、見事なまでにバラバラだった。
言われた当本人のセリナは、『因果の断罪者 ネメティア』の主という仰々しい肩書きに驚いたのではなく、自分も原初の子である可能性が示されたことに、どこかホッと安心しているようだった。
シエロとソルは、『因果の断罪者 ネメティア』という、おとぎ話や古い文献でしか聞いたことのない伝説の響きにただただ興奮していた。
ベンジャンとフィオナは、「なるほど、ネメティアか」と静かに納得しているような感じだった。
そしてランデックは――何故か、この場で一番目をひん剥いて驚愕していた。
セリナは、自身の可能性を示す更なる手がかりを求めてセレスティア様に声をかけた。
「ね、ねぇ!その、ネメティアの『宿縁具』が何処にあるか分かるの!?」
セレスティア様は少し天を仰ぎ、静かに目を閉じた。微かに眉間にしわを寄せるような、渋い表情をしている。
「ネメティアの宿縁具か……。私はあいつの事が少し苦手でな、正直思い出したくもないのだが……六百年前だ」
「六百年前?六百年って、七柱の皆が封印された時の事?」
「ほう、知っているのか。そう、六百年も前の古い記憶でしかないが……当時のネメティアの主は、氷山の一角にある村で過ごしていた」
その言葉を聞いて、僕を含めた全員の心が一つになっただろう。
(氷山の一角の村!?)
そんな驚きの中、ベンジャンだけは冷静に顎に手を当てた。
「氷山の一角の村と言いますと……『イースラント』ですか」
「そうだ。まさか六百年経っても、未だ変わらずその名が使われているとはな。北にあるバカデカい氷山の上に暮らしている、変わり者ばかりの村だ」
(やっぱり、あのセレスティア様から見ても、氷山の上で暮らすのはおかしいと思うんだな……)
しかし、その地名を聞いたセリナは少しだけ暗い顔をして下を向いた。
「北の国って……」
北の国。それはあの隕石災害で最も甚大な被害を受けた地域だ。
極寒の環境に適応した凶悪で強い魔物たちが大量発生しており、復旧作業は僕たちのいる東の国よりも遥かに遅れている。
現在でも、災害直後とほとんど変わらない悲惨な状況が続いていると言われている危険地帯だった。
「貴様が主かどうかについては、落ち着いてから後で話そう。それより、早く貴様らのアジトとやらに案内してくれ」
すぐにベンジャンはポケットから、以前フィオナが使用した『瞬移宝鏡』を取り出した。
「はい。では全員、この私か、私に触れている誰かに触れてください」
「ほう、今はそんな小さなもので空間移動が出来るのか……」
「いえ、ただの偶然の産物です」
僕たちそれぞれがベンジャンや、その周りの人に触れた。
そのままベンジャンが瞬移宝鏡に縁を込める。
視界が歪み、気が付いた時にはすでに見覚えのある景色が広がっていた。
僕が初めてベンジャン達のアジトに案内された時に通った、あの怪しいマンホールの前だった。
瞬移宝鏡での移動は、ユーノのワープゲートと違って内臓がひっくり返るような気持ち悪さがないから、個人的にはとても好きだ。
――なんて油断していたら、アジトの内部に入るために、結局この後すぐにユーノのワープゲートを通らされる羽目になった。
何度かくぐって結構慣れてきたつもりだったけど、あの目の奥がクラクラするような嫌な感覚は、いつまで経っても治ることは無かった。
ゲートを抜けた後、僕は少し期待してすぐにセレスティア様を見た。
あの無敵のセレスティア様でも、このワープの後は少しは気分が悪くなったりするのかな、なんて変な想像をしたからだ。
が、結果は無残だった。何一つ表情を変えることなく、アジトの内部をぐるりと見渡し、むしろ「退屈な空間だな」とでも言いたげなつまらなそうな顔をしていた。
後ろを振り返ると、相変わらずセリナと兄は口元を押さえて苦しそうにうずくまっていた。
いつも通りで安心した。
それから僕達は、アジトの奥にある大きな机に全員で集まり、ベンジャンさんからセレスティア様へ現状についての説明を行うことになった。
両親への事情説明については、兄が色々と噛み砕いて話してくれた。
勿論、母様は僕が原初の子だという重い事実に落ち込むことはなく、状況をすぐに飲み込んで力強く頷いてくれた。
父上に至っては、セレスティア様の神々しいお姿を一目見た瞬間から、口をポカーンと開けて立ったまま石化していたので、「まぁ問題ないか」と思って特に挨拶もさせずに椅子に座らせておいた。
こうしてアジトには、僕の家族とセリナ、ベンジャンさんにフィオナさんが席に着いた。
ユーノさんは、フィオナさんの膝の上を陣取っていた。
ちなみにランデックさんは、「悪い!俺はこの後急ぎの用があるんでな、ここで解散させてもらうぜ!」と言い残し、逃げるような速さでどこかへ行ってしまった。
「では、セレスティア様。現在、この世界の状況について我々が掴んでいる情報を説明いたします」
重い沈黙を破り、先陣を切ったのはベンジャンさんだった。
彼は、隕石災害の事、魔族の動向、そしてこれまで起きた出来事など、自分が知る限りの事を全て話した。
「そうか。あのアルテミスがやられたか」
ベンジャンさんの報告を聞いても、セレスティア様は悲しむ様子を見せず、むしろ面白がるように少しだけ口角を上げた。
「あいつは随分と長い時間、この地に一人で踏みとどまっていたのだな。あの融通の利かない大真面目野郎が」
「それで、セレスティア様。私が知る限りではありますが、アルテミス様を倒した六皇神について……恐らく『剣皇神サマエル』かと推測しております」
(剣皇神サマエル……!あのハイケルが言っていたやつか!)
「少し前に、私の仲間が剣皇神サマエルに仕えると名乗る魔族を撃破いたしました。恐らくサマエルは、既に力を取り戻しかけているのではないかと思っております」
僕はその言葉を聞いて、思わず身を乗り出した。
「あの、ベンジャンさん」
「どうした」
「ハイケルが言ってたんですけど、剣皇神サマエルは『自分に合う器を探している』と言っていました。つまり、完全復活していない状態ですよね?そんな力を全開に出せていない相手に、七柱が負けたりするんでしょうか?」
僕の率直な疑問に、ベンジャンさんは少しだけ考え込んだ。
「ならば、お前がこの前相手をしたあの魔族をどう見る?それに、この世界にはまだサマエルしか力を取り戻し始めている六皇神は確認されていない」
「そ、それは……」
確かに、ベンジャンさんの言っている事も理解できる。
セレスティア様を目の前にして分かった。
伝説の存在は、僕達とはかけ離れた圧倒的な力を持っている。
でも、アルテミスという七柱も六百年も生きて戦ってきたのだ。
不意を突かれてやられたにしても……どうにも違和感が拭えない。
「ちょっと待て」
僕たちの考察に割り込むように、セレスティア様が低く鋭い声を出した。
「この世界に、サマエル『しか』力を取り戻していないだと?」
「は、はい。我々の知る情報網の限りでは……」
「私たちが不覚にも封印されてしまったのは、『魔皇神アザゼル』の、思いもよらない魔術書による術だった。アルテミスだけは奇跡的にその封印から逃れたがな。……そんなあいつが、あの絶望的な状況からアザゼルの追撃を振り切り、六百年も単独で生き延びていたのは現実的ではない」
セレスティア様の表情は真剣そのもので、空間全体がピリッと張り詰めた。
「と、申しますと……」
「その後、世界で何があったのかなんて私には分からない。だが、私が思うに……サマエル以外にも既に、あいつ一人では手に負えないレベルの皇神が復活しているのじゃないのか?」
すると、黙って話を聞いていた兄が口を開いた。
「ですが、もしそのサマエルというやつ以外に、六皇神という化け物が複数復活していたら、もっとこの世界はひどい状態になっているのではないでしょうか?それに魔皇神アザゼルがまだいるとすれば尚更......」
ほんの少しの沈黙。
その重い空気を切ったのは、フィオナさんの膝の上に居るユーノさんだった。
「実はみんなが知らないだけでさ~、他の七柱が既にこの世界に誕生してて、裏で皇神と戦ってるんじゃない〜?」
ユーノさんの無邪気な発言により、セレスティア様を除く誰もが考えていなかった『可能性』が脳裏をよぎる。
直ぐにベンジャンさんが身を乗り出した。
「セレスティア様。同じ七柱として、他の七柱様がこの世界に誕生しているかどうかは感じ取れるのでしょうか?」
セレスティア様は組んだ手に顎を乗せ、即答した。
「分からん。気配が分かるとしたら、そこの餓鬼くらいに器が近くに居る時か、こうしてこの地に召喚された瞬間くらいだな。……この世界に既に他の七柱が居るならば、今頃『私が顕界したこと』を感じ取っているだろうさ」
すると、今まで腕を組んで黙っていたセリナが質問した。
「ねぇ。原初の七柱のみんなが『封印されている時』の記憶とかって無いわけ?」
「良い質問だな。簡単に言えば、真っ白な何もない空間に放り込まれる感じだ。話したり、息をしたり、何か物理的な干渉をすることは一切出来ない。だが、その空間に『存在している』という自覚や、考え事くらいは出来る。……そんな退屈な牢獄だ」
セリナは少し難しい顔をして考え込んでいた。
「ま、六百年も前の話だ。そのくらい時間が経てば、伝承や歴史も都合よく作り変えられて伝わっているだろう」
「では、セレスティア様。我々は今後はどのような動きで……」
ベンジャンさんが今後の指針を問うと、セレスティア様は迷うことなく答えた。
「そうだな。そのサマエルとやらの正確な居場所も分からない状況で、今すぐ私が六皇神の討伐に動くなんて事は出来ない。……ならば、今やるべきことは一つだ」
その力強い発言に、ここにいる全員が静かに聞き入った。
「まずは、北の国にある『イースラント』へ向かう。そこで、そこの小娘の主である可能性が高い……因果の断罪者 ネメティアの宿縁具を見つけ出す」




