第三十六話 繋がる想い
◆ヴィクター視点
「そこを左に曲がれば医務室よ!」
母上の案内に導かれ、俺は折れた両腕の激痛を堪えながら必死に廊下を駆けた。
たどり着いた医務室の重厚な扉を、勢いよく開け放つ。
「イザトラ様……と、ヴィクター様!?」
中では数人の戦闘被害にあった者たちが治療を受けており、突然の主母と長男の登場に、治療班の顔に驚愕が走った。
俺は室内を隅々まで見渡したが、どこにも弟の姿はない。
俺の隣で、母上が焦燥を隠しきれない声で治療班に詰め寄った。
「ルイドスは何処!?あの子は無事なの!?」
すると医務室の奥から、慌てた様子で一人の医師が飛び出してきた。
非常に小柄で、その風貌はさながらドワーフを彷彿とさせる。
「イザトラ様!」
「ジェンブ!ルイドスは何処よ!」
「それが……ルイドス様は、当主ディム様のご命令により、特別手当を行うために別の大きな病院へ移送されました。……ディム様ご自身の手で、連れて行かれたました」
(別の病院だと……?あの男が自らルイドスを運ぶなんて、あり得ない……)
嫌な予感が背筋を走る。
母上も同じことを感じたのだろう。その顔は、一瞬にして不安と絶望に染まった。
「……どこの病院よ!答えなさい!」
母上の怒号に近い問いに、ジェンブは困惑し、申し訳なさそうに頭を下げた。
「……申し訳ございません。病院の名前までは聞いておりません。あまりに急いでいらっしゃったので、聞き出す暇もなく……」
(……やはりか。ルイドスは、俺たちが簡単に見つけ出せない場所に隔離されたに違いない)
拳を握りしめようとしたが、両腕の痛みで顔が歪んだ。
「母上!今ここで立ちすくんでいても意味がありません。一度、身体を休めて状況を整理しましょう」
俺の声に、母上は深く一呼吸を置き、ようやく少しだけ落ち着きを取り戻した。
「そ、そうね……。ジェンブ、まずはヴィクターの怪我を診て。私は後でいいわ」
母上はそう言って、医務室の椅子に力なく腰を下ろした。
ジェンブは即座に俺の治療に取り掛かった。状態を確認するなり、真剣な面持ちで治癒魔術の詠唱を始める。
柔らかな光が俺を包み込み、全身を焼くような傷の痛みが引いていくのを感じた。
「……ありがとうございます、ジェンブさん」
「……礼には及びません。ですが、わしの魔術だけでは腕の痛みは和らげられても、折れた骨まで完全に繋ぐことは出来ん。大きな傷口を塞ぐのが精一杯です」
それでも、俺は心から感謝していた。
治癒魔術は他の属性魔術と異なり、何もないところから生命力を引き出す非常に高度な技術だ。
全身の激痛をここまで抑えられただけでも、ジェンブの腕は一流だと言えた。
「回復ポーションは無いの?」
椅子に座っていた母上が問いかけたが、ジェンブはさらに顔を曇らせた。
「……隕石災害の影響で、回復薬の流通が完全に止まっておるのです。ここにあった在庫も、すべて当主ディム様が持ち去られました」
「クソッ……!あの人、どこまで……!」
母上が怒りに震え、椅子を強く叩いたその時。
ジェンブが何かを思い出したように、足早に部屋の奥へと消えた。
「そういえば、ルイドス様が運ばれる直前まで、あちらのベッドで治療を行っていたのですが……」
戻ってきたジェンブの手には、古びた手ぬぐいに包まれた何かが握られていた。
「ジェンブ、それは?」
「ルイドス様の使われていたベッドの、シーツの下に隠されていたのです」
ジェンブが手ぬぐいをめくると、そこには見たこともない意匠が施された小瓶があった。
中には、透き通るような美しいエメラルドグリーンの液体が入っている。
一目で分かる。これは最高級の回復ポーションだ。
「……これは回復ポーション?」
「はい。それも高純度なポーションでございます」
母上が身を乗り出す。
「ジェンブ!どうしてこれがあるのを分かっていて、ルイドスに使わなかったのよ!」
「いえ、イザトラ様。実はルイドス様がここを発つ直前、わしに一言だけこう仰ったのです」
ジェンブは一度呼吸を整え、弟の言葉を代弁した。
「……『シーツの下にポーションがあります。これを、誰か……誰かに使ってあげてください』と」
医務室が、しんと静まり返った。
あの子は、自分があれほど酷い傷を負い、連れ去られる寸前だというのに……自分ではなく『誰か』を救うためにこれを残したのか。
母上が震える手でその小瓶を手に取った。
「……ヴィクター、腕を出して」
「母上……?」
「このポーションは、あなたが使いなさい。あの子が残した想いよ。あなたが治らなくてどうするの」
俺はジェンブに支えられながら、折れ曲がった両腕を差し出した。
母上が震える指先でキャップを開ける。
清涼な香りが部屋に広がった。
「イザトラ様、一気に使わないでください。どれほどの効力があるか未知数です。まずは一滴……一滴だけ、ヴィクター様の腕に」
ジェンブの指示通り、母上が俺の右腕に液体を垂らした。
その瞬間、衝撃が走った。
ポーションが皮膚に染み渡ると同時に、折れていた骨が、生き物のように軋みを上げながら元の位置へと接合されていく。
「なっ……一滴だけで骨を繋ぐとは。一体どこでこんなものを……」
ジェンブが目を見開く。
「今はそんな事どうでもいいわ。とにかくヴィクターを治すわよ!」
母上は夢中でポーションを使い、俺の両腕を完治させてくれた。驚くべきことに、あれほどの重傷が治っても、瓶にはまだ数回分の液体が残っている。
俺はポーションを受け取ると、今度は母上の元へ歩み寄った。
「母上、あなたも」
そう言って、彼女の腰にある深い切り傷に数滴垂らした。
「あ……ありがとう」
「……礼はルイドスに。あいつのおかげで、俺はまた戦えます。必ず、ルイドスを取り戻しましょう」
「ええ……もちろんよ」
親子の絆を再確認した、その時だった。
廊下から、激しい足音と共に誰かがこちらへ猛烈な勢いで向かってくるのが聞こえた。
「あったわ!ここね、医務室ーーーっ!!!」
扉を蹴破らんばかりの勢いで滑り込んできたのは、シエロたちの元へ向かったはずのセリナだった。
「セリナ!?」
彼女は肩で息をしながら、今にも泣き出しそうな顔で叫んだ。
「シエロが……!みんなが……大変なことになってるの!早く、早く来て!!」
俺は、数回分だけ残った回復ポーションの蓋を固く閉めた。
「やっぱり、あの魔族に殺されたんだわ……!」
母上が顔面を蒼白にし、両手で頭を抱えていた。
「あの魔族は何処にもいなかったわ!みんなが倒したのよ!それよりシエロの意識が無いの!だから、回復ポーションか医療班を探せって!!」
セリナの悲痛な叫びに、俺は握りしめたポーションの小瓶に力を込めた。
ルイドスが残してくれたこの薬なら、きっと救える。
「ジェンブさん!」
「分かっておる!」
ジェンブは事態の深刻さを即座に察し、数人の助手を連れて行くよう指示を飛ばした。
セリナが踵を返し、再び医務室を飛び出していく。
俺とジェンブたちもそれに続くように駆け出した。
「ちょっと、待ちなさいよ!」
ドレスの裾を翻し、母上も我々を追って医務室を飛び出してきた。
やがて裏庭に到着した俺たちは、目の前に広がる光景に言葉を失った。
(凄い……本当に、あの魔族を倒したって言うのか……!)
屋敷の庭の原型を留めないほどに抉れた、巨大なクレーター。
それが、ここで繰り広げられた死闘の凄まじさを物語っていた。
「ヴィクター!こっちだ!早く!」
ソルの血気迫る声にハッとし、俺は急いで彼の元へ駆け寄った。
そこには、顔面から酷く血を流し、ピクリとも動かないシエロが倒れていた。
顔の半分が血で覆われ、ひどい有様だ。
「ソル、どいてくれ」
俺はそう言ってソルと場所を代わり、直ぐにルイドスから預かったポーションの蓋を開けた。
「えっ……ヴィクター、その回復ポーション……どうして持ってるんだ?」
ソルは、俺が手にしている小瓶を見た瞬間、なぜか目を見張ってひどく驚愕していた。
まるで、そのポーションの『正体』を知っているかのように。
「今はそんな事より、弟の命が先だろ」
「あ、あぁ……!」
俺は構わず、残りわずかとなったエメラルドグリーンの液体を、シエロの傷ついた身体へと振りかけた。
シュゥゥゥゥッ……!
淡い光と音を立てながら、致命傷と思われた傷口が急速に塞がっていく。
シエロはまだ目を覚まさないが、胸が微かに上下し、確かな呼吸が戻ったのが分かった。
「ジェンブさん、どうですか?」
俺はジェンブと位置を代わり、シエロを診察してもらった。
ジェンブは耳をシエロの胸に当て、首元で脈を確認する。
しばらくして、彼は安堵の息を吐いて顔を上げた。
「この子に命の別状はない。今はただ、限界を超えた縁の枯渇と、肉体への重度な負担により深い眠りについておるだけだ」
その言葉を聞いた瞬間、ソルとセリナは糸が切れたように全身の力を抜き、へたり込んだ。
だが、その安堵の時間は一瞬で終わりを告げた。
「ねぇ、まだクレーターの奥で……手を振っている女性が居るわよ」
母上の言葉に、俺たち全員がクレーターの中心部へと視線を向けた。
そこには、力なく片手を振り続ける女性と……その足元に、誰かが倒れているのが見えた。
「フィオナ!?やっぱりフィオナだわ!」
セリナはそう叫び、女性の元へ向かって走り出した。
だが、ソルは何かを思い出したように、血の気の引いた顔で立ち上がった。
「待て……!いや、あそこにはシエロの仲間がもう一人いるはずだ。そのうちの一人が……!」
ソルの絶望的な反応を見て、嫌な予感が確信に変わった。
倒れているもう一人の容態は、限りなく絶望的……あるいは、既に。
ジェンブは助手にシエロの保護を任せると、険しい顔でクレーターの底へと向かって歩き出した。俺たちもそれに続く。
しかし、魔術と暴力で徹底的に破壊されたクレーターの道中は、鋭い瓦礫や隆起した岩脈に阻まれ、ひどく足場が悪かった。
「私が道を作るわ。この上を歩きなさい」
母上がスッと前に出ると、流れるような縁の操作で、クレーターの底まで続く『太く平らな植物の道』を瞬時に編み上げた。
かつては人を傷つけ、威圧するためだけに使われていた彼女の魔術が、今は人を助けるために使われている。
「……ありがとうございます、母上!」
俺の言葉に母上は小さく頷いた。
先行していたセリナも道ができた事に気が付き、その植物の橋の上を夢中で走っていった。
◆フィオナ視点
私は、真っ二つに両断されたグイルの身体を、まるでパズルでも繋ぎ合わせるかのように、必死に、必死にくっつけようとしていた。
現実から逃避するように、ただひたすらに彼の名前を呼び続ける。
「グイル!グイル!……グイルッ!」
こんなことをしても、もう意味がない事は頭のどこかで分かっていた。
でも、そうやって手を動かしていないと、私の心そのものが狂って弾け飛んでしまいそうだった。
「グイル……グイル……グイ……ル……」
だんだんと、声も出なくなっていった。
そんな時、遠くで倒れている坊やの元に、沢山の人が集まってくるのが見えた。
その中にはセリナちゃんの姿もあり、白衣を着た小柄な人の姿も見えたので、医療班が到着したのだと直感した。
私は、助けを求めてすぐに叫ぼうとした。
「すっ……」
声が、出なかった。
泣き叫びすぎたせいで、喉が完全に潰れてしまっていたのだ。
私はとにかく、彼らに気づいてもらうため、震える片手を必死に振り続けた。
すると、一人の赤いドレスの女性がこちらに気づいてくれたのが分かった。
それを合図に、セリナちゃんがこちらに向かって駆け出してくれる。
それに続いて、みんながこちらへやってきた。
「おーい、フィオナー!来てくれたのね!」
セリナちゃんは、明るい声をかけてくれた。彼女は何も知らないのだ。
あんな純粋な子に、グイルのこんな無惨な姿を見せるのは本当に辛かった。
それでも、私は血の味がする喉から無理やり声を絞り出し、助けを求めた。
「グイルが……グイルがッ……!」
私が身体を退けた瞬間。
胴体から真っ二つに切断され、臓腑と血の海に沈むグイルの姿を目の当たりにしたセリナちゃんは、両手で口を強く押さえ、その場に両膝から崩れ落ちた。
今にも胃のものを吐き出しそうに、激しく咽せている。
その後ろから、白衣を着たドワーフのようなお医者様と、坊やのお兄さん、そして彼と同い年くらいの青年が駆けつけてくれた。
赤いドレスを着た女性は、ショックで震えるセリナちゃんの背中を庇うように撫でている。
私は、すがりつくようにグイルの身体をお医者様に見せた。
「ねぇ!お医者様、グイルが、グイルが……!」
凄惨なグイルの遺体を見たソルとヴィクターは、息を呑み、声も出せずにその場に立ち尽くしていた。
だが、医者であるジェンブは、血だまりの中に膝をつきグイルの様子を静かに確認すると、私に向かって極めて冷静に、残酷な現実を告げた。
「……悪いがお嬢さん。この者は、既に完全に絶命しておる。医者でなくとも分かるはずだ」
「そん、な……!そんな事、分かってるけど……分かってるけどぉ……ッ!!」
耐えきれなくなった私は、そのままジェンブの胸に顔を埋め、声を上げて子供のように泣き崩れた。
戦いの終わりは、残酷なほどの悲しみと共に訪れたのだった。
グイルの亡骸は、これ以上の移動に耐えられる状態ではなかったため、やむを得ずその場に深く土を掘り、手厚く埋葬することになった。
深い悲しみに包まれながらも、シエロを含めた満身創痍の全員が医務室へと移動し、ジェンブたちの手によって治療を受けた。
治療を受けてから、二時間後。
医務室のベッドで静かに眠るシエロのそばで、セリナはずっと彼の寝顔を見つめていた。
そんな彼女の姿を見て、ソルがいたって真剣な表情で口を開く。
「まさか、シエロにこんな可愛い彼女が出来ていたなんて知らなかったよ」
それを聞いたセリナの顔は一瞬で茹でダコのように真っ赤になり、弾かれたように飛び跳ねて振り返った。
「は、はぁぁぁ!?わ、私が彼女!?な、なに言ってるのよ!私はただの冒険仲間なんだけど!!」
「す、すまない。セリナちゃんがずっと心配そうにシエロの顔を見つめているから、てっきり……」
「でも、確かにずっと『シエロ、シエロ』って言ってた気がするな」
ソルの勘違いに、ヴィクターまで悪ノリして乗っかってくる。
「ええ、確かに言っていたわね」
あろうことか、あのイザトラまで真顔で加勢した。
「な、なに言ってるのよ!私は心配しているだけで……!それより、あんたたちも少しは気を遣ったらどうなのよ!フィオナの今の気持ちも考えなさいよ!」
セリナは焦って話を逸らすように、ベッドの隅に座るフィオナに視線を向けた。
目の前で相棒のグイルを失ったフィオナのショックは計り知れず、まだ気持ちの整理など到底つけられるはずがない――全員がそう思っていた。
「大丈夫よ、セリナちゃん。気を遣ってくれてありがとう」
しかし、フィオナはふわりと優しく微笑んだ。
「フィオナが嫌だったら、私がこの無神経な三人をここから叩き出してやってもいいんだからね!」
「ふふっ、頼もしいわね。流石は坊やのお姫様だわ……」
フィオナもまた、セリナの元気な姿に救われたのか、少しずつ本来の明るさを取り戻しつつあった。
「な、なにフィオナまで言ってるのよ!!」
重く沈みきっていた医務室は、セリナのおかげで少しずつ活気のある温かい空気に包まれていった。




