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まじわり輪  作者: がおがおの
間章 イザトラ編
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第三十五話 母上

土煙の向こうに、ヴィクターの顔を久しぶりに見た時。

私の胸の奥には、確かな安堵と喜びが湧き上がっていた。


ソルがあの餓鬼の元へすぐに駆け付けるのを見て、私も思わずヴィクターに声をかけようと一歩を踏み出しかけた。


だが、その足は無惨にも止まる。


あのハイケルという魔族が、禍々しい気配を撒き散らしながら中庭へと降り立ってきたのだ。

私は声をかけることなど到底出来ず、ただ恐怖に苛まれながら、ルイドスが『邪宝』の使用に失敗したことを報告するしかなかった。


「申し訳ございません……。うちのルイドスが邪宝を使用いたしました。まだ使いこなすには至らなかったようで……」


ハイケルと目が合った瞬間、背筋が凍った。


『ルイドスを出せ』。


言葉はなくとも、魔族の底知れぬ眼光がそう告げているのが、直感で分かってしまったのだ。

私は逆らうことができず、ハイケルの前にルイドスを差し出してしまった。


恐怖で少し躊躇してしまったせいか、ルイドスの身体を雑に押し出すような形になってしまったことは、今でも深く後悔している。


「そうか。まだ邪宝に耐えうる『器』では無かったか」


次の瞬間。ハイケルは無慈悲にも、ルイドスの身体に巨大な剣を突き立てた。


「ッ……!」


流石の私も、仮面が剥がれ落ちそうになるほどの焦りと絶望が顔に出てしまった。

今すぐ叫んでルイドスを抱きしめたかった。

魔族をこの手で殺したかった。

だけど、恐怖で身体が全く動かなかったのだ。


そんな私とは対照的に、ヴィクターはハイケルに対して強く言い放ってくれた。


「お前、これ以上ルイドスに何かしてみろ。お前のその醜い顔ごと消し飛ばす」


その頼もしい背中を見て、私は自分が「母親として完全に失格だ」と思い知らされた。

私なんかよりも、ヴィクターの方がよっぽど覚悟が決まっていて、しっかりしている。

私もこれを機に、意を決してハイケルへ反撃しようと縁を練りかけた。


だが――その時、背筋に氷をねじ込まれるような、悍ましい視線を感じた。


(見られている……!確実に何処かから、私が見られている。あの人に……!?)


姿は見えない。

だが、あの人が確実に監視の目を光らせていることだけが、肌を刺すような悪寒で分かった。


私は、本当に愚かだ。

目の前で愛する息子が致命傷を負わされているというのに、それでもなお、あの人に逆らう事が出来なかったのだから。


「あら、随分と大口を叩くのね。スカラルドを捨てたお前に、ルイドスがどうなろうと関係ないでしょう?それに……一体誰にここまで育ててもらったと思っているの?」


久しぶりにヴィクターと再会して交わした最初の言葉が、スカラルド家としての仮面を被った冷酷な発言になってしまった。

自分の口から出る言葉が、たまらなく苦しかった。


そして、私はヴィクターに決定的な止めを刺される。


「……もう、あなたは母親ではない」

「ルイドスは俺の弟だ。それはこれからも変わることは無い」


ヴィクターのその静かな言葉を聞いた瞬間、私の心は完全に砕け散った。

頭の中が真っ白になった。

ヴィクターにここまで心底嫌われ、見限られてしまっていることが、信じたくなかった。

実の息子から「母親ではない」と宣告される日が来るなんて、想像すらしていなかった。


ズタズタに引き裂かれた母親としてのちっぽけなプライドと、パニックに陥った頭のせいで、私はヴィクターへ向けて最も口にしてはいけない言葉を放ってしまった。


「もういいわ。そこまで言うなら、私が直々にお前を……今すぐこの世から消し去ってあげるわよ!」


嘘よ。そんな事、これっぽっちも思っていない。

私は最低の母親だ。


ただ「今すぐこのいたたまれない空間から逃げ出したい」、そんな身勝手な理由の為だけに、私は魔術でヴィクターを吹き飛ばしてしまった。


遠くから医務班がルイドスの元へ向かってくるのが見えたので、私はそのまま、吹き飛んだヴィクターを追いかけるように中庭を離れた。


それから私は、ヴィクターと、あのマーガレット家の亡霊と対峙することになった。


そこには、私の知らない『強きヴィクター』が居た。

基本魔術の精度も私より遥かに高く、環境を支配し、彼は本気で私を殺しに来ていた。


(やだ……嫌だ、ヴィクター!本当は、お母さんは……!)


気づけば私は、でヴィクターを強く縛り付け、猛毒で彼を脅すような狂行に走っていた。

母として取り返しのつかないことをしていると分かっているのに。

もう駄目だと頭では理解しているのに、どうしても、もう一度だけヴィクターに「私がお母さんであること」を認めてほしかったのだ。


「今ここで、もう一度『スカラルド家として生きたい』と誓うなら……命だけは考えてやってもいいわ」


考えてやっても良い?馬鹿な女だ。

本当は、私の方から地に頭を擦りつけてでも謝らなければいけないのに。


「……ふざけるな。俺は、あんた達みたいな姑息で薄汚い生き方は、二度としない……ッ」


決定的な決別の言葉を突きつけられ、私はついに感情の堰が切れてしまった。


「私の元で生きたいと言えよ!!私が、私が一体どんな思いでお前を育ててきたと思っているんだぁっ!!」


私がどんなに喉を枯らして叫ぼうとも、ヴィクターの心にはもう二度と届かないのだろう。

そう、絶望した。


そんな時、あのセリナという娘が叫んだ。


こんな生死の境目の状況で、馬鹿みたいに大声で叫んでいる彼女の姿を見て、私はふと「あの子みたいに、もっと素直に感情を表に出せていれば」と、ひどく惨めな後悔に襲われた。


「だから!いい加減にしろって言ってんのよォォォォーッ!!!!」


その瞬間、あの娘から一瞬だけ、異質な縁が弾けるのを感じ取った。

あのシエロとかいう餓鬼からも一瞬だけ感じたことのある、あの未知の縁。

考える暇もなく、絶対的なはずの魔族の拘束が呆気なく解け落ちた。


昔、おとぎ話程度に聞いたことはあったが、実際に見たこともなかったため半信半疑だった力。

だが、あのハイケルが『六皇神が一人、剣皇神サマエルに仕える』などと名乗りを上げた事から、確信に変わった。


恐らく、この娘とあの餓鬼は、魔族たちが血眼になって探している『そう言う類の力』を持っている側の人間なのだと。


しかし、今の私にとってはそんな世界の真理などどうでも良かった。


拘束が解けたことにより、二人の怒涛の反撃が私に襲い掛かってきたのだ。

あの娘が振るう戦斧の一撃は恐ろしく重く、まともに受ければ致命傷になる。

私のガードがわずかに遅れ、身体が大きく後ろに吹き飛ばされる。

直ぐに反撃しようと縁を練ったが、すでにヴィクターの『調律』によって環境が書き換えられ、植物の精製を完全に封じられてしまっていた。


私は、どうすれば良いのか分からなくなった。

ただ、今はまだ死にたくない。彼らに謝るためにも、生きてルイドスの元へ戻らなければ。そう強く思った。


「『緑陰幻想(リョクインゲンソウ)』!私を守りなさい!」


それは私が苦心して編み出した、最もお気に入りの魔術。

以前の敗北を機に、この巨体の耐久力は極限まで強化してあるはずだった。


だが――私の生み出した緑の巨兵は、ヴィクターの魔術によっていとも容易く内側から燃え上がってしまった。

そして、あの娘の戦斧によって巨体は真っ二つに切り裂かれ、私の顔の前には、冷たい刃が突きつけられていた。


(もう、終わりね……)


私は静かに目を閉じた。


(結局、私はルイドスも守れず、ヴィクターにも永遠に裏切られ……。そしてあの人にも、無価値な駒として、忘れ去られてしまうのね……)


「……ルイドスの居場所を、教えてください」


ヴィクターは、静かにそう尋ねてきた。

ルイドスなら、きっと医務室に運ばれて治療を受けているはずだ。


でも――。


「もう……もう遅いわよ。今頃、あの化け物に庭の連中はみんな殺されている。そして、次はここに来る。そうなれば、終わりだ」


あんな悍ましい魔族に、人間が勝てるはずがない。

私たちも全員、あの魔族に殺されてお終い。

私はそう絶望し、完全に諦めきっていた。


「あなたは……いつまであの人の言いなりになっているのですか!昔みたいに、家族で楽しく暮らすことを諦めたのですか!?」


(え……?)


ヴィクターの血を吐くようなその叫びを、私はすぐには理解できなかった。

とうの昔に見損なわれ、見限られたと思っていたヴィクターから、そんな「家族への未練」を聞けるとは微塵も思っていなかったからだ。


言葉の意味を理解したとき、私は反射的にカッとなってしまった。


ヴィクターが言う『昔のように家族で笑い合いたい』という願いは、他でもない私自身が、一番強く、狂おしいほどに願っていたことだったからだ。


「お前に何が分かるんだ!魔術学校に通うことを理由にして、無断でこの家から逃げ出した分際で!」

「違う!逃げたわけじゃない!」


……私は、ずっと勘違いをしていたのだ。


ヴィクターが何故この家を出ていったのか。

その本当の理由を知った瞬間、私の胸の奥で、完全に死に絶えていたはずの『希望』が小さく脈打った。


もしかしたら、私たちはまだ、やり直すチャンスがあるのではないか、と。


「ただ俺は……昔みたいに、母上や父上、ルイドスと……家族みんなで、楽しく過ごしたかっただけなんだ……!」


大粒の涙をこぼし、子供のように泣き崩れるヴィクターの姿を見て、私は震える足でゆっくりと立ち上がった。

怒りと悲しみに歪んだ彼の顔を見つめていると、私の中に押し込めていた感情も決壊し、自然ととめどない涙が溢れ出していた。


まずは、すべてを捨てて素直に謝ることに決めた。


「ごめんなさい……」


私は、実の息子に対して、深く深く頭を下げた。

これだけで私の罪が許されるなんて、思ってもいない。

でも、もしもう一度やり直せるチャンスがあるのならば……と祈りながら、私はありのままの気持ちを伝えた。


「私は、何も分かっていなかった。ヴィクターの事も、ルイドスの事も……。本当は私も、みんなと平和に暮らしたかったの。だけど、ヴィクターは出ていくし、ルイドスには酷いことをしてしまった。あの人に……あの人には、どうしても逆らえなかった。本当に……ごめんなさい」


スカラルドの当主夫人が、大声で泣きじゃくりながら息子に頭を下げて謝罪している。

あの人がこの姿を知ったらどうなるか分からない。

そもそも、こんな惨めな顔をヴィクターに見せる資格なんて私にはないはずだ。


「今更こんな事を言っても、許されないことだって分かってる。……でも、もし、もしもう一度チャンスをくれるなら……もう一度だけ、あなた達の『母親』をやらせてくれないかしら」


すると、ヴィクターはゆっくりと私の前まで近づいてきた。


「顔を上げてください」


その穏やかな声に、私は乱暴に涙を拭い、顔を上げた。

泣き腫らした、到底見せられるような顔ではなかったはずだ。


「俺も、何も言わずに家を出て行った事は申し訳ないと思っています。……ごめんなさい」


ヴィクターもまた、私に向かって深く頭を下げた。


「俺は別に良いんです。ただ、あの人の野望の為に、ルイドスの人生をめちゃくちゃにされるのが嫌だった。それに対して何も出来ないどころか、むしろ加担してしまっている母上の姿が、俺はどうしても許せなかったんです」

「それは……本当に、私が悪かったと思っているわ」


ヴィクターの言う事は、何もかもが的確だった。返す言葉もない。


「でも……話を聞いて、俺も少しは考えを改めました。もし、ルイドスを救い出して、あの人から……スカラルド家から完全に手を引く覚悟があるのなら、もう一度、俺たちと一緒に暮らしませんか?」


その言葉を聞いた瞬間。拭き取ったはずの涙が、再び後から後から溢れ出した。


「いいの……?」


ヴィクターはボロボロになった両腕で私の両手を取り、しっかりと握りしめてくれた。


「多分、ルイドスはこれを一番に願っていますから。……母上」


今までの自分の仕打ちを考えると、もう家族には戻れないと諦めきっていた。けれど、ヴィクターの口からもう一度『母上』という言葉が聞けたこと。それが何よりも嬉しかった。


私は過去の罪を背負いながらも、もう二度と、同じ過ちは繰り返さないと心に固く誓った。


「本当に、本当にありがとう……」

「泣かないでください、母上。まだ、すべてが終わったわけじゃありませんから」


そうだ。まだ、あの人から逃れられたわけじゃない。

それに、あの恐ろしい魔族だってこの屋敷にいるのだ。

母親としての私の戦いは、これからが本番よ。


「そうね。まだ、終わってなんかいなかったわね」


私が表情を引き締めたその時。ヴィクターの後ろでずっと待っていてくれたあの娘が、しびれを切らしたように口を開いた。


「あー、そ、その……親子の感動の仲直りは終わったかしら?」

「セリナちゃんだっけ?ごめんなさいね。その、色々と酷いことをしてしまって……」

「今更『ちゃん』呼びなんてごめんだわ!それに、私はまだあんたの事、完全に信じたわけじゃないからね!」

「ふふ、そうね。……まずは、ルイドスを救ってからよね」


私は三度目の涙を拭き取り、ルイドスの元へ向かう事に決めた。


「ルイドスなら、恐らく医務室に運ばれているわ」

「では、早速医務室に向かい……」


ズドガァァァァァンッ!!!!!


突然、空気を震わせるような凄まじい轟音が屋敷中に鳴り響いた。


「こ、これは!?」


(この尋常じゃない力……あの時の、あの子の縁……!?)


「シエロ!?」


セリナは弾かれたように、大きな爆発音が鳴った方向――裏庭へと視線を向けた。

衝撃音の余波と共に、屋敷を覆っていたあの悍ましいハイケルの縁が、霧散するように消え去っていくのを感じた。


だが、それと同時に……ハイケル以外の縁も、急速に弱まっていくのを、ここにいる全員が嫌な予感と共に感じ取っていた。


一番最初に行動を起こしたのは、セリナだった。


「私はシエロの元へ向かうわ!二人は早くルイドスの所に行きなさい!」


セリナはそれだけ言い残すと、弾丸のように裏庭へと走って行った。


「行きましょう、母上。ルイドスの元へ」


ヴィクターの覚悟が決まった横顔を見て、私も迷いを振り切った。


「その前に腕の骨は......」

「大丈夫......ではないですけど、今はルイドスを優先しましょう!」

「そう......ね。その腕は私が責任もって治すわ」


こうして私は、ヴィクターと少しだけ心を通わせ、ルイドスが眠る医務室へと駆け出したのだった。


◆セリナ視点


私はとにかく、嫌な胸騒ぎを抑え込みながら、全力で庭へと走っていた。


(シエロだけじゃない。シエロのお兄様も……それに、この縁の感じはフィオナも居る!)


息を切らして私が裏庭の現場についた時、そこに広がっていた景色は、控えめに言って「最悪」だった。

地面が抉れ、原型を留めていない巨大なクレーター。

その中心近くで、膝を抱えるようにして縮こまって震えているフィオナ。

そして、クレーターの端で、何かを必死に訴えかけているようなシエロのお兄様の姿が見えた。

巨大な魔族の姿は、どこにも見当たらない。


(多分、あそこにシエロがいるんだわ!)


「シエローー!!あの魔族、倒したのー!?」


私は大声を上げながらシエロのお兄様の元へと向かった。


だが、そこにあったのは――全身傷だらけで、ピクリとも動かず、顔の穴と言う穴から出血し意識を失って倒れているシエロの痛々しい姿だった。


「シ、シエロ……?」


私の声にハッとして、ソルが振り返る。


その表情を見た瞬間、私の背筋がゾクッと凍りついた。


「悪い、頼みごとがある!今すぐ医務室に行って、最高級の回復ポーションと、上級以上の回復魔術が使える奴を探してきてくれ!頼む!」


ソルの、血気迫る悲痛な目。


今の状況が「ただ事ではない」と、嫌でも理解させられた。


「わ、分かったわ!すぐに連れて戻るから、絶対に待ってなさい!!」


私はそれだけ叫ぶと、医務室の正確な場所など分からないまま、勘を頼りに巨大な新邸の奥へと再び走り出した。


(待ってなさいよ、シエロ!!)


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