第三十四話 母親としての仮面
◆イザトラ視点
長男のヴィクターとアルランド家の長男が、このスカラルド新邸に乗り込んでくる十五分前。
玉座の間。
私とルイドスは、あの人に呼び出されていた。
「あなた……一体何よ。急にルイドスまで呼び出して」
「お前たちに、紹介したい事があってな」
玉座に座り、不敵に笑う男。
それが私の夫であり、スカラルド家の現当主『ディム・スカラルド』だった。
昔は、今よりもずっと仲が良く、ささやかな幸せがあった。
狂い始めたのは、この東の国の王が退位し、次代の王を継ぐ家系を探しているという情報が入ってからだった。
私は王族の地位など、はっきり言って興味がなかった。
スカラルド家にはすでに程ほどの財力があり、世間的にも十分に高い地位についていたからだ。
このまま平穏な家族の時間が続くものとばかり思っていた。
しかし、この人は違った。
権力という甘い毒に当てられた彼は、次期王家の候補に選ばれるため、すぐに私を学校の『学園評議会』という組織に無理やりねじ込んだ。
もちろん、子供にもエリート校への強制進学や過剰な英才教育も行われた。
だが、現実はそう上手くはいかなかった。
私たちの財力も権力も遥かに上回る貴族など、この国には当たり前のようにゴロゴロと存在していたのだ。
特に『マーガレット家』の存在は、その中でも群を抜いて圧倒的だった。
それからというもの、あの人の頭の中は「どうすれば次の王家になれるか」の事しかなくなった。
私が見かねて、「王家にこだわらず、今のままでも十分に幸せじゃないか」と声をかけても、返ってくるのは血走った目での「スカラルド家としての威厳を保つ行動をし続けろ」という命令だけだった。
そんな息の詰まる日々の中、ついにヴィクターが家を出ていった。
私は必死に追いかけようとした。
けれど、あの人は長男を引き留めるどころか、興味すら示さなかった。
流石の私も頭にきて、「家族でしょうが!」と泣きながら怒鳴ってしまった。
だけど、あの人は冷たく吐き捨てた。
『王家への道を捨てた愚か者に、興味はない。むしろ目障りな邪魔者が自ら消えてくれて、感謝したいところだ』と。
言い返したかった。……でも、出来なかった。
今の私がこの家で裕福な生活を送り、ルイドスを育てられているのは、すべてこの人のおかげなのだ。
逆らえば、私とルイドスがどうなるかなんて火を見るよりも明らかだった。
それに……昔、心の底から愛した頃のあの人の面影を、どうしても簡単には裏切れなかったのだ。
それからは、ルイドスの学校での話を聞くことだけが、私にとって唯一の幸せな時間になった。
ルイドスが友達と喧嘩して帰ってきたときは、ただ優しく慰めてやりたかった。
だけど、その情報がすぐにあの人の耳に入り、「スカラルド家としての威厳を見せつけるため」という理由で、喧嘩した子の家に押しかけることになった。
私は、非情な当主夫人を必死に演じきった。
あの人が、相手の罪を重く見せかけるため、ルイドス自身の腕にわざと火傷を負わせたのを見た時は、怒りで頭がおかしくなりそうだった。
本当はすぐに止めたかった。
でも、家の事を考えて血の滲むような思いで我慢した。
喧嘩した子の母親が火傷について反論してきたときは、いっそ『真実がバレてしまえばいい』とすら思った。
バレたらこの家はどうなるのかと、心が激しく揺らいでいた。
その後も、あの人は手段を選ばなかった。
ルイドスの担任の教師を強引に辞めさせ、ルイドスの専用講師として家に住み込ませたのだ。
それは私にとっても、ある意味でチャンスだと思った。
これを機にルイドスの魔術が向上すれば、あの人の言いなりにならず、少しでも抵抗出来るかもしれない……そう考えたからだ。
だから私は、必死になり過ぎた。
ルイドスに急いでレベルの高い魔術を覚えてほしくて、過酷な訓練を強いた。
ルイドスを追い詰めすぎていることは、私自身が一番分かっていた。
そんな地獄のような日々の中、まさかあのマーガレット家のお嬢様が、スカラルド家に遊びに来てくれたのだ。
私は本当に嬉しかった。
ルイドスに友達が遊びに来てくれることなんて、今までほとんどなかったから。
私は、ルイドスとあのお嬢様に二人っきりで楽しく話してほしくて、わざとマーガレット家のメイドを部屋から引き離した。
ただ、そのメイドとは突然のことで何を話せばいいのか分からず、結果的に「スカラルド家としての威厳」を保つために、高圧的な態度で接してしまった。
それから、あの生意気な男の子が家に乗り込んできた。
ルイドスが、私の為に初めて魔術で戦ってくれたことが嬉しかった。
でも、夫の目を誤魔化し、スカラルド家の威厳を保つために、私はわざとルイドスに厳しい言葉をぶつけるしかなかった。
あの教師と戦った時に、私は思い知った。
ルイドスの周りには、こんなにも頼もしい友達や、彼を想ってくれる教師が居るということを。
それからというもの、私はルイドスに魔術の鍛錬を強制することはパタリと止めた。
あの人は、騒ぎの後で遅れて現場にやってきた。
マーガレット家の人間が前にいるからか、その時のあの人は、柔らかい笑顔でとても優しい「立派な当主」に見えた。
あんな穏やかな顔を見たのは……一体、いつぶりだっただろうか。
その後、マーガレット家たちが帰った後の屋敷は、地獄だった。
「スカラルド家としての威厳を落とした」と激怒したあの人は、ルイドスには到底クリア不可能な無理難題の魔術課題や学業を課し、私にも酷い暴力を振るった。
それからしばらく経った時。
ついにマーガレット家が次の王家を引き継ぐことが決定的になっていたある日。
この国に、未曾有の『隕石災害』が起こった。
私たちスカラルドの屋敷は、奇跡的に被害を免れた。
あの人は、狂喜乱舞していた。
最大の障壁であったマーガレット家が隕石で滅んだことと、この国が混乱のどん底に落ちていることを、心底喜んでいたのだ。
私はただ、ルイドスが無事であることと、家を出たヴィクターが無事であることだけを、神に祈っていた。
災害後、しばらく経った日のこと。
屋敷に、見たこともない禍々しい気配を纏った者たちが大勢やってきた。
私は「彼らは誰か」と聞いた。
するとあの人は、「新しき王には、沢山の強靭な護衛が必要だ」と突然言い出したのだ。
最初は言葉の意味が分からなかったけれど、話を聞くうちに、背筋が凍った。
あの人は、この国の王になるため、この災害の混乱を利用し、圧倒的な力と金で国を支配しようと目論んでいたのだ。
当時の東の国では、権力を持っていた名家は見事に崩壊し、民衆は誰についていけば良いか分からず路頭に迷っていた。
あの人は、金に糸目をつけず、学校に避難施設を作り、街の復興整備などに莫大な力を注いだ。
やがて、「この国はスカラルド家様によって救われた」という声が広がり、民衆の熱狂的な支持のもと、彼は自然とこの国の『新王』として君臨することになった。
やり方はどうあれ、結果的に国を救い、悪いことをしているわけではなかったため、私はそのまま彼の妻としてついていくことに決めたのだった。
――そんな、狂気に染まった夫が、突然私とルイドスをこの玉座の間に呼び出したのだ。
「……私たちに紹介したい者、ですか?」
「そうだ。これからこのお方に、我がスカラルド家の強大な力となっていただく。……どうぞ、お入りください」
ディムの声に応えるように、玉座の奥の重厚な扉がゆっくりと開いた。
薄暗い扉の奥から姿を現したのは、全身にドロリとした漆黒の鎧を纏い、呼吸すら苦しくなるような禍々しい縁を放つ異形の者だった。
私は、一目見てすぐに直感した。
(こ、これは……魔族!?)
横に立つルイドスの身体が、ガタガタと震えているのが分かった。
私は、ルイドスを庇うようにそっと自分の背へと寄せた。
「あ、あなた……!このお方は、一体……」
「紹介しよう。これからこのスカラルド家の絶対的な力となっていただく、ハイケル様だ」
ハイケルと呼ばれた魔族は、威圧感を放ちながら私たちの前に立ち尽くした。
「私は六皇神が一人、『剣皇神サマエル』様に仕えるハイケル。貴様ら雑種が世界を支配するという茶番に、少しばかり付き合ってやろう」
「世界を支配!?ちょっとあなた、これは一体どういう事なの!?ちゃんと説明してちょうだい!」
私を無視し、ディムはゆっくりとこちらに近づいてきた。
その目は、完全に狂気に取り憑かれていた。
「スカラルド家は、この小さな国だけではなく、この『世界の王』になるのだ。その為には、この圧倒的な魔族の力が必要不可欠だった」
「力って……あなた、魔族と手を組んでいるのが表沙汰になったら、元も子もないじゃない!それに、この子……ルイドスの人生だってあるのよ!」
「下らんな。実に下らん。この世界の王になれるというのに、餓鬼の人生などどうでもいいだろう。それより、この世界の王になる方が、貴様ら雑種にとっては余程良い事だろうが」
すると、ディムは私たちに見向きもせず横を通り過ぎ、そのまま玉座の間から立ち去ろうとした。
「ちょっと!あなた、どこへ行くのよ!」
「後はハイケル様……よろしくお願いいたします」
ディムは私の言葉に耳を貸すことなく、狂ったような足取りで玉座の間から出ていった。
「ちょっと!あなた!」
彼を追いかけようとしたが、私はすぐさまルイドスの前に立ち塞がり、このハイケルと言う恐ろしい魔族と対峙した。
「……魔族が、どうして私たち人間に協力を!?あの人に、何を言われたの!」
「お前の夫は、雑種のくせに少しだけ頭がキレる。我々が世界の王になる手助けをする条件として……『そこの餓鬼を、我々の要望のために好きにして良い』と提示してきたのだ」
私は即座に、後ろにいるルイドスの肩を強く抱き寄せた。
「ルイドスを好きに……!?そんな事、私が許すとでも思ってるわけ!?」
私の叫びを鼻で笑うと、ハイケルは自身の鎧の奥へ手を突っ込み、赤黒く脈打つように光る不気味な球体を取り出した。
「これは『邪宝』。質の良い雑種の血液と、我々魔族の縁を融合させて作られた代物だ」
ハイケルは重い足取りでゆっくりと近づいてくると、私越しにルイドスへとその球体を差し出してきた。
「受け取れ」
私は必死にルイドスを庇った。
「そ、そんな得体の知れない気味の悪い物……子供に渡せるわけないでしょッ!」
「フン。この邪宝を体内に取り入れることにより、我々魔族と同等の力を得ることができるのだぞ?」
「だから……ッ!!」
ドンッ!
気づけば、私は突き飛ばされて床に倒れ込んだ。
「母上ッ!」と悲鳴を上げて怯えるルイドスに、ハイケルは無理やり邪宝を押し付ける。
「受け取れ。貴様がこれを使えるようになれば……あの狂った父親から、その母親を守れるかもしれんぞ?」
倒れ込んだ私の耳には、ハイケルとルイドスの会話ははっきりとは聞こえなかった。
だが、ルイドスが震える手を伸ばし、自らその邪宝を受け取る姿だけは、はっきりと見えた。
(どうして……どうして受け取るの、ルイドス……!)
ルイドスはすぐに私の元へと駆け寄り、優しく手を差し伸べてくれた。
「母上。……僕は強くなって、母上と兄上と、三人で幸せに暮らしたいんです。だから、強くなれるこのチャンスを、逃したくはありません」
私はルイドスに引っ張られながら、ゆっくりと起き上がった。
彼がすべてを理解した上で、私や家を出たヴィクターの為に強くなろうとしてくれている……その優しすぎる言葉が、悲しいほど嬉しかった。
「……ルイドス。いい?絶対に、無茶だけはしないでよ」
「はい、母上」
私たちはその後、重苦しい空気の玉座の間を後にした。
ルイドスは「少し一人になりたい」と言って、中庭の方へと向かっていった。
私はそのまま、消えた夫がどこに行ったのか、屋敷中を探し回った。
結局どこに消えたのか分からず、私もルイドスのいる中庭へと向かおうとした時。
ちょうど玉座がある建物の屋根の上に、二人の人影が見えた。
目を凝らすと、その一人は、絶対に見間違えるはずのない顔だった。
「ヴィクター……!?」
だが、私が気づいた時にはもう遅かった。
ヴィクターたちは容赦なく屋根を破壊し、そのまま玉座の間へと侵入していったのだ。
(待って、ヴィクター!そこには、あの恐ろしい魔族が……!)
私は血の気が引く思いで、急いで玉座の間に向かおうと回廊を駆け出した。
私の走るこの回廊は、丁度中庭と玉座の間に挟まれるように位置している。
走りながら、ふと中庭の方へ視線を向けた時。
ルイドスもまた、玉座の方へ視線を向け、驚愕の表情を浮かべて固まっているのが見えた。
恐らくルイドスも、ヴィクターがあの魔族がいる玉座の間へ突入した事に気が付いているのだろう。
だけど、私は足を止めなかった。今の私にとっては、ヴィクターの命の心配が第一優先だったのだ。
私がそのまま回廊を駆け抜けようとした――まさにその時だった。
偶然なのか、それとも運命の悪戯なのか。
あのシエロとかいう生意気な餓鬼が、突如として中庭に乗り込んできたのだ。
しかもその横には、隕石で死んだはずのマーガレット家のお嬢様までいるように見えた。
(まずい……!あの二人がこの新邸に乗り込んできたことを、あの人に知られたら、大変なことになる!)
そう判断した私は、咄嗟に玉座の間に向かうのを止め、中庭へと出向いて彼らの前に立ち塞がった。
それからは、もう後に引けなくなり、意図せぬ戦闘が始まってしまった。
最初は、圧倒的な力の差を見せつけて、すぐに降参させて追い返す予定だった。
だが、二人は私の想像を絶するほどに成長しており、思いのほか苦戦を強いられた。
そんな時だった。
ルイドスが、あのハイケルから渡された『邪宝』を自ら使用してしまったのだ。
本当は、心配で仕方がなかった。
ルイドスから放たれる、今まで感じたこともない禍々しい縁や不気味な雰囲気。
そして何より、力が暴走して苦しそうな彼の姿。
すぐにでも止めに入りたかった。
だけど、このセリナとかいう餓鬼が本当にしつこく私の足止めをしてくるのだ。
次にルイドスへ目をやった時、私の心臓は凍りついた。
ルイドスの身体に、赤い直線が深く刻まれていたのだ。
斬ったあの餓鬼自身もルイドスの事を心配しているようだったが、そんなことは関係ない。
私の母としての怒りは、既に限界を突破していた。
私はすぐにルイドスの元へと向かった。
彼は、息も絶え絶えで本当に苦しそうだった。
直ぐに私の治癒効果のある植物の中に包んだ。
この二人の前で私が取り乱し、弱々しい姿を見せるわけにはいかない。
「スカラルドの当主夫人」という仮面を被り、私は逆に相手を冷酷に挑発してしまった。
もう、どうにでもなれ。
そう自暴自棄に思った時。
玉座の間の方から、爆音と共に何かが大量の瓦礫と一緒に中庭へと吹き飛んできた。
土煙が晴れたそこには、ボロボロのヴィクターと、あの餓鬼の兄、ソルが居たのだ。




