第三十三話 拘束を破る縁と想い
ハイケルとの死闘の裏側。
同時刻、もう一つの戦場でも、交錯する二つの運命と一つの魂が激しく火花を散らしていた。
「スカラルドを捨てたお前に、今更ルイドスを庇う義理などないだろう」
イザトラの氷のような冷たい声に対し、ヴィクターは拳を強く握り込み、地の底を這うような低いトーンで言い放った。
「……何度も言わせるな。ルイドスは俺の弟だ」
ヴィクターの横に、セリナがスッと並び立つ。
「やっぱり私には、あんたの考えが微塵も理解できないわ!」
「お前のような亡霊の怨念に……いや、結局のところ、お前は何者なのかしら」
イザトラはセリナに対し、見下すように目を細めた。
「だから、私はセリナであり、セリカなのよ!」
セリナは少し前に出て、己の存在を証明するように強く言葉を返した。
だが、イザトラは鼻で笑ってその言葉を流す。
彼女にとって、得体の知れない存在を理解しようとすること自体が、無駄な行為に感じていたのだ。
「私、お前に恨まれるようなこと、何かしたかしら?」
イザトラはゆっくりと、威圧するようにセリナへ近づいていく。
「私はお前に何もしていない。お前の方から私に、この誇り高きスカラルド家に手を出してきたのよ」
「な、何が言いたいのよ……」
「分からないのかしら?それだけで万死に値するのよ」
言葉が終わるか終わらないかの瞬間。
イザトラはセリナの喉元へ向けて、鋭く尖った植物の槍を射出させた。
不意を突かれたセリナは少し反応が遅れるも、咄嗟に戦斧の柄でガードを固める。
ガキィッ!
「チッ……!」
その隙を見逃さず、すかさずヴィクターが攻撃を仕掛けようと動く。
イザトラは即座に植物の槍を数本、ヴィクターに向けて放った。
だが、その槍はヴィクターの身体を貫くことなく、なぜか不自然に軌道を逸らして通り過ぎていく。
ヴィクターはそのまま、手に持っている短い杖を軽く振った。
すると、イザトラの足元の『風』の向きが唐突に変わり、彼女は一瞬バランスを崩してふらついてしまう。
イザトラはすぐに体勢を立て直し、力強く足を踏み込んで前に出ようとする。
しかし、蹴りだそうとした足が想定通りに地面に沈み込まず、再び体勢を大きく崩してしまった。
「クソッ!風圧の操作といい、地面の密度の変化といい……!」
イザトラは、自分の行動をことごとく阻害するヴィクターの魔術に苛立ちを募らせていた。
だが、そんな彼女の怒りなどお構いなしに、ヴィクターの反撃は続く。
彼が再び杖を振ると、イザトラの周囲を取り囲んでいた植物たちに、まるで最初からそうであったかのように突然火が燃え移った。
「お前っ!よくも私の植物を燃やしたな!」
イザトラが新たな植物を生成しようと縁を練るよりも早く、ヴィクターが三度目の杖を振る。
今度はイザトラの足元から、大人の背丈を超えるほど大量の水が勢いよく噴き出した。
ドバァァッ!
イザトラは慌てて植物の盾でガードするも、体勢を崩された上での追撃に、着実にダメージを蓄積させていた。
その流れるような光景を横で見ていたセリナは、感心したようにヴィクターの背中を見つめた。
「す、凄いわ……。火、水、風、土……基本魔術のすべてを高精度で扱っている。それに、ただ扱っているだけじゃない気がするわ」
ヴィクターの縁の性質は『調律』。
それは新たな力を生み出す才ではなく、すでに存在する『力』の音程を合わせる稀有な才。
火は燃え、水は流れ、風は吹き、土は在る。
ヴィクターが行うのは、それらの基本属性がその状況において『最適解』となるよう、環境を整え直すことだ。
魔術とは本来、基本属性が正しく作用した結果である。
ヴィクターは、その世界の「正しさ」を決して逸脱させない。
魔術を放つ者が旋律を奏でる演奏者だとすれば、ヴィクターはその背後で環境のすべてを支配する『指揮者』だった。
ヴィクターはこの才能によって、基本属性のすべてを特級レベルで扱うことができるのだ。
思い通りに戦えないイザトラの怒りは、すでに限界を超えようとしていた。
「お前の魔術は、昔からコソコソし過ぎて鬱陶しいんだよ!基本属性しか扱えない、スカラルド家の恥が!」
「魔術とは基本属性こそがすべての基盤だ。それをろくにやらせず、無理な応用ばかり押し付けたせいで、ルイドスも苦労していたんじゃないのか?」
「あの子は、私の期待に応えられなかっただけ。だから今、こうやって最高級の器になるために鍛え上げているんじゃない!」
実の親とは思えない、冷酷で狂気じみた発言。
その言葉を聞き、ヴィクターもセリナも一段と激しい怒りを隠せない状態だった。
「血統や才能ばかりに縋る、そういうあなたこそ……ただの雑草を自慢げに操っているだけの、出来の悪い『庭師』じゃないか」
ヴィクターの冷ややかなその煽りが、イザトラの中で、決定的な何かをブチッと切らした。
「お前っ……この私を侮辱するかッ!!」
イザトラの全身から、今までとは比べ物にならないほど禍々しい縁が膨れ上がる。
それに合わせ、ヴィクターとセリナも即座に縁の練りを再開させた。
「腐っても私の子だと、心のどこかで期待していたが……お前の言う通りだ。お前はもう、私の子ではない!ここで終わらせてやるわ!」
イザトラの表情が一変した。
冷酷な貴族の仮面が剥がれ落ち、狂気を孕んだ覚悟が決まったようだった。
彼女の感情に呼応するように、周囲の植物が一段と不気味に、生き物のように蠢き始める。
「何か来るぞ……!」
ヴィクターがセリナに警告を発した瞬間。
地面から無数の鋭い棘が、津波のように突き出してきた。
二人は棘の雨を躱しながら、イザトラへの反撃の機会を窺う。
しかし、反撃の隙を一切与えないほどの異常な密度の棘が、執拗に二人を襲い続けた。
ヴィクターはともかく、前衛に立つセリナには着実にダメージが刻まれていく。
「チッ!何なのよこの棘!いつまで続くのよ!」
すべてを躱し切ることはできず、セリナは戦斧を巧みに駆使して、なんとか身体を貫こうとする棘を捌いていく。
ヴィクターは即座に杖を振るい、『調律』の力で地面の密度を極限まで硬化させた。
鋼鉄のように硬くなった地面からは棘が突き出せなくなり、狂ったような棘の猛攻がピタリと止まる。
「今だ!」
棘が止まった一瞬の隙を突き、セリナとヴィクターは一気に反撃に転じた。
二人がイザトラの懐へと肉薄する。
「……かかったな」
イザトラの不気味な呟きと同時に、周囲に生い茂っていた植物たちが、まるで意志を持っているかのように一斉に二人へと襲い掛かった。
「こんなもの、風の軌道を変えれば済む話だろ」
ヴィクターが杖を振りかざそうとする。
だが、それよりも早く、イザトラの口から致死の魔術が紡がれた。
「絡根縛陣」
ズバァァァンッ!
大蛇のように太く力強い根が四方八方から飛び出し、ヴィクターとセリナの身体を瞬く間に拘束した。
「な、何よこれ!全然外れる気が……クッ……どんどん強く……!」
「これは……ヒトの魔術じゃない。魔族の魔術か……!」
ヴィクターとセリナは首から下を何重にも強く縛り上げられ、イザトラの目の前で宙へと吊るし上げられた。
巨大な根の拘束はギリギリと音を立てて強まり、やがて二人の身体の骨を圧砕しようと締め付けていく。
「お前は基本属性を少しばかり器用に扱えるだけの、愚かなヒトだ。ヒトが生み出した稚拙な魔術など、魔族の深淵なる魔術に勝てるはずがないのよ」
「そ、それは……勝つ者が、言うセリフなんじゃないのか……」
ギリッ……!
ヴィクターの強がりに呼応するように、彼を拘束している根が一段と強く縛り上げられる。
「グァァァァッ!」
メキ、ボキィッ!
鈍い音と共に、ヴィクターの両腕の骨が折れる。
「お前、この絶望的な状況から、まだ何か出来るとでもいうのか?」
「……あなたみたいな、借り物の力で飾った上辺だけの魔術に……ヒトの魔術は、絶対に負けない」
「随分とまだ余裕があるようね。……なら、これは耐えられるかしら?」
イザトラは新たな植物を生成し、その鋭利な先端をヴィクターの眼球の目前へと突き立てた。
棘の先端からは、不気味な紫色の液体が滴り落ちている。
「これは見ての通り、毒よ。それもただの毒ではない。神経毒。これが一滴でもお前の体内に入ればどうなるか分かるか?瞬時に神経崩壊を引き起こし、絶望的な苦痛の中で死ぬ。……あとは言わなくても分かるわね?」
イザトラは、ゆっくりとヴィクターの顔の前へと近づいた。
「今ここで、もう一度『スカラルド家として生きたい』と誓うなら……命だけは考えてやってもいいわ」
「……ふざけるな。俺は、あんた達みたいな姑息で薄汚い生き方は、二度としない……ッ」
そのヴィクターの決別の言葉を聞いた瞬間。
イザトラは、ギリッと血が滲むほど強く拳を握りしめた。
「ッ……!」
そして、彼女の冷酷な瞳には、うっすらと涙が溜まっていたのだ。
「私の元で生きたいと言えよ!!私が、私が一体どんな思いでお前を育ててきたと思っているんだぁっ!!」
なりふり構わず響き渡った、悲痛な叫び。
ヴィクターは、今まで一度も見たことのない母の表情と、ぶつけられたことのない激しい感情の奔流に、思わず目を見開き驚愕していた。
冷酷無比なスカラルドの当主夫人であるイザトラは、狂気に染まりながらも、心の奥底で『母としての気持ち』をどうしても捨てきれていなかったのだ。
「い、今頃になって……そんな感情を向けられても……俺は、絶対に戻りませんよ……」
「私があの人に……!あの人に、どれだけッ……!」
イザトラの歪んだ悲哀の言葉を、すべてをぶち壊すような大音声が掻き消した。
「いい加減に解きなさいよぉぉぉッ!この私を縛り上げて、無事で済むとでも思ってるわけぇぇ!?」
拘束されたセリナの凄まじい叫び声が響き渡る。
「チッ……うるさいわね。そんなにわめいても無駄よ。私の根は、抵抗すればするほど強く、硬く締まるのだから」
イザトラの冷たい言葉を聞いたセリナは、なぜかスッと抵抗するのを止めた。
全身の力を完全に抜き、だらんと無抵抗になった。
しかし、拘束が緩む気配は一切なかった。
「ちょっと、嘘じゃない!全然解けないし、痛いじゃないのよ!!」
「馬鹿ね。誰も『拘束が解ける』なんて言っていないでしょう。しばらくそこで、大人しく苦しんでなさい」
呆れたように言い捨て、イザトラは再び宙吊りのヴィクターへと冷酷な視線を戻す。
「さぁ、もう終わりよ」
イザトラが扇子をヴィクターに向け、神経毒の滴る棘をその眼球へと突き立てようとした、その絶対絶命の瞬間。
「だから!いい加減にしろって言ってんのよォォォォーッ!!!!」
ビュンッ!
セリナが顔を真っ赤にして絶叫したと同時。
薄く『紫がかった縁』が、セリナの身体を中心に一瞬だけ波紋のように弾け飛んだ。
その未知の力に、イザトラは即座にセリナへと警戒を向ける。
(今の力は何!?魔族が探しているという、あの餓鬼と同じような……いや......また別物!?)
パラパラ……ドサッ。
すると、ヴィクターとセリナを万力のように拘束していた魔族の根が、まるで生命力を失ったように解け、次々と地面に崩れ落ちた。
「何っ!?」
「やったわ!やっぱり力づくで解けるじゃないの!」
「お前!一体何をした!?」
「何をって、私だってただの非力な女の子じゃないのよ!」
セリナ自身は、自分から異質な縁が発現したことには全く気が付いていないようだった。
拘束から解放されるや否や、即座に反撃へと移る。
足元に落ちていた石ころを拾い上げ、イザトラに向けて思い切り投げつけた。
「そんなただの石ころで……!」
セリナは両手を突き出し、飛んでいく石ころに自身の縁を流し込む。
「変幻自在!」
イザトラの目の前で、小さな石ころが瞬時に超質量の巨大な岩石へと変貌した。
「……ッ!」
イザトラは咄嗟に分厚い植物の盾を展開してガードする。
だが、その一瞬の隙こそが狙いだった。
セリナは巨大な戦斧を構え、イザトラを守る植物の盾ごと彼女に肉薄する。
「おりゃぁぁぁぁッ!」
イザトラは即座に反撃の縁を練る。
「『炎座』――」
反撃しようとしたイザトラだったが、彼女の周囲の植物は、すでに別の火によって燃え盛っていた。
「ヴィクター!」
視線の先には、両腕を折られながらも、無理やり魔術を『調律』しているヴィクターの姿があった。
「ここで、すべてを終わらせる」
「どこ見てるのよ!」
ヴィクターの魔術によって体勢を崩されたイザトラに、すかさずセリナの戦斧が襲い掛かる。
ガードがわずかに遅れ、イザトラの身体が大きく吹き飛ばされた。
だが、当主夫人としての意地か、イザトラはすぐに立ち上がる。
しかし、目の前には追撃の戦斧を振りかぶるセリナ。
さらに、ヴィクターによって足元の地面の密度を書き換えられており、上手く植物を生成できない。
「影に宿る緑の魂よ、幻想の中で息づけ。植物の記憶よ、獣の本能と融合せよ!『緑陰幻想』!」
イザトラの完全詠唱と共に、蔦と樹木で編み上げられた三メートルを超える緑の巨兵が、彼女を守るように立ち塞がる。
「私を守りなさい!」
イザトラの叫びに呼応し、巨体がセリナを叩き潰そうと巨大な拳を振り下ろした。
ボォォォォンッ!!
だが、拳が届くよりも早く。
大きな爆発音とともに、蔦と樹木で編まれた巨体が、内側から激しく燃え上がった。
「なっ……!?」
「あんたと俺の魔術じゃ、根本的に相性が悪すぎたんだ」
シャギィィィンッ!
ヴィクターの炎で脆くなった巨兵を、セリナの戦斧が横一文字に両断する。
巨体はそのまま崩れ落ち、灰となって消え去った。
完全に手駒を失ったその光景に、突発的な縁の連続使用による疲労も重なり、イザトラはついに片膝を地面についてしまった。
セリナが、鋭い戦斧の刃をイザトラの喉元へと突きつける。
「終わりよ」
冷酷に、セリナが死を宣告する。
「……武器を下ろしてくれ」
セリナの後ろから、両腕をだらんと下げ、満身創痍のヴィクターがゆっくりと歩いてきた。
ヴィクターがイザトラの前まで歩み寄ると、セリナは無言で戦斧を下ろし、スッと一歩だけ後ろへ下がった。
「……ルイドスの居場所を、教えてください」
イザトラは、表情を消したまま少しの間を置いた。
「もう……もう遅いわよ。今頃、あの化け物に裏庭の連中はみんな殺されている。そして、次はここに来る。そうなれば、お前達も終わりだ」
イザトラの声には、すでに戦う気力は残っていなかった。
俯いたまま、ヴィクターの顔を見ようともしない。
「あなたは……いつまであの人の言いなりになっているのですか?昔みたいに、家族で楽しく暮らすことを諦めたのですか!?」
その言葉に、イザトラは弾かれたように顔を上げた。
「お前に何が分かるんだ!魔術学校に通うことを理由にして、無断でこの家から逃げ出した分際で!」
「違う!逃げたわけじゃない!」
ヴィクターが、血を吐くような声で叫んだ。
「俺たちは、昔はあんなに楽しく過ごしていたのに……!ある日突然『王家継承権』なんかに囚われて、家族の団欒が崩壊していくのにうんざりしたんだ!」
ヴィクターの声に、悲痛な感情がとめどなく溢れ出していく。
「だから俺は、魔術学校に行き、勝手に寮に住み込むことにした!『長男』である俺に問題が起これば、継承権の対象から外れて……また、元の家族に戻れると思ったからだ!」
ヴィクターの瞳から、大粒の涙が溢れ出た。
「でも、無意味だった……。俺の考えが甘すぎたんだ。家族に問題が起きようが、あの人は止まらなかった。気づけば魔族という化け物と手を組み、力と金で無理やり王を名乗るまで狂ってしまった……!」
イザトラは返す言葉を見つけられず、ただただ、泣き崩れるヴィクターの顔を呆然と眺めていた。
「ただ俺は……昔みたいに、お母様やお父様、ルイドスと……家族みんなで、楽しく過ごしたかっただけなんだ……!」
ヴィクターの目から、大きな涙が一滴ずつ、静かに地面へと落ちていく。
「ヴィクター……」
イザトラは、そんな息子の姿を見て、震える足でゆっくりと立ち上がった。
セリナは、彼女がどんな凶行に走ってもすぐに対応できるよう、戦斧の柄を強く握り直した。




