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第8話:決闘

 白と黒を薄めた風景が広がっている。色のない風景。時刻は夜も明けきらぬ午前四時。波のさざめきと虫の鳴き声だけが小さく響く。誰もが今、夢の中であろう。目を閉じて寝床に居る者は。



 メグナツは――今、その双眸に対峙する敵の姿を映していた。強い視線の内に潜むのは焦慮。彼は今、現実の悪夢の中にいた。



 ……彼にとってはそうであった。





「では、こうしよう。剣で対戦して、メグナツがリュフトに勝ったら、この話はなかったことにしてやる。それでどうだ?」



 ガーシュはそう提案した。それが意味するのは決闘。彼が言っていたチャンスとはこのことだったのである。しかし先刻見た、リュフトの馬上槍試合の雄姿が、脳裏にちらつくメグナツ。それに比べて自分は、まだ馬上で武器など振るったこともない。その差は歴然として把握していた。



「勝ったらって……」



 そんなの無理だよ〜〜っ! メグナツは子犬のように、ク〜ンと鳴き声を上げたくなった。あ、でも……“あいつ”もぼくに付いていきたくないはずだから……



 負けてくれないかなぁ、とリュフトに視線で訴えかけると



 ガーシュが一言。



「ただし、わざと負けたら“破門”だ」



 リュフトの目を見てそう言った。破門と言われてリュフトが穏やかでいられるはずがない。わざと負けてくれることを期待したメグナツだったが、その望みは薄くなってしまった。しかし行動をともにしたくない気持ちは、リュフトも同じはず。そうなるとどちらも必死になるから、これは血を見るかもしれない。もしかすると弟子同士の相撃ち、なんてことも有りうる(確率2%)。それが師の狙いか? 恐ろしいガーシュ様っ! すっかり気が怯んでしまうメグナツだったが



「わかりました。その勝負、受けて立ちましょう」



 意外とあっさり、リュフトが承諾してしまった。なんで……



 策でもあるのか? 懐疑の眼差しを向けるメグナツ。するとリュフトはニヤリ――とでもするのかと思ったが、意外や意外、彼は凛とした表情を崩さず。してして話は進み、メグナツはその悪夢の中の住人となってしまったのである。





 それから数時間後の今――




「これは真剣勝負だ。どちらも手を抜くな。分かったな?」



 ガーシュが言った。彼はこの勝負を未届ける審判であった。そして



「はい」



 メグナツと同じくして返事した少年。彼こそがメグナツの対戦相手――リュフト。二人は兜と胸当てと盾を装備していた。互いに武器は同じ型の小剣。それは攻撃力が弱く戦場には向かないが、殺傷能力は充分ある。子供が振り回す玩具には向かない。もっともガーシュもそんなふざけた発想はしていない。あくまでもこれは彼の弟子と弟子、一対一の真剣勝負なのだ。



「じゃあ、始めるか」とガーシュ。すぐに『始め!』と言わない所がちと緊迫感が薄れるところ。



 いつの間にか視界が開けてきていた。地上に、天に色が戻り始める。初夏の短い夜が明けていく瞬間であった。



「メグナツ、負けてもいいから、とにかく相手に暫り込んで行け。そう簡単には当てさせてくれないだろうから、ガンガン行っても大丈夫だ。なぁ、リュフト?」



「……」



 リュフトは回答せず半笑い。メグナツは笑えず



「ガーシュ様、ハンデをくださいよ? ぼくは素人なんですから〜!」



 と両手を合わせて懇願した。すると



「メグナツ」



 いつになく厳しい目をしてガーシュは言った。



「お前は旅先で襲われたら、そうやって『ハンデをください〜!』と敵に懇願するのか? そう言ったら手加減してもらえるとでも思ってるのか?」



 声は穏やかだが、問い掛ける眼差しが冷たいガーシュに、メグナツは苦笑。するしかなかった。



「無理、でしょうね……」



「そうだ、無理だ。これもそれと同じだと思え」



「ふぇぇ〜〜」



 メグナツが勘弁してと言うように、泣きそうな顔で情けない声を上げる。確かにリュフト(こいつ)には負けたくないけど、こいつが自分より実力が上だってことは分かる。それに一人で旅するのはちょっと不安だけど……だからって一緒に旅するなんてごめんだ! そのことをリュフトに向かって眼で訴えるメグナツ。こちらこそ願い下げだ! と睨み返すリュフト。敵対する二人の間で、初めて意見が一致した。暗黙の了解が交わされたが



「手を抜くなよ、リュフト」



 ガーシュが言った。弟子たちの思考を読んだのか? すっかり畏縮してしまう哀れな弟子たちであった。



「構え」



 ガーシュが言い、リュフトが剣を掲げる。メグナツもそれに倣い、二人が剣と剣を交叉させる。刃先が接触した瞬間、硬質な金属の感覚が手を伝い、鋭利な刃物が擦れ合うざらついた感覚が戦慄を誘う。メグナツは緊張の渦に飲み込まれそうになるのを必死で堪え、なかば呼吸するのを忘れていた。生まれて初めて味わう極度の緊張感。恐怖と好奇心、恐怖と好奇心、恐怖と……



 それが一体化した時、彼の思考は無の境地に入った。



「始め!」



「お〜い! おぬし、メグナツではないのか〜?」



「え?」



 誰かが呼ぶ声がして、メグナツの緊張の糸が弛緩した。そこに地面を叩く馬蹄の音近付いてくる。そちらに気を取られてしまったメグナツに、隙ができる。一方リュフトは動じず、メグナツの動作の先を行き、彼の隙だらけの左側を狙って剣を振りかぶった。メグナツはその危機を視界の片隅に捕らえるも回避できず、なかば受け身の直立。その肩を容赦なく、リュフトの剣が空間ごと裂くように斜めに走る。



 何故このタイミングで!? 予期せぬ来訪者の出現に、舌打ちするガーシュ。もはや勝者は決定したに等しい。あまりに呆気なかった。これが勝負の結末か――



 目を覆いたくなる惨状。メグナツの左肩が一閃に切り裂かれ、血飛沫を撒き散らす――



 否、下から突き上げるような閃きが、虚空に刃音と火花を散らした。



「何!?」



 驚愕と邪魔されたことへの憤りで、目を剥くリュフト。彼の斬撃を阻止したのは……



「何故?」



 彼とメグナツが対峙する空間を、割るようにして侵入してきたガーシュの剣であった。彼の長剣は歩兵が使用するような華奢なものではなく、長さ、幅ともにリュフトたちの剣を上回る。それを長槍のように操って、リュフトの一撃を止めたのだ。突き出す・突き上げるの動作をほぼ同時に行って。まさに空間を抉るがごとく。



 撥ね除けられたリュフトの剣が宙を舞い、地面に落下して転がり、金属音を鳴らす。



「くっ……!」



 リュフトの顔には苦悶の色が。



 メグナツは片手に剣を握り締めたまま、口を開けてぽかん。彼の闘争心は驚愕に取って代わり、時が止まったように思考も体も停止していた。彼は瞬きも忘れて、助太刀に入った師の姿を凝視した。横顔から覗く眼が、まるで別人のように鋭く吊り上がっている。それが難を脱して安堵したのか、溜め息を漏らすと同時に弛緩して、いつもの陽気な師の目に戻る。それを見ても放心状態から抜け出せずにいたメグナツは、魚のように口をパクパクさせていた。



 とそこへ



「おぬしがメグナツだな?」と男性の声がした。先程声をかけてきた人物であった。彼は、頷くメグナツのもとへと馬を寄せると、その手前で下馬した。全身鎧に身を包んだ騎士である。



「決闘の最中か? だが悪いが、こちらも急を要するのでな。先に言わせてもらうぞ」



 彼は、彼の王妃(メグナツがもっとも苦手とする)が送った急使であることを告げた。急いで報告しないと不興をこうむる、とブルッと身震いしてぼやき



「どうぞ」とガーシュがそっけない口調で促す。



 騎士は言った。



「王妃殿下からのご命令で、メグナツという者がここを発つのを未届けに来た」



「っ! わざわざ……」



 メグナツは愕然とした。つまり、さぼったりずるしたりしないか、確認しに来させたってことか? あの王妃様は……



 内心で髪を掻きむしるメグナツ。他にも見張りがいるかもしれない。受け取った旅費云々を持って、家族でとんずら計画を密かに企てていたメグナツではあったが、見付かったらどうなることやら。やはり行くしかないようである。



「当日、おぬしに通過証明書を渡す。それを港の番人に見せるのだ。そうすれば、おぬしが出港したことが王妃殿下に報告されることになっている。



 イスターオ港に到着した際も同様に、その証明書を番人に見せれば、今度は到着したことが報告がされ、その日付を明記した書類を作成し、それをおぬしがイスターオ港を訪れた証明書として、おぬしが帰港する当日に手渡すことになっている。帰港する際おぬしは、三日前までにそのことを港の番人に報告し、当日は帰港日を記入してもらったその証明書を必ず受け取ってくるように」



 騎士はメグナツと翌朝会う約束を取り付けると、馬を駆って辞去した。遠ざかっていく馬蹄の音を聴きながらメグナツは



「はぁ……」



 小さな溜め息とともに、肩を落とした。するといきなりガーシュがパーンッ!



「……?」



 顔の前で手を叩かれて、びくっと肩を上げるメグナツ。彼は目をしばたたかせて師を見詰めた。



「惚けている場合じゃないぞ、メグナツ。お前は明日ここを発つんだからな!」



 ガーシュが喝を入れるように言って、メグナツの肩を叩く。



 明日――そう、明日である。何故そんな急な話になったのかというと――先程の騎士がメグナツにこう言ったのだ。



「いつここを発つ予定だ」



 という質問に



「まだ決めてません」



 とメグナツが答えると、騎士は首を捻って唸り



「それなら早いほうがいい。来週から海が時化になりやすい時期に入ると、宮廷占い師が言っていた。それに入れば当分船は出せなくなってしまう」



「……」



 メグナツは大海に飲まれる自分の姿を想像して、ゾゾ〜っと戦慄した。死んじゃう死んじゃう死んじゃう死んじゃう……〜〜!



「明日にでも発つとよかろう」とやけに溌剌とした声で騎士が促すと



「そ、そうですよね」



 と簡単に同意してしまったという訳である。





「さぁ、“二人とも”砦に戻ってさっさと支度を済ませておけ」



 弟子二人の肩を両脇に抱えて、笑顔でガーシュが言った。振り向く弟子たち。



「……二人とも?」



「……二人とも?」



 表情に疑問を浮かべ、きれいに声が揃うメグナツとリュフト。言いたいことも、考えも全く一致していた。“何故?”――と。



 少し困ったように、眉の端を下げてガーシュが言う。



「対戦は途中で中断したがな、続けなくとも結果は見えていた。リュフト、お前の圧勝だ」



「でしょうね」とは言わないリュフト。皮肉を口にしたくなかった、とでもいったところか。



「とにかくそういうことだから分かったな、リュフト」



「そういうこと?」



 リュフトが問う。弟子たちの頭に疑念が浮かんだ。二人はその表情で師を見るが、ガーシュの顔は真剣だった。



「お前はメグナツの旅に同伴しろ。嫌だと言っても認めない。これは命令だ」



「そんな!?……ッ」



 命令という単語に威圧されたリュフトが悲鳴をあげる。彼を直視するガーシュの眼差しが、いつになく凛とした厳しいものになっていた。



「人生には避けては通れない道というものがある」



「……」



「お前は今、その通過地点に立っている」



「通過地点……」



 ぼそりと呟くリュフトに、にんまりとして頷くガーシュ。



「そこは右折も左折もできない一直線の道だ。だが、強引に別の方向へ行けないこともない。それが――“道を外す”ということだが」



「……ッ!?」



 おそらくこれは警告であろう。それを理解したリュフトは、反論できなくなってしまった。なにしろこれは命令なのだ。追い詰められるリュフト。そんなリュフトを余所にガーシュは、同意を求めるようにメグナツに向かって、「なっ?」とかわいく言ったのだった。




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