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第六話:契約 

 馬車での旅なんてもう、こりごりだ! メグナツは心の中で悪態をついた。日が暮れて宿屋で寝る時以外は馬車で移動し続けていたため、尻が床擦れしたように痛んだ。尻の下に手を敷いて、不服そうに前方を見やる。御者と見張り役らしき兵士が、常に一人同乗していた。その後方に、護衛の騎馬が二騎続く。御者と見張り役は停まる各所で交替し、今横に座っているのは交替して二番目の騎士だった。使者はというと、自分の馬での移動であった。馬蹄が地面を蹴る軽快な音と、律動する馬の背に合わせて揺れるその背中は、悠々として見える。馬車の薄いクッションを敷いた座席に長々と座らされるよりも、そのほうがはるかに快適な乗り心地に見えた。ぼくには王妃陛下から頂いた立派な(?)ロバがあったのに……ッ! 



 メグナツは窓から頭を出し、使者ら馬上の人間に向かって、憎らしげに歯を剝き出し「ふん」と鼻を鳴らして向き直る。



「……」



 見張りの兵士と目が合った。気まずくなって



「あはは」と取り繕うメグナツ。



 今日で二日目かぁ……ガルニブーケ砦に使者が訪れ、メグナツが連行されたのが、前日の夕刻であった。以前メグナツが単身王都へロバで赴いた時よりも、随分長旅をしているような、鈍重な疲れを感じていた。経路も全く違うため、今どの辺にいるのかもわからない。リエロー、お利口にしてるかな……



 ロバの背が恋しくなるメグナツだった。







「またここに来ることにるなんて思わなかったなぁ……」



 城内へと続く跳ね橋を渡りながら、メグナツは呟いた。ガルニブーケ砦を経ってから、三日目のことであった。陽が高く、薄青い空に真円の月が浮かんで見える。メグナツは槍を持った兵士に誘導されて、城内の廊下を進んで行った。



 またあのギラギラしてやたらと眩しい王妃様に会うのか。緊張するなぁ……



 厳しい印象はなかったものの、メグナツは王妃に対して苦手意識を持っていた。吟遊詩人などに謳わせたら、美白の女神になど喩えるのかもしれないが、メグナツには全身が白と光に包まれていて、まるで天国から来た人みたい――そんな印象だった。



 二階に上がって大理石を敷き詰めた廊下を進み、メグナツは応接室に通された。



 またあの白い部屋だ……



 分厚い扉が開放されると、眩い世界が広がっていた。その奥に一際白くまばゆい存在があった。



「メグナツ、よく来てくれました」



 王妃である。メグナツは王妃の御前に跪き、緊張に表情を強張らせた。



「そう堅くならずに、お聞きなさい」



「は、はい」



「そなたをここへ呼んだのは、あることを提案するためです」



「提案……でございますか?」



 俄かに圧力のようなものを感じて、メグナツは萎縮した。王妃は柔らかな眼差しで彼を見下ろし、白い羽根で作られた扇子で口許を隠して微笑した。



「そなたは自称自由騎士と称する者の下で、生活しているそうですね?」



「はい」



「その者の名は?」



「ガーシュでございます」



「ガーシュ……」



 王妃は含むように、静かに言葉をなぞった。虚空を見詰めて沈黙に浸る。まるで何かを追想しているように。



「彼は妻帯したのですか?」



 まるで知り合いのような王妃の口振りに、メグナツは思わず目を見張った。



「いえ、まだ独身でございます」



「そうですか……」



 憂いとも懐旧に浸っているともとれる瞳をする王妃。それを見たメグナツは



 まさか王妃陛下とガーシュ様って、もしかして……!? と一人想像して興奮した。



「メグナツ」



「はいっ!」



 名を呼ばれてメグナツは、ビクッと肩を浮かせて我に返った。



 王妃が問う。



「そなたも自由騎士の道を志しているのですか?」



「……はい、一応」



「しかし」



 俄かに王妃の口調が厳しくなった。周囲の空気が張り詰めたものへと替わる。



「そなたは前回ここで叙任の儀式を済ませ、騎士に叙せられましたね」



「はい」



「その時そなたは、“私の臣下”となったのです」



「……」



 メグナツの顔から、一瞬にして血の気が引いた。



「つまりそなたは既に、自由騎士の身ではなくなったのです」




    『自由騎士の身ではなくなったのです』




       『自由騎士の身ではなくなったのです』




『自由騎士の身ではなくなったのです……』




「!?」



 脳内に木霊する声を聴いて、メグナツは心の中で頭を抱えて懊悩した。



 王妃は白い羽根の扇子で、優雅に顔を扇ぎながら言った。



「そんなに落胆することはありませんよ、メグナツ。わたくしの提案というのは、そなたに大変有益なことでもあるのですから」



「……」



 声こそ穏やかではあったが、王妃の言葉にメグナツはぞっとした。光という光を身辺に集めて煌々と輝く王妃の微笑が、罠を張る女郎蜘蛛に見えてくる。罠だ、これは絶対罠に違いない!……そう危機感を覚えるが、この状況を切り抜ける術が見付からない。恐ろしいがこのまま最後まで話を聞くしかなかった。



「そなたには、わたくし専属の部下になってもらい、わたくしが命じた物を各地を巡って、随時取りに行ってもらいたいのです。それと引換えに、自由騎士と称する権利を与えましょう」



「……」



 メグナツの額に冷汗が滲む。



「それを承諾するのであれば」



 王妃はそこで言葉を切り、含むように溜めてから言った。



「そうなったあかつきには、そなたから孫の代まで三代に渡り、年貢を免除することを約束します」



 メグナツは即答できなかった。困惑して、真紅の絨毯の一点を見詰め続ける。



「何故ぼくなんかにそんなお話を……」



 メグナツが恐縮の体で尋ねると、王妃はゆっくりと口角を上げた。



「そなたには素質があるからです」



 昂然とした声でそう言った。



「そんな、とんでもない! ぼくはまだ未熟者で、剣だってまだ上手く使えないし、馬にだって……」



 メグナツは慌てて糊塗しようとするが、王妃は否定するように静かに首を振った。



「技倆のことを言っているのではありません。それはこれから身に付けていけばよいことです。わたくしが言いたいのは、そなたは苦難を幸運に変える力を持っているということです」



 メグナツは当惑して目をしばたたかせた。



「前回そなたの祖父ガービネがミカエリスの人参の捕獲に失敗した時、そなたは見事にその代任を果たし、本物を入手することに成功しました。その時わたくしは確信したのです。――この少年には運命を変える不思議な力があると」



「そんな……!」



 メグナツは目を見張り、大袈裟に頭を振って否定した。



「あれは師の助言があったからこそ成功したんです! ぼくだけの力では絶対無理でした!」



 王妃は、自分というこの少年に期待を寄せている。それは喜ぶべきことなのかもしれないが、その責任という錘を背負わされたくないメグナツだった。



「それもそなたが持つ運の一つでしょう」



 王妃は半ば断定的に言うと



「ターウス」



 メグナツに構わず誰かを呼んだ。それを受け、細身で初老の男性が前に進み出た。カールした白い口髭に合わせて、白髪で縦巻きロールヘアのカツラを被っている。衣服は刺繍の入った紺色の長衣で、生地に光沢もあり、いかにも貴族か官吏といった出立ちだ。王妃が何やら目配せすると、彼は心得顔で頷いた。



 またあの人……



 彼を見てメグナツは想起した。以前王妃に謁見した時にもいた文官だと。くどくどとした話し方が特徴的だったのを覚えている。そのことは記憶にまだ新しかった。



「では」



 文官は口許に拳を当てて咳払いすると、淡々とした口調で、広げた羊皮紙の文面を読み上げた。



「一、汝は王妃殿下専属の部下となり、王妃殿下が望まれる品を随時取りに行く任を授かる。



一、それにより自由騎士と称する権利を得られることとする。



一、これらを承諾することにより、汝から孫の代まで三代に渡り年貢が免除される権利を得られることとする」



 読み上げて文官は文書を閉じると、引き下がった。



「どうですか、メグナツ。やってみる気になりましたか?」



 そう尋ねてきた王妃はにこやかにしているように見えたが、迂闊なことは言えないとメグナツは慎重に言葉を選んだ。



「……あの、もう少し考えさせていただけませんか? とても大事なことですし、家族とも話し合ってから決めたいので……あ、それに詳しい仕事内容も伺ってから」



 決めたいと思いますので――の部分の声が消え入るように小さくなる。王妃の顔色を伺いながら萎縮するメグナツだった。すると彼が言い終えた直後、扇子を仰ぐ王妃の手が止まった。



 やばい!……メグナツは直感的に、自分が王妃の不興を買ってしまったことを察した。金縛りにでもあったかのように、王妃を見たまま体が硬直する。時間の経過とともに、絨毯に突いているほうの膝の感覚が失われていく。



 どうしよう〜〜……!? 



 彼はこの時いろいろな意味で助けを求めていた。その永遠とも思えるような重圧の時間が過ぎ、訪れた時より徐々にやつれていくメグナツ。 



 その沈黙に閉ざされていた王妃の唇がようやく開かれた。



「今ここでお決めなさい」



 王妃の厳しい語気に、メグナツは狼狽えて目を泳がせた。



「今……でございますか?」



 王妃が黙って頷く。




 そんなぁぁ〜〜!?



 断崖絶壁に追い詰められた心境に陥るメグナツ。その背中に王妃の繊手が伸びてくる。やばい、うんと言わなければ、ぼくの運命は……



「心配には及びませんよ。その役割は、そなたの師ガーシュも務めてきたことなのですから」



「ガーシュ様が……」



 王妃は目を細め、柔らかく微笑した。



「彼は五年間務めてくれました」



「五年、でございますか?……」



 長いよ〜〜。メグナツは胸中で呻いた。



「五年」と小さく反芻する。



「やってみれば、そう長くは感じないでしょう。その間そなたは世界中を旅することができ、わたくしの一存で戦にも赴かなくて良いのです。もはや自由騎士同然と言っても過言ではないでしょう」



「……」



 自分の行きたい場所へ行けるならそうかもしれないけどね、とは口にせず、メグナツは胸中で悪態を吐いた。その五年の間に、他の弟子たちとの差がどんどん開いてしまう。僕が旅なんかしてる間に、みんな剣術や馬術が上達して……



 あの少年リュフトの顔が脳裏に浮かんだ。



 だめだだめだ、そんなこと気にしてる場合じゃない! 



 メグナツは堅く目を瞑ってそれを打ち消し、数瞬後――ぱっと開いた。



「殿下」



 決意を表するように、凛とした真っ直ぐな眼差しで王妃を仰ぐ。



「そのお話、お受けいたします」



「?」



 王妃の細い弧を描いた眉と目が、大きく上がった。前方に平伏した少年に、期待に満ちた視線が注がれる。



「まだまだ未熟者ですが、ぼくなんかでよろしければ……よろしくお願いします!」



 もはや迷いは晴れたのか、颯爽たるメグナツの言葉であった。



「そうですか」



 王妃の白い顔に、喜びを示す三本の弧が描かれる。扇子が白い鳥の羽ばたきとなって、大きく優雅に揺れた。



「では署名を」



 事務的な口調で文官が促した。部屋の一角にある卓へとメグナツを導く。インク壺と羽根ペンが置かれていた。メグナツはその羽根ペンにインクを付けて、渡された証文に自分の名前を書き込んだ。王妃は玉座からそれを確と見届ける。



「メグナツ、先に言っておきますが、これは命令ではなく“契約”です」



 静かだが、脳に刻印するような圧を蔵した王妃の言葉であった。とはいえ、反論を辞さない強要と同義であることには違いないのだが……



「ターウス」



 王妃が先程の文官を呼んだ。促された文官は咳払いすると、二枚目の文書を読み上げた。



「えー、では次に詳細について説明する」



 メグナツは緊張の面持ちで聞き入る。



「最初の派遣先は、イスターオだ」



「イスターオ? ってどこにあるんですか……」



 耳にしたことのない地名を告げられてメグナツは困惑した。すると文官は



「この地図を渡しておく」と言って、四つ折りにした羊皮紙をメグナツに手渡した。受け取ったメグナツがそれを広げて眺める。王都からこう〜〜行って南下して、川を渡って西の山を……う~ん、遠いなぁぁ。



 地図を見ただけでもうんざりするような距離だった。行くだけでも一週間以上、往復なら数週間は下らないだろう。こんな気が遠くなるようなことを任される仕事を五年も……ガーシュのことを心から尊敬してしまうメグナツであった。しかもこの親切すぎる解説付きッ! 



 書記官の縷々たる話展開中……



「シロロダイヤは海の結晶または星空の落とし物と言われる無色透明の鉱物で、その名の通りダイヤモンドに匹敵する硬度を誇り、その透明度と輝きはダイヤモンドを超えるとされ、イスターオ南西部の神話にも登場する海の宝石で、見る角度によって多彩に変化する反射光は、七色の陽光をそのまま結晶化したかのように眩く繊細に光り輝き、古の王侯貴族たちから深く愛されてきたが、発掘できる量は極めて少なく、約百年周期で発生してきたワロス山脈の噴火の振動によって割れた海底の隙間から現れるとされており、噴火が起きた今年は発掘時期と言われ、お洒落に敏感な姫君たちの間で話題を呼び、既に寝袋の森の美女、羊着姫、家具屋姫の三大美姫は冠や首飾りなどにして御愛用されているとのことであり、それが流行の発信源になっている。



 今回おぬしはその石を直接現地へ赴き、原価で仕入れ、ワロスの工房で装身具に仕立てててもらい、それを王妃陛下に献上することが任務である」



 書記官のほとんど一息にして紡がれる言葉に、聞いているほうが息苦しくなってくる。メグナツは軽い目眩を覚え、大きなアーモンド型の瞳をしばたたかせた。



「期限は……」



「期限は設けません」



 王妃はそう答え、さらに言葉が続く。



「ただし、途中で放棄したことが発覚した場合――契約は無効とします」



「……」



 不吉なものを感じとり、メグナツはごくりと生唾を飲み込んだ。



「そうですね、最初はふた月を目安にいたしましょう」



 王妃はそう言ってから微笑した。



 ふた月――充分な気もするが……



 メグナツは思案を巡らせた。行くまでは大変そうだが、あとはそれほど困難をしいられる用事とは思えない。



 そうだ! これはガーシュ様のような自由騎士になるための予行練習だと考えよう。そうなったら悪い奴や魔物と命をかけて闘わなくちゃいけないけど、王妃様は命までは取らない。だからそんなに恐れる必要なんかないんだ!



 しかしそうは分かっていても、今は魔王よりも目の前の王妃に対する脅威のほうが勝ってしまうメグナツであった。



「ではふた月後にまたここで会いましょう」



 王妃のその言葉で話は締め括られ、メグナツは低頭して白の間を辞した。

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