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第五話:ガルニブーケ砦にて

 メグナツがガルニブーケ砦に着いたのはその日の日没であった。魔法を使って駿足を手に入れたが、どうやら直進しかできないようだった。しかも急激に体力を消耗したため、ロバのリエローは疲労困憊して倒れてしまった。数時間休ませてから再出発し、その結果こんな時間帯になってしまったのである。



「ロバも災難だったな」



 ガーシュは豪快に口を開けて笑った。晩食の席である。背中に届くほど長い髪を後ろで束ね、鼻の下から顎にかけて囲むように髭を生やしたこの男こそ、メグナツの師その人であった。



 ガーシュは城主の留守中に、このガルニブーケ砦の守役として雇われた城代である。城主は高齢なため、後継者を探しに出たのだ。彼には息子が二人いたが、二人とも戦死してしまっていた。他の親族はというと、誰も来たがらなかった。南東に位置するこの砦は、崖の上に建っている。海上からの侵入を監視し、阻むために建てられたのだが、その海域は潮の流れが早いらしく、どの船も避けて通る。そのため攻めてくる敵も、来訪者さえも来ないまま、建物は年月とともに寂れていく一方であった。そんなわけで武勲を立てて出世することもできぬし、立地条件からして住み良いとは言えなかった。それが誰も来たがらない理由であった。



「あれのどこが自由だ」



「あの城主は二度と戻ってこないで、そのままぽっくり逝ってしまうかもしれないぞ」



 など言う人間もいたが、ガーシュに言わせればこれは



「おいしい仕事だ」ということになる。自由騎士と称する彼だが、その自由を得るにも金がいる。これはそのための資金稼ぎだ――彼はそう説くのだった。とはいえその資金も前払いで済まされており、延長分の行方は怪しいものだった。





 食事をする広間では、年端もゆかぬ少年の弟子たちが給仕をしていた。メグナツもそれに倣うが、師に進められて下座に座った。これはその後の場面である。



 自分の家へ伝達しに来た少年に対抗して、彼よりもっと早く移動して師を驚かせてやろうと思っていたメグナツだったが、とんだ大失敗であった。あの少年が魔法を使ったかどうか知りたかったが、話に出てこないので使ってはいないようだ。そうなると余計惨めになってしまうメグナツであった。



「まぁ、若いうちはいろいろ試してみることだ。失敗したことも教訓にすれば、これから何かの役に立つだろう」



 言ってガーシュは、ナイフで切った鶏肉のソテーを口に運んだ。



 メグナツは声を出さずに笑って返す。



 ふと見ると、給仕をする人間の中に“あの少年”の姿を見付けた。彼はガーシュの席に来ると、落ち着いた動作で空いた酒杯に酒壺で葡萄酒を注いだ。傾けた酒壺を起こして酒杯から離す。と、次の瞬間――



「!?」



「!?」



 二人の少年の視線が衝突した。去り際に振り向いた少年の排他的な目と、下座にいる少年の大きな目が火花を散らす。そこに弟子同士の抗争のようなものが勃発していた。



 数秒あるかないかの睨み合いではあったが、執拗なまでに厭な余韻を残す濃厚さであった。この時二人は、互いに相容れない関係であることを悟ったのである。









 崖の上にそそり立つ古城。露台に潮の馨を運んでくる風が舞う。咲き誇る花の傍で蝶が戯れ、枝に止まる鳥たちが、朝を知らせる合図のようにさえずり合う。いつしか太陽は暗幕を押し上げて顔を出し、地上を照らしていた。陽光が大気中に、虹色の光の輪を降り注ぐ。柑橘系果実の果汁のように爽快に弾けるようなその陽光を浴びて、メグナツは大きな目を眩しそうに細めた。朝一の空気を肺いっぱいに吸引する。雲一つない蒼穹を仰いで両手を広げ、そして降ろし、ゆっくりと息を吐き出した。朝の寒気が肌に染みるが、冬の厳しい寒さでもなく、またうだるような夏の暑さでもない。今が一番過ごしやすい時期だった。



 昨日からメグナツは、再びガーシュのもとで生活することになった。騎士に叙任されたとはいえ、称号だけである。ここで雑用をこなしながら、他の弟子たちと剣術の腕を磨き、自信が付いてから騎馬試合などにも参加して賞金を稼ぎ、その資金でガーシュのように各地を周りたかった。ガーシュから学んでおきたいことも、まだまだたくさんある。



「メグナツが騎士かぁ」



 背後から声がした。語尾があくびでだらしなく伸ばされる。



「ガーシュ……様?」



 城の外にいたメグナツは、振り向いて頭上を見上げると困惑した。三階の露台に立つ人影を見て。声は師のものだったが、特徴である顎髭が消えていたのだ。



「あの……髭は?」



 髭がなくなった顎を撫でながら、ガーシュは言った。



「葉巻に火を付ける時、彼女がマッチで焦がしてチリチリになったから剃った」



「葉巻は吸わなかったんじゃ……?」



「そうだ、俺は吸わない。髭に引火したら困るからな。あれだけ生え揃えるのに結構かかったんだぞ。それなのにだ。その髭を見て彼女が言ったんだ。『汚らしいから嫌いッ!』って」



 ガーシュは無念そうに頭を振った。それでジュッと? 恐ろしい……



「“彼女”って恋人ですか?」



「彼女は彼女だ」



 あっけらかんとガーシュが返す。



 メグナツが知らないだけかもしれないが、ガーシュが特定の女性と交際しているとは聞いたことがなかった。歳はまだ三十前だが、そろそろ妻帯してもよい歳である。しかし自由主義のガーシュは恋愛に関しても同じことが言えるのか、時々行く妓館で、その夜その場限りの短命な恋の花を咲かせるだけであった。そういう噂話を年長の弟子から聞かされたこともあり、それゆえにメグナツが疑ってしまうのだった。



「今日はまた、ずいぶんと早いお目覚めですね?」



「俺は王侯貴族ではないからな。昼まで寝ていたら身体が鈍ってしまう」



 実に快活なガーシュの口ぶりであった。この人が言うと皮肉も爽快に聞こえる。メグナツは師のそんなところが好きだった。 



「何してるんですか!?」



 不意の行動を見てメグナツは叫んだ。ガーシュが露台から飛び下りようとしているのだ。手摺に手をかけ、片足もその上に乗せている。しかも裸足だ。メグナツは慌てる手振りや身振りで、それを制止しようと叫ぶ。



「やめてください! その高さから墜ちたら絶対怪我しますよ。足が折れちゃいますって!」



 二階に露台はなく地面に直通だった。着地に失敗すれば、まず間違いなく大怪我をするだろう。



「ふっ……」



 ガーシュは体勢を崩さずに、不敵に微笑した。メグナツの位置からはその表情は分かりずらかったが、それは悪戯小僧、もしくは小悪魔的な美男子の笑みだった。髭のなくなった顎はひき締まっていて、洗練された印象さえ受ける。素顔はけっして巌のように武骨ではなかった。むしろ美男子である。



「それもそうだな。俺がまだ二十歳ぐらいだったらやれたかもしれないが……三十近いしな、やめておこう」



「そうしてください」



 メグナツは小動物を思わせる愛らしい顔を不安げに曇らせて、切にそう言った。ガーシュが手摺から足を降ろして露台に立つ。



「そうだメグナツ」



「なんですか?」



「お前が騎士になった祝いに妓館に連れてってやろう」



「!」



 メグナツは赤面した。



「妓館だなんて……ぼくにはまだ早すぎますよ。まだ十三なんですからっ!」



 慌てて激しく手を振って断る。ガーシュは露台の手摺に預けた腕に顎を乗せ、眼下に弟子を見下ろしながら思案した。



「十三かぁ、じゃあお前は、“俺の知り合いの女”ということにして……」



「どういう設定ですかっ!」



「そうすれば化粧とかでいろいろ誤魔化せるだろ?」



「ああ、なるほど。確かに顔を白く塗って、カツラ被って、ドレス着たりなんかしたら気付かれなそうですもんねぇ…………って! 駄目に決まってるでしょ!?」



「駄目か」



 顎に手を当てながら、空を仰いで黄昏るガーシュ。



「ところでメグナツ、お前に貸したあの『魔法の手引き』、あれ欲しいか?」



「え……」



 突然聞かれてメグナツは言葉に詰まった。すっかり忘れていた。そういえばまだ返していなかったことに気付く。



「欲しければお前にやるぞ」



「いいんですか?」



「ああ、俺にはもう必要ないからな」



「ありがとうございます〜!」



 メグナツは感激して、アーモンド型の大きな瞳を輝かせた。



「あれには魔法のことが基礎から書いてあるから、初心者でも使いやすいだろう。何かと使えるしな」



 ガーシュは含むように溜めてから、言葉を継いだ。



「そればかり使っていたら、剣の冴えがなくなった“間抜けな”奴もいるが」



 彼は鼻から笑声を漏らし、自嘲するような笑みを浮かべた。



「メグナツ、お前は魔法を使うのが好きか?」



「嫌いじゃないです……」



 するとガーシュは



「やはりな」と納得したように低声で独語した。



「魔法を使いこなせば、随分戦闘は楽になる。短時間で片を付けることも可能だ。その手軽さに嵌まれば――いずれ、剣は使わなくなるだろう」



「……」



「旅に出る時はあの本を持っていくといい」



 ガーシュは小さく笑い、手摺に預けていた腕を下ろし、背を向けた。



「待ってください! それじゃあ、ぼくは……」



 見切りを付けられたみたいじゃないか?――それを口にするのはあまりに哀しすぎた。脳裏に“あの少年”の面影が浮かぶ。



 彼は師に見込まれている。実績も残している。それに比べて自分は……どう思われているのだろう? 魔法の手引きをあげるから、それでおさらばか? 



「ガーシュ様……ぼくはもう、いらない弟子ってことですか!?」



 その声がガーシュの足を止めた。彼はゆっくりと振り返る。



「そんなことは言っていない。俺は自分を慕ってくれる人間を捨てたりはしない。ただ、お前が剣術ではなく魔術に目覚めたのなら、ここにいても意味がないだろう。俺が教えているのは魔術ではないからな。そう言いたかっただけだ」



 まるで突き放されたようだった。自分は必要とされていない。メグナツの心にそんな寂しさが燻った。



「どうするかは、お前が決めることだ」



 最後にそう付け加えて、ガーシュは部屋の中に戻ってしまった。









 地上に舞い降りた薄暮が、大気の温かさを冷却していく。昼にはない静寂が地上に広がった。着々と夜は近付いていた。その頃、弟子たちは晩食の支度に取りかかる。ガーシュが城代を務めるこのガルニブーケの砦には、ガーシュと弟子以外に料理人と召使いが数名おり、食事はガーシュ以外が役割を分担して行っていた。 



「よぉ、メグナツ!」



 厨房へ向かおうとしたメグナツは、後ろから声をかけられて立ち止まった。振り向くと、十歳ほど年長の兄弟子たちが、なにやらニヤニヤしながら近付いてきた。



「なぁ、ガーシュ様からもう“お誘い”の言葉をいただいたのか?」



「どうなんだどうなんだ?」



 顎がしゃくれ気味のほうがメグナツの肩に腕を回し、もう一人の小柄なほうは横からじゃれて肘でつつく。メグナツは



「あはは」と小さく愛想笑いした。“しゃくれ気味”がその頬を両手で掴む。



「照れるなよ〜妓館に誘われなかったか?」



 メグナツは頬を掴まれたまましゃべった。



「ひゃひょはひぇはひは(誘われました)」



「おお〜」



 兄弟子たちは歓声をあげた。同時に手が放されてメグナツの弾力の良い頬が瞬時にもとに戻る。



「じゃあ今晩行くんだろ?」



「……」



 しゃくれたほうの兄弟子の急かすような問いに、メグナツは苦笑した。



「ぼくは、まだ十三ですから」



「そんなこと心配するな。ガーシュ様がいれば、店の人間も目を瞑ってくれるってもんよ!」



「でも、まだ子供ですし」



 メグナツが断ったことを告げると、兄弟子たちは



「真面目だな」「つまんねぇ奴だなぁ」などとぼやきながら別館のほうに消えた。メグナツは一人厨房へ続く回廊を進んでいく。



「いい匂いだ」



 食欲を刺激する夕餉の匂いが漂ってきた。彼はその香ばしい匂いに、吸い寄せられるようにして厨房に足を踏み入れた。



「うわぁ、すごい!」



 入ってすぐメグナツは仰天した。卓上にずらりと、大小種類さまざまなチーズが並んでいたのである。彼はチーズが大好物なので、すっかり感激してしまった。アーモンド型の大きな瞳をさらに大きく見開いて、喜々として輝かせる。



「今日の晩食はチーズずくしかぁ、うれしいなぁ、早く食べたい〜」



 室内には食材が焼ける音や煮える音、その熱気が満ちていた。コックコートを羽織った、恰幅のいい中年男性が厨房に立っている。頭に縦長の帽子をかぶり、首にはネクタイを締め、湯気の立つ大鍋をかき混ぜたり、フライパンを豪快に振るって食材を炒めている。そうして出来上がった料理を、エプロンロドレスを着て頭に三角巾をした、尻のでかい中年女性が皿に盛る。彼らは夫婦で、旦那が主食担当、嫁が簡単な前菜を作ったり、盛り付けなどを担当している。それをメグナツら弟子たちが、食事をする広間へと運ぶのだ。召使いたちは野菜を洗ったり、後片付けなどを任されている。



「クミンさん、これぼくたちの分もあるよね?」



 チーズのことが気になって仕方がなかったメグナツは、料理人の嫁に尋ねた。クミンは作業しながら、ちらりとだけ見て答える。



「あるよ」



「よかったぁ〜」



 メグナツはそれを聞いて心からほっとした。ついでに一つ摘んでみよう〜っ! と手を伸ばすと



「こらっ!」



 すかさずクミンに手をはたかれ、メグナツは「痛っ!」と呻いて手を引っ込めた。



「メグナツ」



 そこに同年輩の弟子で、ガノーレという少年がやってきた。



「そのチーズ、チーズ好きなお前のために、ガーシュ様が用意してくださったんだぞ。わざわざ町に使いまで出して」



「そうなんだぁ……」



 メグナツは、きょとんとした。



「本当だったら騎士に叙任された奴は、妓館に連れてってもらえるはずなんだが、お前はまだガキだからだろうな」



「こっちのほうがうれしいよ〜、ガーシュ様大好きッ!」



 メグナツは顔をくしゃっとさせて喜んだ。目の前に大好物が並んでいるだけで、充分幸せだった。満ちたりた気分が焼いたチーズのように、心と目をとろけさせていく。大きな瞳が憧憬にも似た眼差しで、卓上のそれをじっと眺める。その姿は、飼い主に餌をおあずけにされている小動物のようだった。



「お前、本当リスみたいだな」



 ガノーレは小さく笑った。メグナツの様子があまりにも可愛らしくて、なんだか餌をあげたくなる。



 そこへもう一人少年がやってきた。メグナツたちと同じように、チュニックにズボンという出立ちだった。髪と瞳の色は茶色く、目鼻立ちは端正と言ってもよかったが、これといって特徴がない。ただ眼差しは凛としており、芯の強さのようなものが窺える。



 あれは……?



 メグナツは心に警戒網を張った。前日の晩餐の時に、メグナツに強烈な印象を焼き付けた、“あの少年”がそこに現れたのだ。 



「リュフト、お前、今までどこ行ってたんだ?」



 ガノーレが話しかけると“リュフト”と呼ばれた少年は、メグナツをちらりと見やりながら答えた。



「ガーシュ様に頼まれて、町に食材の買い出しに行っていた」



「じゃあ、もしかしてお前がこれを買ってきたのか!?」



「ああ」とリュフトが不愛想な顔で頷く。



「で、どこまで行ってたんだ?」



「ミコサバル」



「そんな遠くまで!? じゃあ、まだ戻ってきたばかりなんだろ?」



「ああ」



「ならまだ休んでろよ。そんな忙しくないし」



 ガノーレがリュフトを労って



「御苦労さん」と背中を押して退室を促す。



「あ、あの……」



 退室しようとしたリュフトを、メグナツが消極的な声で呼び止めた。



「ありがとう……チーズ、わざわざ遠くまで買いに行ってくれて」



「……」



 リュフトは気にも止めないような顔をした。メグナツの目をろくに見もせずに答える。



「君のために行ったわけじゃないから、礼なんか言う必要はない。おれは、ガーシュ様に頼まれたから行っただけだ」



「……ッ」



 メグナツは、なんだこいつ!? と目を剝き、思い切り頬を膨らませた。一瞬でも心を許してしまった自分自身にも腹が立つ。悔しくてくやしくて、心の中で百回以上、地団太を踏んだ。



 ガノーレが横に来て耳打ちする。



「気にするな。“あいつ”はちょっと、ぶっきらぼうなんだ」



「……」



 しかしムカつきが収まらないメグナツは、敵意を燃やした目でリュフトを睨む。すると出ていくのかと思ったリュフトが、ナプキンや取り皿を持って広間へ向かった。それを見るなりガノーレが、壁際にメグナツを招き寄せる。



「あいつは事情ありらしいんだ……」



「わけあり?」



 不思議そうに目を丸めるメグナツに、ガノーレは「うん」と頷いた。



 リュフトがこのガルニブーケ砦に来たのは、一月ほど前だという。それはガーシュが近隣の港町に用事があって赴いていた日のこと。彼は帰る途中、ぶらりと海岸に立ち寄った。すると海面を漂う怪しげな物体が目に入った。流木に何かがぶら下がっている。それが妙に気になったガーシュは、流れてくるのを待つことにした。やがて目で確認できる位置まで流れてきたそれは、人だった。



「それが“あいつ”さ」 



 ガノーレは、リュフトが向かった広間のほうを尻目に見て言った。



「……!」



 メグナツは唖然として、口を開けたまま瞬きする。



 その人間を引き上げるとまだ意識が残っており、虚ろな目で何か呻いていた。衣服などの特徴から少年だと判断できたが、海水に浸った髪や衣服には海草が絡み付いており、すっかり衰弱しきっていた。



「どこから来たのか」



「何故、海に落ちたのか」



「どこの誰なのか」



 それらの質問に答えられず、全く身元が分からない。そのため仕方なく、ガーシュは宿をとってその少年を休ませ、様子を見ることにした。しかし結局少年は、何も思い出さなかった。とはいえ見知らぬ土地に十代そこそこにしか見えない少年が、一人置き去りにされては、さぞ心細いことだろう。そう思ったガーシュは、その少年を砦に連れて帰ることにした。



「ガーシュ様らしい」



 メグナツは納得の笑みを浮かべたが



「じゃあ、あの名前は? 名前だけ思い出したってこと?」



 すぐに疑問が浮かんで首を傾げた。



 ガノーレが頭を振る。



「それがなぁ」



「?」



 声を潜めてガノーレは手招きした。



 とっておきのネタでもあるのか、彼は得意げにニヤリとした。



「あいつが唯一身に着けていた、装身具があったんだ」



「装身具? て、どんな?」



 メグナツはきょとんとして、大きな瞳を丸くした。



「足に金の輪を嵌めてたらしい。珍しいだろ? その内側に名前が刻んであったんだってさ」



「そうだったんだ……」



 興味深げにメグナツが頷いていると、そこへ噂の“張本人”が戻ってきた。メグナツたちと視線がぶつかる。ガノーレは何も言わずにメグナツの肩を叩くと、何事もなかったかのようにリュフトに声をかけ、自分も作業に加わった。メグナツもそれに倣い、そそくさと動き出す。



「メグナツさんいますか――!?」



 そこに突然、召使いの男が慌しく駆け込んで来た。「騒々しいねぇ」とクミンが不快そうな顔でそちらを睨む。



「いるけど……」



 作業に取り掛かろうとしていたメグナツが振り向き、緊張感のない顔で答える。



「すぐに来てください!」



 召使いの男があまりにも切羽詰まったような顔で急かすので、メグナツは仕方なく準備に取り掛かっている他の弟子に断ってから、厨房を後にした。



 召使いの話によると、メグナツを訪ねて王都から使者が来ているとのことだった。今更何の用だろう? とメグナツは思考を巡らした。





 召使いに導かれて回廊を渡り、屋外に出た。そこから城門前までやって来ると、見張りの兵士と数騎の騎馬の姿が目に入った。ガーシュの姿もある。案内し終えた召使いは、ガーシュから労いの言葉をもらうと低頭していなくなった。



「メグナツ」



 ガーシュに手招きされて、メグナツは歩み寄った。メグナツが低頭すると使者は目礼し、淡々とした口調で言った。



「王妃陛下より御命令を賜った。おぬしに話したいことがあるゆえ、ただちに王都に連れて来るようにと」



「ちょ、ちょっと待ってください」



 メグナツの両脇に兵士が群がり、腕を掴む。メグナツは、地面に足を踏ん張って抵抗した。



「話ってなんなんですか!?」



 不安に駆られ、使者に向かって喚くが



「詳しくは聞いていない」



「そんな……」



 メグナツは失意に嘆く表情で使者を仰ぎ、次いでガーシュを見た。



「ガーシュ様……!」



 背中を押され体を引きずられ、兵士たちに連れられて行く。背後の師を振り返り助けを請うが――師は制止しようとはせず、静かに佇んでいるだけだった。



「王妃陛下のお話を伺って来い、メグナツ。場合によっては新たな道が開けるかもしれん」



「どういう意味ですか?」



 ガーシュは答えず、言外の意味を理解しかねたメグナツは、すっかり困惑の表情だった。兵士らに誘導されて馬車の前まで来ると、強制的にその中に押し込まれてしまう。



 それを見届けるガーシュは、一人含むようにほくそ笑むのだった。




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