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第四話:ロバに乗った少年の紀行

 森を抜けて北西に進路をとる。めざす王都はその方角にあるのだった。完全な闇に墜ちる前の夜空に、薄青白い月が浮かんでいるのが目に映る。輪郭がぼやけた朧月だった。その空の下をロバで駆けていく。頬に当たる風は刺すように冷たく、夜気にはまだ冬の名残があった。



 王都まで行くのに二日かかる。途中ロバを休ませてやらなくてはならず、メグナツは月を愛でる暇も惜しんで前進した。地図は持っておらず、太陽の位置や感覚だけが頼りだった。やがて祖父から話に聞いていた小さな村を発見すると、そこの宿屋に泊まった。






 明朝出立してさらに北西を目指した。行く先々で立ち寄った村の人に尋ねるなどして、方向を確かめながら進んでいく。休息と前進を繰り返しながら、ようやく王都近辺まで辿り着いた。家を出発してから三日後のことである。前日の晩は宿が取れなかった。そのため東の空から昇り始める太陽を、メグナツは外套に身を包んで少し震えながら、洞穴の中から眺めることになったのだった。



 ロバのリエローは四肢を折り畳み、焚き火に当ってぬくぬくと眠っていた。その火はメグナツが魔法の手引きを読んで発生させたものだった。



「どうやって消そうかな」



 何回か使っているうちにメグナツは、魔法を使うことが楽しくなってきた。風にゆらめく橙色と黄金色を帯びた焚き火の炎を見詰めながら、瞳を輝かせて思案する。そうだ……!



 メグナツは閃いた、と掌を拳で打ち、やはりというか魔法の手引きを広げた。楽しげにその頁をめくっていく。



「よし、これをやってみよう!」



 冷気の中にやわらかな日差しが入ってきた。いつの間にかすっかり夜が明けていたのだ。夜が明けたらそこを出るつもりだった。メグナツは広げた魔法の手引きを見ながらある呪文を唱えた。



 詠唱を終えると



「ッ!?」



 リエローは目を剥いた。焚き火の炎が水色の炎――いや、氷塊に取って代わったのである。彫刻に似た鋭角さはあるが、先端に向かって細くうねるそれは、まるで炎をそのまま凍らせたかのように見えた。しかし形こそ似ているが、暖かくもないどころか冷気を出している。驚いた上にこんなものまで出してくれた主人を、ロバのリエローは不服の念をぶつけて睨むのだった。



  






 城門前には、早朝だというのに長蛇の列ができていた。苦情や陳情などを述べにきた住民たちのようであった。門はすぐには開かれず、待つこと数時間。太陽の高度は中天よりやや高く、城の尖塔に乗っかっているように見えた。うららかな春の朝日である。その頃ようやくして門が開き、跳ね橋が降ろされた。兵士が一人ひとり見て、入城の可否を判断していく。メグナツはその列に並ぶと、緊張してそわそわしながら自分の番が回って来るのを待った。ロバのリエローを、その傍らに綱で引いて従えながら、少しずつ前に進んでいく。



「次」



 メグナツの番がきた。兵士に促され、メグナツは緊張に少しこわ張った面持ちで前に進み出た。



「えっと、ぼくはじい……っ祖父の代理にミカエリスのニンジンを届けにきました。王妃、殿下にッ!」



「何、王妃殿下にだと?」



 兵士は片眉を上げて、不審そうな目でメグナツを見やった。メグナツは「本当ですよ!」と目で強く訴えかける。



「じゃあ、それを見せてみろ」



「はいッ」



 メグナツは、いそいそと背中に背負った雑嚢の中からニンジンを取り出した。



「ふ〜む」



「あのぉ、お見せすれば分かると思います。渦巻き眼鏡の学者さんとかにッ」



 唸って眺めるだけの兵士を見て、これでは埒が明かないと思ったメグナツは声を荒げた。愛馬ハイカラ号の安否が気掛かりだったのだ。王妃殿下というお方が、どの程度ご寛容な心をお持ちであるのか窺い知れぬ故に。



「おい、これをルトソー博士に見せて、ミカエリスのニンジンであるか確認してこい!」



 指示された新米兵士が、ニンジンを持って城内に駆けて行く。



「次」



 検問が再開された。確認しに行った兵士が戻ってくるまで、メグナツは脇に外れて結果を待つ。時間が経過するとともに苛立ちが募り、彼は重たい雑嚢を抱えてしゃがみ込んだ。



 間もなくして声が響いた。



「隊長、確認してきました!」



 先程の新米兵士が駆けて戻ってきたのだ。手に持っていたはずのニンジンが消えている。



「どうだった?」



 検問をしていた隊長らしき兵士が振り向いて尋ねると、新米兵士は息を切らしながら言った。



「すぐに……全て持ってこさせるようにと」



「本物だったのか?」と聞かれて大きく頷く。



 メグナツはいじけて地面に尻を着き、木の実をかじるリスのように抱えた雑嚢に頭をもたげていたが、呼ばれてすぐに立ち上がった。



 別の兵士がやって来て、メグナツは城の中へと案内される。廊下で擦れ違う兵士や役人から、こいつは何者か? と物珍しさと懐疑心が混ざったような視線を注がれた。その視線の圧力に本来人見知りではないはずのメグナツも頬を仄かに赤らめ、俯き加減になりながら兵士に付いていく。



 案内されたのは、壁、扉、その他の調度品などが徹底して白を基調とした物で統一された部屋であった。兵士の話によるとそこは『白の間』と呼ばれる謁見の間らしい。



「ミカエリスの泉の側に生える丸みを帯びた双葉の草に浮かぶ朝露を吸う水色の蝶の近くにだいたいいる虎模様をした脚の短い馬顔の獣が好んで食べる黄色く女体さながらに腰が括れた野菜ミカエリスのニンジンにこれは間違いないな?」



 白い縦巻きロールのかつらを被った貴族風の文官が、縷々とした一文に乗せて言った。



「はい、間違いありません」



 まだなお懐疑するような眼差しを向け、くどいほど詳細を確認してくる文官に、メグナツは短くきっぱりとそう返事した。学者が本物だと認めた時点で答えは出ているのに……と内心でぼやく。



 メグナツは、採ってきたニンジンを王妃に献上すれば帰れるものだとばかり思っていたのだが、王妃の御前に招かれてしまった。作法も何も分からないメグナツは落ち着かない。ただただ低頭するだけだった。誰かに言われてから慌てて跪く。



 王妃は眩い輝きを放つ女性に見えた。頭にはダイヤをちりばめたティアラを、首にも同じ細工を施したダイヤの首飾りを身につけていた。ドレスには絹に金糸の刺繍や宝石類が縫い付けられている。その姿をしきりに煌煌と照らす光があった。部屋を囲むように設置された硝子細工が、陽光を反射・屈折させ、黄や虹色の残滓を部屋中にばらまいていたのだ。さらには彼女の頭上を巨大なシャンデリアが照らし、四方八方から彼女に向かって光が注がれていた。完全に計算された採光設計の部屋である。メグナツは、なんか光ってるなと思いはしたが、その意味を勘ぐるようなことはしなかった。とはいえ、その光を巧みに活用した部屋と王妃自身の輝きぶりには圧倒されていた。



 美に対して異常なまでの執着心を持っているこの王妃は、ミカエリスのニンジンを手にしたことですっかりご満悦だった。学者に確認させるために持たせたニンジンは、しばらく王妃の手元に置かれていた。皿の上に乗せたそれを恍惚とした表情でしばらく眺める。先程侍従がそれを預かって調理場に持っていった。



 手に持った白い羽根の扇子の向こうで、王妃の口許は弛みっ放しだった。“食べれば十歳若返る”という謳い文句が堪らない。その効果を夢見る乙女の心は、草原を駆ける無邪気な少女のごとく弾むのだった。そして話は思わぬ方向へ――



「そなたは見習い騎士だそうですね?」



 メグナツの功を称え、彼をいたく気に入った王妃は



「そなたを騎士に叙任いたしましょう」



 そう提案し、間もなくその儀式が行われたのである。






 叙任の儀式を済ませたメグナツは、実感が持てぬまま騎士になっていた。とんとん拍子に事が運んで、気持ちを置いてかれたような気分である。質に置かれていた馬、ハイカラ号は解放されたが、怪我をしていて歩行ができないため、荷台に乗せて運ばれた。ロバのリエローは褒美として、そのままメグナツの物になった。




 来る時と同じく、帰るのに三日かかった。せっかく戻ってきた馬(ハイカラ号)であったが、すぐに馬を専門に扱っている医院に預けられた。メグナツの祖父ガービネだが、彼は騎士を引退してしまった。孫が騎士になってくれてたので、丁度いい辞め時が来たといった所か。メグナツはそれが少しさびしかったが、馬に乗れないのでは仕方がないと自分を納得させた。



 彼はすぐにこの報せを持ってロバを駆った。師ガーシュに報告するためである。ガーシュは自由騎士と自称する騎士で、現在は本国の南部に位置する砦を任されていた。



 そこまでの道程は長かった。本来なら丸一日かけて行くような場所である。それを伝達に来た“あの少年”は、たったの数時間で成し遂げた。そんなに短時間でよく来れたものだと関心する。と同時に、彼に対して対抗意識のようなものが芽生えるメグナツだった。



「急ぐぞ、リエロー!」



 横腹を蹴ってロバを煽る。このロバはロバにしては良い走りっぷりを見せるが、とうてい馬には及ばない。このままではあの少年のように短時間で着かない! 無意識のうちにあの少年と張り合っているメグナツであった。



 あの少年はガーシュ様に見込まれている。だからあんな急用を頼まれたんだ! こいつならやってくれると思われて。



 あの子はぼくと同年輩に見えた。多分まだ見習いだろう。なのにあんな……



「?」



 メグナツの脳裏に何かが閃いた。



 もしかしたら……



 彼はロバを止めて、背中に背負った雑嚢の口を広げた。



「これだ」



 ここで使うのはある意味、禁忌を犯しているような気がしたが……



 メグナツは、手にしたそれを広げて頁をめくった。『魔法の手引き』である。



 両足でロバの胴を挟み、ゆっくり歩かせながら書面に目を通す。使えそうな魔法がないか探した。



「あった、これだ!」



『駿足になる』と書かれた頁を見付けた。メグナツは瞳を輝かせ、その魔法をロバにかけてみることにした。さっそく降りてロバの横に立つ。



「リエロー、今からお前を馬みたいに、早く走れるようにしてあげるからねッ」



「……」



 少し得意気な主人の顔を、ロバは解せない無関心な顔でちらりと見やった。



「ハマツハマツハマツハマツハマツハマツ……シルハケルカイスイスイス――――っっ!」



 メグナツが豪快に呪文を言い放った途端。



「ッ?」



 ロバ、リエローの肢体がふわりと浮上し、四肢が曠野の地面から浮上した。



「待って!」



 慌ててその背に、メグナツが飛び乗る。



 とほぼ同時に、ロバは発進した。






「どこだろう?」



 十数分後。周りを山々に囲まれた辺境の地に、途方に暮れた二つの影があった。







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