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第二話:【マウガル】の呪い  


 老騎士が森を抜けて街道に出たのは、太陽が西の地平線に触れた頃であった。薄暮の帳に覆われていく空の下を彼は馬を走らせる。あれから締めつけられるような心臓の息苦しさは治まっていた。馬を疾駆させることにより、負の念を追い払うことができたのかもしれない。



 思わぬ事態に恐れを成し、それでもなお彼は任務を遂行していた。何事もなくここまで来た。あとは“これ”を届けるだけだ。馬足を緩めると、しだいに不安が蘇ってきた。陽が完全に沈むより早く、彼の気持ちは暗闇に墜ちていった。



 “あの言葉”が気にかかる。



「っ!」



 彼は頭を振って気を散らした。



 ――今日はもう遅い。明日王都に赴こう。



 こうして彼はひとまず家路に着いたのだった。






 漆黒の闇に宝石をちりばめたような星の瞬きが浮かぶ。街から外れた小さな村の一角に老騎士の自宅はあった。彼は騎士としてその村を管轄する領主に仕えているが、息子は戦闘を嫌い、農夫として妻子と仲むつまじく平穏な暮らしを営んでいる。彼には息子が二人いて、最近花嫁をもらった長男が後継者になっていた。



 もう一人の息子はというと、父親とは気質が違うというのか、やんちゃ坊主であった。現在、祖父である老騎士の知り合いの騎士のもとに預けて、修行させている。便りがないのは元気にやっているということか……そうは分かっていても、時には孫が恋しくなる老騎士だった。どことなく似ている、少年時代の自分と重ね……




 老騎士は月明りを頼りに夜道を進んで行った。やがて前方に灯が点々と光る集落の影が見えてくる。安穏な空気に満ちたその村には、不幸など無縁に思えた。自宅が目前という所まで辿り着くと、自宅の玄関から人が出てきた。



「じいちゃん!」



「メグナツ?」



 ランプを片手にした人影から声を聞いた老騎士は、感激のあまり馬腹を蹴って加速した。突進すると見せかけて、丁度良い位置で停止するのだ。蛇行した道を馬蹄が軽快な律動を刻んでいく。馬、騎手ともに慣れ親しんだ道だった。夜目が効かずとも関係ない。月夜に彼らは舞踏しているかのように、華麗に映っていただろう。



「ああ……!」



 そう声を漏らしたのは孫のメグナツだった。老騎士(祖父)の巧みな馬術を見て歓呼したからではない。彼は嘆いていたのだ。



 たて髪を揺らし、勇壮に駆け抜ける灰色の馬。それを操る鎧姿の騎士。彼は笑っていたであろう。瞳を少年のように輝かせ。祖父はそういう人であった。暗闇にもその姿は見て取れた。心の中では……



 この後不運が待ち受けているとは、馬も騎手も知らなぬことであった。



「じいちゃん……っっ!?」



「メグ……ナツ」



 老騎士と馬は、闇のそのまた奥にある闇の中に堕ちていた。





「こんなことになるなんて……」



 老騎士(祖父)のもとへ駆け寄ったメグナツは、その惨事を見ておろおろするばかりであった。



 祖父達を襲った闇とは穴だった。最近燐村で偶然掘った庭先から温泉が沸き出た、との噂を旅人からこっそり教えてもらったという母親が、長男に掘らせたのだ。それは庭の片隅にあった。まさかそんな所に堂々と……その心理を巧みに利用した、まさに“穴場”である。メグナツは、たまたまこの日帰郷してそれを知った。そしてつい先程、“帰ってき義父に見付かったら叱られるから、夜は隠さないといけないの!”と母親が喚くので、仕方なくメグナツが木の板で蓋をして、そこに枯れ葉を敷き詰めて誤魔化したのだ。それがまさか、こんな悲劇を生むとは。



「可哀相なじいちゃん……」



 兄が5日続けて掘ったという穴は幅は狭いが奥行きがあり、祖父と馬はその穴に、花瓶に挿した花のようにすっぽりと嵌まっていた。穴から祖父の両腕両足と愛馬ハイカラ号の長首が飛び出ている。その光景を見てメグナツはいたたまれなくなった。そして途方に暮れたが、兄を呼んで祖父だけは引き上げることができた。



「馬をどうしよう」



 落下した時足を折ってしまった祖父を寝室のベッドに寝かせ、兄とメグナツは別室で話していた。兄の問いに



「う〜ん……」



 メグナツは首を傾げて唸ることしかできなかった。すぐには答えが出せないが、引き上げられなければどうなるかは決まっている。衰弱していく馬をいつまでも放置しておくことはできない。いずれ誰かが殺してやることになるだろう。そう考えると気が重くなる二人だった。溜め息ばかりが増えていく。やがて



「やれるだけのことはやってみよう!」



 メグナツは兄を活気づけるようにそう切りだした。大好きな祖父のためでもある。あの馬“ハイカラ号”はメグナツが幼い頃から知っている馬だ。この家で共に育ってきた仲間、家族でもある。彼を失いたくない。そして何よりも、その馬を愛する祖父を悲しませたくなかった。





 明くる日の朝から祖父は熱を出した。うわ言で「ニンジン、ニンジン」と繰り返す。そんな日の午後、思いがけない来訪者がメグナツの家を訪れた。祖父を訪ねて来た城からの使者だった。しかし祖父が熱に浮かされて応対ができないと分かると



「また来る」とだけ告げて去って行った。



 そしてさらに明くる日、また同じ使者が現れた。今度は数十名の兵士を引き連れていた。いったい何をされるのかとメグナツや家族はたいそう不安になったが、その後兵士らが向かったのは“あの穴”だった。彼らは持参してきた掘削作業用の道具を使って、穴の周りを掘り崩し始めたのである。そこに墜ちた馬を助けてくれるというのか? メグナツも見ていた家族もその意図が分からず、表情に複雑な色を浮かべて見守る。やがて倍以上に穴が広がると、兵士の一人が布に薬品を染み込ませ、それを馬に嗅がせた。すると馬の目が空ろになり、ふらつき始めた。



「何するんだ!?」



 馬を殺されるかもしれない、という危機感を覚えてメグナツが叫んだ。すると面倒そうに兵士の一人が言った。



「眠り薬を嗅がせただけだ。暴れられたら作業がはかどらんからな」



「そ、そうだったんだ……」



 メグナツはほっと胸を撫で下ろした。



 次に兵士らは、穴に分厚い木の板を差し込んだ。すると穴の下に兵士らが続々と滑り降りていく。屈強そうな兵士が馬を囲んで群がり、彼らは馬に縄を括り付けた。待機していた地上の兵士がその縄を受け取る。



「よ〜し、持ち上げろぉ!」



 大将らしき兵士が指示を出し、それに応じて他の兵士たちが掛け声を上げる。穴の下からは馬が乗った板を押し上げ、地上では残りの兵士たちが馬が板から墜ちぬように、括り付けた縄で舵を取る。彼らの働きは見事なもので、無事馬は地上に上げられた。



「良かった!」



 拍手と喝采が沸き起こる。メグナツは愛馬のもとへと駆け寄り、目を潤ませながらその巨体に頬を寄せた。



 そこに使者が歩み寄った。気配を感じたメグナツが顔を向ける。



「この馬は預かっておく」



「何で!?」



 メグナツに構わず使者は



「連れていけ」と兵士に促す。ハイカラ号は兵士達によって荷台に乗せられてしまった。



「ハイカラ号!〜」



 メグナツの声にハイカラ号は瞼を半開きにしたまま反応を示さなかった。まだ薬が効いているらしい。



「待ってよ!」



 メグナツは駆け寄ろうとしたが、兵士に妨害されてしまった。まだ華奢な少年の体では、大人でしかも屈強な男に、力で敵うはずもなかった。簡単に跳ね返されてしまう。尻は突かなかったが、地面に手を突いてしまった彼は悔しさを噛み締めた。突き飛ばした兵士を睨んだ後、踵を返して使者に接近する。



「何故うちの馬を連れて行こうとするんですか!?」



 肩を怒らせて抗議したが、使者は毅然として表情を崩さなかった。納得のいかないメグナツだったが、背中に鋭い視線を感じて周りを見ると、兵士たちの視線がすべて自分に向けられていることに気付いて狼狽した。メグナツがもし妙な動きでも見せようものなら、一斉に切りかかってくるつもりだろう。



 使者が言葉を紡いだ。



「王妃殿下の仰せだ。お前の祖父ガービネが、頼まれた品を陛下のもとに献上するまで、馬を質におくようにと」



「……」



 メグナツは眉根を寄せて当惑するが、すぐに聞き返した。



「その品というのは何なんですか?」



「ミカエリスのニンジンだ」



「『ミカエリスのニンジン』?……ちょっと待っててください。今、じいちゃんに聞いてきますから!」



 メグナツは手振りを使って必死に懇願し、使者を引き止めた。家に向かって全力疾走し、祖父の眠る寝室へと駆け付ける。



「じいちゃん、ニンジンどこ!?……“ミカエリス”のっ!」



 返事がなく焦ったメグナツは、乱暴に寝台の上掛けを捲り上げた。



「じいちゃん?」



 そこはもぬけの殻だった。



「どこ行ったんだよ、じいちゃん……」



 混乱して頭をかきむしる。と誰かが部屋を訪れた。



「おお、メグナツ〜!」



 懐かしい声がして振り向く。



「じいちゃん!?」



 開いた扉の前に杖を突いて立つ人物のもとへと、メグナツはすぐさま駆け寄った。



「じいちゃん、大変なんだ!」



「その前に挨拶しておくれ」



「……じいちゃん、お口くさい」



 接吻。それがこの孫と祖父間に昔から交わされてきた流儀だった。この時は唇にだった。そんな時もある。慣れてしまった孫は意に介さない。



「メグナツ、剣は上達したか?」



「ま、まぁ……」



「そうかそうか」



 祖父――ガービネは孫にデレデレだった。今度は頬を擦り寄せる。かわいくて仕方がないのである。メグナツはいわゆる美少年で、栗色の髪とアーモンド型の大きな瞳を持つ、小動物――特にリス――のように愛らしい少年だ。祖父曰く、“初恋の子”に似ているらしい。性別はなんとなく聞くのを躊躇ってしまうメグナツであった。



「あ、それより大変なんだ!」



「ん?」



「お城から使者が来て、王妃様に頼まれたミカエリスのニンジンを渡さないと、ハイカラ号を連れてくって……」



「何っ!?」



「今、外で待たせてるんだ。早くしないと帰っちゃう!」



 ガービネは「分かった」と心得ると、自分の荷物をあさった。



「あれは不気味な獣の棲まう森から採ってきた、貴重な品なんだ……」



 獣に脅された恐ろしい体験談を零しながら、孫と共にそれを探した。



「あった!」



「よっしゃ、貸して!」



 祖父からニンジンを受け取るなり、メグナツは部屋を飛び出して行った。






 外には使者の姿がまだ残っていた。荷台を繋いだ馬車もまだ停まっている。ハイカラ号は無事のようだ。



「持ってきました!」



 メグナツは使者のもとへ駆け寄り、頼まれたという品を差し出した。先程のニンジンである。使者はそれを受け取ると



「どうだ?」と傍らにいた髪も髭も無精に伸ばし、怪しげな渦巻き眼鏡をかけた男性に見せた。すると男性は書物を広げて、そのニンジンとを照らし合わせた。しばらく唸った後、使者に小声で耳打ちする。



「そうか」 



 使者が頷き、彼と渦巻き眼鏡の男性は、ともに不審そうな表情になった。その視線がメグナツに向けられる。



「……?」



 メグナツは戸惑う。



 使者が歩み寄ってきた。



「え?」



 ニンジンを返され、メグナツは困惑した。



「これはミカエリスのニンジンではない」



「嘘?」



「似ているが、珍しくもないただのニンジンだ」



「そんな馬鹿な!?……これはじいちゃんが不気味な獣の棲む森で、苦労して採ってきたって……」



「待ってくれ――!」



 開いた玄関の扉から



「じいちゃん……?」



 杖を突いたガービネが姿を現した。メグナツが駆け寄って祖父の体を支える。



「じいちゃん、まだ病み上がりなのに……」



 孫に支えられながら、ガービネは使者のもとへ歩み寄った。



「ガービネか」



「わしが採ってきたニンジンがご不満かな?」



「じいちゃん、かっこいい……」



 先程のデレデレな姿とは打って変わって、この時の祖父は威風堂々として見えた。メグナツはその凛々しい様を畏敬の眼差しで見詰める。



 使者が冷厳な眼差しを向けて言った。



「今、学者に調べさせた結果、これはミカエリスのニンジンではないことが判明した」



「そんなはずはない! これはわしがケモノアシの森へ赴き、そこにあるミカエリスの泉から採ってきた確かな物だ。馬の顔をした虎模様の獣がおったので、間違ってはいないはず……!」



「だが、仕方ない。偽物を献上するわけにはいかぬ」



「くく……っっ!」



 ガービネが唇を歪め、苦悶の声を漏らす。



 すると使者は目配せして、学者に書物を広げさせた。学者が頁の一部を指で押さえ、ガービネ側に向ける。



 使者が言った。



「これがミカエリスのニンジンだ。本物はこのように艶めかしいほど括れている。色も薄くて黄色い。しかし、おぬしが採ってきたニンジンは橙色で、括れ方も微妙だ」



「……」



 確かに見本と比べると別物に見えた。自分が採ってきたニンジンを改めて見たガービネは、返す言葉が見付からなかった。



「その獣に幻覚でも見せられて偽物を掴まされたか、おぬしの記憶と証言とが食い違っているのか……いずれにしろ品を受け取れなかったからには王妃殿下の御命令通り、あの馬を質として預からせてもらう」



 使者は眉一つ動かさず、断絶的にそう言い渡した。



「待ってくれ! 馬がなくなったら……」



「替わりにロバを与える。殿下のご厚情だ、感謝しろ」



「ロバ?」



「それで採りに行け」



「でも、じいちゃん怪我してるんです! 怪我が直るまで待ってもらえませんか?」



 メグナツが祖父を擁護しようとして叫んだ。拝むように両手を組み、大きな瞳を潤ませながら懇願する。大抵の大人はこれで落ちる――そんな邪な考えは彼にはなかったが。その姿はまさにリスだった。“美少年のリス”である。



「……」



 少し間が生じたが――



「ここまで帰り着けたなら、大した怪我ではないと思うが」



 彼には通用しなかったか。メグナツが慌てて二の句を継ぐ。



「この怪我は帰ってきてからした怪我なんです! 馬に乗って走って来ようとしたら、穴に堕ちて……」



「理由はなんであれ、おぬしの祖父の怪我が直るまで待っていられるほど、わたしも暇ではない。今回のことは諦めろ」



「そんなぁ〜……」



「事情は伝えておく」と言い残して使者は踵を返した。彼と兵士らは馬車と馬に分乗すると、列を成して村から去って行ってしまった。



「ハイカラ号〜〜!」



 その声も虚しく、愛馬ハイカラ号の姿も消えた。






 再び使者が村を訪れたのは、それからふた月後のことであった。季節は初春を迎え、草原や木々のあちこちでつぼみが開花する。緑一色だった草地や森林地帯に黄色や桃色の色彩が加わって、それが風によって花々の甘い薫りを運んでくる。この時期になるとこの地域の農家は『おちょぼキャベツ』の収穫に追われる。それはここネルフェン村の特産物の一つで、一口で食べられるほど小さいことからその名が付いた。



 この頃にはガービネの足の怪我はだいぶよくなり、職場復帰のための訓練を行っていた。孫のメグナツはその祖父を労わって身の回りのことを手伝い、さらに愛馬ハイカラ号の身を案じて、実家に止どまっていた。剣術の訓練の代わりに森や川へ行っては、野兎や魚を捕ることで槍や弓の腕を磨いていた。彼はこの日も狩に出て、数匹の川魚と胡桃などの木の実を収穫してきた所だった。



 彼が森を抜けて徒歩で村までやって来ると、思わぬ来客があった。家の前にある狭い庭に騎馬や馬車が停まっており、そこに旅装の男性とその周囲に武装した兵士が数名いた。奥に祖父の顔が見える。以前来訪したとき馬を質として奪っていった使者が再来していたのである。メグナツもその中に加わった。しかしハイカラ号は連れてきていないことを知った彼は、すっかり落胆してしまった。



「怪我の具合はどうなった」



 使者の問いにガービネは、なんだか浮かない顔をした。彼はまだ杖を使ってはいるが、日常生活はほぼ支障なくできるようになっていた。騎士の身であり肉体は鍛えられていた彼は、歳が歳なだけに大事をとっていただけなのだ。



「あのロバを連れて来い」



 使者に促され、メグナツは気まずい顔をした。上目遣いでぼそぼそっと答える。



「あのロバなんですが……」



「どうした?」



「全然懐かなくって」



 メグナツは厩舎へと使者を案内した。そこはハイカラ号を飼育していた場所だった。向かい合って四つに仕切られた場所の一角をメグナツが指差す。そこに藁を枕にして横臥する、弱々しい動物の姿があった。瞼を閉じて衰弱しきっているように見える。



「ああやって寝てばっかりで、全然言うことを聞いてくれないんです」



「……」



 使者は一瞬だけ間を置くと、すぐに前に進み出た。その動物を囲っている柵の前に立つ。



「これはヘルニアかもしれぬな」



 見ただけで彼はそう言った。純粋なメグナツはその言葉を疑わず、急にロバが哀れに思えてきた。自分も柵の前に行き、木でできたその柵越しに心配顔で覗き込む。



「そっかぁ、だから動けなかったんだね。可哀相なリエロー」



 腰をかがめていた使者が、身を起こしてすっと立ち上がった。顎に手をやり、思案げにロバの姿を見下ろす。



「動物では治療法がない。このまま生かしておくのも苦痛だろう。これは処分するしかないな」



 途端。



「ッ!?」



 声無き悲鳴とともに飛び上がる影。



「……」



 メグナツは思わず目を疑った。力なく藁に横たわっていたはずのロバが、突然目玉をむき出しにして飛び起きたのである。呆気にとられてしまうメグナツであった。



「驚かせてやったら直ったようだな」



 今の珍事を目撃しても使者は全く驚かず、冷淡な眼差しと口調で言った。それから、したり顔で彼は笑うのだった。



 ロバは人の言葉を解するのか? リエローに対し、密かに畏怖の念を覚えてしまうメグナツであった。






 厩舎を後にして二人は庭に戻った。ガービネに使者が歩み寄る。



「前回預かったおぬしの馬だが、あれは足が折れていた」



「?」



「嘘っ!?」



 メグナツは思わず声を上げ、ガービネは口は開かずに眼だけを見開いた。使者が続ける。



「そこで王妃殿下からの最終命令をおぬしに伝える」



 ガービネは口を噤み、メグナツもそれに倣った。数秒の間が数分にも感じられる、重く息苦しい時間だった。祖父と孫の身体を緊迫という目に見えない鎖が締め付ける。二人は硬直していた。



「もう一度『ケモノアシの森』へ行き、今度こそ本物のミカエリスのニンジンを採ってくるようにとの仰せだ」



「もう一度……」



 ガービネはごくりと生唾を飲み込んだ。



「それで馬は、返していただけると?」



「そうだ」



 使者は頷いてから、さらに続けた。



「ただし、期限付きだ」



「期限付きとは、いかほど?」



「今月以内だ」



「今月……」



 あと五日しかないではないか? ガービネはそれを口には出さず、胸中で吐き捨てた。



「?」



 メグナツは首を傾げた。疑問を禁じ得ない。自分が知る勇ましい祖父が、この時妙に腰が引けているように見えたのだ。いつものガービネなら、迷わず挑むはずのことだった。それが何故……祖父を見詰める両眼に困惑の色が滲むメグナツであった。



 使者が言った。



「それが果たせなければ、あの馬は処分される」



「……!」



「処分て、まさか殺されちゃうんですか?」



 メグナツの声が震える。



 ガービネは口を結び、憤りを腹に収め、拳を固く握り締めていた。その怒りは相手に対するものだけではなかった。自分に落度がなかったとは言えない。しぐしったことは事実なのだ。



 すると使者が手で合図し、兵士の一人が手綱を引いて馬を連れてきた。



「この馬を貸してやる」



 使者が言った。困惑するガービネに手綱が渡され、彼の横に茶系の斑馬が並んだ。



「どういうことです?」



「あのロバで行かせようとしたが、あれは役立たずだった。だから代わりにそいつを貸してやる。その馬で採りに行け」



「……」



「どうした。気に入らんのか?」



 ガービネはまた逃げ腰になっていた。落ち着きなく目線が漂い、何か言いたくても言えないことがあるようだった。



「言いたいことがあるなら言ってみろ」



 冷厳で、ありのままを淡々と述べるのが特徴の使者が、慈悲のようにそう促した。するとその使者と目線を合わせないようにしながら、気まずい表情でガービネが言った。



「怖い」



「……」



 使者は取り合わず、平然とした眼で見返すが



「怖いんだぁぁ〜〜!」



 突然ガービネが呻くように叫んだ。発狂したように頭を抱えて地面に頽れる。



「じいちゃん?」



 その挙動の奇怪さに、孫でさえ一瞬近付くことを躊躇ってしまった。何が祖父をそうさせるのか? その乱心振りに孫は異様なものを感じずにはいられなかった。あの勇敢だったガービネが、たった一度の失敗で挫けてしまうなど考えられない。こんなに取り乱したじいちゃんなんて見たことがない……メグナツは哀しくなった。



「何をそんなに恐れている」



 使者は失笑し、腕組みしながら尋ねた。まだ地面にへたりこんで頭を抱えていたガービネが、何かを払いのけるように頭を振りながら答える。



「馬に乗るのが……怖い……」



「は?」



 使者は呆れて、罵りのように笑声を上げた。



「ふざけているのか?――そんな道化は求めておらん」



 しらけた目をガービネに向ける。



「ふざけてなどいない! わしはもう……馬には乗れない。そうなるよう、魔法をかけられたんだ……」



 語尾が途切れたように消え行く。反発したガービネはうなだれた。もはや勇壮な騎士ガービネの姿はそこにはなく、彼はたんなるひ弱な老爺と化してしいた。



「聞いてやるから説明しろ」



 使者が促すとガービネは無言で頷き、それを語り始めた。





 彼は『ケモノアシの森』で、マウガルという頭が馬で肢体が虎模様の聖獣に遭遇した。その獣が喰んでいたニンジンをミカエリスのニンジンと見なして引き抜こうとしたところ、それを見て憤慨した獣が彼に向けて呪文を放った。その獣によると――最初に失敗したことがトラウマになる魔法――らしい。その後不運にもガービネは馬に乗ったまま穴に落ちてしまった。そしてそれが最初の失敗で、彼のトラウマになってしまったのだという。





「そんな……じいちゃん、じゃあもう馬に乗れなくなっちゃったの!?」



 メグナツは憐憫に濡れた大きなアーモンド型の瞳で祖父を見詰め、横から抱き締めた。使者は顎に手をやりながら二人を見下ろす。



「実行するかしないかはおぬしが決めることだが、品を用意できなければ、おぬしの馬は殺されてしまうぞ? それでも構わないというのなら結構だが……何もせずに愛馬を見捨てるというのも薄情すぎるのではないかと思うが」



「そうだよ、じいちゃん! 助けに行かなきゃ、ハイカラ号が可哀相……じいちゃん?」



 メグナツは鼓舞しようとしたつもりだったが、祖父から忌まわしそうな眼で睨まれてたじろいだ。祖父の両眼が怨念の炎を揺らめかしている。



「え……?」



 自分はまずいことでも言ったのか。祖父が誇示する不穏な空気に戸惑うメグナツであった。



 祖父は眼で訴え続けていた。



 何? この『じゃあ、お前が行け』みたいな空気。



 困惑する孫。その視線がふと外れた。ガービネの顔が使者のほうを向く。そこに凛とした決意を示すかのような謹厳な眼差しが。



「じいちゃん! やっとその気になってくれたんだね」



 心の中で安堵の溜息を吐くメグナツ。



 ガービネは言った。



「では、わしの孫に行かせましょう」



「はっ!?」



 大きなアーモンド型の瞳を瞠って唖然とするメグナツ。



「分かった。では五日後にまた来る。その時までに例の品を用意しておけ」



「ちょ、ちょっと……!」



 いつの間にか話が進んでしまい、使者一行はあっという間に去ってしまった。辺りに舞う砂塵と馬蹄の轟きを遠くに聞きながら、メグナツはぽかんと口を開けたまましばらく直立不動だった。やがてはっとしたように我に返る。



「じいちゃんっ! 何であんなことっっ……」



「メグナツ、聞きなさい」



 ガービネはぴしゃりとそう言い、表情を引き締めた。狭めた眉間に窪ませた眼で、厳かに孫を見据える。メグナツはその真剣な強い眼差しと、腹にずしんと響く凛とした声を前にして、鎮静剤を投与された患者のごとく黙って己の耳を傾けた。



「お前はまだ見習い騎士の身だ。大きな使命のある任を授けられたことはなかろう。これはその最初の使命だと思え」



「じいちゃん……」



「お前はこれからケモノアシの森へ行き、ミカエリスのニンジンを採ってくる。それを王妃陛下に献上し、ハイカラ号を連れ戻すのだ――!」



 ガービネは声高らかにそう発して、拳を天に向かって突き上げた。



「……その前に地図と詳細を教えてくれない?」



「おう、よしよし、分かった分かった」



 毒気が抜けて、すっかり調子付いた祖父は説明を始めた。





 こうしてメグナツは愛馬ハイカラ号救うため、急遽祖父の代理人として、かの森、ケモノアシの森へ行かされることになったのである。




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