第10話:婚約者
「ここがイスターオの港町かぁ……」
地名を示す木製の看板を見て、メグナツは独語した。黄昏時に道を歩く人の姿はほとんど見られなかった。立ち並ぶ民家のあちこちから時々、人の話し声などの生活音が聴こえてくるが、あとは静寂に包まれていた。どこからともなく漂ってくる夕餉の臭いが食欲を刺激して、メグナツの腹が動物の鳴き声のように一鳴きする。
「おなかすいた~」
続いてリュフトの腹も鳴った。
「今、お腹鳴ったでしょ?」
「いいから宿屋を探すぞ」
「ふふ……」
メグナツはからかうように歯を見せてニヤリとした。ふだん優等生で格好悪いところなど見せたことがないリュフトの、少し格好悪い所が見られたのが少しうれしかった。リュフトは呆れたような顔をしたが、彼のその表情もわからなくなるほど、いつしか辺りは暗くなっていた。
それから二人は視界が悪くなる中、ひたすら探してはみたものの宿屋は見付からず、仕方なくその日は野宿することにしたのだった。
「寒いよ、リュフト~……ん?」
自分の寝言で目を覚ましたメグナツは、ゆっくりと瞼を開けた。草の匂いがする。そこは叢の上で、頭の下には雑嚢を敷いて寝ていたが、地面の上は硬くて身体のあちこちが痛くなっていた。彼は眠くてまだ半分しか開かない目で、前方を捉えた。
「なんでそんなに離れてるの?」
瞼を擦りながら言う。視線の先には、こちらに背を向けて横臥するリュフトの姿があった。彼はムクリと起き上がって叫んだ。
「君が、寒いよ寒いよって……おれに抱きついてくるからだ!」
決まり悪そうに顔を赤くするリュフト。そんなに激昂されるとは思っていなかったメグナツは、キョトンとして目を瞬かせた。
「変なリュフト……」
昨晩は二人とも干し肉だけという、ろくな食事もできなかったので、朝食は飲食店で食べようということになった。ところがそれも見付からなかったので、市場で果物やパンを買った。
「現地で材料仕入れるって言ってたけど、どうやって手に入れるんだろう……」
叢に座って、ちぎったパンを口に運ぶメグナツ。地面の上に広げた地図を眺めながら、首を右へ左へと傾けて唸る。その傍らにいるリュフトが、呆れて深いため息を漏らす。
「よくそれで、一人で来ようなんて思ったな……」
メグナツがおどけてチロっと舌を出す。リュフトは額に手を当てて、また一つ深い溜め息を漏らしたのだった。
「とりあえず誰かに聞いてみる?」
言ったメグナツをギロリと睨むリュフト。メグナツは畏縮して、思わず肩を竦めた。今度こそ怒られそう。
「自分で聞くねっ」とかわいく言って愛嬌でごまかすメグナツだった。
「あの~」
メグナツは、道行く人や家の前にいる人など、何人かにシロロダイヤのことを尋ねてみた。すると
「それならワロス岬で、潜水夫に依頼しないと手に入らないわ」
ある女性からそんな情報を入手した。それなら、とすぐに向かおうとしたメグナツたちだったが、ワロス岬へは徒歩では行けないらしかった。しかし専用の汽車が出ているということで、メグナツたちはそれに乗るために駅へ向かった。
「リュフト、汽車に乗ったことある?」
「ない」
リュフトが首を横に振る。メグナツたちは今、汽車の中にいた。轟音を上げてレールの上を走って行くこの乗り物に、興奮が収まらないメグナツだった。車窓の向こうを高速で流れていく景色。そのスピード感が堪らない。彼はもはや犬猿の仲だったことも忘れ、大きな瞳を輝かせながら、友人のようにリュフトに話しかけていた。
汽車が『ワロス岬前駅』に停車すると、乗客たちがゾロゾロと汽車を降りて行く。一方、汽車に魅せられたメグナツは、降りた後も名残惜しそうに汽車を眺め
「行こう」とリュフトが促すまで、汽車の前で立ち止まっていた。
「この人たちに付いて行けば、シロロダイヤがある所まで行けるのかな」
メグナツが言った。『ワロス岬前』で停車した汽車から降りた人々が、同様の方向に向かって歩いて行く。メグナツたちもその後に付いて行くことにした。
しばらく森林地帯が続き、そこを抜けると景色が背の低い草花に挟まれた道に変わった。その奥に『シロロダイヤ採掘依頼受付』と書かれた場所があり、その前に人が並んでいた。メグナツたちもその列に並ぶ。それからようやく順番が回って来ると、いつ渡せるかわからないので夕方また来てほしいと言われ、番号を記した貝殻を渡された。
受付を済ませると、昼はとうに過ぎた時間になっていた。メグナツとリュフトは、寛げそうな場所を散策し、見付けた木陰で少し遅めの昼食を摂ることにした。
「食料買っといてよかったね」
メグナツが陽気に言った。朝市で買った食料が、二人とも雑嚢の中に入っていたのだ。
「あ、リスだ。胡桃かじってる。かわいい~!」
木の穴の中にいるリスを発見し、それを指差してはしゃぐメグナツ。ん? とそちらに顔を向けたリュフトは
「君に似てる」とクスリ笑い。
「似てる?」
メグナツはアップルパイを口いっぱいに頬張って、プク~っと頬が膨らんだ顔でキョトンとした。
「ほら、そのほっぺたなんかそっくり!」
キャハハと笑うリュフトだったが
「リュフト」
ある一点に視線を止めてメグナツが言った。
「ん?」
「君の肩になんか乗っかってる」
「え?」
「右のほう」と言われ、目をやるリュフト。
「あ、尺取り虫だ」
呑気にメグナツが呟くと
「キャアアアアア~!」
リュフトが見たこともない形相で叫んだ。肩に乗っかっているものを、必死で振り落とそうとして激しく暴れる。
「じっとしてて」
メグナツがひょいと手を伸ばし、それを取ってやった。
「リュフトって、虫が苦手だったんだ? かわいい~」
次にクスクスと笑ったのはメグナツだった。
「なんだよ、虫が苦手で悪いか」と小さく反論するリュフト。
「あっ!」
「えっ?」
また何か発見したみたいにメグナツが叫んだので、リュフトはビクッとして肩を浮かし、食事の手を止めた。
「うっそ~」
メグナツが、歯を見せてニヤリとする。
「騙したな?」
悔しそうにメグナツを睨むリュフト。いつもと立場が逆転していた。ふだん口でも能力でも勝てなくて、悔しがるのはいつもメグナツだったが、今日は逆。虫嫌いなリュフトをからかって、ことさら嬉しそうにケラケラ笑うのはメグナツのほうだった。
「場所交換する?」
「いい!」
そんな会話が続く。と、そこに近付く怪しい人影があった。
「“姫”!?」
その声に二人が振り向くと、旅装の老人がこちらに向かって駆け寄ってきた。フード付きの外套で服は隠れているが、クルンと外向きにカールした口髭は、貴族のような品がある。さらにはその背後に屈強そうな二人の男を従えていることから、ただ者ならぬ雰囲気が窺えた。
この人たち、いったい何者なんだ?……。警戒するメグナツだっが、老人はそんなメグナツを無視するように、彼の横を素通りした。その傍らにいる人物の前で足を止める。
「探しましたぞ」
彼が視線の中に捕らえていたのはリュフトだった。
「イスターオ港で、あなたにそっくりな少年を見かけたという話を聞き、ここまでやって来た甲斐がありました。やはりあなただったのですね」
「……っ」
リュフトは怪訝そうな顔で老人を見据えている。
「リュフト、この人たちと知り合いなの?」
「わからない」
リュフトが首を振る。
「って言ってますけど……て!?」
老人が顎をしゃくると、それを合図に同伴していた男たちが一斉に動き出した。両脇から近付いてリュフトを捕らえる。
「ちょっと、なんなんですか!?」
「何するんだ!」
腕を振り解こうとして暴れるリュフト。
ただならぬ事態が起きている。しかしどうすればいいのか。敵に遭遇したら、剣で身を……
メグナツは、こんな時のために持たされていた小剣に、慌てて手を伸ばした。
「ッ!?」
が、鞘から引き抜こうとした瞬間、男たちが俊敏に振り向いた。鋭い視線に射抜かれて、メグナツは身が竦んで動けなくなる。
「怪我をしたくなかったら、おとなしくしていたほうがいい」
メグナツを肩越しに見て、老人が冷淡な視線を送る。
「は、はいっ」
メグナツは、あっさりとそれに屈した。
「さあ、姫、城に帰りましょう。父君がお待ちです。母君が泣いておられますよ。妹君も心配されております」
老人が穏やかな声音で説き伏せるように言うが、リュフトは、離せ離せ! と抵抗を続ける。このままだとリュフトがこの怪しい人たちに連れてかれちゃう。どうしよう……
「あ、あの~!」
メグナツは勇気を振り絞って尋ねてみた。一斉に振り向いた四人の視線に、さらに委縮しながら質問を続ける。
「さっきから、なんでそいつのこと、姫、姫って呼んでるんですか?」
老人は言った。
「このお方が、姫だからです」
「え?」
「このお方は、ベンダーラ王の長女、リュフト・ゼルロー・グラフォア・ネラシトラ様なのでございます」
「そ、そうなんですか……? ほえ~」
名前の長さと立派な身分に圧倒されるメグナツ。彼はあまりの衝撃に度肝を抜かれ、思わず緊張感のない声を出してしまった。
「ちがう、おれは男だ。姫なんかじゃない!」
リュフトがぶんぶん首を振って、それを否定する。
「て言ってますけど。やっぱ人違いなんじゃ……」
「いいえ、間違うはずがございません。これを見てください」と老人は何かが描かれた紙を見せてきた。
「姫の似顔絵です」と真剣な顔で言う。が、それを見たメグナツは唖然とした。
「何これ?」
老人は似顔絵と言ったが……
「こんな簡単な絵で判断したんですか!?」
そこに描かれていたのは、あまりに簡素な絵だった。これを真面目な顔で、“似顔絵”とは……。落書きにしか見えない。メグナツの大きなアーモンド型の瞳が、驚愕を通り越して、ひよこ豆のような点になってしまいそうだ。
ふざけてるのかな、この人。と訝るが
「何をおっしゃいますか。この細く伸びた優美な眉といい、宝石のように瞬く美しい目元といい、まさしく目の前におられるお方に瓜二つではぎざいませんか」
う゛、全然退かないなこの人。てか、この丸に横棒引いて点を付けただけの図形みたいな絵を見て、よくそこまで褒められるよ、と感心してしまうメグナツ。老人は声を荒げ、「その証拠に、足輪が付いているはずだ」と更に主張した。
「足輪って……」
すると老人が、おい、と顎をしゃくった。屈強そうな男の一人が、「失礼」と言ってリュフトのズボンの裾をたくし上げる。
「?」
リュフトの足首には、鈍い輝きを放つ金属の輪が嵌められていた。あれはもしかして……!
「こんなもの付けてる奴なんか、いっぱいいるだろ!」
激しく反論するリュフトに、老人は首を振った。
「ご覧ください。これがあなたのお名前です」と金属の輪の内側を見せる。そこに『リュフト・ゼルロー・グラフォア・ネラシトラ』と彫られた文字を見て愕然とするリュフト。次に老人は「そしてこれが」とリュフトを取り押さえている男が着ている服の、開いた衿口に手を入れた。そこから金の四角いプレートが付いたネックレスを引き出す。そこに描かれた文様と、リュフトの足輪に描かれている柄は同じだった。ということは?
「これは番いになることを誓い合った者同士に与えられる装身具です。彼はあなたの婚約者の……」
「そんな、だけどおれは……!」
「あなたは、お父上に決められた男性と望まない結婚をさせられるのがお厭で、国から逃亡なさったのではありませんか」
「っ!?」
リュフトは激情して、声を上げて泣き出した。彼(彼女?)を婚約者の男がお姫様抱っこする。筋骨逞しい男性にそうやって抱っこされているリュフトの身体は華奢で、もはや女の子にしか見えなかった。
じゃあリュフトは、女の子だったってこと?
連れ去られていくリュフトを、メグナツはただただぽかんと口を開けて眺めていた。




