君に会いたい
舞台袖に戻ると、舞台上とは対照的な薄闇に包まれる。かくりと膝から折れてしまいそうだ。
「鷹野さん? 大丈夫ですかっ」
「大丈夫か、すごい汗だぞ」
「へーきっす。……やっべ、疲れた……」
隅っこでいいんで座らせてくれと一言断ってから、はふ、と硬い床にへたり込んだ。楽屋まで足が保ちそうになかったのだ。呼吸がまだ荒く、ぽたりぽたりと汗が床面に落ちたのが視界に入る。頭をかくりと落として深呼吸を繰り返してみたがこの疲弊っぷりは何だ。さすがに様子がおかしいとスタッフが集まってきた。申し訳ない。
「おい、誰か水持ってこい」
「タオルどうぞ。横になりますか」
「や、大丈夫。座ってりゃ、その内」
「ケイ……」
ルークも心配そうだ。渡されたペットボトルの水を一口含んでどうにか嚥下する。吐きそうだとかは無いけれどとにかく疲れた。こんな事は今まで経験がない。
「ケイ。顔色が悪い。ああ、どうしよう。何でこんな」
何でも何もお前の言い出した事が発端としか思えないんだけど? と思いながら目を上げる。ルークは自分の楽器を一瞥して「すまなかった」と言う。
「もしかして僕が何かしたのか」
「あ? お前、袖で楽器替えようっつったろう? それでこんな」
「……またか」
またかって。何であんたが驚いてんのナニソレ怖い。確認するのに気が要ったが、聞かずにはおけないだろう。
「もしかしてお前じゃなかったとか? 袖から?」
ルークはYesと言う。
「実は時々あるんだ。この楽器、曰く付きだとは聞かされてたんだけど僕もさすがに信じてなくてね。笑い話で君にも言った事があったろう? でもまあ、確かにこういう事が起きてるらしい。僕は大概覚えがないんだ。飛ぶ(・・)のは集中し過ぎてるだけだと思ってたんだけどやっぱり違うのか……」
「ナニソレ! ホラーじゃね? お前よくこんなの使ってんな!」
「基本的にはいい子だからね。このギター」
しれっと何言ってんのこいつやっぱり変人だよと慄くしかない。信心深いのにも程があると度々思わされてきたが、ここまでなるともう病気だろう。スターは変人。楽器も曰く付き。よくもまあこれまでゴシップネタにされなかったなと妙な感心をしてしまう。
「でも今回は本当に……ああ、君に悪い事をしてしまった。すまなかった」
「……いい、もう、」
何も聞かないでほしい。ルークは嘘を吐いている風でもないから余計に怖い。そっと忘れたい記憶ではある。
「気持ち悪いとか、そういうのは?」
「へーきっす、」
「顔真っ青ですよ鷹野さん。びょ、病院行きますか」
「ルークの、ソロ、終わるまでーー……はあ、……ここでも、いっすか?」
「それはいいけどーー……よっぽどなら三部、君のお師匠さんに代わってもらうか」
「ははっ、やだそれーギャラ分けなきゃ、なんねー……いー音聞いてりゃ治ります。……ルーク、いいやつヨロシクな」
へらっと笑ってみせたつもりだが果たしてそれが出来ていたかはわからない。とにかく時間が押しているのだからルークは舞台に出なければならない。早く行けよスター。皆期待して待ってるのに。
「分かった。任せて」
「頼もしいな。やー、こんなとこから聞けるんだし、……サイコーじゃん」
いつもならそっと客席で立ち見する所だが今はそんな余力が無い。邪魔にならない場所でそっとしておいてくれればそれでいいからとスタッフにも告げる。はたと気が付いたらボトルの水は半分以上無くなっていた。
半分目が閉じかけていて、ここが薄闇で助かったと思う。念の為にとスタッフが一人側についていて、大丈夫ですかとおろおろしている。
「へーき。……おねーさんかぁいいね。いくつ」
「えっ?! あ、二十一、です」
「若いなあ、いいね。バイトさんかな。今度飯でもどぉ?」
「鷹野さん、こんな時でもそんななんですか」
アルバイトスタッフにまで自分の女好きが知られているのがまた笑える。今回は仕事でよく世話になる会社の面々が出てきていて、出演者はどんな人間なのかとかを話しているのだろう。粗相があってはならないし、彼らの仕事が円滑に回る為にはそういう小話も必要だ。
「呆れた?」
「いいえ、らしいなあって」笑い。「ホント、無理はしないで下さい。スターが倒れちゃったら私達が大変なんですから」
「ありがと。……スターねえ……俺、そーゆーキャラじゃねえからなあ、」
「一般人からしたら、舞台に出られる方は皆きらきらですよ。だから鷹野さんもきらきらさんです」
ほどほど年を食ってる男に【きらきらさん】なんて言う辺りは若者の感覚かもしれない。スター。きらきら。お遊戯会の星の被り物を連想させる単語にふは、と笑いが溢れる。ちょっと元気出てきた。
「オッケー。きらきらさん頑張るから、飯行こうよ」
「ふふ、リオ姉にヤキモチ焼かれそうなので遠慮させていただきます」
「……リオ……?」
彼女は、ふふ、と意味深長に笑っている。
「川崎莉緒ちゃんって子だったりしない?」
「はい。私、リオ姉に紹介してもらったんですこのバイト」
おっと、まさかの繋がりがあった。
「リオ姉はピアノ教室が一緒で。私音大にいるんですけど、自分とは違う楽器じゃないですか。だからそんなに乗り気じゃなかったりしたんですけど裏方の仕事を知るのも絶対経験になるから行ってみなよって」
「そっかそっか。へえ、すげえ偶然」
「鷹野さんすごく素敵だよって言ってました。その通りだなあって今回同行してて感動してます。ギターも本人も良い人だなあって」
「照れるね」
「リオ姉、鷹野さん大好きっ子みたいなんで欲目あるんじゃないのって思ってて。でもホント、素敵です」
真面目な子なのだろう。ど真剣な目で熱意を込めてそう言ってくるから下手な男だとうっかり勘違いしてしまいそう。
そうか、リオちゃん。最近ご無沙汰してたなとあのほんわりした笑顔を思い出す。
「彼女、元気にしてる?」
「仕事大変みたいですね。でもピアノは楽しそうにやってました」
「そう。……リオちゃん今日来るとかは?」
「言ってなかったですね。チケット争奪戦に負けたあって涙目になってたらしいのは先生から聞きましたけど」
気の毒だったな。言ってくれれば一席ぐらい確保できたのに。でも彼女はそういう事は言ってこなさそう。遠慮の塊だからなあ、あの子、と思い出し笑い。
「もし会うとかあったら、今度リオちゃんとデュオやりてえっつっといてくれる? 軽くでいいし一緒にやらせてって」
「あれ、連絡先交換してないんですか?」
「実はしてない。こんなの俺から言うと【まさかあ! そんなあ〜】って信じてくんなさそうで……」
ああそうかも、と彼女は笑った。
「私、よかったら先回りして手配しときますよ。教室」
「マジ? やった、なら後で名刺渡すからそこのアドレスに場所とか送ってくれる?」
「了解です。……鷹野さんもリオ姉に癒やされたい感じですか」
「だね。リオちゃんと前弾いた時すげー楽しかったから、オフに充電してえの」
「癒してもらって下さい。今日の、終わってから」
だよねえ、なら生き抜かなきゃ、と腰を上げる。うんと伸びをすると体は素直に伸びていい感じに脱力できた。憑物が落ちたような、というのが相応しい。舞台上であったあれは思い出すと冷や汗しか出てこない。
「おっしゃ、おじさん復活」
「そんな年じゃないでしょう、鷹野さん」
ここでもごく真面目な返しだった。彼女のスタッフカードを見ると鈴谷と素っ気無い印字。
「スズヤさん? スズタニさん?」
「スズヤ、です」
「ん。鈴谷さんのおかげで元に戻った。ありがと」
「いえ、私は何も」
どっちかっていうとリオ姉のおかげでは、と彼女が継ぐのに、それもあるねとくすり。今頃どこかでこのコンサートの事を思っているのだろうか。行きたかったなとしょんぼりしている顔が容易に想像できた。ーー今からでもおいでよとは言えないけど、今度楽しい時間は提供するからさ。待ってて。
「ーーケイ、どうだい気分は」
二部の演奏を卒なく終えてきたスターがお戻りだ。心配そうなのを「もー大丈夫。優しいおねーさんに介抱してもらったし」と迎えて、ほっとした風なのを確認する。
「君は本当に女性が好きだね。現金というか何というか……」
「そりゃあかわいい女子に情けないまんまじゃカッコつかねえもん」
「よろしい。元気は戻ったらしいね。……ありがとう、彼についててくれて」
「い、いえっ、」
鈴谷は顔を赤くして恐縮。本物のイケメンスターに直接声を掛けられればそりゃあそうなるわな。音大生ならルークの事を知らないわけもないし。
「スターはいいよなあ、」
「そう思うなら僕のいる所までおいで。君なら出来るさ。……彼もそれを望んでる。君に期待してるんだよ」
はいはい。話はやっぱりそうなるよな。
「彼は、君にはなんて?」
「あん?」
「何も言わなかったのかい?……さっき、相棒をよろしくと言われた、って言っても信じるかは君次第だ」
ルークは舞台で何に会ったのだろう。少し気になったけれど自分は確かに森矢の影を見たのだからもうそれでいいかと思うことにした。会いたかったのか。そんなに。
「彼は多分、世界を知りたがってる。僕らについてきたのはそういう事なんだろうね」
ついてきたという表現に苦笑してしまう。世界、か。ルークのように本当の意味でこの業界の本物になるにはなにをどこでやればいいだろう。ーーなあ、行ってやってもいいぜって言ったら、オマエ、どう思う?
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