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君のいない箱  作者: sen
4/7

やさしい約束





「珍しく落ち込んでるなあ。ほおかーそんなんやったんかあんた」

「あーうるせえうるせえ。落ち込んでねえよ別に」

「心配したってんにゃで!?」


 あんたにしては素直に出てきたから、と矢橋はどこか楽しんでいるようにも見える。うるせえよとまたぼやきながらステアリングを握り直した。仕事の話になってつい零してしまったのはまずかった。


「道、合ってんだろうな」

「合ってる! 前見て運転しい」


 矢橋を乗せて走るのは二度目だ。今日は大学時代の先輩の家に行く。二人目の子どもの顔を見に。久しぶりに先輩夫婦にも会いたくなったから矢橋に行くかと訊かれた時に素直に応じた。祝いの品は矢橋に任せていたから心配無し。意外とこういう贈り物のセンスはあるのだ、こいつ。


「どっちだっけ」

「今度は男の子やて。一人目の子もめっさかわいいらしい」

「あー誰だっけ。サオちゃん?」

「そー。奥さんの名前に似まくりやろ?」


 嫌味かそれ。 


「シャオさんとサオちゃんか。確かに。つかオマエ、よかったの?」

「何がえ」

「や。何でもない」

「あのなあ。一応あたしも結婚したんやで? 今更奥さんに嫉妬なんかせんわ」


 そういえばそうだった。素敵な旦那様を差し置いて昔片思いしていた先輩になんか横恋慕すまい。


「先輩んとこの子ども見たら欲しくなるんじゃねえ?」

「かもなー……まあそん時はそん時」


 由貴さんに相談するし。

 迷いなく話ができる相手がいるのはいい事だ。川崎も子どもに関してはそろそろと考えている頃らしかったし、自分がいちいち口出しする場面でもない。めでたい事が起きるなら当人らも周りも喜ぶに決まっている。

 ほどなくして「あ、ここやわ」と矢橋が指差す。行き過ぎそうになった。危ない。家の前の道路に駐車してよさそうだったので少しバックして位置を定める。


「もーちょい早めに言えよオマエ……」

「ええっ、ええやん着いたし。さー行くでー」


 さっさと車から降りた矢橋がインターホンを鳴らし、遣り取りがあってからしばし。玄関のドアを重たそうに押し開いたのは小さな女の子だった。


「あー! けーちゃ!」


 けーちゃ? 俺か。ふっと噴き出して「そーそー、けーちゃだよー」と返すとその娘はきゃっきゃと嬉しそうに飛び跳ねる。ドアが閉じそうになったのを支える手が後ろから伸びてきて、弥坂が顔を出す。


「こーちゃ。けーちゃ、きたー」

「こら紗生。勝手に開けるなって言ってんだろ。ーー悪い。入って」

「車、そこでも平気っすか?」

「ああ。……二人共悪いな。わざわざ」

「いえいえこちらこそ押しかけてしもて。おめでとうございます。先輩も元気そうで……娘さんめっさかわええですねー!」

「こーちゃ、だもんな。おとーさんじゃないんすか」

「あー……まあ、中、入れよ」


 濁した。ウケる。

 遠慮なく上がらせてもらい、リビングに通された。ソファに座っている小龍を見留めて「こんちはシャオさん。お邪魔します」「こんにちは。お久しぶりです」と二人で頭を下げる。彼女の腕の中には赤ん坊。


「いらっしゃい。ごめんね、出られなくて」

「いやいやそんな……うおー……ちっせぇぇ……」


 ぱっと見でもその小ささがわかる。とりあえずと先にお祝いを弥坂に渡してしまう。


「二人、何飲む。コーヒーか紅茶かーー」

「こーちゃ、りんごさんちょーだーい」

「えっ、さっき……紗生。コップは? もう飲んだのか」

「あっちーからっぽぉ」

「なら持ってきな。……で。二人は」

「あ、じゃあ俺もりんごさんで」

「恵亮あんた……」


 笑かす気ぃか、と矢橋が吹き出すのを堪えている。小龍は遠慮なく笑っているのだから笑ってしまえばいいのに行儀のいいことだ。


「サオちゃんと同じでもいいかな、俺」

「うーん! おんなじぃ」


 破顔する紗生はひたすら愛らしかった。


「矢橋はどうする?」

「じゃ、あ、……りんごさんでも構いませんか?」


 便乗しやがった。面白すぎる。今度は遠慮なく笑った。


「りんごさーんみっつぅ」

「はいはいわかったから。お前ちょっとお母さんとこ座ってな」


 はあい、と大きく返事をして紗生は小龍の隣に収まった。挙動がかわいらしい。耳の両サイドで結ばれた髪が揺れるのも。


「手伝いましょか。先輩」

「いい、いい。座ってろよ」

「はあ、じゃあすみません……ってゆーか台所似合いますね意外と」

「意外と? 皆言うんだよなそれ……昔から飯ぐらい作ってたから自分ではそんなでもないんだけどな」

「えーホンマに〜! 何や、女史力高い人ばっかやなウチの周り……」

「旦那も作れる人だっけか。カフェに勤めてるって」

「そーなんですよ〜ご飯めっさ上手です! 来て下さいね〜カフェ。近いっちゃ近いですから」


 弥坂と矢橋はすっかり普通の距離感だ。前はあんなにキョドってたのになあなんて思い出して笑ってしまいそうになる。


「矢橋さん、お子さんは?」


 小龍が矢橋に話し掛ける。


「あー……まだ、です」

「お式、素敵だったってお聞きしてます」

「あ、はい。おかげさまでうまいこと……」

「うまいこと逃げられずに済んでよかったなオマエ」

「やかぁしわ!」

「ふはっ、二人共、相変わらず仲良しさんなんだね」

「それはどうかなー俺、捨てられた男なんでこれでも日々泣いて暮らしてるんですよ」

「あんたなあぁ……子どもの前でそーゆー言い方しなさんなホンマによ」

「けっこんしきぃ?」

「そうそう。お父さんとお母さんみたいに、このお姉さんも結婚式したんだって」

「さーねぇ、こーちゃとけっこんしきするの〜」

「いやんもーかわいいー! 先輩、父親冥利につきますやんか〜」

「その内言わなくなるんだろーけどな」


 弥坂は至って冷静だった。デレときゃいいのに。

 リンゴジュースの入ったグラスを受け取り、弥坂も一角に腰を落ち着ける。すると紗生は迷わずその膝の上へ。弟に母親が取られてしまっているので父親に甘えたい頃なのだろう。受け入れる態勢も慣れた風だ。


「シャオさん。この子、名前もう?」

「タツキ君です、って。ねー?」

「達者に生きる、で達生。紗生も【生きる】の字付けたからどうかなと」

「へー……姉弟でお名前の漢字一緒にしはったんや〜そーゆーのもええですね」

「紗生の時は私が響きで言ったら、浩貴が考えてくれて。達生は紗生が【たっくん】って呼び出したからそれで……産まれてみたらホントに男の子だったからビックリだよ」

「そうなんすか?! へーすげえな、サオちゃん、タツキ君の事わかったんだ?」


 紗生は、へへー、と照れ笑いしつつもじもじしている。何度でも言おう。かわいい。かわいいは正義。 


「先輩っぽいっすね。奥さんの意見大事にして、字面考えるとか」

「何がどう【っぽい】んだか。……矢橋んとこもそろそろ?」

「まあぼちぼちって思てましたけど、先輩ら見てたら欲しなってきましたーええなあ〜どっちもええなぁぁ……」

「矢橋さんも、いいお母さんになりそうだね」

「せやとえぇんですけど……あんま自信なくて」

「大丈夫だよ〜私でも何とかなってるから」

「奥さんに教えてもらわなー旦那さんをいかに使うかとかーー……」


 女性は女性同士で話が成されているので、自分は弥坂に話を振ってみる事にする。


「先輩、仕事どっすか?」

「どうって……まあ普通だな。お前は? 調子」

「まーまーっすね。こないだは関東からずーっと回って……近くでまたやるようならチケット送りますよ」

「や、ありがたいけどな」

「あ。お子さんいるか」

「そーゆー事。……偶にはシャオも羽伸ばさせてやりてえんだけどな。まだどっちも手ぇ掛かるし」

「ふーん……なら、CDまた送りますよ。シャオさんも好きでしょ? つーか先輩もすっかりお父さんって感じになりましたね」

「けーちゃ、けーちゃ、」


 リンゴジュースを飲んで大人しくしていた紗生がいきなり呼び掛けてきたので、うん? とそちらに目をやる。


「けーちゃ、ギターは〜?」

「ギター? やってるよ。今日はお休みだけど。……つか、あの、何でこの子俺の事知ってんすか?」

「あ、DVDとか観てるからだと思うよ。CDもお腹に居るときから多分聞いてる」

「えっ?! 嘘っ」

「嘘吐いてどうすんだよ。シャオがお前らの音源持ってんの知ってるだろ?」

「けーちゃ、じょうずなの〜さー、すきぃ」

「うわーマジか……ありがと。嬉しいよ」


 こんなに小さなファンもいるのか俺。素直に喜ぼう。


「よかったなああんた。こーんなかわいいファンもおって」

「ホントだよ。参ったー……頑張らねーとだ」


 頭の後ろを掻きながら苦笑する。大人ばかりを相手にしていると子どもも自分の音楽を聞いているという事を忘れてしまう。学生時代、文化祭なんかで演奏したのは子どもも知っているようなメジャーな曲だった。映画やアニメの主題歌。クラシックでも定番のもの。小難しい評価なんか無くて、楽しんでいるのが直に伝わる笑顔や歓声に弾いているこちらも嬉しかった。


「子どもの時は楽しいのが何よりだって、森矢君も言ってたね。楽しいから好きになるものだからって」

「ほんなん言うてましたか? 森矢」

「うん。マンドリンが好きになってくれたらもっと嬉しいけど、とにかく音楽が好きになってもらえたらそれで充分価値あるって。懐かしいなあ」

「あいつらしいな。ちょっと控え目な辺り」

「あっくん? あっくん?」


 紗生はどうやら森矢の存在も認識しているらしい。小龍や弥坂が口にしていたのか。クラブの演奏会のDVDになら森矢は映っているし、紗生が音に反応して「だあれ?」なんて聞いたのかもしれない。物覚えがよく勘がいい子だと思った。


「あっくんもじょーず!」

「せやなあ。あっくんも上手やったわ。紗生ちゃんはよお知ってるなあ」

「んー、さーね、いっぱいすきなの。りょーちゃんもすきぃ」

「あらっ、あたしも知っとるんかいな?!」

「話したんすか? 大学の話。こんな小さいのに、分かってるんっすね。すげえわ」


 偉いなあと頭を撫でると嬉しそうにはにかんだ。


「シャオがお前らのファンだからな。話はしてた」

「わ、私だけみたいに! 浩貴も話してたじゃないか……」

「こーちゃも、ギターできるよって。でもねーひいてくんないの」

「無いもんはどうしようもないって、言ったろ」

「何なら持ってきましょうか?」

「や、遠慮しとく。流石にもう忘れた」


 弥坂のように、昔やっていても忘れてしまう面々も少なくない。クラブの連中もあの四年間だけで、その後続けているのはほんの一握りだ。月日は流れる。日常に埋没して自然に忘れられてゆくもの。ーーそれでいいんだろ、お前は。


「じゃ、今度けーちゃんが弾いてやるよ。それでどう?」

「ホント? ホント?」

「ああ。約束な。いつになるかは、まだわかんねーけど。絶対」

「ゆびきりするぅ、」


 はい、と差し出された小指の小ささったら。ゆびきりげんまん、と約束してから「また来ますからそん時いっすかね」と弥坂達に承諾を得る。小龍はとても喜んで、叶えば久しぶりの生演奏だと笑顔が深まった。


「オマエもやる?」

「えー……いやあそれは……」

「鈍ってねえだろ。こんないい客、滅多にいねぇぞ?」

「んーそらまあ……都合ついたらな」

「りょーちゃんもまたきて〜きてぇ~、ねーえー」

「うわーこらアカン。無理って言えんわこんなん」


 優しい約束。こういう内輪での約束は久しいなとふと思い至って、やはりこの面子がいる場所は落ち着くなとも感じた。


「楽しみにしてるね。二人がまた来てくれたら皆喜ぶし」

「うおぉ……シャオさんにまで言われたら俺マジやる気出るわ……!」

「あんた人様の奥さんどんだけ好きやねん」

「やーシャオさんは元から好きだけど人妻って尚の事燃える……」

「も、もえる?」

「おいこら。冗談でも言うなそーゆーの」

「ほれみい怒られて。いっそもード突かれたらええねんあんた」

「飛び蹴りならこいつのが強烈だぞ」

「えっ、ちょっーー……ってゆーかまだ言う? まだ言うのねえ!」

「飛び蹴りって。そんなんシャオさんでもさすがにしないんじゃ?」

「俺昔、こいつ怒らせてやられたけど、まー痛いの何の」

「へー! 奥さん強いんや見かけによらず。ええやん人妻キック」


 シャオさんでもそれは嫌! たんま! と拝んで泣きを入れて許してもらった。紗生が「けーちゃ、イイコイイコ」と慰めてくれたのでオチがついて場が和む。小龍の腕の中の赤子は終始大人しくて、矢橋と順番に抱っこまでさせてもらった。これが腹の中に居たなんて、ずっと昔は自分達がこんなだったなんてと思うと人間はすごいなと感心させられる。また次に来る頃にはもう少し大きくなっていたりするのだろう。男の子なら大きくなってからも何かと話が出来そうでこちらまで楽しみになった。


「かわいかったなあーどっちも先輩らの子どもって感じやったし」

「家庭円満ってのはあーゆーのを言うんだろーな。何よりだよ」


 オマエんトコも出来たら教えろよ。

 帰りしなぽんと投げるように言ってやったら「そやなあ、あんたに遊んでもらったりしたら楽しそうやしなあ」と矢橋はにこにこ笑ってみせた。


「子ども嫌いやないやろ? あんた」

「自分のが欲しいかって言われたらそうでもないけどな」

「そーゆー奴ほど、やと思うわ。ウチ」


 その前に嫁さんやであんたは、と急かしてくるが。……言ってろ。



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