第29話 「鐘楼の対決」
【前回のアンクロ】
クリフトの公開処刑が決まった。
英雄広場で絞首刑に処されるとの情報に『予定通り』とほくそ笑むメアリム。彼は絞首刑の最中に縄を切る事で、神の奇蹟を演出しようと企んでいた。
処刑当日、魔法による超長距離狙撃によって縄を切るという荒業に臨むベアトリクスを護衛するカズマの前に、黒髪の青年、クルスが現れる!
雨が降り始めた。
初めはポツポツと雨粒が落ちる程度だったが、やがて音を立てて降り始める。しかし、英雄広場に集まった民衆は帰るどころかその数を徐々に増していた。
広場に作られた処刑台には、5本の縄が処刑人を待っている。
やがて、英雄広場に処刑の『儀式』を告げる鐘の音が響き、広場に罪人を乗せた馬車が入ってくると、広場がざわめきはじめた。
恐怖の殺人鬼、極悪な盗賊、獣人の煽動者……帝都を混乱させた大罪人『銀狼』がいよいよその姿を現す。
集まった人々は凶悪な野獣の如き狼人を想像して固唾を飲んだ。
だが、処刑台の壇上に姿を現したのは、物静かな雰囲気の狼人だった。両腕を後ろに縛られ、処刑人に引っ立てられながらも、広場を埋め尽くした群衆の敵意と憎悪の視線に動じることなく、穏やかな表情を向ける男ーークリフトに、人々は少しばかり興を削がれた。
彼と一緒に処刑台に立つ四人の狼人は恐怖と緊張で顔を強張らせたが、やはり背筋を伸ばして毅然としている。
五人が処刑台に登り終えたとき、舞台袖の衛兵がラッパを吹き鳴らす。それを合図に、白地に赤と金糸の縁取りで装飾された法衣を身に纏った裁判官がクリフトの前に立つ。
裁判官は罪人五人を見渡すと、芝居がかった仕草で罪状の読み上げを始めた。
「クリフト、ウィルギル、テオ、ステファン、ゼップ。汝ら五人は共謀して帝都の商家を襲い、家人を皆殺しにした上財貨を奪った。また、獣人居留地襲撃の報復と称して無実の男を三人殺害の上死体を帝都裏門に晒した。そして狼人を煽動し、陛下に対する反逆を企てた。その罪、万死に値するものである……申し開きがあるか?」
裁判官の言葉に、狼人の一人が声をあげようとしたが、クリフトが手でそれを制する。
「では……ここに集まった皆様に申し上げます」
クリフトは静かな、しかし、よく通る声でそう告げた。民衆のざわめきが小さくなる。
「私はかつて大きく、重い罪を犯しました。そのせいで私の義弟は家族とすべてを失い、娘には謂れなき不幸を背負わせてしまいました……それは紛れもない事実であり、私にはその罪の罰を負い、償う責任があります……ですが、今ここで告げられた罪は私や彼らの罪ではない。罪を償うべきは私達ではありません」
クリフトの言葉に、広場のあちこちから怒号や罵声が飛ぶ。それに煽られるように、広場のざわめきがうねるように大きくなっていく。
だが、クリフトはその怒号に臆することなく、一旦天を仰ぐと裁判官を見据え、そして群衆を再び見渡して言った。
「父なる主よ……私の言葉の誠が貴方に届きましたら、私に偽りの罪ではなく、まことの罪を償う機会をお与えください」
「首に縄を掛けよ!」
裁判官の号令に、処刑人の助手が駆け付け、五人の首に縄を掛けていく。
……
……
……
……
「クリフトさんは……お前が言うような『英雄』じゃない!」
薄暗い部屋に激しい火花が散る。
俺の斬撃を正面から受け止めたクルスが口許を歪めた。
「しかし、一度は『銀狼』を名乗ったのだ。民衆の求めに応える気はあったのだろう? そして今、英雄の栄光と罪を一身に背負って刑場の露になる……素晴らしいじゃないか」
……鳩尾を狙った前蹴りからの袈裟懸け!
俺は後ろに跳んでクルスの蹴りを受け流すと、袈裟懸けを受け止めてそのまま押さえ込んだ。
鋼と鋼が擦れる不快な音が響く。
「貴様はゲルルフの報復に手を貸してたんじゃなかったのか!? 何故人間の……貴族の企てを助けるような真似をする!」
「ふん。狼人の傍らに立てば彼らの味方だと思ったか?」
「なに?」
クルスが鍔迫り合いを押し返してくる。五分に戻した所で、クルスが囁くように言った。
「真なる英雄は一人居れば足りる。英雄が舞台に立つためには、場を整える前座が必要だろう。俺は前座を盛り上げたに過ぎん」
こいつ、何言ってやがる……? まさか、クリフトさんを処刑台に立たせるように仕組みやがったのは……
「そらっ!」
俺の動揺の隙を突いて、クルスが俺を蹴り飛ばす。バランスを崩した俺に、クルスが腕を突き出し叫んだ。
「『爆ぜよ』っ!」
「くっ! 吹き散らせ! 『疾風よっ!』」
俺が印を組んで腕を払った刹那、目の前で炎が爆ぜ、すぐに突風によって吹き散らされた。
その渦巻く炎を突き抜けて、刀の切っ先が俺に迫る!
「ちぃっ!」
体を捻って躱すも、頬を刃先が抉った。構わずそのまま一気に詰め寄り、クルスに体当たりをかます。
大きく体勢を崩したクルス目掛け、俺は刃を振るった!
「ぉらぁっ!」
「ふっ!」
肩口を狙って降り下ろした一撃を、踏み留まったクルスが受け流す。反撃の切り返しは上体を反らしてなんとか躱すが、刀の切っ先が鼻先を掠めて背筋がヒヤリとした。
やはり、こいつも見えている。
動きに無駄がないし、俺の剣を受けるタイミングや反撃の速さなど、俺の考えが分かってるとしか思えない。
くそっ! 厄介な……っ
「余所見をするか!」
「ちっ!」
横凪ぎの一撃を跳ね上げる。そのまま互いに刀を振るうが、すべて空を斬った。
再び間合いを取り、サーベルを上段に構え直す。息が荒い。体からは湯気が立ち上っている。
クルスは刀を八相に構えて大きく息を吐いた。
鐘楼の外から歓声が響いてくる。処刑場は今どうなっているんだ? もう処刑は始まっているのか?
くそっ! 外の状況が見えないと焦る……ベアトリクスさんが魔法を完成させるまで時間を稼がなければ。
俺はジリジリと鐘突台に続く階段を塞ぐように動きながらクルスに問う。
「お前の目的はなんだ? ゲルルフの仲間じゃないなら誰の為にあんな事をした?」
「誰の為に……か。俺は俺の大義の為に力を振るう。俺達は異世界人だ。何でこの世界の人間の為に力を使う必要がある? 」
と。クルスは構えを解いて、俺に手を差し伸べた。
「カズマ、俺のところに来い。貴様にはその資格がある」
「……なに?」
唐突な事を言うクルスに、俺は眉を顰めた。散々斬り合っておいて、何をいきなり。
「メアリム=イスターリは異世界人である貴様の力を利用するため、泥沼の政争に巻き込むつもりだ。だが、俺と来れば誰かの手足として使われることもない……どうだ?」
「……そうやって自分のために力を振るった結果が、あれか」
「大義のためには必要な犠牲だ」
「どんな大義かは知らんが、罪もない子供や女性を殺さなきゃならない大義なんて俺はやだね」
「そうか。残念だ……」
クルスは深く溜め息をつくと、再び刀を構える。
……ぞわり。
クルスの体から発せられる圧迫感に、俺の背筋に冷たいものが走った。
……っ! 来る!
直感した刹那、クルスの右手から銀光が閃いた……!
……
……
……
……
雨は更に強くなり、遠くの空が激しく瞬き始めた。処刑場を埋め尽くす民衆の声は更に高まっていく。
「皆さん、この様なことに付き合わせて申し訳ございません」
『共犯者』四人の方を軽く振り向いて、クリフトが詫びる。
「……いえ。あの『ギーゼルベルト=ベッカー』と運命を共にできるなら」
狼人の一人が寂しげな笑顔を浮かべて小声で答えた。
「縄を引け!」
裁判官の号令に、処刑人がクリフトの首にかけられた縄を引く。滑車が軋む音を立て、首を締め上げられたクリフトは顔を歪めた。
広場を埋め尽くす群衆の声が更に高まる。
『吊るせ! 吊るせ!』
『殺せ! 殺せ!』
やがてそれは罵声の大合唱となり、広場をうねるように満たしていく。
ついにクリフトの爪先が処刑台から離れた。
「がっ……はっ!」
歯を食い縛るクリフトが苦悶の声を上げる。
雨は激しく降り注ぎ、クリフトの体を打った。空が激しく瞬き、幾筋もの雷光が黒雲を駆ける。
刹那……!
強烈な閃光が二度、三度瞬き、刑場近くの尖塔の屋根を稲妻が貫いた。
轟音が空気を、大地を揺らし、広場の熱狂は悲鳴に変わる。
その時、少年の叫び声が響いた。
「綱が……綱が切れたぞ!」
……
……
……
……
「ふっ!」
クルスが低い姿勢から一気に間合いを詰めてくる。そのまま逆袈裟!
俺は後ろに跳んで斬撃を避けると、次の切り下ろしをサーベルで弾く。
クルスも素早く間合いを取って追撃を許さない。
ちっ! やはり読まれたか。
窓の外、英雄広場の歓声がさらに大きくなった。処刑が始まったのか! ベアトリクスさんの魔法はまだ完成しないのか?
「何を見ている?!」
「っ!」
クルスの斬撃。反応が遅れた俺は、何とか刃を受け止めたものの、首もとまで押し込まれてしまう。
鋼の擦れる耳障りな音が迫る。このまま押し負ければ、首を掻き切られる……!
ーーくくくっ! カズマ、目を閉じておかないと死ぬよ?
耳元を通り過ぎる少年の囁き。
耳障りなこの声は……!
考える間もなく、俺は目を閉じた。
その瞬間。轟音が空気を震わせる!
なにが起こった?
「くっ! 落雷だと!?」
クルスが叫び、目を腕で覆いながら俺の間合いの外に後退る。稲妻の閃光をまともに浴びて視界をやられたか。
攻めるなら今だが……
『綱が切れたっ!』
『主だ……父なる神の雷だ!』
『主が裁きに異を唱えられた……!』
広場から叫び声が聞こえる。
切っ先をクルスに向けたまま横目で窓の外を確認すると、クリフトさんと思しき狼人が刑場の床に倒れているのが見えた。
ベアトリクスさんが成功したのか? クリフトさんは無事だろうか?
「『主の裁きの雷』か。流石は大賢者。演出も念が入っている」
振り向くと、クルスは刀を鞘に納めていた。あれほど強かった圧迫感も嘘のように消えている。
「興が冷めた。勝ちはくれてやる……だが次はない」
「負け惜しみを……!」
「無駄な事はしたくないだけだ。その命、次に会うまで預けておく。さっきの話、よく考えることだ」
クルスは口許を歪めて笑うと、外套を翻して踵を返した。その姿は階段に垂れ込める闇に溶け、音もなく消えていく。
……そう言えば奴が現れたとき足音がしなかった。瞬間移動でもするのか?
まさか、な。
クルスの気配が完全に消え、俺は全身から力が一気に抜けたように、床に崩れ落ちた。
サーベルを握る手が疲労で震えている。
「何なんだ?アイツは。ふざけやがってチクショウ」
結局、鐘突台から降りてきたベアトリクスさんに体力回復の魔法をかけてもらうまで、俺は動くことができなかった。




