第30話 「祭りのあと」
【前回のアンクロ】
ーーマリナが十字架に掛けられた、その日の昼の事である。
全地は夜のように暗くなった。その時マリナは大声で叫ばれた。
「主よ! わが父なる神よ! どうして私を見捨てられたのですか!」
マリナは声高に叫んで息を引き取られた。
その時、闇夜の如き雲から幾百の雷が大地に落ち、大地が揺れ、神殿の垂れ幕が二つに裂けた。
それを見た人々は、口々に叫んだ。
「神が怒りを示された」
「あの方はまことに神の子であった」
マリナはすべての人々の罪を背負い、その罪を身をもって償われたのであるーー
ーー『ヘラト記 第15章30節』
これは後で聞いた話だが、俺がクルスとやりあってへばっていた頃、処刑場でも騒動があったらしい。
稲妻が落ちてすぐ。
「生きているか?! ギーゼ……クリフト君!」
「クリフトさん! ご無事ですか!」
首を吊っていた縄が切れ、処刑台に倒れ込んだクリフトに、四人の狼人が首に掛けられた縄を振りほどいて駆け寄った。
クリフトは目を僅かに開けて、小さく頷き彼らに応える。
その時、黒い軍服の騎士が数人処刑台に駆け上がり、クリフトたち五人を取り囲んで鉾槍を突き付けた。
「貴様ら! これはどういう事か!」
処刑台の袖から、派手に飾られた青い詰め襟の軍服を身に付けた若い騎士が飛び出し、雨に濡れた豪奢な金髪を振り乱して叫ぶ。
「はっ! 大佐。どうやら処刑用の綱が切れたようです」
駆け付けた騎士の一人が、大佐と呼ばれた若い騎士に敬礼して答えた。
だが、大佐と呼ばれた青年騎士ーーハンス=フォン=ウラハはその騎士を怒鳴り付ける。
「そんなことは見れば分かる! なぜこの様なことが起きたのかと聞いている!」
怒鳴られた騎士は、戸惑いの表情を浮かべて『……わかりません』と答えた。
その答えに、ハンスは苛立たしげに舌打ちした。
「もうよい! では何故罪人どもをそのままにしている?! こいつらは死刑囚だ。さっさと刑を執行しろ!」
「しかし、大佐……」
「ええぃ! ならば俺が斬る! お前達は罪人どもを取り押さえよ!」
なおも動こうとしない騎士たちに、ハンスは腰のサーベルを抜き放って叫んだ。
雲間から覗く陽光が刀身に反射して鋭く光る。
「いい加減にせぬか! ハンス卿!」
「……! ブロンナー……殿」
抜き身のサーベルを手に声の方を振り向いたハンスは、数人の騎士を引き連れて現れた法衣の男に顔を顰めた。
ブロンナー=フォン=コルネリウス伯爵。中央本庁副長官であり、銀狼処刑の立会人である。
額から頭頂部まで禿げ上がった頭、四角く角張った顎と芋虫のような眉で構成された面構えが、白を基調とした法衣と微妙に合っていない。
「お主も見ていたであろう? 主の聖霊が雷と共に顕れ、この者の刑の執行をお止めになったのだ」
ブロンナーは芋虫の下に光るぎょろりとした目でハンスを睨み付けると、諭すように言う。
「神ですと?! そのようなものは……!」
「少なくとも」
呆れたように反論の声をあげるハンスを、ブロンナーは強い口調で制した。そして広場を目配せしながら声を低くする。
「……この広場に集まった民はそう捉えておる。卿は、そのような中でかの罪人に剣を振るうのか?」
「……ちっ!」
ハンスはブロンナーの言わんとするところを察すると、悔しげに舌打ちしてサーベルを鞘に納めた。
「どちらにしろ、こうなっては今日の刑の執行は無理だ。儂はこの場で起こった事象を陛下に報告し、神学会に諮るか否かの判断を仰ぐ。勝手な真似は慎んでもらおう」
「……好きになされよ」
ブロンナーの言葉に、ハンスは吐き捨てるように言って踵を返した。
ハンスが処刑台を降りたのを確認すると、ブロンナーはクリフトたちを囲む騎士たちに低い声で命じる。
「騎士団は囚人を中央本庁に護送せよ……くれぐれも、護衛隊に渡すなよ?」
「「はっ!」」
敬礼をし、クリフト達を立たせ、取り囲むように護送する騎士たち。去り際にブロンナーと目があったクリフトは僅かに頭を下げた。
「やれやれ……大賢者殿も派手にやるものだ。後始末をする者の身にもなって欲しいわい」
ブロンナーは深い溜め息をつくと、日が射し始めた空を見上げて口の中でそう呟いた。
……
……
……
……
処刑場はまだ混乱していた。
先程まであれだけ激しく降っていた雨は嘘のように止み、雲間からまるで光の柱のように陽の光が差し込んでいる。
処刑は取り止めになったようだけど、英雄広場にはまだ多くの人々が留まっている。ざわめきからは中から時折、『聖典にある神の怒りだ』、とか『奇蹟が起きた』と話す声が聞こえた。ある人は跪いて祈り、ある人は空を茫然と仰いでいる。
神の奇蹟を目の当たりにした興奮と感動、それが狼人の祈りによってもたらされた狼狽と困惑、公開処刑に水を差された苛立ちと怒り……そういった感情が広場に渦巻き、皆その場から離れられないでいるのかも知れない。
そんな人々を横目に見ながら、俺とベアトリクスさんは鐘楼を抜け出して外套で身を隠すように英雄広場から離れた。
爺さん。またずいぶん派手にやったものだな……まあ、お陰で疑われることなく鐘楼から脱出できるのだけど。
しかし、『主の裁きの雷』か。
確か、以前読んだ聖マリナ教の聖典に記された、聖女マリナ磔刑の場面で出てくる話だったっけ。
影響は想像以上だな。それだけ人々の心に信仰が根付いているということだろう。宗教に余り拘りの無い日本人には想像できない事だが。
「カズマさま、ここからは二手に別れましょう」
「え?」
広場から少し離れたところで、ベアトリクスさんが俺を振り向いて言う。
「私はクリフトの身の安全を確認して参ります。カズマさまはこのまま雑踏に紛れて屋敷にお戻りください」
切れ長で澄んだ翠の瞳を細めて微笑むベアトリクスさん。
ここまでは、途中までメアリム爺の馬車に乗ってきた。馬車はそのまま爺さんが乗っていってしまったから……
「歩いて、ですか?」
「はい。その方が目立ちませんから……では、お夕飯までにはお戻りください」
ベアトリクスさんはそう言うと、優雅に一礼して身を翻した。
そのまま音もなく雑踏に紛れて消えてしまう。
歩いて……って、屋敷は帝都の外れにあって、ここから結構距離あるんですが?
まあ、仕方ないか。
俺は大きく溜め息をつくと、ベアトリクスさんとは反対の方に歩き始めた。
……と。
俺の隣をフードを目深に被った人が通り過ぎる。すれ違い様に、フードからこぼれた銀の髪が見えた。
そして一瞬洋紅色の瞳と視線が合う。
ハッとして俺がその人を振り向いた時には、彼女は人波を縫うように通りを横切っていた。
彼女は英雄広場の方向から歩いてきた。つまり、さっきまで処刑場に居たのだ。
……父親の処刑を見に来ていた?
ここは追い掛けるべきだろうか。でも、追い付いたとして何て声を掛ければいいんだろう……?
俺が戸惑っている間に、少女の後ろ姿は人混みに埋もれて消えてしまった。
……
……
……
……
「成果としては予想以上じゃ。ワシの才能が恐ろしいわい」
メアリム老人は呵呵と笑うと紅茶をあおった。
端から見たら悪巧みが上手くいって高笑いする悪役だ。いや、爺さんがやったことは神に対する冒涜に近い行いだから、悪役っていうのも間違いじゃないか。
「全く……上手くいったからよかったものの。俺の方は結構危なかったんですよ?」
俺はビスケットをかじり、ジト目で老人を睨み付けた。
英雄広場の前でベアトリクスさんと別れたあと、屋敷に帰りついた時にはすっかり陽が傾いていた。
今まで帝都の街をただぶらぶら歩くなんて事がなかったから、ついつい寄り道しながら歩いてしまったのが遅くなった原因だが……
しかし、夕食の時間に間に合ったのは幸いだった。遅れていたら飯抜きにされるところだった。
そして、久々に葡萄酒を飲んで上機嫌のメアリム爺を相手に食後のお茶を飲んでいるのだ。
「でも、予想以上ってどういう事です?」
「うむ。『奇蹟』を目の当たりにした民衆が広場で軽い騒ぎを起こしたらしい……狼人に神が奇蹟を起こしたことが納得できん連中やら、素直に奇蹟に興奮した連中がな。ブロンナーには少々悪いことをした。しかし……」
「しかし……何です?」
珍しく爺さんが言い澱んだ。俺が小首を傾げて問うと、メアリム老人は表情を厳しくして続ける。
「ワシは『聖典の奇蹟』に状況は似せた。雷を落としたのもベアトの狙撃の瞬間から民衆の気を逸らす為じゃ……しかし、『神の怒りの雷だ』とか『人の謝った裁きに対する警告だ』等と囁き、民衆の不安を煽った奴がおる。ワシは怒りや警告の意思を示したつもりなぞないわ」
広場を抜け出すとき、人々は不安と興奮が入り交じった異様な雰囲気だった。
確かに目の前で聖典の一節にあるような『奇蹟』が顕れて、それが『神の怒り』だとか『警告』だと囁かれれば不安にもなる。
まして、奇蹟が起こったのが自分達が今まで差別し蔑んできた狼人なのだ。
「それは……随分穏やかじゃないですね」
「うむ。その声は少年じゃったり老人じゃったり様々。だが声は聞いたが姿を見たものは居らぬという……まあ、お陰で護衛隊のハンスめもクリフトに手を下せず、騎士団が無事身柄を確保できたんじゃがな。不思議な話よ」
そう、難しい顔で唸りながら顎髭を撫でるメアリム老人。
爺さんの言う囁きの主には心当たりがある。
クルスと戦っているとき、雷が落ちる寸前に『目を閉じないと死ぬ』と俺に囁いた奴。あの黒ずくめで嫌みたらしく笑うクソガキが、声色を変えて広場の民衆に囁いて回ったに違いない。
確かにあれのお陰で助かったんだが……なんかスッキリしないな。一体何のつもりなんだ?
まあ、奴が何を考えているかは今はあまり重要じゃないか。
今日の処刑は免れたけど、クリフトさんはまだ獄中に居るのだ。早くあの人の罪を晴らしてこの屋敷に連れ帰らねば。
俺は冷めて温くなった紅茶を一気に飲み干す。
「それはそうと……今回の事でクリフトさんの処刑は中止になりましたけど、まだ被せられた罪は消えていませんよね。早く真犯人……ゲルルフを捕まえないと」
「クリフトについては心配せずとも良い」
「? どういう事ですか」
メアリム老人の答えに、俺は眉を顰めて問い返した。何だが、クリフトさんの問題はもう終わったような言い方だ。
すると、メアリム爺は顎髭を弄りながらニヤリと笑った。
「カズマよ。もしお主が神であったとして、嘘をつき言い逃れをするものを助けようと思うか?」
「……助けませんね」
俺の答えに、メアリム爺はゆっくりと頷いた。そして紅茶を飲み干して笑う。
「それと同じよ。裁判官があの場で読み上げた罪をクリフトは犯しておらぬ。神の奇蹟はその証明であり、英雄広場の民衆すべてが証人じゃ」
「それって詐欺じゃ……」
「兎に角、これでクリフトは銀狼で、商人襲撃や狼人煽動の首謀者だという罪状は否定された。つまり無罪放免じゃ。護衛隊が引っ張ってきた四人の狼人も、騎士団が調べ直しておる。じきに解き放たれよう」
爺さんの話通りなら、クリフトさんはじきに解放されて屋敷に戻ってくるだろう。『銀狼』という、人間側からみた反乱者の『汚名』も雪がれ、今まで通り執事として爺さんの元で働ける。
銀狼を匿っていたというメアリム爺の疑いも……かつてのギーゼルベルトが銀狼であることを知りながら執事として雇い、匿っていたのは事実だが……再び爺さんとクリフトさんの胸の中に葬られた。
……万事上手くいったように見える。
でも、何故かイヤな予感というか、胸騒ぎがする。
「できれば、ワシも公爵派の連中の悔しがる顔が見たかったのぅ……さぞ愉快であろうな」
口許を歪めて悪役っぽい台詞を言いながら顎髭を撫でるメアリム爺。
俺はそんな爺さんに、ふと沸き上がった疑問を口にしてみた。
「本当に……クリフトさんの処刑はその公爵派だけが企んだのでしょうか」
「なんじゃと?」
顔を顰めるメアリム爺に、俺は鐘楼での事を話した。
以前ゲルルフと共にいた黒髪の青年が、クリフトさんを処刑させるために俺達を妨害しようとしたこと。
彼ーークルスはゲルルフ側の人間では無いこと。
そして、クルスが俺と同じ異世界人で、何か別の目的があって動いているらしいこと……
「……クルスか。そやつの名、『シノブ』ではないか?」
俺の話を聞いたメアリム老人は、厳しい表情を浮かべて唸るように問うた。
「……ご存じなのですか?」
「……来栖 仁 。お前が戦った相手がワシの知る男ならな」
来栖 仁……それがアイツの名前?
でも、爺さんの口からその言葉が出るということは、もしかして彼は……
その時、ベアトリクスさんが音もなくダイニングに入ってきた。
「旦那様……お客様でございます。急ぎここを離れてください」
緊張した面持ちでそう告げるベアトリクスさん。その手にはレイピアとサーベルが握られている。
どう見ても来客を告げる感じじゃない。
「何があった?」
老人もベアトリクスさんのただならぬ雰囲気に思わず腰を浮かすが、すぐに表情を歪めて舌打ちをした。
「おのれ……最近はワシの屋敷を囲むのが流行っとるのか? 迷惑な話じゃ」
「いや、んな訳無いでしょ! 何がどうなってるんです? 一人で納得しないでください」
思わず俺が突っ込むと、メアリム爺はめんどくさそうに顎で窓を顎で刳る。
「窓の外を見てみよ。イヤでも分かるわ」
老人に言われ、俺は恐る恐るダイニングの窓から外を見て……息を飲んだ。
黄昏時の薄闇の中、屋敷を囲む雑木林の中でいくつもの光が蠢いている。
色合いや揺れ方からして松明の炎か。
その灯りが照らすのは特徴的な三角の目出しフード……あの悪趣味な格好は忘れもしない。
「 純白の民……?」
何であいつらがこの屋敷を……?




