第28話 「奇蹟は起こしてこそ」
【前回のアンクロ】
銀狼事件の影響を記したクリフトのメモから事件の真相を探るメアリム。
殺された商人は公爵派と対立する宰相派に近い者たちだった。そこに政治的謀略を読み解くメアリム。しかし、ゲルルフと公爵派を繋ぐ点が見えなければただの偶然。
メアリムは『倍返し』の為に先ずクリフトを助けなければならないとカズマに告げる。その策とは?
屋敷が燃えている。
俺は炎と煙に包まれた廊下を走りながらクリフトさんの名を叫んだ。
……何故こんなことになったんだろう?
クリフトさんの処刑を、ヨルク老やロベルト達の協力で何とか阻止した。
疑いの晴れたクリフトさんと屋敷に帰り、メアリムの爺さんとこれからの事を話していた時、突然何者かの襲撃を受けた……襲撃の気配を察して飛び出したクリフトさんを追って、俺は書斎を出でて……
そこまで思い出した時、廊下の奥、灰色の煙の向こうから激しい剣戟の音が響いてくる。
クリフトさんか? 誰かと戦っている?
俺は袖で口許を覆い、煙を吸わないようにしながら腰のサーベルを抜いた。
「……なっ!」
煙の向こう側に躍り込んだ俺は絶句した。クリフトさんがエントランスの床に血塗れで倒れている。
黒い外套を纏った、獅子の鬣みたいな髪をした男が、血に濡れた剣を手に倒れたクリフトさんを踏みつけて俺にニヤリと笑いかけた。
「駄犬が。つまらねぇ……なあ? カズマ、お前は楽しませてくれんだろ?」
死んだ……?
殺された……クリフトさんが……? そんな……なんで。
頭が混乱する。一体何が起きた?
遠くで雨の音がする。エントランスの壁や天井は炎に包まれ、火の粉が俺に降り注ぐ。
「貴様ぁぁぁっ!」
俺は絶叫し、目の前の男に斬りかかった。だが、刃は男にかすりもせず、逆に脇腹を蹴り上げられる。
一瞬息が詰まり、踞った俺は男越しに見た庭の光景に目を見開いた。
激しく降る雨のなか、見覚えのあるローブと白髭の老人ーーメアリム爺が杖に寄り掛かるように立っているのが見える。
メアリム老人の背後に黒い外套の男が立った。鋭い切れ長の目の、整った綺麗な顔立ちをした青年。
彼は、その漆黒の双眸で射るように俺を睨むと、手にした剣を上段に構えた。
「やめろぉっ!」
俺の叫びを待っていたかのように、青年は刃をメアリム老人の背中に降り下ろす……!
……
……
……
……
「……っ!」
窓枠が揺れる程大きな雷鳴に、俺は弾かれるように目を覚ました。
……夢、か?
体が熱い。全身に汗をかいていて、喉がカラカラに渇いている。体を動かそうとして、何故か脇腹に痛みが走った。
夢……にしてはイヤにリアルだったな。
俺は痛む脇腹を擦りながらふと窓の外に目をやった。誰かの視線を感じたのだが……そこには木の枝で伸びをしながら爪を研ぐ黒猫が一匹見えるだけだった。
気のせい……か。
遠くで低く雷鳴が鳴っている。寝よう。こんなんじゃ、明日大事な役目を果たせない。
俺は溜め息をつくと、ベッドに潜り込んで目を閉じた。
……
……
……
……
暗くどんよりした雲が空を覆っている。
薄暗い石造りの部屋に立ち込める重く湿った空気が鬱陶しい。
結局、あのあと一睡もできなかった……お陰で体が気だるい。
ベアトリクスさんが今日はかなり降ると言っていたが……この雲は雨だけじゃなくて雷も来そうだな。
俺は気持ちを奮い立たせるために、腰に佩いたサーベルの柄を握った。
クリフトさんの愛刀。飾り気の無い、実用重視の無骨なサーベルだが、手入れが行き届いたいい品だ。
俺は壁に身を隠すようにしながら外の様子を窺う。鐘楼の窓からは、英雄広場の様子がよく見渡せた。
広場は既に多くの人々が集まり、今から始まる公開処刑を待ち望んでいる。
ったく。人が死ぬ瞬間を見たいだなんてどうかしている。
俺は溜め息をつくと、屋上の鐘突台に続く階段の前に仁王立ちになり、下の階に続く階段を睨み付けた。
不意にガラス窓が震えるような音をたてた。
部屋の空気も渦を巻くようにゆっくりと動いているようだ。
ベアトリクスさんが風のマナの圧縮を始めたのだろう……いよいよか。
お願いだから誰も来ませんように。
俺は目の前の階段の闇を見詰めながら一昨日の事を思い返した。
……
……
……
……
「先程、ブロンナー様から報せが参りました。クリフトは商家4件に対する強盗、殺人及び内乱煽動の疑いにより死罪……処刑は公開で、明後日正午の鐘と同時に執行されるとの事にございます」
朝食のパンを盛った籠をテーブルに置きながら、ベアトリクスさんがサラリととんでもないことを言った。
「死罪? ……公開ってどういうことですか?!」
「驚くことか。犯人は反乱者『銀狼』を名乗り、商家を皆殺しにして帝都を騒がせた大罪人。民衆の心を安んじるには、目の前で処刑するのが一番効果的だ、と言うことじゃ。民衆の方もそれを望んどる」
俺がギョッとして問うと、メアリム爺がパンを千切りながらぶっきらぼうに言う。
他人事のように言ってはいるが、その表情は憮然としていた。
「くそっ! 濡れ衣着せた上に晒し者にするなんて……何てやつらだ」
苛立ちをぶつけるようにテーブルに拳を打ち付けると、食器が揺れてスープがテーブルクロスに跳ねた。
「……カズマさま?」
「うっ……すいません」
ベアトリクスさんに横目で鋭く睨まれ、俺は思わず背筋を伸ばす。
彼女は微笑みを浮かべて頷くと、静かな口調で続けた。
「処刑方法は絞首刑でございます。既に帝都中に触れが出ているとのこと」
「うむ。ご苦労じゃった。続きは食後に書斎で話す。ベアトとカズマはすぐ来るように」
固いパンをスープに浸して柔らかくしながら、メアリム爺が俺とベアトリクスさんを交互に一瞥する。
「かしこまりました」
優雅に一礼して厨房に下がるベアトリクスさんの背中を見送り、俺はメアリム老人に問うた。
「ここじゃダメなんですか?」
「馬鹿者。食事をしながら難しい話が出来るか……どこに耳があるか分からぬわ」
大賢者メアリムの屋敷の敷地に忍び込んで盗み聞きをするような奴がいるとは思えないが……用心するには越したことがないと言うことか。
俺は『わかりました』と頷くと、固くなったパンをほぐしにかかった。
「今のところは予定通りじゃ。ブロンナーも上手くやっとる」
食後の書斎。
椅子に深く腰掛けたメアリム老人は、ブロンナー副長官の手紙を読むと、机に放って笑みを浮かべた。
「予定通りって……どういうことです」
処刑が決まった事を喜ぶのは何だか複雑だ。
俺の表情にメアリム老人が肩を竦める。
「確かに、普通この状況は詰みじゃ。じゃからワシはブロンナーを通じ、中央本庁長官ヘルムート伯に嘆願書を出した。『銀狼なぞ知らなかった。ワシは関わりない』、とな」
ここ数日屋敷から一歩も出ず、何してるのかと思ったら、クリフトさんを見捨てて命乞いする手紙を書いてたのか? この爺ぃ……
思わず拳を握り締める俺を、メアリム爺は手で制した。
「馬鹿者。話を最後まで聞け。ワシが命乞いをしながら屋敷に引き籠っとる様は公爵派……そしてウラハ公の耳にも入っておろう。そこが狙いよ」
老人は顎髭を撫でて笑った。
「ワシは自分の地位や名誉なぞに拘らぬ。じゃが、貴族どもはそうではない。奴らの基準でワシを見れば、最早『罠に吊るされた猪』じゃ。抵抗はないと見て仕上げに入った……それが公開の絞首刑じゃよ」
吊るされた猪、つまり『まな板の上の鯉』か。それはいいけど……今日の爺さんはいつにも増して饒舌だな。
「罪人の公開処刑には二通り方法がある。断頭台による斬首と縄で括り殺す絞首刑じゃ。断頭台にかけられればワシからは手が出せぬ……が、斬首は貴族の処刑にしか用いられんから無いと踏んでおった」
「? ……何故ですか」
「断頭台は確実に、しかも一瞬で終わるし、殺される方も苦痛を感じずに死ねる。故に『名誉の処刑』と呼ばれておるのじゃ。見物人も、あっさり過ぎて余り盛り上がらぬ」
「盛り上がらぬ……って、まるでお祭りですね」
まるで祭りの余興の話でもするような言い方に、俺は不愉快な気分になった。苦々しく言う俺に、メアリム老人も苦笑いを浮かべる。
「娯楽の少ない民衆にとっては、処刑も祭りじゃよ。反吐が出るがな。貴族以外の罪人は絞首刑じゃ。絞首刑は執行されてから罪人が死に至るまで時間がかかる。罪人がもがき苦しむ様を見て、民衆が溜飲を下げるのじゃ……処刑された罪人の死体は、遺体が腐れて落ちるまでその場で晒される」
老人の話にゲルルフに殺され、吊るされ晒された商人の家族を思い出し、俺は胸の奥が重くなった。
……残虐極まりないな。
死んだ爺さんがよく『人間も動物も、亡くなれば皆同じ佛様』と言っていた。俺も遺体に罪はないと思っている。
だから、殺してなお遺体を辱しめる行為は俺には理解できない。
『郷に入れば郷に従え』と言うけど、こればかりは受け入れられそうにはないな。
「さっきも言った通り、『銀狼』は帝都を騒がせ、多くの人間を殺した狼人じゃ。奴を憎む者も少なからずおる。民衆を満足させるには、連中の目の前で括り殺すのが一番だし、それ以外に選択肢はない。それに、『銀狼を捕らえたのは護衛隊』とか、『大賢者メアリムの執事』とでも書いた札を死体と一緒に晒せば、実積を誇示できるしの」
それがクリフトさんを銀狼に仕立てて処刑する目的でもあるのか。『死人に口なし』とはよく言ったものだ。
「しかし、絞首刑には断頭台にはない『特例』があるのじゃ」
「特例……って」
ニヤリ、と意地の悪そうな笑みを浮かべるメアリム爺。この笑顔、何だか嫌な予感がする。絶対真っ当なことじゃない。
「ごくごく稀に、罪人の首を括る縄が切れる事があります。その場合、『神が審判に異を示した』として、刑の執行が保留され、神学者による奇蹟の調査が行われるのです」
ベアトリクスさんが俺の隣に来て説明してくれた。
しかし、ここに来て『神』とか『奇蹟』とか出てくるのか。
「ま、象牙の塔に寄生する神学者どもが、その固い頭で屁理屈を捏ね回すのじゃ。結論が出るまで数ヵ月……最悪数年はかかるの」
メアリム爺が皮肉めいた口調でベアトリクスさんに続けて言う。そう言えば爺さんは無神論者だったな。
……そんな人が『神』の威光を利用しようと言うのか。いや、爺さんだから考え付くんだろうな。
しかし、最低でも数ヵ月の猶予は大きい。
「……その間にゲルルフを捕まえて、クリフトさんの無実を証明する、ですか」
「時間稼ぎも狙えるが、大々的に宣伝した『大罪人』の処刑に神からケチが付くのじゃ。それだけで面目丸潰れ。大恥ものじゃ。同じことをやろうとは思うまいよ」
……名誉とか体面を気にすれば、一度ケチがついて大恥かいた事をもう一回やろうとは考えない、か。
相手が一番嫌がることを確実に抉るスタイルか、この人は。絶対敵にしたくないタイプだ。
「でも、縄が切れるって、それって狙って起こせる訳じゃないでしょう? それこそ奇跡ですよ」
俺の言葉に、メアリム老人は『ふふん』と鼻で笑う。
「奇跡は待っていても起きん。奇跡は起こしてこそ、じゃよ」
そして、書斎の隅から筒状に丸められた大きな紙を取り出すと、机に広げた。
これは、帝都の大まかな平面図か。
「処刑場は帝都中央公園『英雄広場』。周辺の建物は既に騎士団が不測の事態に備えて押さえておる」
老人は帝都のほぼ中央にある『英雄広場』を指差し、広場の回りにある建物をなぞってゆく。
その指が一点で止まった。
そこには『大鐘楼』と書いてある。機械仕掛けの大時計台で、帝都の時を告げる鐘楼だ。
帝都でもかなり高い。
「で、じゃ。処刑台の正面にあるこの鐘楼が位置としては最良じゃ。処刑台までの距離はおよそ660エーヘル……ベアトよ、出来るな?」
「……仰せとあらば」
地図から顔をあげてベアトリクスさんを見るメアリム爺。ベアトリクスさんはにっこりと笑い返すと、いつものように優雅に一礼する。
ちょっと待て。今軽く言ったけど、660エーヘル?!
つまりメートル換算で約200メートルだ。東京ドームの端から端までじゃないか!
その距離から処刑台の綱を切る? ……しかもバレずに。どうやるんだ?
「では……各々抜かりなく、のぅ」
……
……
……
……
「疾風の刃による超長距離狙撃で証拠を残さず縄を切るとか……無茶振りもいいところだ。普通考えないよな」
俺は窓の外を眺めながら独り言ちた。
魔法による狙撃は森妖精でもかなり集中力を使う技だ。ベアトリクスさんは狙撃体勢に入ったら魔法の制御に全神経を集中させるため、周りが見えなくなるらしい。
鐘楼の入り口にはメアリム爺が人避けの魔法をかけているが、念のため俺がベアトリクスさんの護衛についている。
……こんな大役、俺で務まるだろうか?
処刑が行われる場所まではかなりの距離があって、大まかな様子しか分からない。
処刑台の側、広場より一段高くなった場所に色鮮やかな服を着た人が見える……多分あれが立会人の中央本庁ブロンナー副長官だろう。他にも何人か居るようだが……?
「ほう? こんなところで会うとはな……奇遇、というべきかな」
不意に声を掛けられ、俺は弾かれるように窓から離れると、サーベルの柄に手を添えて身構えた。
「……お前は」
そこに居たのは、黒の外套を身に纏った青年。鋭い切れ長の目と、整った綺麗な顔立ちをしている。肩まで伸びた艶やかな髪、真っ直ぐ俺を見据える瞳は深い漆黒。
この圧迫感。俺はこいつを知っている。
「……クルス、だったな。確か」
「ふっ……今度は忘れていなかったようだな? カズマ」
クルスは口許を歪めて肩を竦めると、ゆっくりと一歩を踏み出した。俺は圧されるように半歩下がる。
「風のマナが異様な動きをしていたから気になって来てみれば……大賢者メアリムもなかなか面白いことを考える」
「お前には関係ないだろう」
「あるさ……クリフトーーいや、ギーゼルベルト=ベッカーは処刑されなければならないからね」
そう言ってクルスは外套を払った。その腰には……黒鞘の日本刀?
刹那、俺は反射的にサーベルを抜き放ち、鋭い火花と共にクルスの斬撃を受け止めた。
抜刀の瞬間が見えなかった? こいつ、早い!
「『英雄』は人の望みによって生まれ、人の業によって死んで初めて完成する。15年前になり損ねた男がようやく真の英雄になろうとしているのだ……それを邪魔するのは不粋だろう?」
「何が『英雄』だっ!」
体重を乗せてクルスを押し返すと、俺はサーベルを正眼に構えて間合いを取る。
こいつ、ベアトリクスさんを妨害するつもりか? 何の為に?
畜生……俺達は『奇蹟』をもぎ取るんだ。ここでベアトリクスさんの邪魔をさせるわけには行かない。
ならば……ここは攻める!
俺は裂帛の気合いと共にサーベルを振るったーー




