第10話 「再会」
【前回のアンクロ】
メアリムと共に城に入り、皇帝ジムクントに謁見したカズマは例の風呂覗き事件を赦されるも、異世界人ではないかと冗談で疑われ肝を冷やす。
一方、ジムクントはメアリムに帝都を騒がす盗賊『銀狼』について語り、注意を促す。15年前、メアリムに関係する何者かが同様の事件に関わっていて、今回の事件との関係を疑う告げ口が出ているというのだ。
謁見を終えたメアリムは、カズマにイスターリの紋章を渡し、ヴェストの薔薇園を見てこいと命じるのだった……
ーー艶やかなる薔薇の園。咲き誇る花々は舞い踊る妖精達の如く。まさに楽土なりーー
オスデニアを代表する詩人、ヴォンテールはヴェスト城の薔薇園の美しさを、舞い踊る可憐な妖精達に例え、『天上楽土』と評した。
ヴェスト城の薔薇園は、熱烈な薔薇の愛好家であった初代オスデニア皇帝ノブリス大帝が自らの憩いの場として開いたのがその始まりと言われ、国内外から収集した季節の異なる8千種7万本の薔薇が咲き乱れる。帝国最大かつ最も美しい薔薇園だ。
ノブリス大帝以後、薔薇は皇帝の象徴となり、薔薇の紋は皇室の紋章として皇族や皇室に許可された者にしか使用を許されない特別な紋章となっている。
とまあ、メアリム老人の授業内容を反芻しながら城の廊下を歩いているわけだが、辺りを見渡しながらぶらぶらするのも楽しい。
この城に来たときはメアリム老人が一緒だったからゆっくり観察できなかったが、一人なら観察し放題だ。
アーチで構成された廊下は天井が高く、窓も大きくて明るい。だが、壁に掛けられた大きな風景画や皇族などの人物画、壁や天井に施された細緻なレリーフが重厚な雰囲気を醸している。
この雰囲気を肌で感じて歩くのは、城好きにはたまらない。
と、一人浮かれていても仕方ないな。早く誰か捕まえて薔薇園の場所を聞かなければ。さて、どうしたものか。
城なら召使いなり兵士なりがうろうろしてそうなものだが……人を探して最初の十字路を曲がったところで、俺はふと足を止めた。
廊下に据えられた天鵞絨の椅子に少女が一人座っている。
綺麗な亜麻色の髪の、澄んだ青と黒の異色眼と透き通るような肌をした白いワンピースの少女。
あの子は……でも、なぜ?
少女は俺を振り向くと小首を傾げ、微笑みを浮かべながら亜麻色の髪を掻きあげた。
「あ、カズマ。ごきげんよう」
「あ、ああ。こんにちは」
思わず挨拶を返して、慌てて咳払いで誤魔化す。流されてどうする。大体、何でこの子が城の中に居るんだ? どこかの貴族の娘とか?
「君は……なんでここに居るんだ?」
「うーん……何でかな? 気が付いたらここにいたよ?」
「……は?」
思いもよらぬ返事に、俺は思わず素っ頓狂な声をあげた。だが、少女は俺を真っ直ぐ見つめる。
「ねえ、カズマ知ってる? 運命は流転するんだよ?」
「え?」
この子、人の顔を見るなり何言ってるんだ?
「……だから運命は変えられるの。でも、変わらないものもあるんだよ?」
深く澄んだ青と黒の異色眼に真っ直ぐ見詰められ、俺は息を飲んだ。彼女……やっぱり誰かに似ている。
「変わらない……運命?」
俺の言葉に、少女はコクリと頷いて微笑んだ。
「うん。人と人を繋ぐ運命の糸。運命の糸はね、何度紡いでも必ず同じ人と繋がるの……絡まっても絶対に切れない糸……人はそれを『運命の人』っていうんだって。カズマにも居るのかな? そんな人」
『運命の人』ねぇ……残念ながら俺はそういった類いの話は信頼しないことにしてるんだーーって、あの子、俺の名前を知っていた? 名乗った覚えは無い筈だが。
それよりこの子、『気が付いたらここにいた』って言ってたな。本当かどうか知らないが、どちらにしても放っておけないな。
「なあ、君、お父さんとかは……って」
いつの間にかあの子が居なくなっている! ……どこ行った!?
辺りを見渡すと、廊下の角を曲がる亜麻色の髪が見えた。
あの子、いつの間に…… 一人で城の中をうろうろされたら大変だ。
急いで追わなきゃ……何故かそう思った。
亜麻色の髪を追って廊下を走り、何度かの角を曲がった所で庭に出た。どこを走ったか覚えていない……ヤバい。迷ったな。
ここは、城の中庭か? あの子、どこまで行ったんだ。
その時、木の葉が擦れる大きな音がして、絹を裂くような悲鳴が聞こえる。
「殿下! もうおやめください!」
「これ以上は危のうございます! 降りてくださいませ! 殿下!」
声の方を振り向くと、使用人だろうか、揃いの紺のドレスに白のピナフォアを身に付けた何人かの女性が悲痛な声を上げている。
「もうすぐ……もうすぐ届くから」
俺の頭に、青い木の葉と耳触りのいい声が木の梢から降ってきた。
「何を言ってるんですか! エリザベート様っ! これ以上は無理です! 後は私に!」
「心配しないで……シャル。私は大丈夫……だから」
ーーって、上!?
見上げた俺は思わず眼を見開いて絶句する。
俺の頭上、二の腕程の太さの木の枝に白のドレスを身に着けた亜麻色の髪の少女が掴まっていて、梢に手を伸ばしていた。
殿下って……皇女エリザベート殿下!?
彼女は伸ばした手に茶色の毛玉のような塊――鳥の雛を梢の巣に戻そうとしている。
頑張って手を伸ばしているようだが、あと一歩届かず焦っている……伸ばした指先が震えて危なっかしい。
何でまた……全然大丈夫じゃないだろ、ありゃ。
「もうすぐ……だからね? 大丈夫、だよ」
エリザベートはそう言うと、勢いをつけて体を伸ばし、何とか雛を巣に戻した……その瞬間!
「……っ!」
短く叫んだエリザベート。バランスを崩し、枝からふわりと体が離れる。
ーー落ちるっ!!
そう認識した刹那、俺の頭が真っ白になり考えるより先に体が反応した。
「『疾風』っ! ……エリィぃっ!!」
唐突に脳裏に弾けた言葉を躊躇い無く叫び、俺はエリザベートの下に飛び込む。
竜巻のような激しい風がまるでエリザベートを支えるように吹き上がり、ほんの僅かの間彼女の体が浮いた。その瞬間を逃さず、俺は彼女の体を受け止める……
……
……
「ぅぐ……ぅ」
気が付いたとき、俺は草むらに仰向けに倒れていた。背中と胸が痛い……地面に倒れるときに強く打ったらしい。
腕の中には暖かく、柔らかな感触がある。どうやら無事に受け止められたようだ。ホッとすると共に、彼女を抱き締める腕に力を込める。
「……んっ」
腕の中の少女が小さな声で唸り、モゾモゾと動いた。俺が慌てて抱き締めた腕をほどくと、俺の胸で亜麻色の髪の少女ーーエリザベートが顔をあげた。
「私は……? 貴方が、私を?」
「お怪我は……有りませんでしたか? 皇女殿下」
目を見開いて驚くエリザベートに、俺は少しおどけた口調で問う。彼女は睫毛の長い瞳を伏せて頷いた。
ーーそうか、よかった。
それにしても、とんでもない状況だな。皇女殿下が、俺の胸にいるなんて。
フワッと香る香水の甘い香りと、胸に感じる柔らかい感触に鼓動が高鳴った。
木から落ちた彼女を俺が受け止めたんだ。俺が彼女の下敷きになったんだから、この体勢は当然なんだ。胸が当たっているからって、やましいことは何もない!
しかし、彼女は余程怖い思いをしたんだろう。俺を上目遣いに見る目が涙ぐんで潤んでいる。
「ああ……また会えた」
「はは……その節はご無礼を」
目を細めて微笑むエリザベートに、俺は苦笑した。自分の風呂を覗いた男だ。忘れるわけがないか。しかも、助けるためとはいえ今度は抱き締めてしまった。つくづく無礼者だ。今度こそ陛下に手打ちにされるんじゃないだろうか。
「貴方の名前は?」
「カズマ=アジムと申します。殿下」
「カズマ=アジム ……カズマ……そう……貴方が」
エリザベートは俺の名前を噛み締めるように呟くと、はっと思い出したように体を起こした。
「あの雛は……?」
「大丈夫ですよ。あの雛は巣に戻って無事です。ご安心ください」
ここからでは巣の中は見えない。しかし、何となく雛が巣に戻っていることは分かった。
「……よかった」
エリザベートはホッとしたように笑い、俺もそんな彼女に笑い返す。何だろう。すごく懐かしい気持ちになる。前に彼女とこうやって笑いあったような……
「あのね、カズマ……」
エリザベートが小首を傾げて俺を見る。その表情に俺の胸が大きく跳ねた。いや……相手の歳は高く見積もっても高校生くらいだろう。そんな子供にいい大人が胸を高鳴らせるなんて。しかも皇女様だぞ? 何馬鹿なことを考えてやがる。
俺は感傷めいた甘い感情を振り払う。
「エリィっ! 怪我はない?! さっき凄い風が吹いたけど何が……って!」
その時、向日葵色のドレスを身に纏った赤毛の少女が茂みを抜けて現れた。
あの子は……たしかあの時の花瓶女!
赤毛の少女は俺とエリザベートを見て、悲鳴に近い声で叫ぶ。
「あ、あんたは……あの変態っ! 皇女殿下に馴れ馴れしく触るなんて無礼千万よっ! すぐに立ち去りなさい!」
「シャルロット、この方は身を呈して私を助けてくれたのです。そのような言い方は許しません」
エリザベートは立ち上がると、シャルロットと呼ばれた花瓶女ーーもとい侍女を強い口調で窘めた。
「何言って……こいつの顔、覚えているでしょ? エリ……殿下の湯浴みを覗いた変態野郎ですよ?」
シャルロットは顔を真っ赤にして俺を指差す。流石にムッときて、俺はシャルロットを睨み付けた。
「変態野郎って……酷い言い種だな」
「何よ。乙女の入浴を覗き見る変態を変態と呼んで何が悪いのよ!」
大きな胸を突き出すように腕を組んで俺を見下ろすシャルロット。
ぐっ……確かに風呂場を覗いたのは間違いないが、あれは事故だ。不可抗力だ。
「それより、何であんたがここに居るの? ここをどこだと思ってるわけ?」
「何でって……ウチの師匠の付き添いだよ」
そう言って、俺はメアリム爺さんから貰った紋章のペンダントをシャルロットに見せた。
「大賢者様の紋章……あんたがメアリム様の弟子って話は本当なのね……でも、貴族でもないあんたが王宮の庭園を彷徨いていい理由にはならないわ。大体、あんたここで何をしてたの?」
シャルロットは腰に手を当てて訝しげに俺を睨んだ。
何してたって……城で見かけた女の子を追いかけているうちに道に迷って……いやまて。それじゃ間違いなく変態じゃないか。
俺が答えに困っていると、エリザベートが俺とシャルロットの間に割って入った。
「それくらいにして。シャルロット……あの件は皇帝陛下も不問に付されたし、私も気にしてないわ。彼は偶然居合わせて、お陰で私はどこも怪我してない。それでいいじゃない」
静かだが有無を言わさぬエリザベートの口調に、シャルロットは肩を落としてため息をついた。そして、不満げに俺を睨み付ける。
「殿下がそう仰るなら……ったく、殿下の御慈悲に感謝なさいよね!」
なんだよ偉そうに……でかいのはその胸だけにしとけってんだ。
「殿下ーーっ! シャルロット様ーーっ!」
その時、使用人の女性が数人の男性を伴ってこちらに走ってきた。
男性が身に付けているのは赤い詰襟の軍服ーーあれは近衛騎士だ。使用人が呼んできたのか。
俺はエリザベートから離れると、跪いて頭を垂れた。
「殿下、この者から、殿下が危険な目に遭われていると聞いたのですが、いったい何があったのです?」
息を切らして心配そうに問う近衛騎士に、エリザベートは頭を振って微笑んだ。
「危険な目に? いえ、その様なことはありません……ねえ、シャルロット?」
「ええ。幸いに。実は庭園を散策をしていましたら、突然激しい風が吹きましたので、殿下にお怪我などあってはと、私がアンネに騎士殿を呼びに行かせたのです……申し訳ありません」
「いや、殿下に何もなければ良いのです」
しおらしく頭を下げるシャルロットと、アンネという名の使用人。まさか皇女殿下が木登りをして、足を滑らせて落ちたから呼んだ、とは言えないよな。そもそも、エリザベートを木に登らせたってだけでも責任問題だし。
でも、幸いエリザベートが無傷だったから良かったが、これで大怪我してたらどうなっていたか……
「ところで……この者は? 見ない顔ですが」
そう言って、近衛騎士は胡乱な表情で俺を見る。騎士に釣られるように、アンネや他の騎士達も俺に訝しげな視線を向けた。
「えっと……私は……」
あ、何て答えよう。エリザベートが木から落ちた事は無かったことになったから……ただの迷子? それって不審者じゃないか。
なんだ……またこのパターンかよ。やだなぁ。
俺がひっそりと溜め息をついたその時、聞き覚えのある声が背後から聞こえてきた。
「やれやれ。やっと追い付いたわい。おお……どうやら間に合ったようですな。殿下がご無事で何よりでございます。いや重畳、重畳」
振り向くと、にこやかな表情のメアリム老人が髭を撫でながらこちらに歩いてくるのが見える。爺さん、すごくナイスなタイミングだな。まるでどこかで見てたみたいだぜ。
「これはメアリム様……『間に合った』とは、どういうことですかな?」
メアリム老人の言葉に近衛騎士が眉を顰める。老人は顎髭をゆったりと撫でながら呵呵と笑った。
「実は、陛下との謁見を終えて帰ろうとしておりましたところ、ワシの『見透しの眼』に殿下の御姿が映りましてな。これはもしや何かの知らせでは、とこの者を殿下の元へ向かわせたのですが……しかしどうやら爺の取り越し苦労だったようですな」
いや、俺はそんな事命じられた覚えは無いぞ? 爺さん……そう文句を言おうとしたら、爺さんに睨まれて杖で小突かれた。
痛てぇな……分かったよ。黙っときゃいいんだろ?
「左様ですか……」
いまいち釈然としない感じの近衛騎士に、念押しするようにエリザベートが声を掛けた。
「大賢者様の仰る通り、私には何もなかったのです。ご苦労でした。ゴッツ卿」
エリザベートの言葉に、ゴッツと呼ばれた近衛騎士は俺とメアリム老人を一瞥すると、僅かに肩を竦める。
「……では、ゴッツ隊、通常任務に戻ります。失礼します」
エリザベートに敬礼して立ち去っていく騎士達の背中を見送り、メアリム老人は溜め息をついて肩を落とした。
「やれやれじゃな……皇女殿下、この度は我が弟子がお騒がせいたしました。では、これにて失礼致します」
そう言って胸に手をあて、エリザベートに一礼してさっさと城に戻るメアリム老人。
「え? ちょっ……メアリム様!」
「カズマ!」
慌てて老人の後を追おうとしたところを、エリザベートに呼び止められる。
「なんでしょう……殿下」
「……また……会えますか?」
立ち止まって振り向いた俺に、エリザベートはまごつき気味にそう言う。
彼女は皇族で、俺は平民だ。会えるとか会えないとかそんな話じゃないと思う……でも、ふと俺の脳裏にあの少女の言葉が過った。
『ーー運命の糸はね、何度紡いでも必ず同じ人と繋がるの……絡まっても絶対に切れない糸……人はそれを運命の人っていうんだって』
この再会は運命だとか、そんな夢見がちな事を言うつもりは無い。でも、叶うなら彼女とまた会いたい。
だから俺は、不安げな表情の皇女殿下に微笑みかけて答えた。
「……殿下がお望みなら」




