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アンリーシュ=クロニクル『旧』  作者: 榎原優鬼
第2幕 カズマと銀色の狼人【前編】
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第11話 「シャルロット」

【前回のアンクロ】


ヴェストの薔薇園を目指すカズマは、城の廊下で以前にも出会った少女と再び出会う。『人との運命の糸は何度紡いでも同じ人と繋がる』そう告げて城の奥に走り去る少女。


彼女を追って城を走るカズマは、庭で巣から落ちた雛鳥を戻そうと木に登る皇女エリザベートを見掛ける。雛を戻したものの、木から落ちてしまうエリザベート。カズマは彼女を受け止めて助けるのだった。

軽快な馬の蹄の音を聞きながら、俺はぼんやりと流れる街並みを見ていた。


陽が傾いて雲が薄茜色に色づき、石畳には馬車の影が長くのびている。


ーーまた……会えますか?


少女の切なそうな笑顔がふと脳裏に蘇り、俺は小さく溜め息をついた。


まさかこの年でこんな気持ちになるなんて……しかも、相手は雲の上の高嶺の花。


なんだかなぁ……


「カズマよ」


「っ!……はい、何でしょうか」


「城で皇女殿下をお救いしたときにお主が言った『言葉』、覚えておるか」


メアリム老人の唐突な問いに、俺は眉を顰めた。馬車の揺れに身を任せながら、老人は俺を横目で見ている。


その目は心なしか厳しい。


「いえ。頭が真っ白だったので……」


エリザベートが木から落ちるのを見てから、彼女を抱き止めるまでの記憶は曖昧だ。何か叫んだ気もするが、覚えていない。


でも、爺さんがそれを見ていたってことは。


「メアリム様はずっと俺を見てたんですね? 教え子のところに行くと嘘をついて」


「……さて、何の事かのぅ」


メアリム老人は長い髭を指に絡ませながら視線をさ迷わせた。なんて分かりやすいとぼけ方。 俺は頭を振って溜め息をつく。


「……もういいです。それより、メアリム様は女の子を見ませんでしたか? 亜麻色の髪をした、5歳くらいの……」


「女の子? ふむ……知らんな」


「そうですか……」


爺さんも見てないか……どこいったかな。あの子は。まあ、迷子になっても城の人が保護してくれるだろうけど……でも、一体あの子は何者なんだろうか。


前にも、いつの間にか側にいて、気が付いたら居なくなってたし。不思議な子だ。


「それで、じゃ。カズマ、お主、ここに来る前に誰ぞから魔法の手解きを受けたか?」


「いえ。魔法なんて、俺の居た世界には存在しませんよ」


老人の問いに、俺は肩を竦めて苦笑した。魔法や超能力なんてファンタジーの最たるものだ。元いた世界でそんなものを教えてる奴は夢想家か怪しい宗教家か詐欺師だろう。


魔法がリアルに使えたら無敵チートなんて流行らない。


「……ふむ。なかなか興味深いのぅ。それで咄嗟にあれほどの風を生み出すとはな……マナの申し子とはよくいったものよ」


「あのときの風はメアリム様が魔法を使ったのだと思ってました」


俺の言葉に、メアリム老人はゆっくりと頭を振った。


「ワシは何もしとらんよ。あの風はお主が起こしたものじゃ……『真なる言葉(ファクトゥム)』を唱えたろう」


「よく分かりません。『真なる言葉』って何です?」


「『真なる言葉』とは、簡単に言えば魔法を使うためのまじないの言葉じゃ。魔法は森羅万象に与えられた『真の名(ノミネ)』を『真なる言葉』で唱えることで、初めてその力をあらわす。故に、『真なる言葉』を知らずして魔法は使えぬ……本来は魔法学院シューレに学ぶものにしか伝えられない、古代言語(ふるきことば)よ」


「へえ……」


また随分とファンタジーな話だ。この世界には魔法学院とかあるのか。そのわりに魔法は一般的じゃない感じなんだよな。メアリム爺さんが魔法を使うのも、出会った時に傷を癒してくれた時以来見ていないし。


この世界では、『魔法』とか『魔法使い』というのはどんな位置付けなんだろうか。少なくとも中近世ヨーロッパの魔女狩りみたいな迫害は無いようだけど。


「そうじゃな。お主が興味あれば、魔法学院シューレに推薦状を書いてやろう。そこでマナの基礎を学び、正しい力の使い方を身に付ければ、この世界で生きていく上でこの上ない強みとなろう……魔法使いは希少じゃからな」


「……考えておきます」


俺は曖昧に頷いた。


メアリム老人を見る限り、魔法使いの社会的地位は高いみたいだし、何より『魔法学院』という響きに昔拗らせかけた厨二的な魅力を感じる。


でも俺はまだ、ここを離れたいとは思わなかった。爺さんから学びたいことがたくさんあるし、この街に愛着も沸いてきたから……いや。


違うな。一番の理由は多分……


「それとな、カズマよ。余計なお世話かもしれんが、男女の色事で余り自分を追い詰めるな。ワシも昔は貴種の御婦人と数々の浮き名を流したものじゃが、ああいうのは、なるようにしかならん」


好好爺然とした笑みを浮かべるメアリム爺。


「ほんと、余計なお世話ですね」


俺は憮然して老人を睨み付けた。なるようにしかならないって。どんなアドバイスだよ……ったく。





ーーそれから数日後。


朝食を済ませた俺は、トロンベを厩から出して体の手入れをしていた。


朝の涼しい風が心地いい。


獅子月レーヴェは、もと居た世界でいえば8月ごろ。暦の上では夏の盛りだが、この国の夏は日本の夏に比べ湿気が少なくて結構涼しい。


南国九州のうだるような蒸し暑さに慣れた俺には、逆に寒いくらいだ。


クリフトさんからトロンベの世話を任されてから、トロンベの朝の手入れは俺の日課になっている。


トロンベを厩から出して馬蹄に詰まった土や糞を掻き出し、束ねた藁で体を拭いてやった後にたてがみや尻尾にブラシをかけてゴミを取り除く。


手入れが終わったら馬房を掃除して、運河沿いの草原でトロンベを運動させるついでに俺の乗馬の練習。ひとしきり走ったら戻って藁で汗を拭ってやり、馬蹄の手入れをして厩に戻して餌を食べさせ、取り合えず終わりだ。


馬の世話はポニーしか経験がなくて最初は戸惑ったけど、最近ようやく手際よくできるようになった……気がする。


「へえ……あんた、馬の世話とかもしてるの? 大賢者様の教え子って、雑用までさせられるのね」


不意に背後から声を掛けられ、俺はトロンベの体を拭く手を止めた。さっきからトロンベが鼻水を垂らしている。迂闊に振り向けない俺は、声の方に顔だけ向ける。


声の主は、涼しげな桜色のドレスを身に付けた赤い癖っ毛の少女。彼女は腰に手を当て、豊かな胸を突き出すようにして立っていた。


見るからに勝ち気そうな雰囲気の彼女は確か……


「あんたは、皇女殿下の侍女の……花瓶女」


「シャルロットよっ! リッツェル伯クレメンスの娘、シャルロット=フォン=リッツェル!」


シャルロットは腰に手を当てたまま、すごい剣幕で捲し立てた。


おっと、こいつ伯爵令嬢だったのか。全然令嬢らしくないから分からなかった。でも確かに、いきなり花瓶は言い過ぎたかな。


俺はトロンベに背中を見せないようにシャルロットに向き直ると、軽く頭を下げて詫びた。


「そりゃ、すいませんでした……で、そのシャルロット()がこんな所に何の用だ? まさか馬の手入れを覗きに来た訳じゃないだろ」


「当たり前でしょ? メアリム様に用があって屋敷に来たら、あんたの姿が見えたから寄っただけよ」


……だからって、わざわざ遠回りして寄り道しなくてもいいだろうに。暇なのか?


「メアリム様に用事って、シャルロットが?」


「違うわよ。エリザベート様からメアリム様に、今度フルヴァルトの離宮で開かれる『竜退治祭り』前夜祭の招待状を預かってきたの! それより、いつまで立ち話させる気? さっさとメアリム様の所に案内して頂戴」


腕組みして唇を尖らせるシャルロット。腕を組むと豊かな膨らみが持ち上がって、より強調される……自然に目が行ってしまうのは男のさがだ。


「……自分が俺んところに寄り道したんだろ? 」


「うっ……五月蝿うるさいわね! いいじゃない。あんたの顔が見たかったんだから」


俺がジト目で睨むと、シャルロットは頬をさっと朱に染める。俺の顔が見たかったって、なんだそりゃ。


「まあ、いいや。メアリム様なら書斎に居るだろうから、客間に案内するよ」


手に持った藁を放って、俺はシャルロットを屋敷に案内しようと歩きだしたーーその瞬間、背中を強い力で突き飛ばされる。


背中に触れる柔い感覚。粘っこい物が擦り付けられる嫌な音……振り返るまでもない。迂闊だった。しかも、余程鼻がむず痒かったのか、トロンベは思いきり俺の背中に馬面を擦り付けてきた。


結果、俺は体勢を崩して前につんのめり、反射的に目の前の物……シャルロットに手を伸ばした。


「……っ!!」


思わず、彼女の肩を掴んで引き寄せ、互いの息遣いが分かる距離で見詰め合う形になる。


「あっ……」


シャルロットは顔を真っ赤に染めて、惚けたような表情をした。 あ、彼女の瞳、明るい翠色をしているんだな……気付かなかった。綺麗だ。


「……っ!」


少しの間見つめあった後、彼女は瞳をさ迷わせ、目を逸らした。


おっ……結構可愛いじゃないか。この子、こんな顔もできるんだ。


「あ、えと……ごめん」


と、みるみるシャルロットの顔が険しくなった。


「っ! ……どぉこ掴んでるのよっ! このど変態!」


真っ赤に顔を染めて唸るシャルロット。


言われて俺はハッとした。右手は彼女の細い肩を、左手は豊かな膨らみを鷲掴みにしている。


「……っ! これは、ちがっ!」


そう。これは不可抗力だ。弾みだ。大きくて掴みやすいんだからしょうがないじゃないか!


「問答無用ぉっ!」


甲高い叫びと共に、シャルロットの拳が俺のこめかみを貫いた……





「なんじゃ、その顔は……トロンベめに蹴られたか?」


「そんなわけないでしょう? 馬に顔を蹴られて青アザで済むわけ無いじゃないですか……色々あったんです」


俺は少し投げ遣りな口調で答えると、シャルロットから預かった皇女エリザベートの手紙をメアリム爺に渡した。


因みにシャルロットは俺を殴り付けたあと、俺の背中にベットリついたトロンベの鼻水に『気持ち悪い』とか『最悪』とか散々言った後、『まあ、ワザとじゃないなら今回だけは許してあげるわ』と笑って、何事もなかったように客間でベアトリクスさんの淹れた紅茶を飲んでいる。


まあ……弾みとはいえ、仮にも伯爵令嬢の胸を揉んでしまったのだから、殴られるのは仕方ないが……今日は朝から酷い目に遭うな。


「ふむ……竜退治祭りの前夜祭、のぅ。陛下からも招待は受けたのじゃが」


メアリム老人は難しい表情で薔薇の刻印が施された封蝋をナイフで切る。


「え? じゃあ何で皇女殿下からまた招待されるんです?」


「さてな……」


そう言いながら、メアリム老人は手紙に素早く目を通すと、俺を一瞥して肩を竦めた。


……なんだよ。気持ち悪いな。


「ふむ……仕方ないのぅ」


メアリム老人はそう苦笑すると、直ぐに手紙の返事を書き始めた。


「来月、フルヴァルト離宮で竜退治祭り前夜祭の晩餐会と舞踏会が催される」


「知っています。街も相当賑わうみたいですね」


手紙を書き終えたメアリム老人は、手紙を丸めると赤い蝋を蝋燭の火で溶かして垂らし、それに指輪を押し付けた。指輪印章シグネットリングってやつだ。


「カズマ、お主もワシの従者として供をせよ」


「えっ……晩餐会と舞踏会に、ですか?」


思わず聞き返した俺に、メアリム老人は当然のように頷いた。


「そうじゃ。他に何がある」


「しかし……」


無茶苦茶言うな、爺さん。親戚の結婚式位しか行ったことのない俺に宮中晩餐会や舞踏会に出ろとか……まあ、従者だから会場の隅っこで爺さんの帰りを待ってるだけだろうけど、それでもなぁ。


「つべこべ言うな。馬鹿者。答えは『はい』か『了解アインフェアシュタンデン』か『かしこまりました(ヤ・ヴォルー)』じゃ」


……爺さん、それ全部同じです。


「……わかりました。お供させていただきます」


俺は肩を落としてそう答えた。


何だかどっと疲れたよ……まだ朝なのに。


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