第9話 「皇帝」
【前回のアンクロ】
この国の言葉、「大陸公用語」を学びたいとメアリムに訴えるカズマ。メアリムは、大賢者の教え子として恥ずかしくないよう、言葉だけでなくあらゆる知識を学ばせるとカズマに告げた。
ベアトリクスやクリフトの仕事を手伝い、言葉や文化を学び、そして3ヶ月程が過ぎたとき、メアリムの元に皇帝からの使者がくる。
石畳の凹凸道を竜巻号が牽く軽馬車が軽快に走る。
御者はクリフトさん。馬車には俺とメアリム老人。3ヶ月前に城から屋敷に向かった時と同じだ。
あの日と違うのは、方向が逆だということ。それだけで全く違った街を走っているような気分になるからおかしなものだ。
「さて、カズマよ。この国については話したな」
「はい。オスデニア帝国はエレブリアの東部の殆どを治める国家ですよね」
メアリム老人から教えを受けて、始めに学んだのがこの国の事だった。
この世界上の七つの大州のひとつ、エレブリアは、元の世界でいうヨーロッパを縦に歪めたような形をしている。そのエレブリアの東側ーーヨーロッパで言えばドイツと旧神聖ローマ帝国のあった地域を支配するのがオスデニア帝国だ。
母なる大河ラーヌと父なる山脈アルフェンに抱かれたオスデニア帝国は、人間の他に獣人種や森妖精等の少数民族が共存する多種族国家である。
つまり、クリフトさんやベアトリクスさんのいる我がメアリム家はこの国の縮図って事だ。
改めて考えるとすごいな。
「そうじゃ。エレブリアの地には、他にオスデニア帝国から見て西にヴェステニヤ王国、南に神聖アストリアス教皇国の2つの大国と中小の都市国家がある。これらはかつて大ロウム帝国という国家じゃった」
メアリム老人は顎髭を撫でながら語る。
「大ロウム帝国第13代皇帝テオドシアスが、長男アルカディアスに帝国の西を、次男ホウノリアスに帝国の東を統治するように命じた分割統治が後の『帝国大分裂』に繋がるのじゃが……まあ、そこら辺の詳しい話はまた別にするとして」
メアリム老人はそこで言葉を一旦切った。馬車がわずかに跳ねたのだ。老人は杖を握り直すと再び語り始める。
「アルカディアスが統治した西ロウムは異民族の侵攻に耐えられず瓦解し皇統が絶えてしまったが、ホウノリアスの東ロウムは帝国の血筋を守り抜いた。その血は東ロウムの後継であるオスデニア帝国に今も受け継がれておる。故に、オスデニアは帝国を名乗り、その元首たる者は皇帝の名を冠しておるのじゃ。お主が謁見するジムクント陛下はそのような由緒ある方なのじゃ。まあ、心に留めておけ」
大ロウムの崩壊から今まで、千年以上守られてきた旧帝国の血脈。それを背負っている皇帝、か……どんな人なんだろう。やっぱりドイツの皇帝みたいな両端の跳ね上がった髭をしてるのだろうか。
やがて道幅が広くなり、周囲から民家が消える。そして目の前に広がる湖。その真ん中に浮かぶ小高い島全体が皇帝の座所であり、この国の中枢であるヴェスト城だ。
幾重にも重なった白亜の城壁が薔薇の花弁のように見えることから、『オスデニアの白薔薇』の異名をもつ美しい城。
ここに来るのも3か月ぶりだな。あの騒動が遠い昔のようだ。俺は隣のメアリム老人に聞こえないように溜め息をついた。
湖に掛けられた橋のたもとには検問所があり、数名の兵士が詰めているのが見える。
彼等は羽飾りのついた鉄兜と黒色の軍服に背当て、胸当てを身に付けていた。異世界もののアニメやライトノベルで兵士と言えば、鎖帷子やプレートメイルがお約束だが、どうやらこの世界では違うらしい。
おまけに剣や鉾槍だけじゃなく、鉄製の長細い筒状の物を抱えている兵士も見えた。元の世界に居たときネットで見た、燧発式の銃に形が似ている。
銃か……兵士の服装や装備品からして、軍事技術は近世ヨーロッパ程度かな?
「そこの馬車、止まれっ! 通行許可証を見せよ!」
馬車が検問に差し掛かると、兵士が馬車を止めた。すると、御者台のクリフトさんが兵士を怒鳴りつける。
「無礼だぞ! 大賢者メアリムの紋章が見えぬかっ!」
「クリフト、よい。此度の登城は急ぎじゃ。検問に知らせが行っとらんのだろう」
メアリム老人の言葉に、クリフトさんは渋々引き下がった。老人は馬車から顔を出すと、検問の兵士を見渡してにこやかに笑う。
「メアリム=イスターリである。陛下から危急の呼び出し故、通行許可証を持っておらぬが、必要ならすぐに届けさせよう」
そこに部隊の隊長と思われる兵士が飛んできて、メアリム老人に敬礼をする。
「いえっ! 申し訳ございませんでしたっ! お通りください!」
道を塞いでいた兵士達も、道を開けて老人に敬礼をした。クリフトさんは小さく溜め息をついてトロンベに鞭を入れ、馬車は再び走り出す。
おお、城の検問も顔パスか。
「メアリム様って、凄いんですね」
「伊達に大賢者を名乗っとらんよ。こう見えて宮中伯や公爵あたりにも顔が利くのじゃ。まあ、だから偉いという訳ではないがの」
そう言って笑うメアリム老人の横顔はどこか皮肉げだった。
「急に呼び出して済まなかったな。メアリム」
「いえ。このメアリム、陛下の御召しなら地の果てまで駆け付ける所存ですので」
「はははっ! よく言うわ」
白を基調にした落ち着いた雰囲気の書斎。革張りのソファーに座った男性は、メアリム老人の言葉に豪快に笑った。
白髪混じりの太い眉と鷹のような鋭い目付き、骨太でがっちりした体躯をした壮年の男性。
オスデニア帝国、皇帝ジムクント=フォン=ブリューゲル。
彼は厳しい闘争の世界に生きてきた権力者がもつ独特のオーラを漂わせている。顔には笑っていてもいつ牙を剥いてくるかわからない凄みがあり、迂闊に踏み込ませない風格が内面から滲み出ていた。
書斎の隅で控える俺は、初めて出会う陛下の威圧感に、胃が縮こまるような感覚を覚えた。
ーーこれが皇帝か。
「実は、先日薔薇の世話をしていて腰を痛めてな。痛くて馬にも乗れぬ……情けないが、流石の儂も歳には勝てぬわ。このような話、卿にしかできなくてな」
「腰でございますか。それは大変ですな」
苦笑いを浮かべる陛下に、メアリム老人はにこやかな笑顔で答える。
まさか、腰を痛めた事を愚痴る為にメアリム老人を呼んだわけではないだろう。
「このメアリムにお任せください。カズマ、ワシの鞄を持ってこい」
「は、はい 」
唐突に名前を呼ばれ、俺は預かっていた鞄をメアリム老人の元に持っていった。
「ほう。この者が例のお主の弟子か……顔を見せよ 」
「はっ! はい」
恐る恐る顔を上げる俺。
もしかして、あの事を何か言われるのだろうか? 不可抗力とはいえ、父親からしたら娘の風呂場に飛び込んだ不埒者には変わらない。
終わった話だから今更手打ちにはならないだろうが……いや、ここで陛下が機嫌を損ねて即手打ちっていうパターンも有り得るか。
だが、陛下は口の端を歪めて笑うと、何か納得したように頷いた。
「エリザベートの湯殿を騒がせたというから、どんな奴かと思ったが……成程な」
「……その節はお騒がせいたしました 」
俺の言葉に、陛下は意味ありげな顔をする。何が『成程』なんだろうか? 気になる。
「よい。その件は赦した。そなた、名は?」
「カズマ=アジムと申します」
俺はなるべく陛下の目を直視しないように眉間を見つめて名乗った。
「カズマ、な。よい目をしておる。漆黒の瞳、濡れ羽の如き髪……言い伝えにある異世界人を思わせる」
「……! とんでもないことでございます。陛下」
俺は陛下の言葉を慌てて否定した。この世界の人々にとって、異世界人は災厄と共に現れる『災厄の使者』ともいわれている。異世界人なのがバレて変に目を付けられるのはまずい。
相手がこの陛下ならなおのことだ。
「そう怯えるでない。戯れ言じゃ。カズマ、下がってよい」
恐縮する俺に、陛下は呵呵と笑って手を振った。俺は頭を下げると元いた部屋の隅に戻る。
うう……心臓に悪いぜ。
「さて……メアリムよ、頼む」
陛下はそう言うと、上着を脱いで二人掛けのソファに俯せになった。
「では、失礼しますぞ」
メアリム老人はローブの袖を捲り上げると、陛下の服をずり上げて腰を露にし、鞄から小さな壺を取り出して中身の軟膏を手に塗り付ける。
「む……?! これは確かに酷い」
そう言って老人は侯爵の腰をマッサージし始めた……大賢者って整体師の真似事もするのか。
「……メアリム、『銀狼』は知っておるか」
俯せのまま、陛下はやっと聞き取れるくらいの低い声で言う。メアリム老人はふとマッサージの手を止めた。
「……存じております。巷を騒がせている強盗団ですな」
「うむ。獣人を雇っている大店ばかり狙う悪党よ。昨夜3件目がやられた。店主を含め、家族、使用人に至るまで皆殺しだそうだ」
陛下は低く、忌々しそうに吐き捨てる。
へえ、そんな事件が起きていたのか。
屋敷に居ると外の情報が余り入ってこないからな。しかし、連続強盗殺人事件、しかも皆殺しとは物騒だ。
「……うちの者をお疑いで?」
メアリム老人はマッサージを再開すると、妙なことを言った。
『うちの者』? 屋敷に強盗事件に関わりがありそうな人居たっけ。
「まさか。あれは15年前の話だ。だが、儂にそのように告げ口する者が居るのも事実よ」
「……仕方のないことです」
陛下の言葉に、メアリム老人は力ない声で言った。『仕方ない』とは、『強盗事件に関与しているものがいると告げ口されても仕方ない過去がある』って意味か。
ーー15年前、一体何があったんだろうか。
やがて、メアリム老人はマッサージを終えて布で手を拭った。その表情は今までに見たことがない厳しいものだ。
「気を付けよ。今の儂はすぐには動けぬ」
上着を羽織ながらそう告げる陛下に、メアリム老人は無言で頭を下げた。
陛下は小さく頷くと、先程までとは打って変わった大きな声で笑う。
「流石は大賢者よ。腰の痛みが嘘のように消えたわ」
「恐悦至極に存じます。いつでもお呼びください」
対するメアリム老人も、いつもの調子でそれに答えた……つまり、用件が済んだのだ。
「メアリム様、よろしいですか?」
謁見を終えた後、宮殿の廊下で俺はメアリム老人に声を掛けた。
「なんじゃ」
「15年前、何があったのですか?」
俺の問いに、老人は足を止めて俺を横目で見る。
「聞いておったのか……地獄耳め」
「すいません」
聞こえてしまったのだからしょうがない。それに、爺さんが陛下言ったことが気になるんだ。
メアリム老人は溜め息をつくと、表情を厳しくした。
「……今は話せぬ」
「メアリム様、でも……」
「そうじゃ、カズマよ。折角城に来たのじゃから、ヴェスト城の薔薇園を見ていくがよい。帝国一美しい薔薇園じゃ。一見の価値はあるぞ?」
メアリム老人は俺の言葉を遮るように言った。この話題は時と場所を選ぶってことか。『今は』って事は時が来たら話してくれるんだろうか。
「メアリム様は?」
「ワシは城に勤めておる教え子の顔を見てくる。帰るときは迎えに行くから安心せい……そうじゃ」
メアリム老人は鞄の中からペンダントを取り出すと、俺に渡した。
ペンダントのトップには、一本の大樹の周りを飛ぶ二羽の渡鴉が刻まれたメダルが嵌められている。
メアリム老人の馬車に描かれている紋様と同じだ。
「これは?」
「先帝より下賜されたイスターリ家の紋章じゃ。それを身に付けていればイスターリ家の者かその関係者だと証明できる。ちょうどよい機会じゃ。それはお主にやる……大事にせよ」
言うが早いか、メアリム老人はさっさと廊下を歩いていってしまった。
ちょっと待ってくれよって、もう見えなくなっちまった。
帝国一の薔薇園ねぇ……園芸には興味ないけど、庭は興味あるかな。
っていうか爺さん、薔薇園の場所を教えないまま行っちまいやがった。ま、いいか。城の誰かにこのペンダントを見せて聞けば……
ん? そうか。
これは爺さん流の『試験』だな。初めての御使いじゃあるまいし。よし、やってやろうじゃないか。
俺はメアリム老人のペンダントを首にかけると、城の廊下を一人歩きだした。
こ、心細くなんて無いからな!




