第8話 「弟子」
【前回のアンクロ】
ようやく落ち着く場所を得た一馬。疲れて眠る彼の夢に、電車で出会った少年、ヴォーダンが現れる。
「我々が必要としたから君を異世界に呼んだ。何が目的か? それは君が知る必要はない」そう告げるヴォーダン。
一馬はヴォーダンの言う「その日」まで、生き抜いてやろうと心に決めるのだった。
「ほう。大陸公用語を学びたいとな」
メアリム老人はライ麦パンを千切る手を止め、目を細める。
今朝の食卓に並ぶのはライ麦パンと白ソーセージ、そして豆のスープ。意外に庶民的だ。
メアリム老人の対面に座った俺は、真っ直ぐ老人を見据えて答えた。
「はい。これからの事を昨日色々と考えて、まず言葉を知らなければならないと思いました」
「ふむ、成程な……じゃが、それだけでは不十分じゃ」
「不十分、ですか」
眉を顰める俺に、メアリム老人は紅茶を一口飲んで頷いた。
「そうじゃ。歴史、文化、政治、芸術……広く浅くでよい。知識は多いに越したことはない。知識の量は人脈の広さにつながり、人脈の広さは生きる上であらゆる事に恩恵をもたらす」
成程。確かに知識が多ければ視野も広がるし、人脈が広がればできることも多くなる。そこまでは考えてなかったな。
「まあ、お主の身元引受人となった以上はワシにも責任があるからな。よかろう。ワシが教授してやろう。じゃが、やるからには大賢者メアリムの教え子として恥ずかしくないよう、徹底的に叩き込むから覚悟せよ」
「……よろしくお願いします」
大賢者の教え子に相応しくって、かなりハードル高いな。さっき知識は広く浅くでいいって言ったのに。
でも、やるって決めたんだ。高いハードルでも越えてやるさ。
「しかし、タダでとはいかぬぞ? 教え子は客ではないからな。飯分は働いてもらう。よいな?」
「勿論そのつもりです」
俺だって、勉強を教えてもらった上にタダ飯食べようなんて図々しい事は考えてない……何ができるか分からないけど。
「宜しい。取り合えず朝食にしなさい。食べねば頭が働かぬからの」
メアリム老人がそう言うと、それを待っていたようにベアトリクスさんが俺に食事を運んでくれた。
メアリム老人と同じ、白ソーセージとライ麦パンと豆スープ。美味しそうな匂いに思わず腹の虫が鳴る。
……よく考えたら一昨日から食事を摂ってない。
「いただきます」
そう言ってパンに手を伸ばそうとした俺を、ベアトリクスさんが優しく制した。
「カズマさま、食事の前には感謝の祈りを捧げるんですよ」
『いただきます』も命への感謝を込めた言葉だけどね。それはよしとして。
「どんな祈りなんですか?」
「では、やって見せますから真似してみてください」
ベアトリクスさんはそう言うと、胸の前に手を組んで目を閉じた。
「『主よ、わたしたちを祝福し、また、御恵みによって今いただくこの食事を祝福してください。この恵みに感謝を』」
成程、外国のドラマとかでよく見る、キリスト教のお祈りみたいなやつか。
俺はベアトリクスさんの真似をして胸の前で手を組み、目を閉じた。
「ーー主よ、わたしたちを祝福し、また、御恵みによって今いただくこの食事を祝福してください。この恵みに感謝を」
「はい。良くできました」
ベアトリクスさんはそう言ってにっこり笑った。面と向かって言われると、何だか気恥ずかしいな。
「そういえば、メアリム様はお祈りしないんですか?」
さっきから朝食の様子を見ていたが、老人はお祈りどころか何も言ってなかった。
俺の問いに、老人は『ふん』と鼻を鳴らす。
「ワシは聖マリナ教徒ではないから、神に祈る必要はない。じゃが、口には出さぬとも、命をいただく事への日々の感謝を忘れたことはない。それでいいんじゃよ」
もっともらしいことを言ってはいるが、要は面倒なだけじゃないか。
「それはそうと……お屋敷の仕事は私とクリフトで事足りています。カズマさまにお願いするお仕事は特にありませんが」
食事を終えたメアリム老人の食器を片付けなら、ベアトリクスさんが問い掛ける。
「そこはクリフトと話し合って決めよ。ワシに聞かれても困る。こやつに任せられると思ったものをやらせればよい。何かあるじゃろ」
髭についたパンくずを払いながらメアリム老人は渋面を作った。そこは丸投げするんだ、爺さん。
「分かりました……2つ、3つ考えてみますね」
そんな老人に、ベアトリクスさんは苦笑を浮かべて肩を竦めるのだった。
朝食の後、俺はベアトリクスさんから屋敷の裏庭にある小屋の前に呼ばれた。
鍬などの農具を納める小屋の中にはたくさんの薪が積まれている。
「薪割り、ですか」
「ええ。今の時期は、冬に備えてたくさん割らなきゃいけないんです。お願いできますか?」
薪を焚き物として使うためには、半年間は乾燥させなければならない。冬の厳しい寒さに備えて、今のうちにたくさん薪を割って乾かしておくんだそうだ。
でも、薪割りって結構な力仕事じゃないか? ベアトリクスさんの細腕では大変だろうに。
「わかりました。やらせてください」
「カズマさま、薪割りの経験はございますか?」
「子供の頃、祖父母の田舎でよく薪割りの手伝いをしていましたから、大丈夫ですよ」
俺は心配そうな顔をするベアトリクスさんに笑って見せると、切り株に刺さった鉈を抜いて太めの木を切り株に置く。
少し太いけど、これくらいなら……多分行ける。
俺は両手で鉈を振り上げ、勢いをつけて木に鉈を振り下ろした。鉈が鈍い音を立てて木に食い込む。そのまま木を切り株に叩き付けて割っていくと、3回程で木は2つに割れた。
まあ、こんなもんだろう。
だが、ベアトリクスさんは俺の薪割りを見て苦笑しながら頭を振った。
「無駄な力が入っていますね、カズマさま。それじゃすぐに疲れてしまいますよ? 私がやってみますから、見ていてください」
そう言うと、ベアトリクスさんは割った薪の片方を切り株に立て、俺から鉈を受け取る。
「薪割りで大事なのは、木の根元側から割ることと、木の繊維の向きを見極めることです。根元側から、繊維に沿って鉈を振れば、そんなに力を入れなくても綺麗に割れます」
ベアトリクスさんはそう言いいながら鉈を片手で構えると、『ふっ!』と短く息を吐いて振り下ろした。すると、まるで乾いた竹を割くように、一気に薪が割れる。
いやいや、いくら何でも『スパッ!』って軽く割れすぎでしょ!
余りの割れっぷりに驚いて言葉を失う俺に、ベアトリクスさんは肩を竦めながら恥ずかしそうに笑った。
「コツを掴めば簡単ですよ?」
いや、多分違うと思います。
「慣れない仕事でお疲れでしょう。水をお持ちしました」
太陽が真上近くに来た頃、薪を何本か割って休憩していた俺に、クリフトさんが水差しとコップを持ってきてくれた。
ありがたい。ちょうど喉がカラカラだったんだ。
「ありがとうございますっ! ……助かります!」
俺はクリフトさんに伝わるよう少し大袈裟に感謝のジェスチャーをすると、差し出された水を一気に飲み干した。
「カズマ様、私からもひとつ仕事をお願いしたいのですが、よろしいでしょうか」
そう、遠慮がちに言うクリフトさん。何だろう? 俺はにっこり笑って頷き、了解の意思を表した。
クリフトさんに案内されたのは、菜園近くの別の小屋。
「お屋敷には『竜巻号』という名前の馬が1頭おります。この馬の世話と馬小屋の掃除をお願いしたいのです」
小屋には芦毛の馬が1頭飼われていた。城からここまで軽馬車を牽いてきた馬だ。あれはメアリム老人個人の馬だったのか。
馬を飼うのは結構お金と手間が掛かるって聞いたことがあるけど、馬の世話は誰がしているんだろうか?
「馬の世話をしていた者は別に居たのですが、先日、高齢を理由に辞めてしまったのです。今は私が世話をしていますが……」
俺の疑問を感じたのだろう。クリフトさんが説明してくれた。成程。執事の仕事をしながら馬の世話をするのは大変だよな。
馬か……ポニーなら牧場でバイトしたときに世話をしたことがあるけれど。
近付いて首を撫でてやると、トロンベは気持ち良さそうに目を細めた。おとなしい性格みたいだ。可愛いな。
俺が笑顔で頷いて見せると、クリフトさんはホッとした顔をした。
「竜巻号は穏和な性格で手も掛からないいい馬です。しかし、ちょっとした問題がありまして」
問題? 何だろう。
俺がクリフトさんに振り向いたとき、背中に重い衝撃を受けた。
……嫌な予感がする。
恐る恐るトロンベを振り向くと、奴の鼻から粘着質の液体が出て、俺の背中に糸を引いている……野郎、鼻水擦り付けやがったな!?
「竜巻号は鼻がよく出るんですが、それを人の背中で拭く癖があるのです。ですから不用意に背中を見せるのは……と、申し上げようとしたのですが」
癖というより確信犯だろ。
申し訳なさそうに言うクリフトさんに、俺はジェスチャーで『大丈夫ですよ』と伝えた。
こいつに背中を見せないように気を付けなきゃ……
ーーこうしてメアリム邸での俺の暮らしが始まった。
日中は薪割りの手伝いと馬の世話をし、夜はメアリム老人から大陸公用語やこの世界の事を学ぶという日々。
メアリム老人の授業は思った以上に厳しかった。進行は早いし、詰め込み型で、復習の時にミスするとすぐ杖が飛んでくる……今時流行らないスパルタ教育ってやつだ。
でも教え方が上手いからよく頭に入ったし、興味深い話も多かった。賢者として大学で教鞭を取っていたのは伊達じゃない。
言葉の勉強は特に頑張った。学生時代、英語の授業は上の空だったけど、ここでは生活がかかっているからな。
メアリム老人の授業以外でも、『これは何と言いますか』という言葉を覚えて日中の仕事のなかでベアトリクスさんやクリフトさんに単語や話し言葉を教わった。
「ベアトリクスさん、この『籠』は何て言いますか?」
「この籠だとKorb、同じ籠でも鳥籠みたいなものはKäfigといいます」
そうやって新しく覚えた言葉や綴りはメモを取って、メアリム老人の授業の分と一緒に夜寝る前復習する……その努力の甲斐あって、2ヶ月くらいでクリフトさんと簡単な会話ができるようになり、3ヶ月を過ぎた頃には日常生活に支障がないくらい話せるようになった。読み書きも専門書でない限りは問題ない。
俺って語学の才能が有るのかな?
まあ、メアリム老人の詰め込み型スパルタ教育と、俺の質問に嫌な顔ひとつせず答えてくれたクリフトさんやベアトリクスさんの協力の賜物だろう。
特に、2人には足を向けて寝られないな。
ーーそして季節は春から夏へ。
こちらの世界の暦では海蟹月から獅子月に変わった日、城から皇帝の勅使がメアリム邸にやって来た。
勅使が帰ったあと、俺はメアリム老人から呼び出しを受ける。書斎に入るなり、老人は俺に言った。
「皇帝陛下より、今から登城せよとの勅命を受けた」
「今からですか。急な話ですね」
普通は準備の都合があるから登城まで2、3日余裕を持たせる。当日呼び出すのは緊急時位だが、老人の雰囲気ではそうじゃないんだろう。
「勉強させてやる。お前も来い」
「来いって……どこにですか?」
「馬鹿者。城じゃ。他にどこがある」
呆れたように言うメアリム老人。いや、まさか。
「城……って私も陛下に謁見を?」
「ワシの助手として連れていく。謁見も叶うじゃろう。ほれ、早く支度せよ」
……マジか。あまりあそこには行きたくないんだよなぁ。




