幕間/選択と決断のオブシディアン
Time/201X,Sep,3rd-7,34,57(PM)
Side/Third Person
「私、今まで嘘をついてたの」
もう、校内にはだれもいない。屋上には彼女達二人の人影しかない。
ただ、虫の声だけが辺りに満ち溢れる。
その中で雫は口を開いた。その声は、戦場に赴く兵士のように覚悟に満ちている。
その言葉を聞いて、廻が顔を上げる。
「どういうこと?」
沈黙。
言う言葉はすでに決まっている。それを聞いて廻がどんな反応をするのかも雫には予測できている。でも、その言葉が喉に詰まって出てこない。
わかっているのに。
言っても廻は雫を見捨てないことはわかっているのに。
口に出すのに戸惑う。
バンジージャンプと同じだ。安全だということはわかっているのに、一歩が踏み出せない。理屈ではわかっているのに、本能が躊躇する。一歩踏み出してしまったら、もはや抗うことは出来ない。後戻りは出来ない。重力に任せて落ちて落ちて落ちて落ちて落ちて堕ちるだけ。
雫はうつむいた。それは、彼女の中に残る良心からの最後の抵抗。
でも、それでも雫は顔を上げた。
廻に、言葉を伝えるために。
「嘘、ついてたの。みんなに、自分に、そして……貴女にも」
「貴女の知っている私は、"私じゃない"」
「それは、今までずっと私が被っていた仮面」
「私の父親は大学教授。だから、いつも言われてた」
「『俺の娘として相応しい振る舞いをしろ』、『俺の名前だけには傷をつけるな』って」
「朝から晩まで顔を会わせる度に。だから、じわじわと私の心は染まっていった」
「今になって気付いたけど、心理学者だった父は、私の無意識に干渉して仮面を作らせた」
「それが私」
「『篠村雫』じゃなくて、『篠村弦の娘』としての仮面人格」
「そして、父が自殺した後には、"仮面"だけが残ったんだよ」
「私だって最初は外そうとしたさ。でも、外せなかった」
「何年間も仮面を被り続けていて、本当の私と癒着してしまったかもね」
「そうやって出来たのが"今見せている"私」
「いつもの私と本当の私のどちらにも属しない中途半端な"私"」
「でも、今はこれが本当の私」
雫は廻と向き合った。いつもの無邪気な雫とは明らかに異質な真剣な眼差しが廻を射抜く。雫のつけている薊の香水が風に乗って鼻を刺激する。視線を合わせながら、雫は言葉を紡ぐ。
「だから」
「私を」
「受け入れてよ」
「"廻"」
そして、静寂が訪れた。
風が吹く。虫が鳴く。花が散る。それでも、二人は凍ったように動かない。
雫は待っている。受け入れるか否か、答えの出ている問題を解かせるかのように待っている。
しかし一方で、廻の真意は読み取れない。何を考えているか、何を感じているか。眉一つ動かさないその顔は銅像のように静止している。
風が、凪いだ。
気が付くと廻は、雫を力一杯抱き締めていた。
雫の顔に驚愕の色が浮かぶ。その色は次第に薄れ、代わりに歓喜の色が浮かんでいる。だが、雫の目からは一筋の涙が流れた。誰のための涙なのか、何のための涙なのか、わからない。
廻もただ、包み込むように優しく抱きしめる。
それだけ。