新任教師の秘密㉓
「ストーカーになっちゃうくらい、私のことで頭がいっぱいってこと、だよね。それってなんか、すごく嬉しい。こんなにも人から愛されたことなんて無かったから」
泣いている。ストーキングされた被害者が、恐怖からではなく感激の涙を流している。
「私のこと、嫌にならないの?」
「全然。むしろもっと好きになったよ。…もう、なにその顔」
「だってぇ…」
宇崎は涙と鼻水で顔をぐしょぐしょにしている。大人が人目を憚らず泣きじゃくるところを初めて見た。
「よしよし、泣かないよ」
感激の涙を引っ込めた前田は、宇崎の顔を自分の胸に抱き寄せた。これではまるで母親と子供だ。その様子は微笑ましいというより、少し不気味にさえ思えた。
「おい、なんやこれ。空気が甘ったるいわ」
「私ちょっと外出てきます」
「逃げんな香月。これも勉強や。最後まで見届けな」
しかしこの時、とっとと逃げておけば良かったと香月は後悔することになる。変態カップルの行動が、最悪な方向にエスカレートしていったからだ。
「なんか恵ちゃん、ワンちゃんみたい」
「そ、そう?まあ、大型犬みたいって言われることはたまにあるけど」
「お手」
「へ?」
「お手だよ、恵ちゃん」
前田の声のトーンが変わった。聞いているほうの力が抜けるようなか弱さも、たまに何を言っているか分からない舌足らずな感じも消え失せている。その声は優しいのにどこか冷たく、香月の背筋を凍らせた。
「お、お手って…。なに言ってるんだよ、葵」
宇崎が笑って誤魔化そうとしているが、前田は差し出した手のひらを引っ込めない。そこに手を乗せるまで動かないつもりだ。
「マジ…?」
「うん」
「ワンちゃんみたいってそういう意味?」
「お手」
宇崎が助けを求めるような視線を香月に向けてきたので、目をそらした。教師どうしのアブノーマルなプレイになど、絶対に関わりたくない。
「は、はい。これでいい?」
宇崎は不安げに目をキョロキョロさせながら、お手をした。大の大人が、生徒の面前で。
「すまんな香月。ウチが最後まで見ろなんて言うたばっかりに、えらいもん見せてもうた」
「夢に出そうですよ、この光景。もちろん悪夢のほうで」
「ワンちゃんは喋らないでしょ?」
「わ、わん!」
「はい、よくできました」
香月と岩崎は何も言わず、そっと部室をあとにした。今日はもう帰ろう。今見たことは全て夢だったと思うことにしよう。




