廃部リミット⑥
春休みを前に浮足立った空気が、教室を満たしていた。今日でこの教室ともお別れだ。
入学前は、まさかこんな高校生活になるなんて想像していなかった。こと部活に関しては、1年前の香月に言っても信じないだろう。現代アート部に入っていると。
そもそも中学ではバスケ部だったので、高校でも続けるつもりだったのだ。友達と一緒に見学も行った。仮入部の申請書にもサインして、あとは提出するだけだった。あの時、もし違うルートを通っていれば、部室前で佇む塩井と出会うことも無かったかもしれない。だが香月は、見てしまった。物憂げな表情で、廊下を行き交う生徒たちを見つめる塩井の姿を。
綺麗。ただ一言、そう思った。
まるで絵画の世界から抜け出してきたかのような、儚く美しいその人間に、香月は惹かれてしまったのだ。仮入部の申請書を丸めてポケットに入れた時点で、もう心は決まっていた。現代アート部という響きも、当時の香月には新鮮で魅力的なものに思えた。今となっては、塩井本人すら現代アートをよく理解しておらず、雰囲気だけで語っていると分かり、心底ガッカリしたが。
どこで青春の選択を間違えたかと問われれば、絶対にあそこだ。
「あー、青春やり直したい」
机に突っ伏して過去の自分を恨んでいると、頭上から聞きなれた声が降ってきた。
「また朝から病んでんの?」
「あ、雄大。おはよ」
友田雄大。半年前にできた、人生初の彼氏だ。
同じクラスの男子と付き合う心理的ハードルは、結構高かった。周りから囃し立てられるリスクもあるし、別れたときの気まずさを想像するだけで心臓が痛くなる。
「やり直したいって、俺と付き合った事後悔してる感じ?」
「そうじゃないよ。むしろ一年前にタイムリープしたとしても、雄大とは付き合うと思う」
この半年、互いに衝突することもなく、かといって情熱的に燃え上がることもなく、友達の延長線上みたいな関係でやってきた。それが香月にとって心地よい距離感だった。危惧していたような気まずい展開にもならず、平穏無事な恋愛ができていると思う。
「私が後悔してるのは部活選びだよ。なんなの、現代アート部って」
「ああ、あの変な部長さんのやつね。来年も続けるつもり?」
「いや多分廃部になるかも。人数足りなくてさ」
岩崎の入部が決まったことで、あと1人を集めれば廃部は回避できる。だがタイムリミットまであと数時間。なかなかに厳しい戦いだ。
「それで部員集めのために、今朝は早朝から先輩に呼び出されて…ふわぁ、ねむ…」
「ふーん。人数だけとりあえず満たせればいいなら、適当にクラスメイトの誰か連れていけば?例えば宮田とか」
「ゲルニカかあ」
「げ、ゲルニカ?」
クラスメイトの宮田圭介のことを、香月はゲルニカと呼んでいる。ピカソのゲルニカ。ドイツ空軍による無差別爆撃を表現したとされる、見ているだけで不安になるかの有名な絵画。顔と人体のパーツが、収まるべきところに収まっていない様は、福笑いのようで滑稽でもあるが、どこか不気味さを感じさせる。そのゲルニカの左から二番目。首の細い牛のような生き物に、宮田の顔がそっくりなのだ。
香月がつけたゲルニカというあだ名は一部で定着しており、宮田本人もそう呼ばれていることを知っている。宮田の所属する写真部も、たしか廃部が決定していたはずだ。つまり宮田はフリー。ひとまずの人数合わせのために誘うのに最適だ。
「おっす、ゲルニカ。ちょっといい?」
ロッカーを整理していた宮田の肩を叩く。
牛みたいな顔がゆっくりと振り向いた。キュビズムを用いて作られた人間でもないのに、なぜここまでゲルニカそっくりなのだろう。別に顔のパーツが乱れているわけでもなく、目や鼻、個々のパーツは至って普通だ。だが全体を見ると、一気にアートっぽい容姿になるのが宮田という男だった。
「おお、なんだ?まさか俺に告白?」
「それ卒業式の日にやるやつなんだよ。てか彼氏いるし」
宮田を失礼なあだ名で呼ぶのを許されているのは、彼本人が陽気で寛容な性格だからだろう。相手を間違えれば、ゲルニカに似てるなどとんでもない悪口だ。お前の顔は人間のものじゃないと突きつけるようなものである。
「じゃなくて、ゲルニカのいる写真部ってなくなるんでしょ。それで相談なんだけど、私のいる部活に数合わせで入ってくれない?別に幽霊部員でいいから。このままだと廃部になるんだよね」
「香月の部活っていうと…」
「現代アート部」
「ああ、クッソ美少女部長の!」
本当に塩井は顔に恵まれて良かったな、とつくづく思う。これが普通以下の容姿なら、現代アート部の知名度はもっと低かっただろう。かろうじて塩井が広告塔のような存在になることで、現代アート部がそれとなく周知されている。
「おお、入る入る。全然いいよ!」
「え、マジ?」
「どうせ来年から暇だし、どうしようかって思ってたとこ。むしろ誘ってくれてラッキーだわ」
「ちなみに言っとくけど、先輩と付き合うとか無視だからね。そこんとこ変な期待しないように」
塩井の異性の好みは知らないが、まずゲルニカではないはずだ。
しかしこんなあっさりと人数が集まるとは思わなかった。廃部はほぼ確定していたようなものなので、4人集まったのは奇跡といえよう。
「そんじゃ、終業式のあと部室行こっか」
「楽しみだなあ、塩井先輩と会えるの!」




