廃部リミット④
終業式当日の朝、アラームが鳴る2時間前に香月は目覚めた。いや、塩井からの着信で無理やり叩き起こされたのだ。
「おはよう香月!起きてるか?」
「寝てたんですが」
時計を見ると、朝の4時だ。新聞配達のバイクの音が遠ざかっていくのが聞こえてくる。
「今日が勝負だ。あと一時間以内に校門前に来るように」
電話の向こうからは、びゅうびゅうと吹く風の音がする。
「もしかして先輩…、校門前にいるんですか」
「当たり前だろう。登校してくる生徒を全員捕まえて声をかける。それくらいやらないと、廃部は免れないからな」
「あ…いや無理です。眠い…」
スマホを放り投げて二度寝しようとしたが、塩井が耳元でずっと喋るせいで眠れない。
「この腑抜け!いいから早く来るんだ。朝ごはんの心配ならしなくていい。香月の分も買って用意してあるから」
そういう問題ではないのだが、もうすっかり目が冴えてしまったので、仕方なくベッドから這い出た。3月とはいえ、朝はまだ寒い。もたもたと着替えていると、スマホから塩井の急かす声が聞こえてきた。
「お待たせしました。うう…さむ…」
「1時間と14分経ってるじゃないか。まあいい、ほれ、朝ごはん」
差し出されたビニール袋には、アンパンとコーヒー牛乳が入っていた。
「張り込み?」
「糖分は頭の回転をよくするんだ。さあ、間もなく朝練組がやってくるぞ。私に言わせれば、朝から激しい運動をするなんて健康的じゃない。全国大会に出られもしないくせに、よくもまあ毎朝やるもんだよ。ほら聞こえるか。愚か者の足音が」
朝練をしているのは、サッカー部、野球部、バレー部の生徒たちだ。彼らはもう部活に入っているのだから、声を変えるだけ無駄なはずだが。
「あっ、岩崎先輩」
2年生にして女子サッカー部のエース。岩崎真琴が校門前に姿を現した。すっきりしたショートカットに、アーモンド型の大きな目。中性的な容姿から、女子生徒からの人気も高い。朝だというのに、まったく眠たそうな空気を纏っておらず、溌溂としているのは流石だ。
「あれ、香月やん。えらい早いな。なんや終業式やからって気合入ってんのか?」
大阪出身の岩崎が、よく通る関西弁で挨拶を返してきた。
「違いますよ。この人に無理やり連れてこられたんです」
アンパン以外にも、自分だけ色々買いこんでいた塩井が、もぐもぐと口を動かしながら岩崎を見た。
「ん。君は確かサッカー部の。なるほど、愚か者第一号は岩崎か」
「なんやと?」
「ああすいません、岩崎先輩。今のは聞かなかったことにしてください」
「いやこいつ愚か者って言うたやん。なんで朝一に悪口言われんとあかんねん!」
ドーナツを口に押し込む塩井に、岩崎が突っかかっていった。
「終業式の日にまでご苦労なこった。サッカー部には用はない。とっとと練習に行くといい」
しっ、しっと手を振り、岩崎を追い払う塩井。いくら容姿端麗とはいえ、こんな人間に惹かれている部分があるのがたまに恥ずかしく思えてくる。
「大した実績もないくせに、練習だけは欠かさないとは、ある意味で感心するよ。そうだ、私が横断幕を作ってやろうか。校舎に掲げよう。『女子サッカー部 全国大会出場(希望)』と書いてやる」
「なんやそのカッコ書きは!」
「『全国大会出場(笑)』でもいいぞ」
「お前表出ろや!」
「ここは表だが?」
「おい香月、なんやねんこいつ!朝からほんま気分悪いわ」
「あぁ…ほんとにごめんなさい、ウチの部長が。大丈夫です。この人、もう部長の肩書なくなるので」
この調子では勧誘どころではないだろう。塩井から現代アート部部長の肩書が外れ、ただのクールビューティになるのも時間の問題だ。いや、実際クールでもないので、ただのビューティか。
「岩崎先輩はすごいですよね。3年に上がって、さらなる活躍を期待してます」
「ああ、そのことな。実はウチ、もうサッカーできへんねん」
「え?」
「ちょっと前に足壊してもうてな。普通に歩くくらいやったら問題ないんやけど、もうサッカーできる体やないんやわ。だから来年からは、マネージャーみたいな感じでみんなを支えていこうと思ってる。せやから朝もはよ来て準備してんねん」
「そ、そうだったんですか。すみません…」
「香月が謝ることあらへんよ。けどそこのお前!さっきから失礼なことばっかり言いおって。お前はいっぺん謝れ!」
岩崎の剣幕にも一切気圧されず、塩井はコーヒー牛乳を啜っている。
「体を壊したのは気の毒だな。それについては同情する。エースを失ったサッカー部はさぞかし心細いだろう。ただでさえ弱いというのに」
最後の一言が本当に余計だ。
「お前、ホンマしばくぞ!よー見たらむかつく顔してるわ。なんやその人を馬鹿にしたような目ぇ!」
香月が好きな塩井のパーツの一つが、冷たくも美しいその瞳だったが、言われてみれば腹立つような気もしてくる。
「朝からあまり騒ぐと体によくない。まあいったん落ち着くといい」
底に残ったコーヒー牛乳を、ずずっという音を立てて啜った塩井が、岩崎を宥めた。
「ほんでお前はここで何してんねん」
「勧誘だよ。我が現代アート部は廃部の危機でね。新年度までに、というか実質今日中に2人の部員を集めないとダメなんだ」
「現代アート部ぅ?そんな部活、この高校にあったっけ」
もはや存在すら認知されていない現代アート部。そんなものに所属しているのが恥ずかしくなってきた。
「そうだ、岩崎先輩。ダメ元で相談なんですけど」
「うん?」
「サッカー部と兼任でもいいので、現代アート部に入ってもらうことってできませんか?」
言っておいて、無茶苦茶な相談だとは思う。サッカーに青春を捧げてきた岩崎。志半ばで引退を余儀なくされたのに、それでも腐ることなく、周りのサポートを続けようとする心意気。香月には真似できないし、絶対に岩崎のようにはなれない。そんな彼女を現代アート部に誘うなど、失礼にあたることは分かっていた。分かっていたが、塩井をモデルに絵を描きたいという、下心混じりの情熱が勝ってしまった。
バッサリ断られると思っていたが、岩崎は少し悩む様子を見せた。
「うーん、そんなん急に言われてもなあ」
なんかいけそうな気がしてきた。ここはもう一押しだ。
「あっ、現代アートって聞くと難しそうですけど、全然大丈夫ですよ。私も現代アートがなにかよく分かってないですし、普通の美術部みたいに絵を描いたりもします。岩崎先輩ってかっこいいし、絵のモデルになってくれたら嬉しいな、なんて」
塩井が睨んでくるのが気配で分かった。
「君は浮気者だな。私をモデルにしたいんじゃなかったのか。それにこんな男っぽい女など、絵にする価値はない」
あくまで勧誘のため、岩崎をその気にさせようとして言っただけなのだが、塩井の不興を買ってしまったらしい。
「男っぽくてもええやろ。お前みたいに、いかにも私綺麗ですみたいな空気出してるほうが嫌やわ。自分、嫌われてるんとちゃう?」
「好きと言われたことはあるが、嫌いと言われたことはないな」
「あの、2人とも喧嘩はそのへんに…」
「なあ香月、こいつが部長なんやろ?人のこと散々、弱小サッカー部みたいに言うてきたけど、こいつはなんか入賞した事とかあんの?」
「えっと、ないですね」
塩井の作品群は、これまでの一年間で嫌というほど見てきた。というか見せられてきた。どれもこれも、塩井曰く現代アートらしいが、香月にはまったく理解ができなかった。そしてそれらの作品が日の目を見た事も、一度もなかった。作るだけ作って部室に放置するせいで、今や現代アート部の部室は異様な光景に仕上がっている。
「しょーもな!人に偉そうにしといて、自分かて何の実績もないんやん」
「馬鹿か君は。馬鹿だな君は。実に馬鹿だ」
「なんやこら」
関西人にとって、馬鹿は最大限の侮辱だと聞いたことがある。せめてアホにしておけばよかったのに。
「現代アートというのは、誰かに評価されるために作るものではないんだよ。ただ美しいものを作ればいいのなら簡単だ。明確な正解がそこにあるわけだからね。でも現代アートは、鑑賞者に答えを与えない。見方や考え方について、見る者に問いを投げかけるのさ」
「難しいことばっかり言うなや。下手くそやから評価されてへんだけやろ」
「愚か者め」
「しばくぞコラ!」
関西人にとって、愚か者も禁句だったようだ。だからアホにしておけばよかったものを。
「よっしゃ、入ったるわ。入部届寄越せ」
「え?今なんて言いました?」
「入部する。でも勘違いすんなよ。ウチは現代アートとか何も興味ない。けどこいつよりええもん作って、そのムカつく鼻へし折ったるわ。こう見えても、小学校の図工の成績は良かったんやからな」
予想外の理由で岩崎が入部を承諾してくれた。香月にとっては願ってもない展開だ。これから放課後の空気が、2人の衝突でギスギスする事を除けば、だが。
「良かったですね先輩。これであと1人集めれば、廃部回避ですよ。じゃあ私、入部届取ってきますので」
「待て香月。誰が岩崎の入部を認めると言った」
「へ?認めるも何も、岩崎先輩が入ってくれるって言ってるじゃないですか」
「入部させるかどうか、決める権利は部長の私にある。そして岩崎!」
塩井が人差し指を岩崎に向ける。
「私はお前の入部を認めない」
「ちょ、何言ってるんですか!部員集めろって言ったのは先輩でしょ!こんな部活に入ってくれる人なんて、他にいませんって」
とても正気とは思えない。塩井の肩を揺さぶり、香月は必死に発言の訂正を求めた。
ぐわんぐわんと頭を揺られながらも、塩井は続ける。
「現代アートへの理解がない人間を入れるわけにはいかん。一度それで失敗してるんだからな。すぐに来なくなった2人にせよ、香月、君だってそうだ。まるで現代アートに関心がないじゃないか。情熱のない人間ばかりで頭数を揃えても意味がない」
「そんな事言える立場にあると思ってるんですか⁉」
「そうやそうや、弱小部活の分際でほざくな!」
まるで塩井の考えが読めなかった。タイムリミットまでにあと2人を集めないといけない。その状況において、岩崎が入部してくれるのを断る理由はないはずだ。本気で廃部を免れたいと思っているのだろうか。
これ以上揺さぶると塩井が脳震盪を起こしそうなので、いったん手を止めて、塩井を落着かせよう。
「いいですか先輩。私たちは選べる立場にないんです。それにあの岩崎先輩ですよ。女子からも男子からも人気の、岩崎先輩です。こんなわけわからない部活に入ってくれること自体、奇跡なんですから!」
「褒めすぎやって、香月。お前はかわいいなあ」
塩井に対する鬼の形相を引っ込め、岩崎が人懐こい笑みを浮かべて頭を撫でてきた。手つきは乱暴だが、ツボを的確に刺激しているのか、妙に気持ちがいい。
「ふむ、ならば入部テストを行う。合格すれば、岩崎、君を我が現代アート部の一員として迎えよう。不本意ながらな」
「上等じゃボケ。絶対入ったるからな!」




