廃部リミット③
「ふむ、要するにあと2人部員を集めればいいんだろう?」
「もうその段階超えちゃってますって。あんなことして、まだ存続できるチャンスがあると思ってるんですか?」
「良くも悪くも生徒会はお役所仕事。条件さえ満たせば廃部にはできないさ」
自分がもし生徒会長なら、今さっきの暴挙を理由に廃部に追い込もうとするだろう。だがそんな可能性などまったく考えていない塩井は、何事も無かったかのように部員集めの話に戻っている。
「香月、部長として君に命ずる」
「部長って別に偉くないので、命令は聞きません」
「ではお願いなら聞いてくれるか?」
「内容によります」
塩井がツカツカと、実際は学校指定の上履きを履いているので、ペタペタという音しかしないのだが、塩井が歩くとヒールの音がしそうに聞こえるから不思議だ。ともかく足音を響かせながら向かってきた。
「こ、こっち来ないで。止まってください。ストップ!」
思わず飼い犬に命じるような口調になってしまったが、それでも塩井は止まらない。あっという間に香月は、階段の踊り場の隅に追い込まれてしまった。
塩井が壁に右手をつき、香月の逃げ場を奪う。左側はがら空きなので逃げようと思えば逃げられそうだが、どうせすぐに捕まって終わりだ。無駄な抵抗をする時間は惜しい。ここは大人しく話を聞いておくのが無難だろう。
黙っていればクールビューティで通っている塩井が、人通りの多い廊下で生徒に迫っているとなれば、注目を集めないわけがない。なんだなんだと野次馬が集まったが、みんな遠巻きに眺めるだけで、必要以上に近づこうとはしてこなかった。
「部員集めに協力してほしい」
「それさっき面倒だから嫌って言ったじゃないですか」
「もちろんタダでとは言わない。君が私に憧れていることは知っている。入部した理由もそれだろう?まさかバレてないと思ったのか。ん?」
傍目から見れば、口づけを交わしていると勘違いされそうなほど、顔を近づけてくる。塩井の吐息が顔にかかり、香月はさっと目を背けた。
「協力してくれたら褒美をやろう。君の望むもの、なんでも与えてやる。悪い取引じゃないだろう?それに…」
香月の前髪をかき上げ、塩井が意地悪い笑みを浮かべた。
「廃部になれば、もう私と過ごす時間もなくなるぞ」
一言断っておくと、香月は決して同性愛者ではない。塩井のことを恋愛対象として見ているなど、そんな感情は一切持ち合わせていない。ちなみに半年付き合っている彼氏もいる。
ただ、その美貌にある種の憧れというか、同じ生き物としての魅力を感じているのは確かだ。だが塩井は何を勘違いしているのか、香月が自分に心酔していると思っているらしい。あくまで香月にとって、塩井はアート、芸術なのだ。いくら絵画の中の女性が美しくても、結婚したいなどと思う人間はいても少数だろう。
「いやそれ自体は構いませんが」
「へ?」
「部室で2人きりじゃないと嫌とか、別にそんなの全然ないです」
「は、話が違うじゃないか。私の計算では、こうして私に迫られれば、顔を赤らめて二つ返事で了承するはずだったんだ。そう、まるで飼い主に命令された犬のように」
そんな従順な態度を取ったことがあっただろうか。塩井の記憶の中で、香月のイメージが勝手に書き換えられているのかもしれない。
「とにかく」
塩井の手を振り払う。
「部員集めなら一人でやってくださいよ」
正直言って、現代アート部が存続しようがしまいが、塩井がこの学校にあと一年いるという事実は変わらない。芸術は少し遠くから見たほうが全体がよく見えて、より一層魅力が分かる気がする。むしろ今までが近すぎたのだ。いっそのこと廃部になってくれたほうが、適切な距離感を保てるかもしれない。まあ、生徒会への度重なる暴挙で塩井が退学にならなければの話だが。
「裏切者!薄情者!クズ!」
「最後のはただの悪口じゃないですか」
「あーあ、香月が言うことを聞いてくれれば、作品のモデルにでもなってやったのに」
「モデル?」
香月の眉がぴくりと動いた。
「君は現代アートにはまるで興味がないが、美術そのものへはそれなりに関心があるだろう?絵を描くのは好きだと言ってたじゃないか」
「はあ、まあ…」
「君の描いた人物画を見たよ。教室の前に展示されてたやつ。なかなか上手ではあったが、描いてて楽しいという気持ちが伝わってこない作品だった。それはモデルがイマイチだったから、気が乗らなかったんだろ。どうだ、当たっているな?」
イマイチといえば失礼だが、塩井の言うこともあながち外れではなかった。美術の授業で描いた人物画のモデルは、同じクラスの友達だ。別段見た目が悪いとかではないのだが、特にこれといった特徴がなく、それをそっくりそのままキャンバスの上に再現したところで、何も面白味のない作品に仕上がってしまった。
もし塩井をモデルにして絵を描ければ、どれほどの作品が出来上がるのだろう。一度そう思って、モデルになってほしいと打診したが、にべもなく断られてしまった。仕方がないので盗撮を試みると、どうやらバレていたらしく、翌日には部室でのスマホの使用が禁止となった。
「部員を集めてくれたら、モデルになってやる。どうだ、やるか?」
部員集めの面倒さと、塩井をモデルに絵を描けることを天秤にかけ、香月は悩んだ。
そして出した答えは…。
「分かりました、やります」
「よっしゃ!」
塩井は両手でガッツポーズをした。他の生徒には見せることのない動きに、集まっていた野次馬がどよめく。
「さあ、そうと決まれば行った行った。時は一刻を争うんだ。タイムリミットは…えーと、新年度までに最低4人を集めないといけないわけだから…残り1週間しかないぞ。くそっ、なんてことだ。もっと早く動き出していれば!」
条件を満たさない部活が廃部になると、なぜ塩井は知らなかったのだろうか。今更そんな顔をして頭を抱えられても、あまり同情できない。
「今すぐ誰かに声をかけてこい!」
「いやもう放課後ですし」
いつの間にか野次馬たちも解散し、廊下は閑散としていた。風に乗って聞こえてくる吹奏楽部の練習と、サッカー部の掛け声。もう教室には誰も残っていないので、今日のところはお開きだ。
「なら明日の朝一からだ。いいな!」
「明日終業式ですけどね」
「あっ」
今日は3月24日。明日の終業式を終えれば、短い春休みのスタートだ。それが開ければ新年度。つまりタイムリミットはもう、ほぼゼロだった。
塩井が廊下に崩れ落ちた。
「なんてことだ。もう廃部まで一直線じゃないか」
いつもは腹立たしいくらいに堂々としている背中が、すっかり丸まってしまっている。さすがに香月にも同情心が芽生え、その背中を軽く擦ってやった。
「元気出してくださいよ。もしかした奇跡的に誰か勧誘できるかもしれませんし」
そんな事は万が一にも起こらないと分かっていたが、一応は慰めの言葉をかけてみた。
「おぉぉぉぉぉぉぉ…」
塩井の謎の慟哭が、夕日で赤く染まった廊下に響き渡った。




