傘はいらない③
せっかくの休日にも、まだ雨が降り続いていた。どうせ出かける予定は無かったが、なんだか損した気分にさせられる。雨粒が窓を叩く音のせいか、普段よりも早く目が覚めてしまったので、リビングにはまだ誰もいなかった。香月家の休日はみんな遅起きだ。
「7時前かあ。二度寝したいけど、なんか目が冴えちゃったな」
食パンは残り一枚だが、どうせみんな起きてくる頃には昼前だ。朝ごはんはいらないだろうから、最後の一枚を食べてしまっても構わないだろう。そう思って焼いたパンをかじっていると、弟の朝陽が珍しく起きてきた。
「パンもうないよ」
「え?まだ一枚あったじゃん」
「私が食べているのが見えないのか」
「うわ、マジか。なんかほかに食べるもんない?」
「カップ麺くらいなら」
「朝からそれはきついって。姉ちゃん、パン買ってきてよ」
なんて弟だ。雨の中、姉に買い物に行かせるとは。しかもパンを買うためだけに。
まあどうせ家にいてもやることがないし、ずっと引きこもっているのも気が滅入る。散歩がてら、コンビニに行くくらいならいいだろう。
「しゃーない、行ってくるよ」
どうせコンビニはすぐそこだ。髪の毛は寝起きでボサボサ。スウェット姿のままだが、知り合いに会うわけでもない。マスクだけ装着して、店に向かった。
この前は深夜にこのコンビニで塩井に遭遇したが、あんな偶然はもう起きないだろう。あの時だって、限定商品を求めて塩井がここまで足を伸ばしていただけ。何か理由がない限り、学校以外の生活県内に塩井が侵入してくることはないはずだ。
無事に買い物を終え、自動ドアを通り抜けた直後、道路のほうで何かが動いているのが見えた。
深紅のドレスに身を包んだ塩井が、ヒールで地面を打ち鳴らしながら舞っていた。
酔っ払いが出没する時間帯ならまだしも、今は日曜の朝7時過ぎだ。雨の中でドレスをひらめかせて踊る女がいていいはずがない。
絶対に関わらないでおこう。目を合わせたら終わり。貴重な休日が台無しにされてしまう予感がしたので、香月は顔を伏せながら慎重に、塩井から距離を取った。
一応写真だけは撮っておいて、橘に送信。橘は早起きらしく、すぐに返事がきた。
『こわ』
もっともな反応だ。
『先輩に見つからないように家に帰ってる途中。捕まったらやばい』
『怪異みたいな扱い』
『そのうち都市伝説になりそうだよね』
「だれが怪異だって?」
ずぶ濡れの赤いドレスで塩井が真後ろに立ち、橘とのやり取りを覗き込んでいた。
「ひぃっ⁉」
「人のいないところで陰口とは、悪趣味だな」
「そっちの恰好のほうが悪趣味ですよ。なんすかそれ!」
「高いんだぞ、このドレス」
確かに素材はよさそうだった。ならば一層、なぜ雨の中で着てきたのかわからない。
水も滴るいい女。今の塩井を見て、深川ならそう評するかもしれない。だが実際目の前に立たれると、恐怖が先行してしまう。雨が降りしきる薄暗い街中、まだ消えていない街灯の光を受けた塩井は、妖怪か幽霊か、その類にしか見えなかった。




