猫と袋⑤
興奮で震える深川が背後にいるのも気づかず、塩井は野良猫ににゃんにゃんと話しかけていた。わが校の生徒会長は、そんな塩井を見て今にもよだれを垂らしそうな顔をしている。このまま深川を近づけていいものかと迷ったが、別に止める理由もないのでそっとしておいた。
「塩井さん」
「んにゃ、深川か」
「なんですか、その恰好は」
「見ての通り猫だが」
それが説明になっていると本気で思っていそうな言い方だ。
文化祭でもない平日に校内でコスプレをすることは、おそらく服装規定に引っかかる。それを咎めるつもりなのかと思ったが、深川の口から飛び出したのは小言ではなかった。
「触っていいですか」
「なにをだ」
「耳」
「…好きにすればいいが」
深川は震える指で、塩井の猫耳を摘まんだ。
「柔らかい。まるで食パンのような感触」
神経は通っていないはずなのに、猫耳を触られた塩井はなぜかくすぐったそうにしている。アートの一部になろうとするがあまり、体が猫に近づいているのだろうか。あり得ない話だが、塩井という人間に常識は通用しない。
「あれなにやってんの?」
「ちょっと分かんないですね」
深川と塩井による謎の触れあいに、岩崎も困惑するばかりだ。
「猫耳少女というものは、往々にして耳や尻尾が弱点という設定があります。よくあるシチュエーションですが、尻尾を撫でられて艶めかしい声をあげながら身もだえするような…。そういうのはないんですか」
深川はエロ漫画の読み過ぎでおかしくなっている。
「は?君は何を言っている」
塩井の反応が、香月の心の声と一致した。
「私が昔読んだ漫画では、そのようなシーンが何度かありました。ラッキースケベというのでしょうか。主人公の男の子が意図せずして猫耳少女の弱点に触れてしまい、そのまま濃密な接触に…」
「なあ、マジで何言うてんの」
深川の本性を知るのは香月だけだ。それ以外の人間からすれば、普段は真面目で堅物の生徒会長が、突然狂ったようにしか思えない。いや、本性を知ったうえで聞いても理解に苦しむが。
深川は塩井の尻尾を撫で始めた。針金で固定された手作り感満載の尻尾を、愛おしそうに触っている。
「んっ…」
「ほんであいつもおかしいやろ。なんで尻尾触られて反応してんねん」
塩井はすっかり猫と同化しているようだ。自らのアートに入り込み過ぎると、ああなってしまうのか。
「ああ、素晴らしい。まさに夢にまで見た光景ですよ、これは。塩井さん、あなたもこれが目的で猫のコスプレを?」
「そんなわけないだろ!放せ、この…あっ…」
「いやだからおかしいねんて!なんで神経繋がっとんねん!」
岩崎が二人まとめて叩いた。
「にゃん!」
「痛い!」
塩井はともかく、生徒会長にも容赦がない。結構な勢いで叩いたらしく、深川の眼鏡がはじけ飛んだ。
「ええからはよ片付けてこんかい。ウチら部員を巻き込むなよ。全部お前一人でやったことなんやからな」
「香月、手伝ってくれないか。この量を私一人じゃ日が暮れる」
「知りませんよ。責任もって処理してください」
「この前パンを奢ってやっただろ」
「パン一つの労働量じゃないですもん。校外にビニール袋が飛んでいく前に、ちゃんと全部回収してくださいね。会長に手伝ってもらえばいいんじゃないですか」
深川はさっきまでの興奮が嘘のように、いつもの無表情に戻っていた。
「私は満足したので、これにて」
きっと今のを漫画のネタにするつもりだ。手元に残る感覚が新鮮なうちに、下書きだけでも済ませたいのだろう。
「待て、触るだけ触ってあとは放置か!君みたいなのがいるから捨て猫が増えるんだぞ。無責任な飼い主による飼育放棄は由々しき問題だ!」
一人で片付けるのが嫌な塩井は、社会問題に切り込んで深川を止めようとした。その叫びも空しく、深川は生徒会室へと足早に戻っていってしまった。
「はい先輩。観念してください。全部拾って」
「にゃあ…」




