一枚のコインで家が建つ㊷
その日の部室はとても静かだった。
トリックアートを制作する橘の作業音以外、ほとんど何の音も聞こえない。岩崎はサッカー部のほうに顔を出しており、顧問2人は職員会議。いつもは何かよく分からないものを作っている塩井は、特になにをするでもなく腕を組んで椅子に深く座っている。
気まずい。今朝のあれのせいで、塩井に気軽に話しかけることができない。
塩井も塩井で、居心地が悪そうに窓の外を眺めていた。証拠映像を深川たちにも見せびらかしたくせに、今になって恥ずかしくなっているのだろうか。なんて身勝手な人なんだろう。
張りつめた空気を感じ取った橘が、「あの」と声を上げた。
「なんかあったんですか」
「何もない。気にするな」
「香月、塩井部長はああいってるけど」
「何もなかったよ」
「嘘だあ。今朝校門の前でわちゃわちゃしてたじゃん。それが関係してるんじゃないの?」
作業の手を止めて、橘がぐいぐいと詰めよってくる。ミニサイズの体を押し返していると、塩井が立ち上がって咳払いをした。
「ちょっと2人で話せないか?」
橘を押さえつけていた手が強張った。
「え、えっと、はい、いいですけど」
「なにをしてる橘。聞こえただろ?気を利かせて出ていけ」
「2人がどこかに移動すればいいのでは…」
「学校の中に2人きりになれる場所などそうそうない。放課後だから生徒の動きも読めないし、いつどこで誰に見られるか分からないんだ。部室が一番安全なんだよ」
「ごめん橘、ちょっとの間だけだから」
「むう…」
橘は渋々といった顔で部室を出ていった。これで完全に塩井と2人。一体なにを言われるのだろうか。
「今朝のことなんだが、つまり君が私を恋愛対象として意識しているかという問題についてだ」
「それは…、自分でもよく分からないんです。先輩に惹かれてることは認めます。それは初めて会ったときからずっと。でもそういう好きじゃなくて、あくまで人としての造形美というか、先輩の綺麗さに憧れてただけなんですよ。あの時の約束だって、ほら、先輩をモデルにまた絵を描かしてくれるっていう、それだって先輩が最高のモデルになるって思ったから。だからそれ以上の気持ちは…、ないはずなんです」
「しかしあの夜、君は私を襲って唇を奪ったあげくに、好きだとはっきり口にしたぞ。そこのとこどうなんだ」
「いやあれは、酔った勢いといいますか」
「酔った時にこそ人間は本音が出るという。私を好きだと言った言葉は本心からくるものだったんだろう」
それは否定できない。否定できないからこそ、塩井になんと言えばいいのか分からないのだ。
「だいたい君には彼氏がいるじゃないか。デートを楽しみにしてたのに、私に邪魔されて怒ってたな」
「はい。だから先輩への気持ちは恋愛感情じゃないって、そう思ってるんですけど…」
「香月」
塩井が香月の頬をそっと撫でた。
「私は猫派だが、犬も嫌いじゃない」
「は?」
「つまりどっちも好きになってもいいんだよ」
「そんなの、雄大に失礼じゃないですか」
「選ぶのは君だ。香月の好きなようにすればいい。もし香月が彼氏を捨てて私を選ぶというのなら…」
塩井が目を細めて優しく微笑んだ。
「私は君を受け入れよう」




