一枚のコインで家が建つ㊶
『先輩、こっち向いてください。なんでそっぽ向くんですか?やだ。私を見て』
『人が、人が見てるから』
『ご通行中のみなさーん、超絶美少女がキスでとろけるところ見たいですよねー?』
スマホなら流れる音声が自分の発言だとは思えない。聞くに堪えなくなって耳をふさいだが、塩井がその手をどけてきた。
「自分の行いから目を背けるな。これが香月の本性なんだよ」
「もう勘弁してください。なんでもしますから再生を止めて!」
スマホを奪おうとぴょんぴょんはねる香月の肩を、深川が押しとどめた。
「ダメですよ香月さん。生徒会長としてあなたの淫行を見届けないと」
「淫行って!」
言葉選びが最悪だ。
それまで黙って聞いていた岩崎が、神妙な面持ちで香月に寄り添う。
「心苦しいけど、ウチも先輩として最後まで聞かなあかん」
「聞きたいだけですよね!岩崎先輩まで面白がって!」
「ちゃうちゃう。ほんまにちゃうから」
関西人が言う「ちゃう」は何も違わないと聞いたことがある。
そこへ折り悪く登校してきた橘が、騒ぐ面々を見て興味深そうにとことこ寄ってきた。
「朝からなにしてんの?」
「うっさい、散れ!」
「ええ…」
クラスメイトにまで醜態を晒すわけにはいかない。香月は獣のように吠えて、小動物みたいな橘を追い払った。
『頼む香月、正気に戻ってくれ。私と君は、その、こういう関係じゃないだろ?』
『あのさあ、先輩。その気にさせたのはそっちでしょ?なに?ホームレスに襲われそうになった時、すごいかっこいい事言ってたじゃないですか。惚れさせる気がなかったら、あんなことしないって』
『そ、それはあの場のノリというか』
『あー、いけないんだ。なんとなくのノリで人をたらし込むんだから。その顔であんな事言ったら、好きになるに決まってんじゃん』
「香月、やばい事言うてるな」
岩崎の顔がひきつっている。
「こんなの私じゃない!」
「いやお前や」
「あああああ!」
香月の叫び声に、校門付近の生徒たちが怪訝な顔をした。
『好きっていうのはつまり、えっと、先輩としてってことだろう?』
『んー?』
『な、違うよな。恋愛とかじゃないよな?違うと言ってくれ』
『ばーか』
再び音声が静かになった。よく耳を澄ますと、塩井のくぐもった声が聞こえてくる。
「またキスしとるわ」
「キス魔ですね、香月さんは」
「誰か私を殺して!」
「二度目のほうがよりディープだったな」
塩井が唇に指を這わせながら、わざとらしく甘い声で当時を回想する。
ようやく音声の再生が終わったころには、香月は汗だくになっていた。
「朝からえらいもん聞いてもうた」
「今日はいい一日になりそうです」
岩崎と深川が感想を言いあいながら去っていき、残されたのは香月と塩井だけになった。
「全部を聞いても思い出さないか?」
「すみません、なにも」
「ふむ、まあいい。私も怒ってるわけじゃない。このあと香月は意識を失って、それを家まで運んだんだよ。あれはなかなかに大変だったがな」
「ご苦労をおかけしました」
「それで?」
「え?」
「この時言っていたのは、君の本音なんだろう。つまり私を、そういう目で見ていると」
「ちがっ…」
「違うのか?」
違うと否定する言葉はなぜか出てこない。しかし肯定してしまえば、もう前までの関係には戻れない気がした。いや、もうすでに手遅れか。
「…ちょっと頭を冷やしてきます」
「ああ、また放課後に部室で会おう」




