一枚のコインで家が建つ㊲
目と鼻の先に塩井の寝顔が迫る。天然ものとは思えないほどの長いまつ毛に桜色の唇。並みの女性がどれだけ化粧を頑張っても、ここまでの美しさは手に入らないだろう。改めてじっくりと塩井を観察しながら、香月は女としての敗北を感じた。
どうしてこの人は美貌を活かそうとしないのだろう。現代アート部など意味不明な活動なんてせず、大人しく周りの生徒に囲まれてちやほやされていればいいのに。そのほうがよっぽど充実した高校生活に違いない。
「分かんないなあ、ほんと」
香月は手の甲で、そっと塩井の頬を撫でた。
もしも塩井に出会わなければ、今より高校生活が晴れやかなものになっていただろうか。現代アート部の代わりに運動部に入り、青春の汗を仲間とともに流していた未来もある。だが香月に後悔はなかった。
「先輩…」
学校帰りにバーに寄ってそのまま家に来たので、香月も塩井も制服姿のままだ。ボタンが一つ外されたブラウスに顔を埋めると、いつものケミカルなものとは違う匂いがした。バラのような香りが香月の鼻腔を刺激する。
「好きな人って、誰なんですか」
すやすやと寝息を立てている塩井に問いかける。
「今までそんな話してこなかったくせに」
恋愛になんてみじんも興味がない、という顔をしていた塩井に思い人がいる。付き合っているかまでは聞いていないが、塩井に好意を寄せられれば断る男はいないだろう。いや、男と決まったわけではない。クールビューティと称され、女性からの人気も高い塩井のことだ。彼氏じゃなくて彼女の可能性も捨てきれない。
香月にも雄大という彼氏がいるが、塩井に対して特別な感情を抱いてしまっている事は明白だ。自分の気持ちに蓋をしようにも、彼女を目の前にして気持ちが抑えられなくなる。
「そういえば部員集めも進んでないなあ」
塩井との約束では、二度目の廃部の危機を回避するために部員集めを行い、成功すれば絵のモデルになってくれる、という話だった。一度目の約束が果たされた際、塩井は言った。次はどんな姿でも描かせてやる、と。
「絶対に部員集めなきゃ」
どんな姿でも、という言葉に嘘はないと信じたい。
「ん…」
塩井が寝返りを打ち、ただでさえ狭いベッドの上でさらに香月に迫ってきた。もはや香月は壁際に追い詰められ、塩井と壁の間に挟まっている状態だ。
「く、くるしい…」
まさか朝までこのままなのか。明日も学校なので6時起きだが、起床時間まであと8時間近くある。しかし下手に動いて塩井を起こしてしまうのも憚られるので、もう一度寝返りを打って向こうに行ってくれるのを待とう。
時計の針が進み、11時、そして日付が変わったが、香月はまだ眠れていなかった。圧迫された苦しみもあるが、塩井と密着しているという状況でのんきに眠れるはずもない。5月はまだクーラー使用禁止という香月家のルールのせいで部屋は蒸し暑く、制服の下にじっとりと汗をかく。塩井も寝汗をかいており、湿った2人の体がこすれあう時間が続いた。




