一枚のコインで家が建つ㉞
塩井に連れられて入ったのは、白を基調とした地中海風の建物だった。塩井の行きつけというくらいだからチェーン店ではないとは思っていたが、予想以上に入りにくそうな雰囲気だ。
「ほんとにここ、高校生が入っていい店なんですか?」
「お先にどうぞ、お嬢さん」
塩井が店の扉を開けて、恭しくお辞儀をする。
「先輩が先に入ってくださいよ」
「なにを緊張してるんだ。君らしくない」
「だってここ…」
看板に書かれている文字が香月の目に飛び込んできた。『BAR』の3文字が確かにそこにある。
「バーってお酒出すところでしょ!未成年が入っていいわけない」
「まったく君は…。私を喫煙者だと勘違いしたこともあったな。いいか、私は品行方正な高校生だ。酒もたばこもドラッグもやらない」
ドラッグまでは疑っていない。
「でもバーって」
「ノンアルコールバーだから大丈夫。さ、入りたまえ」
香月が入口で逡巡していると、塩井がじれったそうに背中を押してきた。
「いらっしゃいませ。いつものお席空いてますよ」
そう声をかけてきたのは、バーテンダーと聞いて想像するようなきっちりした服装ではなく、ラフな恰好の男性店員だった。気取らない服装ではあるが、どこか垢抜けた感じがバーテンダーというより美容師みたいな雰囲気だ。
「マスター、今日は2人なんだ」
「でしたらカウンターの奥へどうぞ。ちょうど2席空いてます」
店はこじんまりとしており、カウンター6席とテーブルが2席。香月たちの他に客は一人だけだった。
香月がきょろきょろと店内を見まわしていると、塩井が椅子を引いてくれた。扉を開けた時といい、妙にエスコートするのに慣れている。これも例の好きな相手とのデートで身に着けた作法なのだろうか。普通エスコートするのは男性の役目だが、塩井がリードしている姿もなんとなく想像できてしまう。
「あ、じゃあ失礼します」
少し高さのある椅子に腰を掛け、塩井と並んで座る。カウンターの内側に並べられているボトルは知識のない香月からすればお酒に見えてしまうが、塩井いわくここはノンアルコールバー。ということは、酒ではないのだろう。
「なにを探しているんだ?」
「メニューです」
「この店にメニューはないよ。飲みたいもののイメージを伝えると、それに合ったものを作ってくれる」
「そ、そんなのハードル高いですって」
香月は好みを伝えるのがどうにも苦手だ。ラーメン屋で面の硬さを聞かれた時もなんと答えればいいか分からず、普通以外の回答をしたことがない。
塩井はなにも注文していないのに、もうカクテルが運ばれてきている。常連だと言っていたので、最初に飲むものは決まっているのだろう。
「先輩のそれ、なんですか」
「プッシー・キャットだ。柑橘系の甘いカクテルで、トロピカルな風味。一口飲んでみるか?」
「い、頂きます」
ノンアルコールだと分かっていても、カクテルグラスに入った飲み物を飲むのは躊躇してしまう。
「ん、美味しい」
「だろう?」
塩井はグラスを受け取ると、香月が口をつけた部分に唇を当てて一口飲んだ。わざわざそこから飲まなくても。
「プッシーキャットってどういう意味なんですか?」
「かわいい子猫ちゃん」
塩井が下手くそなウインクをして寄こす。カクテルの名前を言っているだけ。そう分かっているのに、まるでその言葉が自分に向けられているように錯覚してしまった。




