一枚のコインで家が建つ㉝
「どのボタンを押せばいいんだ。振り込みなんてやったことない」
「分からないのに適当に押さないでくださいよ。それ預入ボタンですって。その横のやつ。あっ、違う。そっちは引出し!」
「香月がやってくれ。どうにもデジタルは苦手なんだ」
そういえば塩井はスマホのフリック入力も苦手で、いつも人差し指でもたもたと文字を打っていた。
深川から教えてもらった口座に30万円の入金を済ませ、銀行を出る。もうすっかり日は沈み、街灯に灯りが灯り始めていた。
好きな人がいる、という塩井の言葉を香月は何度も頭の中で反芻していた。塩井が男にデレデレしているところはまったく想像つかないが、変人とはいえ彼女も女子高生。人並みに恋愛はしているのだろう。
「さっきから難しい顔ばかりして、一体どうしたんだ」
「え、私そんな顔してました?」
「君はあれだな。私と出会ってから顔つきが変わった。入部してからしばらくの間は、新入生らしくフレッシュで可愛げがあったというのに、だんだん渋みが出てきたというか…」
「そりゃ先輩が変なことばっかりするから、常に目を光らせておかないとっていう緊張感のせいですよ。ちょっと目を離したら奇行に走るんだから」
実際に一年前に比べて眉間のしわは深くなった気がする。
「このあとどうする?」
「どうするって、もう夜ですし帰りますよ」
「どこかで晩御飯を食べていかないか?」
今は塩井と2人でいるのがなんだか辛いので、断ろうと口を開きかけた。しかし塩井は返事を聞く前に香月の腕をつかみ、大通りから外れた暗がりへと引き込んでいった。
「行きつけの店があるんだ。ぜひ香月にも堪能してもらいたい」
「お、親がごはん作って待ってるんで」
「ならば私から親御さんには連絡を入れておく」
「なんで連絡先知ってるんですか!」
「前にお邪魔したとき、香月のご家族全員と連絡先は交換している。いいご両親と弟さんだな」
この女、いつの間にか人の家族に浸食してきている。相変わらずもたもたした動きでメッセージを打ち込み、香月の母親に連絡を済ませた塩井は、行きつけの店とやらがある路地へと引っ張ってくる。
「もう、分かりました。行きますから、腕離してください」
「繋いでないと迷子になるぞ」
「そんな迷路みたいなとこにあるんですか?」
塩井はこちらを振り向き、いたずらっぽく笑った。にっと歯を見せて笑う塩井は、普段よりなんだか幼く見えた。




