27Carat Mon Saint-Hilaire
27Carat Mon Saint-Hilaire
~~~~意:My dear Saint
イレールは腕の中の百合を、ぎゅっと抱きしめた。
身に纏った白いローブで彼女を包み、髪に頬を寄せる。
「そうです………!
あの時貴女は、私のことを家族だと言って、手を握ってくれた……!!
純粋な優しい心で、この胸の痛みを取り去り……、
あたたかい陽だまりをくれた……!
裏切られ…!家族を亡くした私にとって……!
その陽だまりは……本当に…!本当に、あたたかくて……!
どれほど…っ、嬉しかったことか……!!」
イレールは震える小さな肩を、さらに強く抱きしめる。
「……ぐす…っ…」
百合も彼の背中に腕をまわして、先ほどとは違う、美しい涙を流し続けた。
「ぜんぶ…っ、全部思い出しました…!イレールさんのこと…っ!私……っ、イレールさんに、酷いことたくさんしちゃった……っ!」
「もう……そんなこと、どうでもいいですよっ……!」
「忘れてしまってた…!
手を振り払ってしまった……!
怖がってしまった………!!
こんなに…!優しくて…、あったかくて…、大す―――――」
「ダメです……」
「―――――きゃっ!」
百合の頭が、イレールの胸に深く沈んだ。
彼はそのまま、手を沿えた百合の髪を、愛おしげになでる。
「ダメです……その言葉を先に言うのは、私です…。」
「イレールさん………?」
百合は、泣きはらした顔を上に傾けた
――優しげなブルー・サファイアの瞳と目が合う。
彼は涙を瞳に溜めていたものの、泣いてはいなかった。
とても穏やかな表情をして、腕の中の白百合を、ただ――優しく、見つめている。
「……このお話の続きは、別の場所でしましょう。」
「………え?」
「貴女に、聞いていただきたいことがあるんです。」
「…私に……?」
「はい。貴女だけに………。」
優しくそう呟くと、
イレールは、彼女を抱きしめたまま、指を鳴らした。
――パチン…
それはいつも
――百合の知っている彼が、魔法を使う時にする、いつもの…仕草―――
二人が降り立ったのは、
あたたかな日の光に満ちた、大聖堂。
クリア・サファイアの窓からは、光が、
まるで光のカーテンのように地に降り注いで、大理石の床を明るく、
そして、大聖堂全体を、明るい、光明の光で満たしていた。
二人の後ろには、
葉を落とし、幹がむき出しになった大樹が生えて、
その根元には、墓標が一つ、ポツンと立っている。
イレールはそっと――名残惜しげに、百合を腕から離した。
「ここは…どこですか?」
百合は泣くのを止めて、周囲を少し不安げに見回した。
イレールは彼女から離れ、
「カドゥケウス……」
手に、杖を握ると、安心させるように言った。
「ここは――私達、幼馴染しか知らない特別な場所……。
私の姉であり…全員の、光の星………リュシーの眠る場所です。」
「イレールさんの…お姉さんの………?」
百合はちらりと、そばにある墓標へと視線を落とした。
「はい……。」
一瞬、寂しそうに瞼を落としたイレールだったが、
ゆっくりと歩き始め、ある一か所で立ち止まった。
――よく見れば、大樹をぐるりと中心に据えて、
大理石の床には、複雑な魔法陣が彫りこまれている。
彼は、その魔法陣の上に刻まれた四つの円のうちの、
一番大きな円の中に、降り立っていたのだった。
「色々と、お話ししたいこと…
話さなければならないこと…それぞれありますが……。」
チラリと頭をかすめた黒魔術師の影を、イレールは頭の隅に追いやった。
「……見ていてください。
これをすると、私は大幅にパワーダウンしてしまいますが、今…このひと時だけならいいでしょう。
傲慢やうぬぼれなどではなく、
何故だか今は……何ものにも、負ける気がしない。」
イレールはカドゥケウスを両手で横に持ち、微笑を浮かべたまま
―――目を瞑った。
「理を捻じ曲げよ。ここに咲かせるは異界の花。
この世界の真理を捻じ曲げよ。
育むことなきその土に根を降ろし、花を舞わさん。
我は、系譜を守る者。
互いに寄り添いし、二つの世界の、制裁者であり、調停者。」
――イレールの降り立つ魔法陣が、青く、美しく光り輝いた。
「イレールさん………?」
見たことの無い彼の姿が、そこにあった。
宝石店で見る穏やかな微笑みは、そこに確かに、ある。
しかし、もう一つ――どこか凛とした、毅然とした強さをうかがわせる、
何かが、そこには加わったような……。
でも――それでも、そんな彼も、
紛れもなく、想ってやまない――イレール・ロートレーズという、人
そう、百合は感じた。
突然、
ふわっ……
――彼女の視界に、ピンク色の花びらが二、三枚舞った。
「………!」
百合は驚いて、背後の大樹を振り返る。
…………!!
言葉が出なかった。
背後の大樹は青々と葉をつけ、さらには、
――満開に桜の花が、咲き誇っていた。
――「物語は、このように終わりを迎えます。」
百合は、再びイレールの方を振り返る。
彼は握っていた杖を手の平から消して、ゆっくりと、彼女の方へと足を運んでいた。
その瞳には、しっかりと自分の姿が見据えられていて、
「………」
百合は視線を外すことができずに、頬を薔薇色に染めた。
「彼は――いいえ…。
――私は、
少女と再会できるその日を夢見て、この町に店を構えました。
そして、再び出会った可憐な少女に―――心を、奪われた。」
「心を、奪う………?」
長い睫毛に、潤んだ瞳が、
揺れる。
「……はい。」
隣に立ったイレールは、百合の左手を優しく手に取った。
「このお話は、
想い人に、想いを伝えられることの、幸せ。
――そんな幸せを、私達が感じて…終わりを迎え、
さらにこれからは、新しい物語が始まるのです。」
「……はい。」
百合の瞳にはもう一度、きれいな涙が、光り始めた。
イレールも、大聖堂に満ちたあたたかい日の光に、
目を細めている、睫毛を光らせる――
――「 百合さん…愛していますよ。
この二つの世界に生き、貴女を知る、誰よりも………。
誰よりも……。
貴女を、愛しています。」
そう告げた彼は―――
手に取った彼女の手のひらに、
そっと
――――口づけを落とした。
誓いを立てるかのようなその口づけ――は、
名残惜しむようにゆっくりと、離れて―――いく。
「――――っ!」
百合は涙を零しながら、
視線を落とし、微笑むと、
ぎゅっとその手を胸に抱きよせた。
「これまで……ずっと悩んでました。
イレールさんは皆に優しいから………なおさら、分からなかったんです。
……私を大切にしてくれるけど、どういう存在なんだろうって……」
そう言って、こちらを優しく――でも、どこか照れくさそうに、見つめている
――イレールをじっと見つめた。
―――「 私も……! イレールさんのことが、好きです!!
大事に…いつもその…大好きな瞳で見つめてくれる
その優しさが嬉しくて………っ!
どんな人にも…優しく接するイレールさんに…特別な愛情を向けて欲しくて……!
でも…怖くて伝えられなかったんです…
この気持ちは、わがままなことなのかなって思ってしまって……
イレールさんを、困らせたくなくて……
そう思ってしまうぐらい……。
本当に……イレールさんのことが、大好きなんです……っ!!」
フ……
――イレールは微笑むと、肩にかかった花びらをふわりと散らして、
再び彼女を、腕の中に閉じ込めた。
「私も…悩んでいたんですよ。」
「イレールさんも……?」
「はい…。」
百合はそっと、遠慮がちにだが――彼の胸に顔を寄せる。
彼はそれを、穏やかに見下ろした。
「でも、痛い目にあって目が覚めて…、勇気づけられて……
私達…お互いに…もう……悩む必要はないみたいですね…。これで……恋人同士、なのですから。」
「……は…はい。」
恥ずかしそうに、百合は頬を染める。
「あぁ…!それはそうと――」
「?」
彼は突然、
――「まだ、お礼を言えていませんでしたね。」
と、明るい声で言った。
「……お礼ですか?私に…?」
きょとんっと、彼女は上を見上げる。
「はい!貴女以外いませんよ!!」
イレールは楽しそうな微笑みに変わって、何度も頷いている。
「忘れてしまいそうですが、今日はバレンタインです!恋人たちの守護聖人、聖ヴァレンタインの日……。思い出せませんか…?貴女は私のことを忘れていても…私に、チョコと……フフ…。」
彼は、百合を抱きしめたまま、右の目尻に手をやった。
今は矢がかすめて、傷を負っているが――そこは……
「………ぁ…」
百合の顔が、カァっとさらに、赤くなった。
途端。
――ばっ!
彼女は、勢いよく顔を背けてしまう。
そんなに恥ずかしがらなくても…と、イレールは言葉を漏らす、
「こちらを向いてはくれませんか?お礼がしたいので。」
と、少し含みのある言い方で尋ねた。
百合は顔を真っ赤にしたまま、どもる。
「そそ…そ、それよりも……その傷は、どど、どうしたんですか?」
「これですか?言うならば、私への、戒めの矢です。」
「その……痛くないですか?」
顔を背けたまま彼女は、聞いた。
「そうですね。…少し……まだ。」
「………。」
イレールのその言葉に、恐る恐る――こちらに顔を向き直す。
「やっと、こちらを向いてくれましたね。」
にっこり笑う彼と、目が合って、ますます彼女は頬を赤らめた。
百合は納得がいかないのか、目を伏せている。
「……大丈夫ですか?」
「全然平気ですよ。それは…少しは痛みますが、すぐに治りますから。」
「良かった…。」
「………」
安堵の微笑みに変わった彼女の表情を見て、
イレールの表情がほんの少し、真剣なものへと変わった。
「目……つぶってください。」
「……え?」
「チョコと…私のことを、忘れていたはずの貴女が……
ほんの一瞬だけ、見せてくれた奇蹟への
―――お礼をさせてください。
あの時…私と出会った幼いころの記憶を辿れば…私のことを思い出してくれるのではないかと…。なんとなく思ったんです。あの思い出は特別に…貴女の心の中に、深く根付いていることは、分かっていましたから…。だから、あの話を貴女にしてみたのです…。
どうか……。目を………」
彼の真剣な、ブルー・サファイアの色をした眼差しが、真っ直ぐに両目に映る。
百合はたまらず、視線をそらす。
しかし、胸の前でぎゅっと手を組んで、そっと目をつぶった。
「………」
目をつぶった彼女の頬に手を沿えると、
イレールも目をつぶって――顔を――近づけていく
閉じた瞼の下から、視界がさらに暗くなっていくのを感じて、
百合は口を――何となく、ギュッと強く引き結ぶ。
と、
あたたかい感触が、左の目尻に広がった―――
やんわりと、
優しい、その口づけが離れて――
百合は瞼を、ゆっくりと開けた。
照れくさそうに、口を押えた彼と目が合う。
「貴女は、私の右の目尻にしてくださったので…。
私は、左にさせていただきました。
―――口にすると、思いましたか?」
「い……いえっ!!そんなことないです!」
ちょっと意地悪そうに笑ったイレールの言葉を、すぐさま否定する。百合は、上気した頬を両手で押さえて、視線を泳がせた。
「さっき、私の瞳を好きだとおっしゃってくれましたね?」
「…はい。澄んでて…とっても優しい、綺麗な瞳…です。」
「…フフ。そう言ってもらえると、嬉しいです…。
私も……貴女の瞳、好きですから。」
「………!!」
頬を包む彼女の左手に、彼も手を重ねて、愛おしげに言う。
――じっと、瞳が覗きこまれた
「貴女の瞳は、オブシディアン……。
心の中に芽生えた感情を自覚させ、心を洗練し、
人に強さをもたらす石……。
心と姿は、クリア・フローライト………。
感情の乱れや混乱を、優しさと包容力で包んでくれる石。
別名、蛍石。
私が暗闇の中、見つけた、もう一つの――光。
それが――貴女。」
百合は恥ずかしげだが――幸せそうに、微笑む。
イレールの瞳に、笑顔が映った。
――彼は満足そうに微笑み返すと、百合の頬から手を離し、
「もう少し……二人だけの時間を過ごしましょうか。」
と、百合の手を取って、
しっかりと繋いだ
「……っ!」
それは、いつもの、手のつなぎ方ではなく
――恋人たちの、手のつなぎ方
「………はい!!」
遅れて、百合は麗しい笑顔で返事をした。
―――「お話しすべきことも、ありますから………。」
小さく呟いたイレールの、辛さを含んだ言葉は、
彼女の耳には届いていなかった。
ひらり……
柔らかく、桜舞う光の、大聖堂。
二人の影は、
桜の木に並んで座って―――
仲睦まじく、身を寄せ合った
これからは…恋人となった二人を、あたたかく見守ってやってください。




