26Carat ブルー・サファイアは宝石を磨く
――チリン
イレールは、宝石店のドアをくぐって、店内を見回した。
そこには――誰の姿も、なかった。
静まり返って、薄暗い店内。
しかし、
宝石に満ちたショーケースだけは、明るかった。
ケース内をライトアップするため、一定の間隔で備え付けられた豆電球が、灯されたままであったからだ。
明るいショーケースは、ぐるりと店内を囲む配置で、ぼんやりと室内を照らし出している。
彼は愛情深げに、もう一度、店内を見回した。
と、
――ダイヤモンド サファイア ルビー オパール エメラルド……etc.
麗しい宝石たちと、次々に目が合う
彼らも、嬉しいのだろうか。
目が合ったのは、自分たちを目利きしてくれたこの店の、主人。
キラキラと呼吸するかのごとく、瞬いている。
僅かな光を、小さな身へと一身に注ぐ宝石たち。
彼らは、いつも誰かが欠かさず訪ねて来るこの店に、
健気なる光の粒をばらまいていた。
イレールは右手を胸へと持ってきた。
そっと触れたのは、胸に付けたスター・サファイアのブローチ。
――「私の心には、暁の星。」
強い、意志のこもった声。
彼は奥のキッチンをぬけ、書斎へと続く長い廊下を歩いて行った。
ドアの前では―――
いつも屋根の上にいる相棒が、純白の羽を休めていた。
「………遅いぞ。」
冷たいようでいて、優しい声。
「すみません。」
彼の口からは、穏やかな声が響く。
「彼女を迎えに行きます。もう迷いません。」
「やっとか……この、強情者め。」
クラースは、そう言い残すと、
――ばさ……っ
羽を広げて、音もなく飛翔し、暗闇の彼方に飛び去っていく。
それを、イレールは微笑を浮かべたまま見送った。
と、
――ゆっくりと踵を返して、書斎のドアを正面に見据える。
彼は無言のままドアへと歩み寄って、
そのまま―――――
―――トン……
そこへと愛おしげに体を傾けた。
体に触れる冷たいオーク材製の、ドアの向こう―――
―――………ぐ…すっ…えぐ………っ
聞こえたのは――小さく泣きじゃくる声。
「……」
さらにドアに顔を近づけてみれば、消え入りそうなほどに、弱々しい気配がする。
二人の間を隔てたドア。そのすぐそこに、彼女は体を抱えて、うずくまっているらしい。
――「そこにいらっしゃるんですね……。」
「………」
返事はない。
「私のお話を聞いていただけませんか?」
「………………」
やはり、返事はない。
それでも―――――
―――イレールは目を閉じて
「安心して…聞き流してくれる程度に聞いてください。」
優しげに……ゆっくりと、口を開いた。
「これはお伽話……
子どもの頃、枕辺に、たゆたった夢ものがたりに、程近い物語……
お話しするのは
―――――――とある、幸せな魔法使いの物語。」
26Carat ブルー・サファイアは宝石を磨く
「彼は、とてもとても幼い頃。
家族四人で、仲良く幸せに暮らしていました。
住んでいたのは、白魔術師だけが住む、山奥の静かな町。
父は鉱物学者で、母は治癒術師。父は彼によく、鉱物のことを語って聞かせてくれ、母は彼が傷を負えば、優しく治してくれていました。
そんな愛情深い両親と、仲の良い姉に囲まれて…彼は、それはそれは、幸せな日々を送っていました。
しかし、
幸せはそう長くは、続いてはくれませんでした。
険しい渓谷へと研究に出かけた父親が、そのまま行方不明になり……。
女手一つで育ててくれていた母親をも、病で亡くし……。
彼は突如として、
たった一人の姉と二人、精一杯、生きていかねばならなくなったのです。
……その姉の名は、リュシー。
闇夜に輝く星のような、あたたかな光の人。」
―――墓場にて。
小さな姉弟が、墓標の前で、身を寄せ合って泣いていた。
その墓標はまだ、真新しい。
姉の方は五、六歳ぐらいで、弟の方は姉よりも一つ幼いぐらい。二人とも肩にかかる薄茶の髪に、ブルー・サファイアを思わせる、澄み渡る空のような青い瞳をしていた。
ただ、その瞳も――今は涙に濡れて、
深い悲しみのブルーに、変わっていた。
「かあさんっ…えぐっ……どうして…っ、死んじゃった…の?」
弟が、涙を墓標に落としながら、姉に尋ねる。
「これからどうすればいいの…っ…?とうさんもいないのに……っ!いやだよ…!!かあさん……っ!」
姉も両手で顔を覆って、泣いていた。
「………っ…」
彼女は弟の問いに答えることができずに、涙が次々に込み上げる瞼を、ぎゅっと引き結んだ。
肩を寄せてくる小さな弟。
「――――っ」
姉は頬を濡らした涙を袖で拭うと
―――強く、弟を抱きしめた。
「大丈夫……!これからは、ねえさんが…あなたを守ってあげるわ……っ!」
「……っ…うん……っ」
弟も、大好きな姉の肩に顔を埋めて、抱きしめ返す。
「……いい子、いい子。」
姉は母親のように、弟の頭を撫でてやりながら、その耳元にそっと呟いた。
「かあさんにお花をあげましょう……?さっき…花束をもらったでしょう?その花は…辛くて寒い冬を乗り越えて、毎年かかさずきれいに咲いてくれる再生の花。切られても、手折られても、なかなか枯れない強い花…。だから……復活の花なのよ……。」
「ふっかつ……?」
首をかしげる弟に、姉は再び涙を拭いつつ、優しく微笑んだ。
「もう一回、この世界に生まれてくることよ。―――だから、死んだ人にあげて…もう一度その人に会えますように……ってお願いするのが習わしなの…。ほらっ、しっかりして、男の子でしょう…?」
「…………うん…。」
弟は姉の腕の中で涙を拭うと、彼女の腕から離れ、
――白百合の花束を、墓石に傾けた。
「彼らはその後、遠い親戚のもとへ引き取られました。でも、余所者は余所者。それ相応にしか扱ってはくれません。結局、遠縁をたらい回しにされてしまいました。
邪険に扱われ、心身ともに傷ついたその姉弟。でも、救いが訪れました。
――ある美しい街に、たどり着いたのです。
そこは、町中に水路が走り、噴水流れる、水の都。
大海に面する街は、交易場所として栄え、沢山の異種族が助け合って生きていました。
彼らはすぐに魅せられました。
その外観もさることながら……多種族が共生する、その――美しい様に。
そして、
学校に通う歳を迎えた、まだまだ幼い弟は、
泣き虫だけれど、どこまでも真っ直ぐな、民想いのヴァンパイア王子――と、
おっとりしていて優しいけれど、どこか不思議な、芸術家を愛する天使
――ジョルジュと、ミカエラに出会いました。
さらには……
社会的な偏見をもろともせず、結局は、学校の人気者となってしまった、
強い心を持つ、
実の、兄とも呼べる存在に、出会ったのです。
名は、餓鬼大将の―――いいえ……彼の名は、伏せましょう。
彼は名によって、過去と現代を生き分ける者。
ともかく、
彼は、
大切な…大切な、友人たちと…巡り逢うことができたのです。」
――午後の明るい陽だまりの中、三人の子どもが芝生に座り込んで、制服に日の光を浴びている。暖かい晴天の日の、学校のお昼休み。
「おっ!ミカ、もしかしてオレの事、描いてくれてんの?」
「えぇ。そのまま食べていてねぇ。」
「へへん♪分かってんじゃねーか!!モデルには最適だろ?美しき高貴なるオレ様の、お食事シーン!有難く描けよ~?」
ジョルジュは悠々とした笑みを浮かべて、手にしたシフォンケーキに、大きくかぶりついた。
「のぞいてもいいですか?」
「いいわよぅ~まだ途中だけれどねぇ~~」
薄茶の髪の少年が、ジョルジュの正面に座ったミカエラの手元をのぞく。と、
「………ははっ!」
薄茶の髪の少年は、ふき出して口元を押さえた。
「……ん?なんだよ、その笑いは…?」
何かを察知したジョルジュも、彼女が手にしたスケッチブックを覗きこむ。
「あぁーーーっ!!っくそ、主役は、シフォンケーキじゃねぇーかっ!オレ様の部分、手しかねぇーーーじゃんっ!!オレはあれか、シフォンケーキ以下なのか!?」
「あはははっ!!」
薄茶の髪の少年は、本当に、幸せそうに笑っている。
三人がぎゃあぎゃあ騒いでいると、乾いた芝生を踏んで、三人のもとへ、
リュシーと―――長い銀髪の少年が歩いてきた。
先に居た三人は嬉しそうに、二人を迎える。
「お待たせ!!誰かさんが調子に乗って、窓ガラスを粉砕するから…遅れちゃったじゃないっ!」
「あっはっはっ!いやー助かったよリュシー!頭から突っ込んで、血だらけの私を治療してくれて!イイ男が台無しになるところだったよ!」
痛い目にあっても、決してめげない彼。
「もう…よく言うわぁ……。私が治癒術を使えて、本当によかったわね。」
リュシーは、やれやれと苦笑する。しかし、その笑みはどこか、優しい。
「彼にとって…本当に麗しい日々でした。
大切な友人たちとの出会い……それは一つ目の、大きな幸せ。
二つ目の、大きな幸せは……
………。」
イレールは、少しだけ黙った。
薄らと瞳が開かれて、一瞬だけ、ドアの下へと視線が集中する。
―――ふっ……
愛おしげに見せた笑みとともに、彼は話を再開すべく口を開いた。
「そんな学び舎を卒業した彼らは、しばらくの間、散り散りになって時を過ごします。
彼は一足先に卒業した姉を追って、魔法界から人間界に移り住みました。
それは、彼らを特に気に留めてくれていた
―――恩師の計らいです。
姉は薬学を、弟は鉱物学を、その恩師から教わっていました。
二人とも彼を尊敬し、いつの間にか、彼は、実の父親のような存在になっていたのです。
もちろん二人とも、人間界には行ったことはありません。
いわば……異世界への移住です。
とても不安を感じていた二人でしたが、彼の計らいに感謝し、行くことに決めました。
人間界の万物を知り、己の知識をさらに増やしたい……。
それがきっと、自分たちの望みを実現させてくれる…そう思って。
二人の望み、それは―――
“人の心を救う魔法を、完成させること”でした。」
―――「少し…休憩しましょう。」
「……そうですね。」
二人は書物と鉱物が散乱する部屋で、地べたにどっかりと座り込んだ。
リュシーが口をとがらせて、不満を言う。
「どうして心に溶け込んでくれないのかしら……魔法薬のように、液状化させるべきかしら…うー…ん。でも、それだと普通に消化されちゃうわね…」
「液状化させると、インクルージョン(内容物)が溶けて、死んでしまいます。ルチルクォーツなどの内容物が鍵となる鉱物では、効力が消えてしまいますよ……」
「あ……そっか…。」
二人は大きく、ハァっとため息をついた。
そのまましばらく無言の時間が過ごす。
ふと、
姉――リュシーが、ねぇ…と弟に話しかけた。
「なんですか?」
「急なこと聞くわ…絶対に引かないのよ?」
「はい。別に今更、何を聞かれても引きませんよ。姉さんは昔から突拍子もないので。」
「あなたに言われたくないわ……」
弟の反応に苦笑したものの、リュシーは言葉の先を続けた。
「私は人の抱える全ての病を、癒せるようになりたい。だから…この魔法を完成させようとしてるわ。
外傷には治癒術、内傷には魔法薬。
そして、精神には、私達が成し遂げようとしている――この魔法…。
これが、私がこの魔法を望む理由よ。
でも、そういえば聞いたことないって思ったの……。
あなたは――何を思って、この魔法を望んでいるの?」
彼は面食らったような顔をした。
……本当に突拍子もないですね。そう言って、彼は微笑んだ。
「それは、
――無条件の救いをもたらす存在になりたいから、です。」
「無条件……?」
リュシーは少しだけ首を傾げた。
ゆっくりと、彼は頷く。
「無条件とは、万人にとって…という意味です。これまで私は――」
彼は、憧れを秘めた微笑みで、天を仰いだ。
「色んな人の…優しくて…温かな心に支えられて生きてきましたから……。今度は、自分が返す番だと思うんです。この世界の全ての人に、愛情や救いを与えられる存在になってみたい………」
チラリと、その視線が姉に注がれる。
「……そう。」
リュシーは、嬉しそうな笑みを漏らして、小さく答えた。
「彼らはその後…決定的な方法を見つけて、人の心を救う魔法を、とうとう完成させました。
―――………。」
イレールは再び、押し黙った。
先ほどとは違って、困惑して、何かを思案する顔になっている。
「………それが…大きな…二番目の、幸せ…ですか?」
――小さな、声が聞こえた。
イレールは、ハッと目を見開いて、青い瞳を揺らすと、
身を傾ける冷たいドアに、頬をさらに寄せて、優しく言った。
「……いいえ。
二番目の幸せは、もっと、もっと…大きな物ですよ。
これから先を詳しくお話ししてしまうと、とても暗い物語になってしまいます……。
それは避けるべきことですから、少し…どうしようか悩んでしまったんです。」
これは、幸せな魔法使いのお話なのですから…と、彼は続ける。
「彼の人生を大きく変えた二つの出来事があるのですが…そこは、飛ばしましょう。
いずれ……お話しする時が…来ると思いますから―――」
そう言った途端、
愛しげなその表情に、僅かに、本当に僅かに――影が落ちた。
「彼はその二つ目の出来事の結果…父のように慕っていた恩師に、裏切られたのです。
それだけではありません…
多くの血が流れ、
直接的でないにしろ……それが…
――姉の死を招くことになりました。
彼は自分を責めました
責めて責めて……
なぜ、あの恩師の心に潜んでいた狂気に気づけなかったのかと…
自分を責めて…
とうとう……彼は………
心を救う魔法を、使わなくなってしまいました。」
「……………どうして?」
再び、ドアの向こうから小さな声がした。
フッと、再び笑みがこぼれる。
「その魔法は、術者の心が幸せに満ちていてこそ、使うべきものですから……」
言葉とは裏腹に、彼は愛しい者への愛の囁きのように、その言葉を言った。
「ここからが、彼にとっての――二番目の大きな幸せ。
桜吹雪の中、
彼にぬくもりをくれた、少女との出会いのお話―――」
明日には続きを投稿します!!
くっつけーーーー!(笑)




