24Carat 忘れてしまった彼女 part4 last
お待たせしました!!
「じゃあ……無理に思い出そうとしないで、今日は早く休んでね。」
「うん、ありがとう。明日はお休みだし、今日は早く寝ることにする。」
家まで送ってくれた御真弓様にお礼を言って別れると、
「さて―――――」
百合はキッチンへ向かった。
明日に迫ったバレンタインのお菓子を用意するためだった。イレールのことを考えなければ頭はいつも通り動く。未だそのことを不審に思いながら、鞄を開けて買って来た材料をテーブルに並べる。
「よしっ!!がんばろ!!!」
一声あげて、彼女は髪を結ぼうとヘアゴムを取り出した。
首元に手をやって髪をかき集める。
カチャ…
「……?」
手に何か金属が触れて、
―――なぜだか急に、心に温かいものが込み上げた。
百合の瞳が大きく見開かれて、
二つの言葉が脳裏にフッと浮かんだ。
――――「………ミカさんがくれたペンダント。誰かの…写真……。」
制服の下に隠していたペンダントが取り出される。彼女はそれを首からはずし、ロケットのフタ部分をカチャリと開けた。
―――「――――っ!!!!?」
そこにあったのは、イレールの写真。
しかも寝顔。
――カチャ…
すぐにそのフタは閉じられた
「どどどど、どうしてこんな物つけてるんだろっ?!」
ガサガサガサッ!!
百合は顔を真っ赤にして、慌ててそれを鞄の中にしまい込んだ。
視界からそれが消えて、すこぶる安心した顔になる。
「ふーー………。妹みたいな存在って言ってたし……、こんなこともアリなのかな…。ミカさんがこのペンダントをくれたのは覚えてるんだけど……うわわっ…中にあんな写真があるなんて……!!普通だったらこんなのつけられないよ………たとえ兄妹みたいな間柄でも……。」
困ったような顔をしてひとりごちると、百合はチョコを湯銭に溶かし始めた―――
二時間後。
美味しそうなガトーショコラとクッキーがお皿に行儀よく座って、テーブルに並んでいた。
「できた!!後はラッピングするだけ。ガトーショコラを切り分けなくちゃ。」
そっと、形を崩さないように包丁を入れていく。
「美味しそう~~!やっぱり教えてもらっといてよかったな~~!あの時、女子力は結局何だか分からなかったけど―――――痛っ……!」
思い出を自然と手繰り寄せていたら、再び頭痛が襲ってきて、百合は頭を押さえた。
ズキン!
「うぅ…………。」
ズキン!ズキン!!
まるで思い出させまいとするかのように、刺すような激痛が頭に走る。
(………あうっ…!別の…ことを考えなく…ちゃ………)
必死で頭を切り替えて、思考をずらしていく。
すると、
――「…は…ぁ…………。」
その痛みは嘘のようにサッと引いて行った。
――ポツリ…
百合の瞳から涙が一粒落ちた。
ポツッ…ポツッ……ポツッ……
涙は止まる様子もなく次々に瞳から零れ落ちていく。
「もう……やだよ。苦しいよ。私、どうしちゃったの?なんで涙がでるの?何も悲しいことないのに……どうしてこんなに心が痛いの…?」
ポツッ……ポツッ…
「嫌…っ!嫌々っ!!自分が自分じゃないみたいっ………怖いっ!!
……………助けて、誰……か。」
百合はその場に座り込んで、そのまましばらく泣きじゃくってしまった――――
―――――――――――――――――――――――
その夜。
イレールは西永諒と美結の様子を窺うため、彼らの家の屋根に降り立っていた。
白い聖職服姿の彼は右手にカドゥケウスを持ち、月夜に長い髪を風に揺らす。神秘的なその姿。
そこへ一羽の大きな白梟が大きな翼を広げて飛んできた。それに気づいたイレールは左手を伸ばして、自分の使者である白梟をその腕に招く。
白梟――クラースが口を開く。
「その服で行動するとは、戦闘態勢だな。」
イレールは自分の胸に付けたスターサファイアのブローチに視線を落としながら、言った。
「この服のほうが戦闘には有利ですから……。私の魔力を最大限引き出し、身を守ってくれる。人間に私の姿を見えなくすることもできますし……もちろん今は姿を消していますよ。」
クラースは、そうか…と相槌を打って、
「様子はどうだ?」
と、尋ねた。
「やはり悪魔の姿は見受けられません……そろそろスモーキークォーツの呪縛もとけて魔力も戻っているはずですから、警戒してはいるんですが……。」
「では次、悪魔と対面した時にはどうするつもりだ?ブルー・ダイヤをどうにか引き剥がす必要がある。あの悪魔の身のために…。」
「はい…。動きを止めて…強引に引き剥がすしかありません……。荒療治ですがね…。ミカエラが居れば強引にハープで眠らせてもらえますが…居ない場合には……」
「―――血なまぐさくなるな……。」
クラースが言葉の先を代わりに続ける。
イレールは小さく頷いて、辛そうに両目を押さえた。クラースはそれをじっと見つめる。
「イレール……。」
「なんですか?そんなに厳しい目をして…?」
「もう……戻って休め。」
有無を言わせない含みで、彼はきっぱりと言った。
「…………。やっぱり今…そんな顔になってるんですね。」
イレールは自嘲気味に、疲れ切った目を伏せた。
「…こんなに心を痛めたのは……久しぶりです。体中が怠い……。」
ハリの無い声を聞いて、クラースはますます顔を厳しくした。
「……もう深夜三時になる。今日は土曜だ。百合に忘却の聖水入りのチョコをやった担任を調べるにしても、学校には来ないはずだ。百合も九時には店に来る…何かあれば知らせる。戻れ………」
「……。いざという時に動けなくてはいけませんからね…………お願いします。」
黙々としていたイレールだったが、力なく頷いた。白梟が腕から屋根に飛び移ったのを確認して、彼は屋根から屋根へと飛び移って宝石店へと戻って行く。
彼の相棒は黙って見送っていたが、不意にポツリとつぶやいた。
「そういう意味ではない。もう頑張るな。もう頑張るんじゃない……イレール。」
その呟きは夜の闇に、しっとりと溶けて消えた
―――――――――――――――――――――――
次の日になって、百合を裏路地で待っていたのは、クラウンだった。
「あ、今日はクラウンさんなんですね。」
「うん!別に今日がバレンタインデーだから、おこぼれを期待していた。とかではないよ!!!断じて違うのさ!」
口ではそう言いながらも、両手が堂々と差し出されている。口元もいつも以上にニンマリだ。
百合は微笑みながら、
「おこぼれじゃなくて、ちゃんと普通に用意してますよ。――はいどうぞ~~」
と、ラッピングされた包みを鞄から出して手渡した。
「おお~~~~!!!ありがとぉ~~泣けるねぇ~涙がちょちょぎれそうだよ~~~~~~~!!!」
クラウンは大げさに腕で両目を覆ってみせると、歓喜に満ちた声で叫びながら、百合に自分の被っていた赤いシルクハットを被せた。これは彼流の、宝石店への誘い方だ。
彼らを取り囲む次元が歪む―――
――「トランプの異質な存在ジョーカーは、絶望か…はたまた幸福をもたらす、決定打―――もちろん、私は後者のジョーカー!君たちなら大丈夫だと信じているのさ!!」
「え?」
クラウンが意味深なことを叫んだときには、視界が明るくなって、百合は宝石店に立っていた。
「皆さんおそろいなんですね。ちょうどいいです!」
そこにはイレール以外の、彼の幼馴染三人と一匹、真弓の神がそろっている。幼馴染三人がそろっていたのは、イレールと百合を心配してのことだった。
ジョルジュとミカエラはひとまず、元気そうな百合の様子に安心したような表情を浮かべていた。
「普段お世話になっているので、受け取ってくれると嬉しいです!」
百合は笑顔で迎えられて、一言彼らに挨拶すると、用意していた包みを配り始めた。
「わぁ~~クッキーがこんなに!!ありがとう、大事に食べるよ!」
「まぁっ!!ありがとうなのよぅ~~ホワイトデーにはしっかりお返しするわねぇ~~!」
「俺には生肉をくれるのか!粋な計らいだ!!」
御真弓様とミカエラ、クラースに渡し、ジョルジュに手渡そうとすると、
スッ…と、それは申し訳なさそうに制された。謝罪を含んだ、釣り目がちの瞳と目が合う。
「悪ぃけど、デンファレ以外からはもらわないようにしてんだ……気持ちだけ受け取っとくからよ…。」
百合は傷ついた素振りもなく、すんなりとそれを受け入れた。
「そうですね。陛下さんとデンファレ姫、ラブラブですからね!」
差し出していた包みを鞄に戻す。と、彼女は誰かを探す素振りで店内を見回した。
「―――えぇっと…店主さんはどこですか?」
「………」
クラウン以外の、その場に居た全員の顔が、どことなく曇った。誰も返事をしない。クラウンはその空気には合わない明るい調子の声で、
「イレールは書斎で仕事をしているよ。とても疲れている様子でね。さっき覗きに行ったらうたたねをしていたよ。そのチョコは、近くにコッソリ置いといてやったらどうだい?」
と、言いながら、書斎へと続く廊下を指さした。
「お昼寝ですか?じゃあこそっと…置いてきますね。」
百合は口の前で人差し指を立ててみせると、意気揚々と頷いて書斎へと向かう。
コンコン…
オーク材製のドアをゆっくりとノックしてみるが、返事はない。
まだ眠ってるのかなと思いながら、音をあまりたてないようにドアノブを引く。
――ギィ…
重々しい音を立ててドアが開き、百合は書斎にこっそりと足を踏み入れる。
―――イレールは話の通り、眠っていた
机に向かったまま、椅子の背もたれのクッションに体を預けて眠っている。
百合は彼を起こさないようにそぉっと近くまで歩み寄ると、机の上に包みを置いた。
何だかサンタさんみたい。
そう思いつつ、何となくイレールの寝顔に視線を飛ばす。
「……あれ?」
――思わず心配になって、百合はイレールの顔を覗きこんだ。
「………疲れてるの…かな。ロケットの写真と全然違う……。」
そう思わせるような寝顔だった。決して安らかとは言えない。
閉じられた瞳に落ちた睫毛には、薄らと涙が光っているような気がする。
血色も悪いような…。
悲しさをたたえたまま眠りに落ちたかのような。
そんなことを思わせる寝顔だった。
――ドクン…!
――心の奥で、何かが蠢く感じがした―――
途端
彼女の表情は
―――切なげな色を秘めた
不思議な表情に変わった
―――「その顔は、あなたが、とても悲しいときにみせる顔―――」
黒い瞳がイレールをしっかりと映し出す
「私がそんな顔をすると、あなたもそんな顔になる――――――」
瞼がゆったりと下ろされる
まるで、目に映ったそれを閉じ込めるかのように
「……いつも痛みを分かち合ってくれる
きれいな瞳の
優しくて誠実な人
私に微笑みをくれるのは
―――“イレールさん”の微笑み……ですよ。」
瞳を閉じた彼女は、顔をゆっくり近づける
前髪がふわりと、優しく触れ合うのを感じながら――――
百合は、
イレールの右目の目尻に
―――そっと口づけを落とした
小さな、優しい口づけだった。
――「……え?」
―――小さな驚嘆の声が下から聞こえてきた―――――
「………。―――っ?!き、きゃあああああああっ!!」
百合は一瞬で状況を理解して、慌てて顔を遠ざけた。
「わわわわわぁぁぁ~~~っ!!どどどどどうして私っ?!!!」
大きく動転しながら彼女は口を押える。
「ゆゆゆ、百合さんっ?!!!えぇっっと……!」
イレールも驚きを隠せない様子で目を白黒させている。
「ごごご、ごめんなさいっ!!ほんとに…ほんとにっ!どうしてこんなことしてしまったんだろうっ!!なぜだか体が勝手に………!!!きき、きゃぁあああああああああっ!!!」
「あぁっ……!!待ってくださいっ!」
――バタンッ!!
顔を真っ赤に上気させた彼女はイレールを振り返ることもなく、書斎からバタバタと出て行ってしまった。
後に残されたイレールは、自分の右の目尻に残ったぬくもりに、そっと手を触れさせた。
肩が心なしか震えている。
「……もう、これ以上っ!!私の心を…惑わせないでください……っ!!」
瞳にはもう一度涙が浮かんで、彼はそれを零してしまわぬよう、ぎゅっと目を瞑る。
「貴女は時々…びっくりするぐらい
――――…………残酷です…よ。」
彼は卓上の包みを寂しげに見つめた。
その包みにさえ、手を伸ばすことができなかった。
「………っ。」
イレールはそれに背を向けて立ち上がると、店頭に足を運んだ。
幼馴染たちが彼を出迎える。皆心配そうな顔をしており、ミカエラが代表してイレールに尋ねた。
「さっきゆりちゃんが顔を真っ赤にして出て来たけれど…何かあったの?」
「……いいえ、何も。」
「………そう。」
小さく頭を振って、彼は力なく言った。その場に彼女がいないことに気づくと、彼らに聞き返す。
「百合さんはどちらへ…?」
「百合ならそのまま店を出てっちまったぜ。チョコのお礼を言いがてら、迎えに行けよな。」
ジョルジュがそれに答える。
イレールは迷った素振りを見せた―――が頷いて、彼女を迎えに行くために、店を出て行った。
寂しげなその後ろ姿を見送ったジョルジュは、ハァっと大きなため息をついた。
「あんなに弱ったあいつ…久しぶりに見たぜ。」
「………えぇ…リュシーが命を落とした…あの日以来ね。」
ミカエラもジョルジュ同様、瞳を伏せた。
「忘却の聖水の効果を…打ち消すことはできないの?」
御真弓様が悔しげに唇を噛む。
「……うむ。あれを打ち消す魔法も、魔法薬も…存在しない。ただ一つ打ち消すことができるのは、最後の審判を告げる大天使ミカエルのラッパだけだ…忘却の聖水とは、その審判を迎えるその日まで……人の記憶を眠らせておくものだからな。ミカエルに頼んで吹いてもらうことも叶わん…そのラッパは例外なく、最後の審判その時にだけしか吹かれることはないのだ…。エウラリアが加工したことによって、質に何らかの変化があったのなら、何かがきっかけとなって思い出すかもしれないが…予測はできん。」
「そんな……」
クラースの言葉に、彼はがっくりと肩を落とす。
「おいおい!!辛気臭いぞ皆!笑おうではないか!!」
クラウンが普段と変わらない様子で声を上げた。
しかし、皆視線を落としたまま、悲しげな表情を浮かべたままであった。
「この状況で……笑ってなんていられっかよ。」
ジョルジュがポツリと、消え入りそうな声で言った。悔しさを含んだ目つきに変わって、苦々しくクラウンを睨みつける。
「あいつに対して……っ!……。あいつに対してオレらは――――」
「―――何もできない。そう言いたいのかい?」
冷静な声で、クラウンは言い捨てた。
―――「………ッ」
射るような視線が仮面の下から向けられているのを認めて、ジョルジュは視線をサッと逸らした。
クラウンは彼から目を逸らさずに、ただ一言だけ言った。
「私達はただ、信じてやればいいのさ………」
―――イレールは、宝石店を出て、気配を頼りに彼女を追っていた。
暗闇の中、宝石店だけがぽっかりと明るいその空間は、遠くからでもポツリと店を確認できて、迷うことはない。
黙々と歩いていた彼だったが、不意に
ハッと瞳が見開かれた。
―――(この気配…なぜこんな時にッ!)
――「きゃあああああああああああああああっ!!!」
嫌な気配を察した時には、聞きたくない彼女の悲鳴が聞こえて来て、イレールは必死になって駆け出した。
遠くに――悪魔に怯え、膝まずく百合の姿を見つける。悪魔は両手の爪を刃のように伸ばし、じりじりと百合ににじり寄っていた。
悔しげに悪魔を遠くに睨むと、イレールは宙に手を広げた。
――「カドゥケウスっ!!」
光の粒子が広がって、彼の手に、統合と調和の杖が現れる。
イレールは、寂しげで、切なげな表情を浮かべながら思う。
(百合さん…この姿の私は魔力を最大限引き出せない……。それは…貴女を全力で守ってあげられないということ…。)
イレールは走りながら、自分の制服に視線を落とす。
(見られたくない…知られたくない……!!貴女は…私を恐れるでしょうか?
あぁ…心はさらに傷つく…それでも、それでも―――)
――「私は貴女をお守りしますよ。」
髪を結っていたリボンが解かれた
その瞬間
――――パァァァアアアアアアアアアアアアッ!!!
白い光が、暗闇に広がった
――悪魔はサッと百合から距離をとる
「……例え貴女が私のことを忘れ、私のことを恐れても………。」
――――サラリ…
百合の視界に、どこまでも白い、純粋なる白が広がった。
たおやかになびくのは、
白いローブ
彼の薄茶の飴色の髪
―――聖職服姿のイレールが、百合を背にして降り立っていた
「………あなたは……」
恐怖の涙でぬれた瞳が、イレールをとらえる。
後ろにかばった少女に、彼は優しくフッと微笑むと、瞳を吊り上げて、悪魔――ではなく、彼の首元に埋め込まれたブルー・ダイヤを鋭く睨みつける。
「それを引き剥がさせていただきますよ。」
悪魔は見た所、黒髪の少年の姿をしている。しかし、子どもとは思えない不気味な声でイレールに言い捨てた。
「やってみろ!この石からは魔力が尽きることなく湧き出している……!!お前といえども、対等に渡り合えるはずだ!!!そして、美結のため死にさらせ……ッ!!」
「そのダイヤが無ければ……私のルーペで眠りに誘い、貴方の動きを止めることができたのですがね…ミカエラの『眠りへの鎮魂歌』のように強引にいかないのが残念です。」
イレールは僅かに眉をよせ、カドゥケウスをキッと構えた。
「ミカエラが来るまで相手になりましょう。彼女の前で血を流させるわけにはいかない……貴方の動きを止めるのが、私であってはならない。」
「何をつべこべと……くらえぇっ!!」
――シュンッ!!
槍の束のように、悪魔の長い爪がイレールめがけて突き出される。
――ガチンッ!
イレールはそれをカドゥケウスの柄で上に払いのけると、そのまま体をねじって悪魔の腹部に回し蹴りを喰らわせた。
「ぐはぁっ!!!」
悪魔は大きく後ろへ弾き飛んで、
「ぐ……!」
と、小さく呻いたが、すぐに体勢を立て直して地に足をつく。
百合から距離をとったイレールは、悪魔を追うため大きく地を蹴って走り出す。
――ジャラッ!!!
すぐに、爪と杖がぶつかる甲高い金属音が辺りに響き始めた。
百合は怯えた瞳をして俯いて、放心したようにぺたりと座り込んでいた。
――(早く気持ちを落ち着かせてあげなくては……!)
心の中ではそう思いながらも、イレールは目の前の悪魔との戦いに専念する。
「かのSaint-Hilaire様に我がどこまで通じるものか…試してみるかッ!!」
悪魔が不敵に笑って、サッと身を引き、目を閉じた。
「魂を弄ぶ悪魔の哀憫……地の果てより響け、弄ばれし魂の叫びッ――――」
――悪魔の足元、そしてイレールの足元に黒い魔法陣が浮かぶ
イレールも小さく詠唱する
――「聖母マリアのガラス、セレーネ、セレナイト。我が身に宿せ、聖母の守護…」
悪魔の魔法陣が黒く瞬く―――
ぎゃああああああああああああああッ!!!!
―――ビュルルルルゥ………!!
耳をつんざくような叫びとともに、
何千、何万……
…ともつかない骸骨の群れが、魔法陣から竜巻状に吹き荒れながら現れた。骸骨は赤黒い闇を身に纏いながら、イレールを闇の嵐に包み込む。
悪魔はそれを見てニィっと笑う。
ギラッ!
彼の首元のダイヤが蒼く光った。
「どうだ!今の我は賢者をもしのぐ。これで美結を守ってやれる……!」
――「なかなか強力な魔法です。ですが、まだまだですね。」
イレールの声が闇の渦中から響いて、
―――スパァアアアンッ!スパァァァアアアアンッ!
白い光が骸骨の群れを切り裂いて、直線状にもれ始めた。
「ちッ!」
悪魔は悔しげに舌打ちする。
――パリィィィイイイイイイイイインッ…!
ガラスが割れるような軽い破壊音が響く。
――フッ……
その瞬間、骸骨たちは白い光に飲まれて消えた。
魔力がぶつかった衝撃で噴煙が起こる――
その噴煙がおさまった頃
イレールは白い光に包まれたまま、無傷の状態でその場に立っていた。
彼がカドゥケウスの末端に手をそえると、ブルー・サファイアの刃が現れた。聖槍となった杖を悪魔に向けながら、厳しい目で鋭く悪魔を見据える。
悪魔もギリリと歯を食いしばって、爪を立てながら彼を睨んだ。地を蹴って駆け出すと、再び爪を素早く突き出してくる。
イレールも柄で爪を払い、時折悪魔にブルー・サファイアの刃を突き出した。
「……ッ!!」
それは悪魔の皮膚をかすめ、かすり傷を負わせる。
「ぐはぁっ………!!!」
流れるような槍の一撃が、肩を浅くえぐった。肩からは血が数滴、滴る。
「く…ッ、はぁッ………!!」
圧倒的に悪魔はイレールに押されていた。
――百合はますます怯えたように――二人を見つめている
―――「イレールッ!!無事かッ!」
悪魔とイレールの鍔迫り合いの渦中に、デスサイズを携えたクラウンが駈け込んで来た。
「クラウンッ!ミカエラはまだですかっ?悪魔の動きを止めて頂きたいんですが!!」
悪魔の爪を押しのけながら、イレールが叫ぶ。
「悪いがもうしばらくかかりそうだ!!状況からして、ブルー・ダイヤをどうにかしたいんだね?!!」
彼も悪魔に大鎌を振り上げた。悪魔は消耗した様子ながらも、サッと大きく飛び上がって鎌の一撃を逃れながら、彼らから距離をとる。
――「この有様で賢者二人に、かなうはずがない……これは…最期の一撃に頼るしか、ない…。覚醒した魔法族のみが発動できる…強大なる一撃を……
―――ハァッ…ハァ………」
体中傷だらけの悪魔は肩で息をしながらも、赤い瞳で二人を睨みつける。
「死んでもいい…お前達を殺し…愚弄の黒魔術師から美結を救えるなら……ッ!!」
悪魔がそう呟いた瞬間、
――ビリリリリ………ッ!!!!
彼の魔力が大幅に膨れ上がった。
黒髪が逆立ち、電流が彼の体を蛇のようにうねって走っている。
周囲に悪魔の魔力が満ちて、二人は頬にピリピリとそれを感じた。
「これは……!上級魔法………!!」
悪魔の変化に二人とも顔を青くする。
イレールとクラウンは同時に叫んでいた。
――――Grand fanfare!!(偉大なる祝典曲)
「やめなさい!!!いくらブルー・ダイヤによって魔力が増幅しているとはいえ、まだ魔力の覚醒しきっていない子どもの貴方が、上級魔法を使っては命に関わりますッ!」
「私達でもグランド・ファンファーレは余程の時にしか使用しない!!冷静になれッ!!!」
イレールとクラウンが叫ぶ。
「この身などどうでもいい……!!―――あぁあああッ!!!」
―――ビュンッ!!
悪魔はさらに魔力を解放する。
彼を中心に複雑な二つの魔法陣が現れて、赤黒く光りながら回転し始めた。
「きゃあああッ!!」
「いけないっ!!」
イレールたちは、恐怖に頭を抱えた百合を背にかばう。
そして、たまらず顔を腕で覆った。
「鋭い…殺気立つ魔力だね…皮膚に刺さっていくかのようだよ……」
クラウンが悔しげに言う。
悪魔は魔力を集中させ、今にも上級魔法を発動しようとしていた。
「クラウン……」
イレールが落ち着いた口調で言った。
「やむを得ません…私が動きを止めます。気を失わせる程度の傷は負わせるつもりですから………あとは…よろしくお願いします。」
「………ッ!!」
クラウンはキッと唇を噛んだが、悔しげに頷いた。
背にしている百合に向き直ると、安心させるようにそっと言って目を瞑らせた。
「君は見ちゃダメさ……いいかい?誰かがいいっていうまで、絶対に目を開けちゃダメだよ?」
百合はクラウンの持つデスサイズに一瞬びくりと怯えたが、小さくコクリと頷いて、言われたとおりに目を瞑った。
「………」
イレールはそれを見届けると、普段宝石を扱う時に使用している白い手袋を取り出して、手にはめた。
表情は何処か寂しげで、一瞬、ためらいの瞳で―――
目を瞑った百合をチラリと伺う――
と、イレールは、
――――ダッと悪魔に駆けだした。
「来るなぁぁっ!!!」
悪魔は赤い目を見開いて、両手の爪を地面にグサリと突き刺した
ギュギュンッ!!
彼を中心に回転する二つの魔法陣が、二、三倍にも巨大化する。
―――「グランド・ファンファ―――――――」
魔力が一気に集束して、魔法が発動しかけたその瞬間―――
グサリ
――「ぐ……はァ………ッ」
悪魔の横腹には、
ブルー・サファイアの刃が突き刺さっていた
勢いを無くした魔法陣は、薇がこと切れたかのごとく、シュン…と、消え失せる。悪魔はがくりとその場に膝をついた。
―――「絶対に死なせはしません……!!」
イレールは強い意志のこもった目で言うと、カドゥケウスを突き刺したままの悪魔の首元に手をやった。白い手袋をはめた手が、ブルー・ダイヤに添えられる。
「宝石の白魔術師の命に従い、この手にその身を横たえよ……」
――キラ……!
ブルー・ダイヤを包む白い粒子が輝いて、
ポロン…
白い手に、それは静かに横たわった―――――
幾分安心した様子で、彼はそれを懐にしまう。
再び表情を引き締めると、イレールは悪魔に視線を落とした。傷は深い。
今この槍を抜けば、大量出血は免れない。そのため彼は傷口を刺激しないように慎重に、悪魔を腕に寄りかからせた―――彼の白いローブに、悪魔の出血した血が滲む。
――「クラウンっ!!」
「あぁ。その少年悪魔の命、しっかりと預かったよ!」
イレールの呼びかけに頷いて、クラウンが隣に駆けつける。彼の手には、ハートのエースが一枚握られている。
――「大アルカナの名残を記すNoblesse de cour(宮廷貴族)の気高き遊戯。ハートのスート…聖杯の体に戻りて、癒しの葡萄酒を注げ……」
手に握られていたトランプは、
フ……
―――葡萄酒の注がれた杯に変わった
「イレール!!」
「はい!」
――イレールが素早くカドゥケウスを引き抜くのに合わせて、クラウンは悪魔の口にそれを注いだ。紅い、しかし、どこか、優しさと情熱を感じさせるような温かい赤い光の粒子が悪魔を包む―――それが消える頃には、
横腹の傷は癒えて、悪魔は安らかに眠りについていた
二人は安堵の表情を浮かべたが、
―――「……………きゃ……っ!」
背後から少女の、恐怖に震える小さな悲鳴が聞こえてきて、表情を固くした。
イレールはクラウンに悪魔を任せると、彼女を落ち着かせようと立ち上がった。
「百合さん!もう大丈夫です。色々あって気が動転していると思いますが―――」
できるだけの微笑みをつくって、彼女の所へ歩み寄ろうとする。
――百合は口を押えて後ずさった
「い……いや…っ、どうして…そんなに…血を浴びているの…?」
―――!!
イレールのローブには悪魔の血が大きく広がっていた
百合の瞳には依然として恐怖の涙が光っている
そしてそこには―――明らかな拒絶の色
もちろん悪魔に向けられているのではない
それは紛れもなく――――




