17Carat 海底に沈んだ古の都 part2
二人の正面に、鋼鉄の巨大で豪壮な門が立ちはだかる
イレールと御真弓様が誘われたのは、海風の吹きさらす寂れた入江であった。
背後には高くそびえる切り立った崖。無骨に波風に削られた岩肌は、その入江が満潮時には荒々しい波に飲み込まれ、水没することを暗に示している。
イレールは、ブルー・サファイアの瞳をキッと吊り上げ、目の前の門を睨みつけた。
固く閉じられたその門は、ぽっかりと異質な雰囲気で、宙に浮いていた。門の向こうは、こことは空間を異にする別の世界――魔法陣には“Par Is”と書かれていた――この先に広がるのはIsという名の海底に沈んだはずの世界。それを確信しながら、彼はゆったりとした動作で歩み寄ると、目の前の豪壮な門へと片手をかざした。波紋が広がるかのように、彼の手を中心に、一瞬、光が瞬いた。
ゴ、ゴゴォッ……
巨石を引きずるような重々しい音がして、荘厳な門が開かれる―――
その向こうに広がっていたのは、華やかな街並みだった。
人々は皆、豪華な服装をして、快晴のあたたかい日差しの照り付ける石畳を行きかっている。見通しの良い大通りの遥か先には、城門が見え、豪奢な宮殿が都市の中心に佇んでいる。通りの両側に直線状に並ぶ商店は、どれも嗜好品や宝飾品ばかりを扱う店で、どの店も身なりの良い人々が忙しく出入りし、その都市の生活水準の高さをうかがわせた。
イレールと御真弓様は軽く頷き合うと、門の中へと歩みをすすめた。彼らの姿が街へと消える。すると、真っ黒い布の塊のようなものが、炎のようにうねりながら、門の上に降り立った。やがてそれは人の形をとり、不気味な頭蓋が垣間見える。黒い外套を翻して姿を現したのは、死神アンクウであった。しばらく彼は直立姿勢で動かなかったが、とがった歯がむき出しで引き上がった口を、突然ニヤッと広げた。
「あれはSaint-Hilaire様じゃないノ。さすがだナァ、ボクが2000年以上、手をこまねいてル門を一瞬で開けちゃっタァ~!」
手をたたいて、引き開いた口をぽっかりと大きく開く。本人は驚いた表情を浮かべて拍手を送ったつもりらしかったが、その手からは乾燥した骨がぶつかる、コツコツコツッという音しか鳴らせていない。
「さっき女の子が連れて行かれてたけド、それを追って来たのかナァ?助けられなくて心が痛かったタんだよネェ…気づいたときには呑み込まれちゃっテ…」
死神アンクウはしょんぼりと頭を垂れた。
「でモォ……今のSaint-Hilaire 様じゃ、さすがに一人では助けられないと思うナァ……昔に比べて魔力が100分の一にまで衰えているんだからァ。ン?それハ、他の四賢者もだっケ?」
彼はカタカタ骨を鳴らしながら腰をかがめて、ひょいっと門の中を覗きこむ。眼窩の中の眼球の役割をしている蝋燭のような炎が、町の中を進むイレールと御真弓様を逆さまに映しだした。
「Santa-Lucia様の桜を―――咲かせるためにその魔力を捧げているなんテ、感動的だけド、こういう時には、不便だよネェ……」
彼はそう呟くと、自身を身に纏っている外套で包んで、フッ…と、あっという間に姿をくらました。
イレールと御真弓様は、城へと駆けていた。
大勢の人々が行きかう通りだが、その広さは、二人が自由に駆け巡ることができるほどに広い。
「イレールさんっ!本当に、百合さんはあの城の中に居るの?」
御真弓様は、水干の袖を後ろに白くなびかせながら、隣を走っているイレールへと尋ねた。
「はい!!間違いなくあそこから百合さんの気配を感じますっ!無事でいるようですから、慎重に、それでいて迅速に行きましょうッ!」
イレールも黒いコートをなびかせて、疾風のように大通りを駆け抜けている。
「そうだね……僕たちが冷静でいないと、冷静に対処すべきところで判断を見誤ってしまうかもしれないからね……」
御真弓様は唇を噛むと、前を向いて駆ける速度を速める。
シュンッ!!!
二人はあっという間に城へとたどり着き、城門へと飛び乗った。
(妙ですね……彼らは私達に反応していない………この霊体達に付与された、かすかに感じる異質な魔力は何でしょうか…?)
イレールは、城門の上から城下町を見回した。町の者たちは部外者である彼らのことを気にすることもなく、賑やかに、華やかに、町を行きかっている。
(そして…この城内から発せられている桁違いの憤怒と嘆きの情念……ここはイスの都。古に沈んだ都。そこに未だ負の感情に支配されて巣食うものが居るのだとしたら……!)
彼は御真弓様に訴えかけるように、真剣な視線を送った。
「……イレールさんはここがどういうところだか、知っているみたいだね。たぶんあなたも感じていると思うけど、この城からは底知れない悲しみと怒りの感情を感じる……これについても心当たりあるんだよね?」
白藍色の瞳が、あどけなさを潜めて、その目を見つめ返す。
「ここはアーエスと呼ばれる嘆きと憤怒に支配された妖女が統べる、古に滅んだはずの大都市です。」
「じゃあ、百合さんはその…嘆きと憤怒に堕ちたアーエスっていう妖女に捕らえられているってこと……?」
「おそらく。しかし……それだと非常に厄介です。私も、貴方も、無事では済まされない……」
イレールが苦しげに、しぼりだすように言った。
「どうして?あなたは全く別種の存在である僕ですら確認できるほどの、計り知れない強力な力を持っているのに…それに、僕の弓の腕が信用できないってことでもないよね……?」
全幅の信頼を置いている彼のそんな反応に、御真弓様の表情にもわずかに不安の色がにじんだ。
「まず……宝石による心の救済は叶わないでしょう。あれは心の中に、わずかに残った希望の欠片に溶け込ませることが叶って初めて、その人の心全体を救うことができます……。これほどの負の感情に囚われて、希望の欠片が残っているはずがありません。また、私の魔力は現在……最大限思うように発揮できない状況にあるんです………」
彼はどこか遠くを見つめつつ言った。
御真弓様は驚いて目を見開く。
「本来のあなたの力は……今以上だっていうの………?」
「平和な世界においては、力はそこまで必要とされませんから不便はしていませんよ。それに…私の魔力は、ある大切な人のために捧げられているのです。」
イレールは一瞬だけ、昔を懐古するかのように目を閉じたが、すぐに開いて御真弓様に言った。
「貴方の弓の腕を信頼していないわけではありません。ただ単純に、この城の奥から感じる妖女アーエスの魔力と私の現時点で発揮できる魔力を比べたときに、明らかに私は足元にも及んでいない……貴方も魔法族を良く知らないわけですから、うまく渡り合えるとも限らない……分が相当に悪いのです。」
「………ッ!!」
御真弓様は悔しげに顔を背けたが、すぐに表情を引き締めると、ぎゅっと握りしめていた手のひらを開いた。一陣の風が手を覆うように逆巻いて、その手に白い大弓が握られる。それは彼と人間の信頼である弓の名工へと返上した弓とはまた別の、破魔の弓。
装飾性は低く、美しい曲線をえがくそれは、アルビノの彼岸花を思わせるように澄んだ白い大弓であった。彼は自分の身長以上のそれをイレールの正面へと差し出した。
「確かに僕はあなたたちのことを良く知らないけど、日本の多種多様な妖の類を相手にしてきたんだ……武神として戦い慣れているつもりだよ……!」
それに…と、続けて、彼は城の壮麗な壁を睨みつけた。
「百合さんの身を傷つけるような何かが起こっているのなら……黙ってはいられない。」
白藍の瞳に人より崇められし神の威厳が宿る。
「―――――必ずこの弓で、彼女に仇名す者を仕留める。」
イレールは彼の思いを受け取るかのように、じっと白藍の瞳を見つめた。
「私も貴方と同じ気持ちです。今、私の頼れる友人たちがこちらへ向かっていますから、気持ち負けする必要はありません――――」
彼女の身を案ずる念に、心をかき乱されすぎぬよう心を落ち着けて、
「――――行きますよっ!!!!!」
イレールは宮殿の円形の巨大な薔薇窓へと飛び立った――――
バリィイイイイイイイイイイイーーーーーーーーーーン!!!!!!
御真弓様が鋭く、力強い矢を放って、ガラスを粉々に破壊して、道をつくる。
パラパラ……
バサッ……!!
黒いコートが衝撃を受けてカラスの羽のように広がりながら、イレールはガラスの破片が散らばる空中を華麗に舞い、大きく開けた城内へと軽やかに降り立った。
御真弓様も天狗のようにやすやすと大弓を手にしたまま、すっと音もなく地に降り立つ。
「あら………ん。素敵な殿方たちだこと………窓を壊してくれちゃって、叱ってあげたいところだけれど、許してあげてもよろしくってよ。その代わり、わたくしと遊んでいただけないかしらん?」
色気のある女の声が、彼らを出迎えた――――
声の主は雪のように白い肌、波打つ長い金髪を持った妖艶な女性であった。カールした睫毛が瞬きをするたびに、瞼の紫のアイシャドーが怪しく色を放ち、細い華奢な体は露出度の高い黒のサテンのマーメイドドレスで包まれている。首元には蒼黒いダイアがメインストーンにされたプラチナのペンダントが煌めき、耳元にはブラック・パールのピアスが黒く光っていた。
彼女は見た所、謁見の間である空間らしいその場所の、王の玉座に足を組み頬杖をついて、どっかりと座っていた。なまめかしく媚びるような目で、侵入者をなめるように見つめている。
イレールは動じることなく、彼女の前に歩み出て、恭しく一礼した。
「ご無礼を承知で伺いました。こちらへは人を迎えに参りました次第。用がすみましたら早急に薔薇窓を直し、跡を濁さずここを立ち去るつもりです―――返していただけますか?私達の大切な人を。」
そう言って、彼は鋭い視線を彼女が座っている玉座の隣へとやった。
―――その玉座の隣には、金魚鉢のような形の巨大なガラス壺が佇んでいる。
「――――ッ!!!」
ガラス壺が置かれている、その意味に気づいた御真弓様は苦々しく唇を噛み、目を吊り上げる。
―――百合はその壺の中で、だらりと肘掛け椅子に座っていた
上半身をぐったりと深く背もたれに預けて、可憐な乙女の桜色の頬と唇は青白く染まり、黒髪は肩に、背中に乱れ広がっている。包容力に満ちた瞳は力なく閉じられて、彼女は完全に気を失っているようだった。
「あははははははっ!!!この子を追ってここまで来たのん?生憎だけれど、嫌よ。」
妖艶なその女性は、二人の刺すような視線には構うことなく、ガラス壺へと歩み寄った。
うっとりと目を潤ませながら、手のひらで愛おしそうに表面のガラスをなでる。
「わたくしがここでずっと……恋焦がれていたあの方が戻って来てくれたの。この子の体を傷つけることなく命だけ奪い、その躯を指し出せば、ここへ戻って来てくれましてよ…そう約束してくださったの…!ああ、麗しいあの方………!!あの方がもう一度、アーエスと呼んでくださるなんて……!!!」
――アーエスは恍惚の表情を浮かべて、ガラスへと身を寄せた。
イレールは指を鳴らそうと手をあげて、御真弓様は矢じりの先をアーエスの眉間へと構える。二人は怒りを押し殺して、静かにアーエスを睨みつけていた。
それを見たアーエスは、ニタリと、二人に不敵な笑みを向けた。
「久しぶりに、お人形遊びがしたいの……ただこのまま殺してしまうのは惜しいわ。この子はわたくしの手に堕ちた精巧なビスクドール。溺れ死ぬこの少女人形をエサに……。殿方たちの雄々しい勇敢な英雄叙事詩で…退屈の海に沈んでいたわたくしを楽しませて下さらないかしら………ん?」
ルージュを厚く塗った唇が大きく歪むと同時に、
ゴポ……ッ、ゴポポッ…
気泡が、深い海のそこから浮き上がるような音がして、ガラス壺の底から、水がゆっくりと湧き水のように噴き出し始めた。
「――――くッ!!!!」
イレールは指を鳴らすと同時に、大きくその手を真横へとはらう。
先端のとがった六角柱のクリア・サファイアの20センチほどの結晶が六本、弧を描いて彼の前に出現する。モース硬度9の、ダイヤにつぐ硬さの鉱石がアーエスへとピストルの弾のように、牙を向いた。
「そうそうっ!!そうよ!!そういう雄々しい姿が見たくってよ…………!!!」
アーエスは緑の瞳を狂気にゆだねてカッと見開くと、いきなりフッ…と姿が消えた。
百合が囚われたガラス壺も消え失せている。
ドドドドドドッ…………!!
標的を失ったクリア・サファイアは、大理石の壁に激突して盛大に破壊音を立てた。
「危ないっ、イレールさんっ!!!」
謁見の間の入り口には、中世の甲冑たちが一人でに動いて、それぞれ剣や斧などの得物を手にして二人に殺気だって迫っていた。
――シューーーンッ!!
御真弓様はすぐさま、イレールの背後に迫っていた三体のそれらを、直線状に射抜き、まとめて動きを止める。
「助かります!!」
イレールは短くお礼を言って、門を通ってわらわらと謁見の間へと押し寄せる甲冑たちへと指を鳴らす。
謁見の間に敷き詰められていた大理石が、水晶の結晶のように様々な方向につき上がって、刃となってそれらをつき刺した。
多勢に無勢だというものの、二人は次々にそれを繰り返し、甲冑の動きを止めていく。
「切りがありません――――ねっ!!」
――パチン!!
―――ズドドッ!!
「いちいち構っていられないのにッ!!!」
――シューーーーーーーーーン!!
――――ポロ…ン ポロロロ……ン テラララ~~ラ、ン…
二人がその数に、手を焼いていると、弦楽器の癒しに満ちた調べが流れ始めた。
くらっ…バタ…ッ
バタバタ…バタッ……
甲冑たちが、こと切れたかのように攻撃の手をとめ、その場に次々に倒れていく。
イレールが、謁見の間の入り口へと優しげに声をかけた。
「『眠りへの鎮魂歌』……聴いたのは久しぶりです。相変わらずお美しい調べです―――――ミカエラ……」
天使の純白の羽が大きく天へと広がって、ブロンドの髪が神々しい光沢で輝いた。その手には――――黄金の光を放つ竪琴が握られている。
「無事でよかったわ……これねぇ困ったことに、わたしまで眠くなっちゃうのぅ。ふぁ~~っ!!」
ミカエラは友人の無事を認めて、安心したのか、猫のように大きな欠伸をした。




