兵どもが夢のあと?
「バレンティナさん! 本日も勝負お願いしますっ!」
威勢のいいかけ声と共に、騎士団の面々がバレンティナの周囲にぞろぞろと集まってくる。
「あのね、今日は私の快気祝いじゃなかったっけ?」
団長行きつけの酒場を、遅れてくる団長のツケで本日は貸し切っているのだが。
折角、ちびりちびりと久しぶりの酒を味わいながら飲んでいたのだが、目の前の若い騎士の挑戦に、バレンティナはしぶしぶと、だが内心にやりと笑った。
リューネリア様に仕掛けられた罠に引っ掛かり、騎士にあるまじきことに全治二カ月の怪我を負ってしまったのだが、あれからゴードヴェルクから偉い人が来たり、ロレインの結婚が決まったりと、延びに延びた快気祝いをやっと開いてもらったのだ。
しかし彼らの意図は分かっている。
騎士団でもうわばみの異名を取るバレンティナだったが、ここ数カ月、怪我の治療のために医師から禁酒を言い渡されていたのだ。なんでも酒は薬効を鈍らせるとかいう理由で。
人というのは酒を飲まなくなると、酔うまでの許容量が大幅に減ると言われている。つまり怪我の為に二カ月以上酒を飲めなかったバレンティナに、今日は勝てるという不確かな確信を持っているのだろう。
あまいわね、と内心思いながら、鼻先で笑う。
「いいわよ。受けて立つわよ? その代わり――」
「賭けですよね? 俺たちはいつものでお願いします!」
「あんたたちも諦め悪いわよねぇ。ま、別にいいけど。じゃ、私もいつもので」
そう言うと、彼らの顔がかすかに歪む。
彼らの要求に比べたら、断然可愛いものだと思うんだけど。
「また、おまえは……」
酒場の其処此処に伸びきった騎士団の面々に、唯一人涼しい顔をしてバレンティナは残りの酒をあおっていた。
遅れてやってきた団長に、
「ふふ、団長も勝負します?」
空のグラスをふり、店主におかわりっ、と声をかける。
「阿呆が……こんなに酔いつぶして、これじゃ明日仕事にならんだろうが」
「だって、しつこいんですよ。いや、もう執念? 私に勝って、リューネリア様付きの侍女との仲を取り持ってくれって」
それが彼らの勝った時の条件だ。結果は見てのとおりだが。
しかしその言葉に、ジェレマイアは怪訝な顔をする。
「ん? いつから侍女になったんだ? こいつらあんなに妃殿下に……」
周りを見渡して、ジェレマイアは言葉を詰まらせた。
団長の言いたいことは分かる。
だが、バレンティナは言葉に詰まる団長の目の前で人差し指を立てると、左右に振った。
人は変わるのだ。いや若者たちは、人目も憚らずにいちゃつく殿下たちが羨ましくなったと言った方がいいのかもしれない。だからと言って、彼らがリューネリア様の侍女と仮に仲良くなれたとしても、殿下たちのように人前でいちゃつかれても迷惑なだけなのだが。
「あのですね、一応、この子たちもリューネリア様が人妻だってこと承知してますよ?」
「……――そうだな」
苦笑を浮かべるジェレマイアに、同じくバレンティナも苦笑を返した。
掌を返したようだ、と言いたいことぐらい分かる。騎士たちのリューネリア様への熱の上げ方は半端ではなかった。こうして賭けをしてもなお、彼らの中にリューネリア様への思慕があることは分かっている。
だからこそ、バレンティナは賭けにのるのだ。侍女たちへの想いが半端なものでないことを試す為にも、彼らの想いを煽る為にも。リューネリア様に対する想いは忠誠心でなければならない。
「だから、私に勝てるぐらいじゃなきゃ、紹介してやらないって言ったんです」
「なんでだ?」
団長はそう言って、不思議そうな顔をしたまま首を傾げる。
バレンティナは完全に騎士たちが潰れているのを確認してから、拳を握りしめた。
「だって、侍女さん方が皆くっついちゃったら、私よりも早くお嫁さんになっちゃうじゃないですか。これでも一応、夢は持ってるんですよ?」
家族から早く嫁に行けと言われて数年経つ。言われていた時はうるさいぐらいだったのに、最近ではそれさえなくなり、逆に寂しいと感じてしまうとは。その上、ロレインももうすぐ結婚するというのに。
思わず項垂れる。
祝福する思いは強い。だけど、時折寂しい思いの方がふっと強くなる時があるのだ。
「あー、わかったわかった。もうそれぐらいにしとけ」
頭をわしわしと撫でまわされ、せっかく店主が持って来た酒をジェレマイアに奪い取られてしまい、バレンティナは「私のお酒~」と手を伸ばした。
「おまえ……酔ってるな」
「酔ってませんよ!」
撫でまわされて乱れた髪を手で整えながら、不貞腐れてテーブルに片肘をつく。確かに、多少酔っているのかもしれない。やはり久々の酒は意外とまわる。
「――ところで、おまえが勝った時はどうしてるんだ?」
ジェレマイアの言葉に、視線だけを向け、知らず口元が歪む。
視線を受けた団長は、あきれたように首を横に振る。どうやらまともな賭けの内容ではないと気づいたのだろう。
「……何を賭けさせた?」
「別にお金とかじゃないですよ? ですけど、これは聞かない方がいいと思いますけど」
手持無沙汰の片手を左右に振る。
別に団長に知られても困る内容ではない。だが、きっと団長の方が困る。それは目に見えている。
それはそれで面白そうだとは思うのだが。
「馬鹿言うな。いつも皆で飲みに行った翌日、見るからに二日酔いではない様相の騎士が多いと思っていたが……」
ジェレマイアはどうやら引く気はないようだ。
何事かに気づいていたとは恐れ入るが、団長もまだまだ甘い。
バレンティナは更に唇を左右に持ち上げた。
「後悔しますよ?」
念のため、忠告する。
痛む心は持っていないが、きっと明日は団長も騎士の他の面々と同じ様相になるに違いない。仕事にならないのは、バレンティナの出した条件の結果だ。
「いいから、話せ」
ジェレマイアは店主に酒の追加を頼みながら、促してくる。
ちらりと横目で店主を見て、わざとらしく溜息を落とす。
「皆に最近の近況を聞いてるんですよ」
かなり遠回しな言い方をして、上目づかいでジェレマイアの表情を窺う。
目を瞬いているところをみると、その言葉の裏に気づいていないようだ。仕方なく、肩を竦めると事実をぶちまける。
「騎士団の面々の、誰でもいいから弱みを一つ教えなさいって言ってるんです」
うふっと可愛らしく笑って見せる。
つまるところ情報収集なのだ。だが、バレンティナの言葉をよく噛み砕くと、とんでもないことが分かるはずだ。
ジェレマイアの顔色が変わる。
どうやら気づいたようだ。
「……誰でもいいって、今日来ている者たちだけではないってことか?」
「当然ですよ。団長も副団長の情報も完璧です」
にこりと笑って、親指を立てるとジェレマイアの頬がひくついた。
そこにちょうど、店主が酒を持ってやってくる。
「あ、私もらいますね」
苦々しい顔をしながら、それでも物も言えないほど衝撃を受けている団長の代わりにグラスを受け取ると、並々と注がれた酒を口に含む。
きっと団長も明日は気か気ではないはず。誰にどんな秘密をばらされたかなんて、分からないだろうし。お互いの顔色を窺いながら、数日間は気を揉むに違いない。実はそれが楽しいんだけど、とほくそ笑む。
目の前の団長の表情を見て、いい酒の肴ができたわ、と思いながらバレンティナは再び酒をちびりちびりとやり始めた。
まさかこれだから嫁に行けないとジェレマイアが思っているなど、バレンティナは知る由もない――。