↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『エリザベートとジュディ、美貌の代償』  作者: 東曌


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
9/11

第九話 死後につくられた伝説  エリザベートとジュディ、永遠にされた人々

第九話 死後につくられた伝説

  エリザベートとジュディ、永遠にされた人々



人は、亡くなったあとも美しくあり続けることができる。


年を取らない。

疲れない。

病気にならない。

誰かに腹を立てることも、失敗することもない。


写真の中の顔は、撮影された日のまま残る。


映画の中の歌声は、録音された日のまま響き続ける。


そして、人々は、その姿や声を何度でも見つめることができる。


けれど、そこには不思議なことがある。


生きているあいだには、思いどおりにならない身体を持ち、日々の生活に悩み、周囲の期待と向き合っていた人が、亡くなった途端、ひとつの象徴になってしまうのだ。


エリザベートは、美しい皇后になった。


ジュディ・ガーランドは、永遠の歌姫になった。


しかし、その伝説の中にいる女性たちは、実際に生きていた二人と、どこまで同じなのだろうか。


## 一 暗殺された皇后


一八九八年九月十日、オーストリア皇后エリザベートは、スイスのジュネーヴで暗殺された。


犯人は、イタリア人の無政府主義者ルイジ・ルケーニだった。


エリザベートは、宮廷の華やかな生活から距離を取り、各地を旅していた。ジュネーヴ滞在中も、身分を目立たせないようにしていたが、新聞報道などを通じて、皇后が滞在していることは知られていた。


ルケーニは、当初、別の王侯貴族を標的に考えていたが、その人物がジュネーヴを訪れないと知り、エリザベートを襲った。


彼女は、鋭い刃物で胸を刺された。


傷は小さく見えたため、エリザベート自身も、すぐには命に関わる傷だと理解していなかったとされる。彼女は船に乗ったあとに容体が悪化し、ほどなくして亡くなった。


皇后の死は、ヨーロッパに衝撃を与えた。


美しい皇后。

宮廷を離れ、自由を求めた女性。

そして、突然、暴力によって命を奪われた人。


その死は、彼女の人生を悲劇として記憶させる大きな出来事となった。


けれど、ここで立ち止まって考えたい。


エリザベートは、暗殺されるために生きていたのではない。


彼女は旅をしたかった。

詩を書いた。

乗馬を楽しんだ。

ギリシャの文化に惹かれた。

宮廷の役割から離れ、自分の時間を取り戻そうとした。


その人生は、暗殺という最後の出来事だけで説明できるものではない。


ところが、劇的な死は、人の人生を一つの物語にまとめてしまう力を持つ。


美しい皇后が、異国の地で暗殺された。


この一文だけで、人は彼女の人生を悲劇として理解した気になってしまう。


しかし、その一文の中には、長い旅の時間も、宮廷での葛藤も、本人が何を望んでいたのかという問いも、すべては収まりきらない。


エリザベートは、悲劇の皇后だった。


それは間違いではない。


ただし、彼女は悲劇だけの皇后ではなかった。


## 二 スクリーンに残された歌声


ジュディ・ガーランドは、一九六九年六月二十二日、ロンドンで亡くなった。四十七歳だった。


彼女の死は、エリザベートの暗殺とは違う。


一人は暴力によって命を奪われ、もう一人は長年にわたる健康上の問題を抱えた末に亡くなった。


二人の死を、同じ悲劇として扱うことはできない。


それでも、死後に起きたことには、ある共通点がある。


人々は、残された姿や声を通して、その人を記憶し続けた。


ジュディには、映画があった。


『オズの魔法使』のドロシー。

仲間と旅をする少女。

故郷へ帰りたいと願い、歌う少女。


そして、あの歌声があった。


彼女が亡くなったあとも、映画を再生すれば、ドロシーはスクリーンの中で生き続ける。


歌声は、何度でも響く。


観客は、ジュディが四十七歳で亡くなったことを知りながら、画面の中の彼女を見ることができる。


そこには、時間の不思議がある。


映画の中のジュディは、年を取らない。


歌声は衰えない。


ドロシーは、何度再生しても、あの物語の中で旅を続ける。


しかし、現実のジュディは、撮影所を離れ、舞台に立ち、生活と健康の問題を抱えながら、年を重ねていた。


映画の中の姿は、彼女の人生の一部分を永遠に残す。


けれど、それは彼女の人生全体ではない。


彼女が歌ったこと。

笑ったこと。

友人と仕事を楽しんだこと。

苦しんだこと。

そして、もっと長く生きる可能性を持っていたこと。


そのすべてが、一つの映画に収まるわけではない。


## 三 人々は、なぜ伝説を必要とするのか


エリザベートの死後、彼女の生涯は、映画や舞台作品を通じて繰り返し語られるようになった。


とりわけ、ミュージカル『エリザベート』は、皇后の人生を、自由を求める女性と死の誘惑という象徴的な構図で描いた。


舞台の上では、歴史上の人物が、ひとつの物語を伝える存在へと変わる。


ジュディもまた、映画や舞台、伝記作品によって何度も描き直されてきた。


彼女の歌声は、今も多くの人に愛されている。一方で、その人生は、幼いころからの仕事、外見への圧力、薬物依存、健康上の問題といった悲劇的な側面から語られることも多い。


こうした作品は、過去の人物に新しい光を当てる。


歴史を知らない人が、その人物に興味を持つきっかけにもなる。


伝説が生まれること自体が、悪いわけではない。


人は、複雑な人生を物語として理解しようとする。


長い年月の出来事を、ひとつの筋道にまとめる。

何が重要だったのかを選び取る。

象徴となる場面や言葉を見つける。


そうして、過去の人間は、後世の人々に語り継がれていく。


ただし、物語には、必ず選ばれなかったものがある。


エリザベートを「自由を求めた美しい皇后」として描けば、彼女の政治的な立場や、皇室の一員としての複雑な責任は、背景へ退いてしまうことがある。


ジュディを「薬物に苦しんだ悲劇の歌姫」として描けば、彼女の仕事の喜びや、友情や、舞台に立ち続けた力は、見えにくくなることがある。


伝説は、その人を忘れないために生まれる。


しかし、伝説が強くなりすぎると、その人自身が見えなくなることもあるのだ。


## 四 美しさは、死後にも管理される


エリザベートは、死後も美しい皇后として記憶されている。


長い髪。

細い身体。

気品ある肖像。


ジュディは、歌声とともに記憶されている。


ドロシーの姿。

若い日の笑顔。

観客の心を動かした歌。


どちらも、実際に存在した魅力である。


けれど、死後のイメージは、生きていた本人の手を離れていく。


エリザベートは、もう自分の肖像画がどう使われるのかを選べない。


ジュディは、自分の映画がどのような文脈で上映され、どのような言葉で人生を説明されるのかを決められない。


人々は彼女たちを称賛する。


そして、称賛しながら、彼女たちの姿を自分たちの望む形に整えていく。


美しい皇后。

悲劇の女性。

永遠の歌姫。

壊れた天才。


そうした言葉は、理解の手がかりになる一方で、本人の複雑さを削り落とすこともある。


生きているあいだには、周囲の期待が彼女たちを縛った。


亡くなったあとには、伝説が彼女たちの姿を固定していく。


これは、まったく同じ種類の拘束ではない。


けれど、そこには考える価値のある逆説がある。


自由を求めた皇后は、死後、美しい皇后のイメージに閉じ込められる。


歌い続けたスターは、死後、永遠に歌うスターとして記憶される。


本人がもう何も求められなくなったあとでさえ、人々は彼女たちに何かを求め続けるのである。


## 五 伝説の向こうに、一人の人間を探す


それでも、私たちはエリザベートを知りたいと思う。


ジュディの歌声を聴きたいと思う。


彼女たちの美しさや才能に心を動かされることは、決して間違いではない。


大切なのは、その魅力を認めながら、そこに収まらない人間の存在も忘れないことだ。


エリザベートは、肖像画の中で微笑むためだけに生まれたのではない。


ジュディは、観客を感動させるためだけに生まれたのではない。


二人には、誰にも見せなかった気持ちがあっただろう。本人にしか分からない迷いや、他人には理解されなかった願いもあっただろう。


それらを、私たちはすべて知ることはできない。


だからこそ、分かったつもりにならないことが大切なのだ。


史料に残された事実を確かめる。

後世につくられた物語と、当時の記録を区別する。

本人を知っていた人の証言にも、その人自身の視点があることを忘れない。


そして、何よりも、伝説の中にいる人間を、伝説だけで説明し尽くさないこと。


エリザベートは、暗殺された皇后である。


しかし、それだけではない。


ジュディは、若くして亡くなった歌姫である。


しかし、それだけではない。


二人が美しかったことも、才能に恵まれていたことも、人生に苦しみがあったことも、それぞれに事実として向き合いたい。


そして、そのどれか一つを、彼女たちのすべてにしてしまわないこと。


それが、過去の人物を尊重するということなのかもしれない。


伝説は、死後に生まれる。


けれど、人間は、伝説よりもずっと複雑だ。


次はいよいよ、最後の話である。


美貌の代償を考えることは、美しさを否定することではない。


才能を称賛することをやめることでもない。


その美しさや才能を愛するあまり、そこに生きていた人間を見失わないために、私たちは何ができるのだろうか。


その問いを、最後にもう一度、考えてみたい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。