第七話 「彼女と仕事をするのは、楽しかった」 ミッキー・ルーニーが見たジュディ・ガーランド
【 登場人物紹介】
ミッキー・ルーニー
ハリウッドの時代を駆け抜けた男
ミッキー・ルーニー(Mickey Rooney/1920–2014)
アメリカの俳優、歌手、エンターテイナー。
子役として芸能活動を始め、ハリウッド黄金期を代表するスターの一人となった。MGMではジュディ・ガーランドと数々の映画で共演し、『青春一座』(1939年)や『ストライク・アップ・ザ・バンド』(1940年)などで、歌と踊りを交えた息の合ったコンビを見せた。
エリザベス・テイラーとも『緑園の天使』(1944年)で共演。ジュディやエリザベスとは、子役時代のMGM撮影所を知る仲間でもあった。
ミッキーは、ジュディについて、忘れられない友人であり、一緒に仕事をする時間は楽しいものだったと回想している。彼の証言は、ジュディを「悲劇のスター」という後世のイメージだけで捉えず、才能とユーモアを持ち、人と関わりながら仕事を楽しんだ一人の女性として見つめる手がかりになる。
その長いキャリアは、子役スターの誕生からハリウッドの変化まで、映画産業の歴史そのものを映し出している。
本作では、ジュディ・ガーランドを実際に知っていた同時代人の一人として登場する。彼の言葉を通して、華やかなスクリーンの向こう側にいたジュディの、もう一つの姿を探っていく。
第七話 「彼女と仕事をするのは、楽しかった」
ミッキー・ルーニーが見たジュディ・ガーランド
ミッキー・ルーニーは、ジュディ・ガーランドについて、忘れられない友情だったと振り返っている。
二人は、ハリウッドのMGM撮影所で出会った。
ジュディは歌い、ミッキーは歌い、踊った。
二人が共演した映画では、若さと勢いが画面いっぱいに弾けている。そこには、後世の私たちが知る「悲劇のスター」という言葉だけでは、とても説明できないジュディがいた。
ミッキーは、ジュディと仕事をすることは、仕事というより楽しい時間だった、という趣旨の言葉を残している。
この証言を読むと、少し立ち止まりたくなる。
私たちは、ジュディ・ガーランドの人生を語るとき、しばしば彼女の苦しみに目を向ける。
子ども時代からの撮影所生活。
外見や体重を管理される日々。
大人たちの期待に応え続けなければならなかった少女。
そして、華やかな舞台の裏側で続いた、健康と生活の困難。
どれも、彼女の人生を考えるうえで無視できないことだ。
しかし、彼女の人生は、それだけだったのだろうか。
ミッキーの記憶に残っていたのは、苦しんでいる少女の姿だけではなかった。
一緒に仕事をする楽しさ。
人を引きつける魅力。
舞台の上で、相手と呼吸を合わせる喜び。
ジュディは、誰かに苦しめられるだけの存在ではなかった。彼女自身が才能を持ち、仕事を楽しみ、人と関わり、周囲の人間の記憶に残る人だったのである。
もちろん、親しい友人の証言だけで、彼女の人生のすべてが分かるわけではない。ミッキーが見ていたジュディと、彼女が一人になったときのジュディは、同じではなかったかもしれない。
人間には、他人に見せる顔と、誰にも見せられない顔がある。
それは、スターであっても変わらない。
一九三九年、『オズの魔法使』でジュディはドロシーを演じた。
故郷へ帰りたい少女。
仲間と旅をする少女。
そして最後には、自分が求めていたものが、遠い場所だけにあるのではないと知る少女。
ドロシーの歌声は、世界中の観客の心に届いた。
だが、スクリーンの中のドロシーと、スクリーンの外のジュディは、同じ人生を歩んだわけではない。
映画が終われば、撮影所の仕事は続く。
観客が拍手を送っても、明日の撮影は待ってくれない。
一つの役を演じ終えても、スターとしての期待から自由になれるとは限らない。
そして、ジュディはやがてMGMを離れる。
それは、彼女の才能が消えたという意味ではなかった。彼女はその後も舞台に立ち、歌い、観客の前に戻ってきた。
映画会社の管理下を離れたからといって、長年にわたって身についた習慣や、健康上の問題や、生活の困難まで、すべてが消えてくれるわけではない。
自由になることと、傷が癒えることは、同じではないのだ。
ジュディの歌声は、彼女自身を救えたのだろうか。
その問いに、簡単な答えを出すことはできない。
歌は、彼女の才能だった。
仕事であり、生きる手段でもあった。
そして、ときには、言葉だけでは伝えられない感情を人々に届ける方法だった。
彼女の歌を聴いた人々は、そこに喜びを見つけた。悲しみを見つけた。自分自身の人生を重ねた人もいただろう。
けれど、観客が歌から救いを得たとしても、歌った本人が同じように救われたとは限らない。
一九六九年、ジュディ・ガーランドは四十七歳で亡くなった。
その死を、彼女の才能にふさわしい悲劇的な結末として美化してはいけない。彼女は悲劇のために生まれた人ではなかった。もっと長く生き、歌い、笑い、別の人生を選ぶ可能性を持った、一人の人間だった。
ミッキー・ルーニーの証言に立ち返ろう。
彼にとって、ジュディは一緒に仕事をするのが楽しい、忘れられない友人だった。
その記憶は、彼女の苦しみを否定しない。
むしろ、苦しみだけで彼女を語り尽くすことはできないと、私たちに教えてくれる。
美貌も、才能も、観客の愛も、人を支えることはある。しかし、それらがあるからといって、人が苦しまなくなるわけではない。
そして、苦しんだからといって、その人の人生が苦しみだけでできていたことにもならない。
ジュディ・ガーランドは、ドロシーではなかった。
彼女は、ドロシーを演じたジュディ・ガーランドだった。
その違いを忘れないこと。
それが、スクリーンの向こうにいた一人の女性を、もう一度、人間として見つめ直すための第一歩なのかもしれない。
才能を愛することと、その才能を持つ人間を守ることは、同じではない。
『アニーよ銃をとれ』から見えるもの
ジュディ・ガーランドは、いつまでも歌い続けられる人ではなかった。
彼女には、誰もが認める才能があった。歌声があり、観客を引きつける力があり、スクリーンの中で人々に夢を見せることができた。
しかし、才能があることと、身体が耐えられることは同じではない。
一九四九年、ジュディは映画版『アニーよ銃をとれ』の主演に起用された。ところが、撮影が始まると、体調不良や撮影への遅刻、欠席などが重なり、彼女は作品を降板することになった。代役にはベティ・ハットンが起用された。
その背景には、長年にわたる過酷な仕事、体重や外見への圧力、そして薬物依存を含む深刻な健康問題があった。
子ども時代から、彼女は大人たちの求める姿でいることを期待されてきた。疲れていても働く。眠れなければ眠るための薬に頼る。起きられなければ、また仕事に戻るために何かを必要とする。
そうした生活のすべてを、一つの原因だけで説明することはできない。けれど、彼女が仕事を続けることさえ難しくなるほど追い詰められていた事実は、見過ごせない。
撮影所にとって、映画は完成させなければならない商品だった。撮影が止まれば、費用がかかる。予定が遅れれば、関係者にも影響が及ぶ。
その事情も、理解できないわけではない。
しかし、映画を完成させる必要があることと、一人の人間の身体が限界を迎えていることは、別の問題である。
ジュディは、ただ仕事を放棄したかったのだろうか。
それとも、仕事を続けたいという気持ちがあっても、身体と心がそれに応えられなくなっていたのだろうか。
外から見える遅刻や欠席だけでは、人の内側で何が起きていたのかを、すべて知ることはできない。
私たちは、完成した映画を見ることができる。そこに映る歌声や笑顔を、何度でも楽しむことができる。
けれど、完成しなかった映画の撮影現場には、スクリーンに残らなかった時間がある。
『アニーよ銃をとれ』は、ジュディが演じるはずだった作品であると同時に、彼女がそれまでのようには働けなくなっていたことを示す出来事でもあった。
彼女の才能が失われたからではない。
才能があっても、身体には限界があるからだ。
そして、どれほど観客に愛されていても、スターであることは、その限界をなくしてはくれない。
ジュディ・ガーランドの人生を、薬物依存や病気だけで説明することはできない。彼女には、喜びがあり、友情があり、歌うことの楽しさがあった。ミッキー・ルーニーが覚えていたのも、悲劇だけではない、共に仕事を楽しんだジュディの姿だった。
だからこそ、私たちは二つのことを同時に忘れずにいたい。
彼女は、かけがえのない才能を持ったスターだった。
そして同時に、休息を必要とし、傷つき、助けを必要とする一人の人間だった。
美貌の代償とは、単に美しくあるために何かを失うことだけではないのかもしれない。
人々が求める姿であり続けるために、自分の限界を訴えることさえ難しくなってしまうこと。
それもまた、彼女が払わされた代償の一つだったのではないだろうか。




