六 魔力
夜のあいだ、私は眠らなかった。眠れなかったのではなく、眠くならなかった。
サーリは、私の肩から寝台へ移してやると、そのまま朝まで一度も目を覚まさなかった。私は暗い部屋で、織機の糸が月明かりを受けているのを、ずっと眺めていた。
夜明け前に、サーリが起きた。
寝ぼけた顔で寝台を下り、戸口の脇の棚へ手を伸ばす。そこに、小さな真鍮の灯りが置いてあった。油を入れる皿はなく、代わりに、親指の先ほどの青白い石が、金具に嵌めこまれている。
サーリが、その石に指先を触れた。
石が、光った。
炎ではなかった。揺れもせず、煙も出ない。石の内側から、乳白色の光が静かに滲み出して、部屋の隅々まで届いた。
「……それは、何かな」
「灯り」
「いや、そうではなく。どういう仕組みで光っている」
サーリは、変なことを訊く人だという顔をした。
「魔石だよ。触って、魔力を入れたら、光る」
魔力、と彼女は言った。何でもない言葉のように。
私は寝台から立ち上がり、棚の前に屈みこんだ。
石は、手のひらに載せるとわずかに温かかった。金具の縁には、細かな文字が刻まれている。どこの言葉とも知れない、角ばった文字だった。
蛍光物質か、と考えた。あるいは燐光か、何かの化学反応か。だが、指で触れたものが発光する仕組みを、私は一つも思いつけなかった。
そもそも、死んだ人間が他人の体で起き上がっている時点で、私の知っている物理は役に立っていない。唯物論者としては、まことに肩身が狭い。
「消して、もう一度点けてみてもらえるかな」
サーリが石を軽く叩くと、光は消えた。もう一度触れる。また点いた。
「私にも、できるだろうか」
「お兄ちゃんの体なんだから、できると思うけど」
サーリが灯りを消し、私に場所を譲った。
私は、石に指を当てた。
何も起きなかった。
押してみた。撫でてみた。息を詰めてみた。光れ、と念じてもみた。前の世界でこんなことをしている老人を見かけたら、私はたぶん、そっと目を逸らしただろう。
石は、冷たいままだった。
「……おかしいな」
サーリが横から覗きこみ、それから、私の手首を取った。脈を探すように、指を当てる。しばらくそうしてから、顔を上げた。
「ない」
「脈なら、昨日から」
「ちがう。魔力が、ない」
サーリは、私の手首を離さなかった。
「生きてる人なら、だれでもちょっとはあるの。赤ちゃんでも、お年寄りでも。触ると、あったかい感じがする。おじさんは、それが、ぜんぜんない」
「死んでいるからだろうね」
「……たぶん」
サーリは手を離して、灯りに目を落とした。
「お兄ちゃんは、点けられたのに」
そのとき初めて、サーリの顔に、昨日とは違う種類の不安が浮かんだ。
「坑道の魔導具って、ぜんぶ魔石を使ってるの」
サーリは指を折った。
「灯りも、水を汲み出すのも、岩を割るのも。魔石を入れて、人が魔力で点けて、動かすの。お兄ちゃんは、その点け役だった。魔力が多かったから、ほかの人より長く動かせて、お給金も少しよかった」
「点けられなければ」
「……働けない」
サーリは棚の上の小さな缶を取り、中身を床に広げた。大きめな硬貨が何枚かと、穴の開いた小さな硬貨が少し。私は数えなかった。数えなくても、多くないことは分かった。
「わたしの織り賃と、これで、たぶん十日。家賃が来たら、もっと少ない」
サーリは十本の指を開いて、一本ずつ折っていった。三本折ったところで、手が止まった。
「親方は、明日までに来なかったら、別の人を入れるって」
私は、自分の右手を見た。
布の下で膿んだ傷。脈のない手首。魔力の通わない指。
前の世界では、働く者の権利について、何百枚もビラを書いた。働けない者を支える仕組みについて、何度も役所に掛け合った。
この世界で、私自身が、働けない者になっていた。
死人には、働き口がない。考えてみれば当たり前のことだった。




