四 来訪者
サーリ、というのが少女の名前だった。私が乗り移った兄はケルド。十六歳。
三日前に死んだことを知っているのは、サーリだけだという。
「だれにも、言ってない。言っても、どうせ信じないし」
「それなら、好都合だ」
死人が別人で蘇ったなど、誰に聞かれても正気を疑われる。
言ってから、言い方が悪かったと思った。サーリは私を睨んだが、何も言わなかった。
そのとき、戸が鳴った。
拳で、遠慮なく三度。
「おーい、ケルド! 生きてっか!」
若い男の声だった。サーリの顔から、血の気が引いた。
「……ダッカ。お兄ちゃんと、同じ坑道の」
「お兄さんは、どういう人だった。手短に」
「えっと、うるさくて、ふざけてて、いっつも冗談言ってて……」
「なるほど」
まるで私と正反対だった。
「ケルドー! 開けるぞー!」
返事を待たずに、戸が開いた。
入ってきたのは、ケルドと同じくらいの年の、日に焼けた若者だった。手に、布でくるんだ黒パンを提げている。
「なんだ、起きてんじゃねえか。三日も坑道に来ねえから、親方がかんかんだぞ」
私は口を開いた。おちゃらけた十六歳。冗談を言う男。
「……いやあ、面目ない。ちと腹をくだしておってな」
サーリが、小さく息を呑む音がした。
ダッカは一瞬きょとんとして、それから、腹を抱えて笑い出した。
「なんだそれ、じじいかよ! くだしておってな、って!」
「……そうだ。じじいの真似だ」
「似てねえよ! いや似てるわ、坑夫長そっくりだわ!」
ダッカは笑いながら寝台の端に腰を下ろし、パンを放ってよこした。
私は理解した。ケルドという若者は、普段からこうだったのだ。何を言っても、ふざけていると思われる。おかしな言葉づかいも、冗談の一つとして通ってしまう。
死んだ若者の人柄が、私を隠していた。
「にしても、なんか臭くねえか、この部屋」
「傷が膿んでる」
私は包帯の右手を上げた。ダッカは顔をしかめた。
「うわ、まだ治ってねえのかよ。つるはしのちっちぇ傷だろ。……まあ、元気そうでよかったけどよ」
それから、ダッカはサーリのほうを見た。笑いが、少しだけ冷めた。
「お前さあ。ケルドが死ぬって、長屋じゅう触れ回ってたんだってな」
サーリは、織機の陰で俯いた。
「薬くれって、共済箱の親父んとこまで押しかけたんだろ。あの親父、まだ怒ってるぞ。文字も読めねえガキが、貴重な薬をたかりに来たってよ」
「……だって」
「ほら、ぴんぴんしてんじゃねえか。大げさなんだよ、お前はいっつも」
私は口を開きかけた。
違う、と言うことはできた。この子は正しかった。ケルドは確かに死にかけていて、実際に死んだ。誰も来なかったから死んだのだ。
だが、それを言えば、ケルドが一度死んだことを話すことになる。死んだ兄が歩いている理由を、話すことになる。
私は口を閉じた。
ダッカが帰り、戸が閉まるまで、私は一言も、サーリを庇わなかった。
部屋に二人が残った。
サーリは織機の陰から出てこなかった。
私は、手の中の黒パンを見ていた。食べるべきなのか、そもそも食べられるのか、分からなかった。
前の世界で、私はいつも、弱い者の側に立っているつもりだった。
この世界で最初にしたことは、この子を信じなかった人たちの側に、黙って座っていることだった。




