第六話 一行目
パーティを組んだ翌朝、グィネヴィアが依頼票の壁の前に立って、動かなくなった。
十五分くらいそのままだった。俺は数えていたので正確だ。
彼女は背が低い。上のほうの票は見えないはずなのに、首を動かさずに一枚ずつ視線だけで拾っていく。読み方が速い。速いというより、読む前に捨てるのが速い。
「これにしますわ」
剥がしてきたのは、廃坑の一件だった。
王都から半日。三年前に掘り尽くして放棄された坑道に、コボルトが巣を作った。近くの村が困っている。討伐、または追い出し。
報酬、銀貨九枚。
「九枚?」
俺は思わず言った。Gランクの依頼は、普通は三枚か四枚だ。薬草採取なら二枚。
「三日前から貼ってありましたわ。誰も取らないからです」
「なんで」
「坑道だからですわ」
*
宿の一階の卓に、グィネヴィアは炭で図を描いた。
入口が一つ。奥へ真っ直ぐ伸びる主坑道。途中から左右に枝が出て、いちばん奥が広くなっている。村の元坑夫から聞き取った、と彼女は言った。もう聞き取りを済ませていた。俺たちが起きる前にだ。
「幅は狭いところで一.二メートル。高さは二メートル弱。二人並べません」
「じゃあ縦か」
「はい。アーサーが先頭。わたくしが後ろ」
炭が二つ、線の上に置かれた。
それから、グィネヴィアは顔を上げた。
「ジャック。あなたは入口ですわ」
「……は?」
*
「荷物と、退路の確保をお願いします。中には入らないでください」
「なんで」
「あなたの攻撃は、溶けた金属を投げるものですわね」
「そうだよ」
「温度は」
俺は答えられなかった。数字で答えたことがなかったからだ。鉄が溶ける温度、としか知らない。
「鉄が液体になる温度です。千五百度以上。それを、幅一.二メートルの穴の中で投げる」
彼女は炭で、線の上に短い矢印を引いた。
「跳ねます。壁で。天井で。床で。あなたのそれは飛んでいって終わりではなく、当たったあとも熱いまま残るのでしょう」
「……まあ」
「煙も出ます。坑道の空気は入れ替わりません。それから」
矢印の先が、先頭の炭に触れた。
「射線上に、アーサーがいます」
*
俺は、そのとき何を思ったか。
正直に書く。
――こいつ、俺を外したいだけだろ、と思った。
昨日、「あなたを信じたわけではありません」と言った女だ。だから初仕事で俺を外して、自分たちだけで手柄を立てて、あとで「やっぱり要りませんわね」と言うつもりなんだ。そういう筋書きが、五秒で頭の中に完成した。
いま読み返すと、彼女は一つも俺の実力を否定していない。**千五百度の威力を、彼女だけが正確に見積もっていた。**外そうとしていたのではなく、外さないと死ぬから外していた。
だが十五歳の俺には、そう見えなかった。
「わかったよ」
俺は言った。声には出さず、頭の中では別のことを考えていた。
「これは頼みではなく、条件ですわ。坑道の中で、あなたは撃たない」
「わかったって」
アーサーが、横で干し肉を齧りながら言った。
「ジャックの火力は、外の広いところでこそ活きる。次の依頼はそっちを取ろう」
――こいつは分かってるな、と俺は思った。
いま思えば、アーサーはただ両方を立てただけだ。あいつは三年間、ずっとそれをやっていた。
*
廃坑は、思ったより小さい穴だった。
山の斜面に、木の枠で補強された口が開いている。中から冷たい風が出てくる。奥から吹いてくるのではなく、吸い込まれた分が押し出されている感じの、いやな風だ。
俺は入口に立った。荷物が三つ。水袋。予備の松明。
二人が入っていく。アーサーの背中の剣が、枠に当たりそうで当たらなかった。
――五分もしないうちに、中から音がした。
*
俺が坑道に入ったのは、正直に言えば、我慢できなかったからだ。
音がして、声がして、それが遠ざかっていく。自分だけが外にいる。荷物を守っている。誰も見ていない場所で、荷物を。
十歩だけ、と思って入った。
三十歩入った。
*
枝坑の分かれ目に、アーサーがいた。
コボルトが五匹。犬の頭をした、俺の胸くらいの背丈のやつが、狭い穴の中で詰まっている。前の一匹しか手を出せない。
アーサーは、剣を振っていなかった。
振れないのだ。二メートルの刀身を、幅一.二メートルの穴で振れるわけがない。
あいつは、刀身の真ん中あたりを左手で直接掴んでいた。革を巻いた手で、刃を握っている。右手は鍔の輪に通してある。あの、握り手にもなるという金具だ。
そして、槍のように真っ直ぐ突いていた。
突く。引く。半歩下がる。突く。同じ動きが同じ速さで続く。派手なところが一つもない。
俺は、こう思った。
――剣がでかすぎて振れないから、無理やり誤魔化してるんだな。不器用なやつだ。
これも正直に書いておく。
あいつがその持ち方を始めたのは、坑道に入って三十秒後だと、あとでグィネヴィアが言っていた。
誰にも教わっていない。
*
六匹目が、枝坑から出た。
アーサーの脇をすり抜けて、後ろへ回った。後ろにはグィネヴィアがいる。
俺は、考えていない。
手を上げたときには、腰の袋から鉄くずを掴んでいた。溶ける。手のひらの上で、それは熱くない。俺の手の上でだけ、いつもそうだ。
投げた。
*
白い塊が、坑道を真っ直ぐ飛んだ。
六匹目に当たって、貫いて、その先の壁で弾けた。飛び散った滴が枝坑の中に入って、詰まっていた四匹に降った。
悲鳴が四つ、ほとんど同時に消えた。
一瞬で終わった。
あとには、白い光がいくつも壁に貼りついて、じりじりと石を焼く音だけが残った。
――決まった、と思った。
この一年で、いちばんきれいに決まった。
*
それから、煙が来た。
目が開けられない。喉が焼ける。誰かが咳をしていた。誰かが俺の腕を掴んで、後ろへ引いた。
外に出るまでのことは、あまり覚えていない。
*
斜面に出て、四つん這いで咳をして、涙と鼻水を袖で拭いて、顔を上げたら、アーサーが座っていた。
外套を脱いでいた。
背中の、左の肩甲骨のあたり。手のひらくらいの範囲が、黒かった。服が皮膚に貼りついていた。
グィネヴィアが、その前に膝をついている。杖を置いて、両手をかざしていた。
水の匂いがした。傷の上に、うっすら光が乗っていた。
「……アーサー?」
「ああ」
「それ、コボルトにやられたのか」
アーサーは、少し黙った。
それから、言った。
「ジャック。さっき、俺の後ろから撃っただろう」
*
「当たっただろ。四匹まとめて」
「当たった」
アーサーは頷いた。責めている声ではなかった。事実を並べているだけの声だった。
「俺にもな」
*
俺は、何と言えばよかったんだろう。
いま書いていても、正解が分からない。ただ、そのとき自分が言ったことは正確に覚えている。
「……悪い」
まず、そう言った。ここまでは合っていたと思う。
問題はそのあとだ。
「でもあれ撃たなかったら、グィネヴィアが危なかっただろ」
*
グィネヴィアは、手を動かしたまま何も言わなかった。
言わなかったのは、治癒の途中だったからだ。千五百度の火傷は、彼女の得意分野の中でもきつい部類らしい。終わったとき、彼女の唇から色が抜けていた。座り込んで、しばらく立てなかった。
その日、残りの探索は中止になった。
治癒士が空になったからだ。
――それも、あとで理解したことだ。
その場の俺は、「体力ないな」と思っただけだった。
*
「そうか」
アーサーは、それだけ言った。
服を着て、剣を担ぎ直して、それから俺のほうを向いた。
「次からは、声をかけてくれ」
「え?」
「撃つ前に。『撃つ』でいい。一言でいい。それだけで避けられる」
「……わかった」
*
俺は、三年間で一度も声をかけなかった。
かけなかったというより、かけるという発想が最後までなかった。
撃つときは撃つ。当たれば勝ちだ。当たったのだから問題はない。そのたびに何かが焦げて、誰かが治して、誰かが黙った。そして俺は、そのたびに「決まった」と思っていた。
あの日、アーサーは一言で済むことを一言で言った。
三年後の追放のとき、あいつが同じことをもう一度言おうとして、やめた顔をしたのを、俺は覚えている。
*
巣は結局、三日後にもう一度入って片付けた。俺は入口にいた。今度は本当に入らなかった。
報酬は銀貨九枚。三等分で、三枚ずつ。
俺の三枚は、そのままギルドの窓口へ行った。借金が銀貨六枚から三枚に減った。
手元には、何も残らなかった。
――一番働いたのに、と思った。
これも正直に書く。俺は本気でそう思っていた。あの依頼で最も多くのコボルトを倒したのは俺だ。五匹。数えたから正確だ。アーサーは四匹、グィネヴィアは二匹。
数字は間違っていない。
間違っていたのは、数字で数えられることが全部だと思っていたことのほうだ。
*
帰りの街道で、グィネヴィアが岩に腰かけて、小さい帳面を開いていた。
指の太さくらいの、革表紙の帳面だ。彼女はそれに、何か書いていた。
「なにそれ」
「帳面ですわ」
「ふうん」
帳簿だろう、と思った。商人の娘で、金の管理は彼女の担当だ。報酬の九枚と、分配と、村で買った水袋の代金。そういうものが書いてあるんだろう、と。
実際、そういうことも書いてあったらしい。
――三年後、俺はあの帳面が何なのかを知ることになる。
パーティを追放されると告げられた日、グィネヴィアはあれを開いて、頭から読み上げた。
日付。場所。何が起きたか。誰が何を言ったか。全部、一件ずつ。
俺の記録は、教会には一行も残っていない。
だがこの世界に、俺のことを書き続けていた人間が、一人だけいた。
その一行目が、あの日、あの岩の上で書かれたものだ。
*
その夜、アーサーが銀貨を一枚、俺の前に置いた。
「飯代」
「借りだからな」
「ああ」
――返していない。
*
宿に戻って、寝る前に、俺は考えていた。
このパーティで一番火力があるのは俺だ。
それは、たぶん本当だった。
本当だったから、なおさら悪かった。
*
Gランクは、それから四か月続いた。




