第二話 金貨二十枚
聖堂の裏は、拍子抜けするほど普通の部屋だった。
四畳半くらいの広さに、机が一つ、椅子が二つ、棚が三つ。棚には表紙のない台帳がぎっしり詰まっていた。壁には窓がない。祭壇の側のきらきらした感じは、この扉一枚でぜんぶ止まっていた。
神父が先に座った。フェルナン、という名前らしい。ギヨームは扉の前に立ったまま動かない。
「かけなさい」
俺は座った。安物の木の椅子で、右の後脚が短かった。
「まず、確認する。お前は自分のクラスが何なのか、分かっているか」
「鍛冶師でしょ」
「意味を聞いている」
……意味。
鍛冶師なんだから、鍛冶をするんだろう。そう言おうとして、やめた。上位クラスというからには、たぶんそんな単純な話じゃない。
「知りません」
「よろしい」
フェルナンは机の引き出しから紙を出して、机に置いた。
「上位クラス『鍛冶師』。鉱物の性質を手で読む。融点を無視して溶かす。組成を変えて固める。適性のある者が本気で修めれば、王家お抱えの工房が金を積んで奪い合う。歴史書に残っている名剣のうち、少なくとも四本はこのクラスの人間が打っている」
「へえ」
「お前は、一生食うに困らん」
いい話のはずだった。
なのに、そのとき俺が最初に思ったのは、「戦闘系じゃないのか」だった。
だってそうだろう。異世界転生で上位クラスを引いたなら、剣聖とか賢者とかだろう。工房で一生ハンマー振ってろって、それは当たりなのか?
それに、と俺は考えた。溶かせるんだったら。
「溶かした鉱物って、投げられます?」
部屋が、静かになった。
フェルナンが顔を上げた。ギヨームは扉の前で、何とも言えない顔をしていた。
「……できるだろうな」
「じゃあ実質、火魔法じゃん。しかも実体があるぶん強い。魔法防御が効かないってことでしょ」
「包丁で薪を割ることもできる」
「え?」
「なんでもない」
フェルナンはペンを取った。
*
「では、本題だ」
「本題?」
「お前を呼んだのは、祝いを言うためではない」
紙が一枚、机の上を滑ってきた。
数字が書いてあった。金貨二十枚。
俺は前世の癖で、すぐ換算した。父の日当が銅貨三十枚。母の稼ぎと合わせても、うちの年収は金貨一枚に届かない。三人でまるまる働いて、五年か六年。それが、この一枚の紙に書いてある。
「なんの金ですか」
「取引だ。バルテル伯爵家の三男が、今朝、主祭壇で鑑定を受けた。結果は、属性なし、クラスなし」
「……無能力者」
「伯爵家は、来年その子を隣国の家に婚約させる予定でな。無能力者の三男を出すわけにはいかん。体裁というものがある」
フェルナンの言い方には、抑揚がまったくなかった。天気の話をするみたいだった。
「そこで、記録を入れ替える」
「入れ替える」
「お前の名の下にある『属性・土/上位クラス鍛冶師』を、伯爵家三男の名の下へ移す。代わりに、あちらの結果がお前の名の下に入る」
俺はすぐには意味が飲み込めなかった。
「待って。それ、バレるでしょ。今日ここにいた千四百人が聞いてるんですよ、俺の結果」
「聞いたのは番号だ。名前ではない」
……ああ。
「教会は毎年、鑑定の統計を公示している。今年この王都で属性を得た者が何人、クラスを得た者が何人、上位クラスが何人。一人残らず数えて、正確に出す。教会は数字で嘘をつかん」
フェルナンは、棚に並んだ台帳のほうへ顎をしゃくった。
「ただ、名前は出さん。誰がどれかを知っているのは、本人と、この部屋の帳面だけだ」
「……」
「今年の上位クラスは、この王都で三人。来年の公示にも、三人と載る。三人は三人のままだ。中身が誰かが、少し変わるだけでな」
完璧だった。
嘘を一つもつかずに、全部が嘘になる仕組みだ。前世の会社の決算書みたいだな、と思った。
「……その金、うちにくれるんですか」
「断ってもいい。断った者も、年に一人か二人はいる」
「そいつらはどうなったんですか」
「どうにもならん。記録はそのままだ。それだけだ」
*
俺は、たぶん十秒くらい考えた。あとで何度も思い返したから、その長さは正確だと思う。
考えたのは、こういうことだ。
紙の上でどう書かれようが、この体に鍛冶師のクラスがあることは変わらない。溶かせるものは溶かせる。投げられるものは投げられる。実物があるのに、証明書がいるか?
それに、俺には前世の記憶がある。二十一世紀の知識がある。上位クラスに、それが乗る。肩書きなんて、あとからいくらでも作れる。実力さえあれば、いずれ勝手についてくる。
むしろこれは、こっちが得をする取引じゃないか。
向こうは「紙」を欲しがっていて、俺は「中身」を持っている。中身を渡さずに、紙だけ売って金貨二十枚。
――俺は、この取引で相手を出し抜いたと思った。
本気でそう思った。
「やります」
「よろしい」
フェルナンはペンを走らせた。三行だけ書いて、砂をかけて、乾かした。それだけだった。
俺の人生の値段が確定するのに、三行と、砂と、二十秒かかった。
*
「一つだけ言っておく」
紙を渡すとき、フェルナンは手を離さなかった。
「人はな、お前が“何を持っているか”では判断せん」
「はあ」
「“何を持っていることになっているか”で判断する。四十年、この椅子に座って見てきたことだ」
俺は頷いた。頷いただけだった。
いい話をされた、くらいに思っていた。年寄りが若者に一言くれるやつだ。ありがたく受け取っておこう、と。
今ならこう答える。それは忠告だったのか、それとも、あんたなりの謝罪だったのか。
証書には、こう書いてあった。
――C六六六 ジャック・バルブ。属性、土。クラス、無し。
*
家に帰ると、父が待っていた。
珍しく素面で、テーブルの前に座って、両手を膝に置いていた。父がその座り方をするのは、年に何回もない。
「どうだった」
俺は証書を出した。
父はそれを、長いこと見ていた。字が読めないのに、長いこと見ていた。
「土か。俺と同じだな」
「うん」
「……クラスは、なかったか」
「うん」
父は一度だけ頷いて、それから笑った。無理をして笑ったのが分かる笑い方だった。
「いいさ。土があるだけ上等だ。俺の現場に来い。声はかけといてやる」
そのとき俺は、金貨の入った袋をテーブルに置いた。
中身を見た父の顔が、二秒で変わった。
その日、うちでは酒が三本開いた。父は途中から泣いていた。何を言っていたかは覚えていない。ずっと「よくやった」と「すまん」を交互に言っていた気がする。
俺は初めて酒を飲んで、すぐ吐いた。
*
母が口をきいたのは、父が潰れたあとだった。
窓の外を見たまま、煙草に火をつけて、こう言った。
「アンタ、それがどういうことか分かってるか」
「え? だって二十枚だよ。父さんが五年働いても届かない」
「そうじゃない」
母は振り向かなかった。
「アタシは十四のとき、たった一言で紙を書き換えられた。属性は水だった。水属性の異端者は高く売れるんだと。それから六年、アタシは人間の側に数えられてなかった」
「うん、それは聞いた」
「腕をもがれりゃ痛い。腹が減りゃ苦しい。でもな、いちばん堪えるのはそこじゃないんだよ」
煙が、天井のほうへ真っ直ぐ上がっていった。
「自分がどういう人間かを、自分以外の誰かが紙に書き込むことだ。それをやられると、こっちが何を言っても、もう届かなくなる。だってこっちには何もないんだから。向こうには紙があるのに」
俺は笑った。
「でも母さん、力は俺の中にあるんだよ。紙なんてただの紙じゃん」
母は、そこでやっと振り向いた。
しばらく俺を見て、それから笑った。
「……そうだな。ただの紙だ」
俺は勝ったと思った。
母が言い返せなかったのだと思った。母は昔ひどい目に遭ったから、紙のことを大げさに考えているんだ、可哀想に、と思った。十四歳の俺は、本当にそう思ったのだ。
母はそれきり、この件について一度も何も言わなかった。
死ぬまで、一度もだ。
*
金貨二十枚は、半年で消えた。
まず剣を買った。三枚。装飾ばかりの片手剣で、重心が手前すぎて実戦では使いものにならなかった。鍛冶師のクラスを持っている人間が、自分で打たずに店で買ったのだ。今でもあれが、俺の人生で最初にやった一番間抜けなことだと思う。
あとは酒場だ。奢った。毎晩奢った。奢っているあいだは、みんな俺の話を聞いてくれた。俺が本当は上位クラス持ちだという話を、五枚分くらいの人間が信じてくれた。
残りは父が飲んだ。
母は何も言わなかった。
*
十五になった春、俺は家を出た。
両親は、俺を鍛冶屋に弟子入りさせようとしていた。「クラスがなくても手先は器用なんだから」と母は言った。父は現場の話をしつこく持ってきた。二人とも、俺の将来を心配していた。
俺には、それが我慢ならなかった。
置き手紙にはこう書いた。
『こんな家にいたら、俺の才能が腐る』
――今でも、あれだけは間違っていなかったと思っている。




