第一話 六六六番
俺には、はっきり覚えている数字がいくつかある。
前世で死んだ日の気温は、二度。降っていた雪の量は、その冬いちばんだった。轢かれたトラックの荷台に書いてあった会社名は八文字。搬送先の病院に着いたのが十六時四十四分で、死亡が確認されたのが十七時九分。信号は……まあ、細かいことはいい。
とにかく俺は、佐藤颯太、十八歳、文系男子高校生として、一度死んだ。
部活は中学が卓球、高校がテニス。誘われて入った、緩いほうだ。成績は学年の真ん中より少し下。顔も普通。身長も普通。何をやっても人並みで、それが十八年間ずっと嫌だった。
その俺が、二度目の人生をもらった。
天地開闢の頃から生きているという神様が出てきて、剣と魔法の世界に放り込まれた。前世の記憶がはっきり戻ったのは、こっちで十四歳になった日の朝だ。俺の名前は、ジャック・バルブ。
そして今日は、鑑定の日だった。
*
「どうしたジャック、まさか怖気ついてんのか」
隣を歩く女が、煙草を咥えたまま、ハスキーな声で言った。
俺の母親だ。イザベル・バルブ。肩までのダークブラウンの髪を、いつも面倒くさそうに片手でかき上げる。
「だって母さん、もしどっちもなかったら、僕の人生は詰みなんだよ」
この世界の仕組みは、単純明快だ。
属性は、火・水・土の三つ。魔力というものを変質させるときに出る「性質」のことらしい。持っている人間が九割。つまり、持っていない一割は最初から落ちこぼれということになる。
クラスは「役割」。適性のある分野で異常な伸び方をする素質のことで、こっちは全体の一割未満だ。
どちらか片方を持っているのが普通。両方持っている人間は、生涯が保証される。両方持っていない人間は、無能力者と呼ばれて、まともな仕事にはまず就けない。
要するに、十四か十五になった年の一日で、ステータス画面を開かされて、そこに何が書いてあるかで残りの人生が決まる世界だ。
前世よりよっぽど分かりやすい。俺は、この仕組みが嫌いじゃない。
「そんなこと言うんじゃねぇ。お前はまだ女も知らねぇ乳臭ぇガキだ。なんにも知っちゃいねぇんだよ。人生は長げぇんだから、そう考え込むな」
「でも――」
「大丈夫だ。どんな結果だろうと、アタシはアンタの母親なんだ。ガキのうちは守ってやるからさ」
母は下手くそに笑って、俺の背中を平手で二回叩いた。地味に痛い。
母は水属性で、湯屋で働いている。どういう類の湯屋なのかは、この歳になれば分かる。店の中での序列は、真ん中よりやや下だと本人が言っていた。胸が小さいからだそうだ。
「……そのわりに、稼ぎは真ん中より下だよね」
「殴るぞ」
殴られた。
父はモーリス・バルブ。土属性で、非正規の土木作業員をしている。出力が弱いので日当は銅貨三十枚。近ごろ酒の量が増えていて、月に一度は母と揉める。離婚するほどではない。
いい家庭ではない。控えめに言っても、平民の中でも下のほうだ。
それでも俺は、この二人からちゃんと愛情をもらって育った。二度目の人生で当たったカードとしては、悪くない引きだったと思っている。
*
しばらく歩いて、教会が見えてきた。
白い石を積み上げた、無駄に大きい建物だ。前世の教科書に載っていた大聖堂を、そのまま持ってきたような形をしている。よくこんな金があったな、と思う。
いや、あるのか。教会には。
この世界の教会は、日本の寺とはまるで違う。教皇を頂点にした組織が、土地も法も握っていて、王より強い。教皇が本気を出せば皇帝を破門できるし、破門された皇帝は雪の中で三日待たされる。前世でそういう話を読んだ覚えがある。
「そういや母さん。神って、本当にいるの?」
軽い気持ちで聞いた。
「いるわけねーだろ」
返事は早かった。そして、そのあとが少し長かった。
「アタシはな、十四のとき、その質問に正直に答えた。『いるわけないでしょ』ってな。それだけで紙に『異端』って書かれて、奴隷にされた。六年だ」
「……え」
「本当に神様がいるってんならさ。アタシの発言に罰を落とすんじゃなくて、真実のほうを見せてくれるはずだろ。アタシの値段を、勝手に決めるなっつーの」
喋り方は普段どおりだった。ただ、目からトーンが消えていた。
俺は、母の昔の話をほとんど聞いたことがない。父が身請けしたことは知っていたが、そこに至るまでの六年について、母は一度も口にしたことがなかった。
「そうだな、言ってなかったからな」
母は髪をかき上げて、俺の目をまっすぐ見た。さっきまで空だった目に、光が戻っていた。
「大人の世界は嘘で汚れてる。お前は今日、その階段を一段登る。だからな、ジャック」
「うん」
「どんな結果でも、ちゃんと受け止めろ。それが大人になるってことだ。そんで今日は酒を買って、三人で夜通し飲むぞ」
俺はまだ、この世界で一度も酒を飲んだことがない。
どんな結果でも受け止めよう、と俺は密かに誓った。
*
教会の前は、人でいっぱいだった。
この日は年に一度の祭典で、王都とその周りの農村から、十四と十五の子供が全員集められる。今年はおよそ千八百人だと聞いた。
俺たちは身分ごとに分けられ、それぞれの祭壇へ流された。貴族と王族は主祭壇。それ以外は、脇の小さいほうだ。列は四本。平民が千四百人ちょっと。
列の頭のほうから、神父の声が単調に流れてくる。
「C六六二、火。C六六三、土。C六六四、無し。C六六五、水」
Cは平民(Commoner)の頭文字で、番号は前から順につけただけのものだ。名前は呼ばれない。番号で呼ばれる。
やり方はこうだ。まず神父が下腹部の**精孔**を親指で押し開けて、体の中を巡っている魔力を外に漏らす。溢れたオーラを鑑別器具に注ぐと、器具が反応して、属性とクラスが出る。
列の進みは思ったより速かった。二十秒に一人。
「無し」が呼ばれるたびに、周りの空気が少しだけ緩む。自分じゃなかった、という緩み方だ。
*
俺の四十番ほど前で、それは起きた。
「C六二一――」
神父が、言葉を切った。
器具を持つ手が止まっている。補助の司祭が横から覗き込んで、二人で何か言い合っていた。
台の上に立っていたのは、俺と同じくらいの背丈の男だった。紅い髪。前髪に一房だけ、金色が混じっている。血みたいな色だな、と思った。
器具が、一瞬だけ白く光った――ように見えた。
まばたきの半分くらいの時間だ。次に見たときには、器具は何色でもなくなっていた。
「……器具の誤作動だ。もう一度」
二度目は、何も起きなかった。
「C六二一。属性、無し。クラス、無し」
列がざわついた。無能力者だ。今年、この列で四人目。
俺は少しだけ、いい気分になった。人でなしだと思われるかもしれないが、正直に書いている。自分の前に落ちる人間がいると、自分は落ちない気がしてくる。あれは本当だ。
ところが、その男は。
「ありがとうございました」
台の上で、深々と頭を下げた。
声がでかい。周りが静まるくらいでかかった。それから顔を上げて、笑った。悔しそうでも、悲しそうでもなく、ただ普通に笑っていた。
……気持ち悪い、と思った。
だってそうだろう。人生が終わった瞬間に礼を言って笑うやつがいるか。強がりか、頭がおかしいか、どっちかだ。俺はそのときそう判定して、それで終わりにした。
男が台を降りるとき、列の外から桃色がかった金髪の女が駆け寄って、何か言った。翠色の目をしていた。男は首を振って、また笑った。
女がこっちを見た――気がした。
目が合った、と思った。
……いま思えば、あの女は一度も俺のほうを見ていない。ずっと、あの男だけを見ていた。
でも十四歳の俺は、そうは思わなかった。
*
「次」
気がついたら、俺が先頭だった。
目の前の神父は、白髪交じりの無精髭を生やした、棒みたいに痩せた男だった。何百回も繰り返してきた手つきで、俺の下腹部を親指で押す。
体の力が、すとんと抜けた。
なんだこれ。立っていられない。膝に手をついて顔を上げると、神父が、手の中の球体を見ていた。
術式が細かく刻まれた鑑別器具が、黄土色に光っている。
神父は、それを見ていた。信じられないものを見る目で。
次の瞬間、球が神父の手を離れた。
ふわりと浮き上がって、重たい金属音を鳴らしながら、空中に模様を描き始める。真っ直ぐな線が折れて、折れて、閉じて、また開く。何かを測っているというより、測りきれずに困っている動きだった。
「これは……まさか、上位クラス?」
補助の司祭が漏らした。
上位クラス。クラスの中でも、複数の分野で異常な素質を示すもののことだ。歴史書に出てくる英雄が持っていたやつも、この枠に入る。
「ギヨーム。記録装置を」
神父の声は落ち着いていた。落ち着かせている声だった。
ギヨームと呼ばれた司祭が、本の形をした装置に魔力を流す。ページに文字が焼き込まれ、埋まり、勝手にめくれ、また埋まる。それが十七回続いた。俺は数えていた。
装置が止まる。ギヨームは震える手でそれを神父に渡した。
神父は一行ずつ、時間をかけて読んだ。
「ふむ」
顎の髭を撫でて、それから顔を上げる。
「C――六六六。属性、土。そしてクラス――」
周りが静かになった。千四百人分の列が、少しだけ前に傾いた気がした。
神父は、目を見開いた。
「クラス、上位クラス『鍛冶師』」
――は?
「え、俺が。マ、マジかよ……」
それだけしか出なかった。頭の中では、一秒間に十行くらい言葉が流れていた。やった、当たった、両方持ちだ、三万人に一人だ、これで俺は普通じゃない、二度目でようやく引いた、前世の分を全部取り返した、俺は――
でも、口から出たのは、それだけだった。
「C―六六六は、あとで聖堂の裏へ来なさい」
神父はそう言って、もう次の子供に手を伸ばしていた。
*
少年が去ったあと、神父はカソックの内から眼鏡を取り出した。
手元の名簿にある「C―六六六」という通し番号を、指先で一度だけなぞる。
「およそ三万人に一人。この地方の鑑定では、数年に一度あるかどうかの希少クラス『鍛冶師』」
眼鏡の奥で、目が細くなった。
「これほどの逸材は、六年前の『空間』持ち――あの異端審問官殿以来か」
神父は名簿を閉じた。
「ふむ。この町にも、新しい風が吹き始めたようだ」
*
――俺は、とんでもないものを引き当ててしまったらしい。
そのときは、本気でそう思っていた。




