第006話〈暗黒に潜む猟人〉
奈々を殺してから、今日でちょうど七日が経過した。
この一週間で、俺は他に数人の転生者を殺害した。
襲いかかってくる者を返り討ちにし、あるいは動く死体に成り果てた哀れな同郷者を処理するうちに、人を殺すという感覚には完全に慣れてしまっていた。
弾はとうに尽き、手にあるのは裏切り者の刀、びくびくしながらろくに眠れもせずに昼を超す。
俺の心は裏切りと極度のストレスによって硝子のように砕け、度重なる殺人、食人によって鉄のように鍛えられたのだろう。
この過酷な黒い森を生き抜くため、俺は自身のステータスと、この世界のルールについていくつかの仮説と検証を繰り返していた。
分かったことは、大きく分けて三つ。
一つ目、吸血鬼の『融合率』を上昇させ、進化する条件について。
ゾンビやスケルトンといった低位のアンデッドをいくら間引き喰らったところで、効率は極めて悪い。運が良くても肉体の5割を食べたところで一体につき0.1%程度しか上昇しない。
だが、より強力な上位個体や、生きた生物であれば0.3~0.5%ほど上昇し、さらにアンデッド化した『転生者』を喰らった場合は、2%から3%という破格の上昇率を記録した。
しかし、これには明確な減衰が存在する。レベルが上がるにつれて次のレベルへの経験値が増えるように、喰えば喰うほど、一度に得られる上昇量は目減りしていくのだ。
以前なら0.2%は上がっていた喰屍鬼を食らっても、今では0.1%程度しか反応しない。
黎種吸血鬼の真の力を引き出すまでの道のりは想像以上に険しいようだ。
次の段階まであと7%、段階が上がれば、何か新しい変化が起きるはずだ。
ちなみに0.5%以下の上昇ではシステムから通知が来ない。
二つ目、周囲を満たす『瘴気』とその浸食速度、さらにそれに対する防衛手段について。
ガチャで引き当てた『聖骸布外套』を纏っている限り、瘴気の浸食は一時間に1%ほどの緩やかな上昇に抑えられる。
そして、この蓄積した瘴気値は、魔法を使用する。つまり魔力を体内へ出すことで減少させられることが判明した。
魔力を10を消費するたび、瘴気値がちょうど1%減少する。
現在、俺が持っているスキル『喰Ⅰ』による周囲からの魔力自動補給速度と、この瘴気減少のための魔法行使は、ぎりぎりのバランスで釣り合っており、結果として俺の体内瘴気値は常に5%前後を行き来して安全圏でコントロールできている。
リソースの管理さえ怠らなければ、瘴気で理性を失うことはない。
そして、正気濃度が高ければ高いほどそこの生物は強くなっていく。
そして三つ目、この吸血鬼の肉体について。
率直に言って、この体は生物としてあまりにも便利すぎた。
呼吸や食事によるエネルギー摂取に頼らずとも、己の魔力を直接生命活動の代償として変換できる。
もし戦闘を行わず、ただ単に生き長らえるだけならば、一切の補給なしで百年でも二百年でも生存可能なほど、エネルギー効率が極限まで洗練されているのだ。
もっともそれを選択すれば3日で瘴気によって発狂するだろう。
その代わり、世界の『理』からは明確に拒絶されている。
一度、頭上の霧が薄くなった瞬間を狙い、試しに日光の下へほんの少しだけ手を伸ばしてみた。
その刹那、光に触れた皮膚が激しい業火で焼き焦がされるかのような、凄絶な激痛が俺を襲った。
反射的に手を引っ込めたが、あのまま全身で陽光を浴びていれば、苦痛で正気を失うだろう。
__これが、人間を辞めた者が支払うべき代償。 光を失った代わりに、俺は闇の中での絶対的な生存能力を手に入れたのだ。
柊は重い足取りで森の奥へと進む。
どこにあるかもわからない出口、そしてなにより『食料』を求めて。
(こっちから物音がしたが、頼むから生きた生物であってくれ。もう腐肉はたくさんだ。)
草木をかき分けながら柊は内心で毒づく。
スキル『喰Ⅰ』を取得して以来、脳を焼き焦がすような凄まじい空腹感が常に柊を苛まんでいた。
それなのに、この忌々しい森のそこら中に転がっているのは、腐り落ちたアンデッドばかり。
(今は新鮮な血肉がなによりも欲しいな。)
その時、魔眼によって強化された視界が、揺れる草むらの隙間に『それ』を捉えた。
(お、黒兎か……!)
体長二十センチほどの小型のウサギ。この森では比較的よく見かける種だが、体色が漆黒ゆえに見つけにくく、さらに逃げ足は目測で時速80kmを超える。
人間だった頃の柊なら、捕まえることなど到底不可能な俊足の獲物。
だが、今の柊の目には、そいつがどこへ跳び、どう動くかがスローモーションのように手に取るように分かった。
黒兎はこちらの接近に気づいていない。
無警戒に、陽気に草を食べている。
(距離は約8m。もう少し近づいたら、土魔術で一気に仕留めるか。)
柊は息を殺し、足音を完全に消して間合いを詰めていく。
7m…6m…5m……
残り4m、あと一歩踏み込もうとしたその刹那。
__突如として、肌を刺すような静かな『違和感』が空気を支配した。
吸血鬼としての五感が、本能的な警鐘を鳴らし、 柊が足を止めた次の瞬間だった。
(なっ――!?)
音も、空気の揺れすらもない。
ただ一瞬だけ、銀色の光が細い線を描いて輝いた。
気が付いた時には黒兎の肉体が一瞬にして数欠片の肉塊へと切り刻まれ、地面にドサリと崩れ落ちたのだ。
生存本能のままに、柊は即座にその場から大きく退く。
背中に冷たい汗が流れるのが分かった。
もし、あのまま空腹に駆られてあと一歩前に踏み込んでいれば、バラバラになっていたのは俺だった。
(一瞬だが見えた。あれは……糸の類か。ピアノ線、いや、それ以上に細く鋭利で、生物的な何か……)
警戒を最大に引き上げ、俺は足元に転がっていた手頃な石を拾い上げ、黒兎の死骸があった場所へ向けて思い切り投げつけた。
放たれた石がその空間へと差し掛かった、まさにその瞬間。
再び、虚空に目に見えないほどの極細のラインが走り、硬い石が豆腐のように切り刻まれ、粉々になった。
「……どうやら、これ以上不用意に先に進むのは愚策のようだな。」
攻撃の発動はほとんど不可視に等しい。
触れれば即座に肉を断たれる。
引き返したほうがいいのだろうが、柊は足を止め、じっと糸の張られた暗がりの奥を見つめた。
(だが、もし相手が『転生者』の場合……システムによって俺たちはいずれ殺し合う運命にある。ここで背を向けて逃げるより、情報収集のためにもせめて姿だけでも確認しておいたほうが生存確率があがる。)
収納空間から陽鉄刀を抜く。
向こうに潜む未知なる敵、その正体を暴くため、柊は気配を極限まで殺し、静かに進む。
柊は転生者を数人とエリアボスを数体倒したことでガチャチケットを結構手に入れていたが、ガチャ結果はほとんどが体力を回復させる薬や魔力を回復させる薬がほとんどだった。
そして常に1枚か2枚はガチャチケットを残すようにしている。




